プロローグ『物語の始まりはお約束と共に』
まず感じたのは、普段と違う周囲の空気。もちろん、空気の味や匂いがどうこうということではない。そういったものを感じられるずば抜けた五感を持つ種族もいるが、残念ながら今の俺にそこまでのものは判らなかった。
俺が気づいたのは、場の空気や空気を読むという意味で使われる空気の変化だ。平時とは違う獣の動きや、それによって作り出される木々のざわめき。そういったものから異変を感じ取る。
「近いな」
何かしらの異変が起こっているのはこの先、おそらくは森を抜けたところにある街道の付近。
「素通りするのも後味が悪い。行くか」
何が起こっているかまでは分からない。大したことじゃないかもしれないが、その時は何事もなくてよかったというだけの話だ。別に急いでいるわけでもないし、多少の寄り道は構わないだろう。
そうと決まれば行動は迅速に。一歩を踏み出し、そのまま一気に加速する。森を傷つけないように力の方向を操作しつつ、障害物を避けて二歩三歩。街道までの距離は精々500メートル、自慢じゃないがその程度ならば1秒とかからない。
森の木々が音もなく後方へ流れて行き、次の瞬間には開けた視界に陽の光が飛び込んできた。
「――っと」
衝撃波で周囲に被害を出さないよう、上手いこと力の方向を操作しつつ立ち止まる。音速以上で動ける存在はこの世界じゃさほど珍しくないが、こういう精密な力の操作までできる奴はあまり多くない。今度はちょっとした自慢だ。
「さて、こいつはまた、お約束というかなんというか」
そして本題。森を抜けた先、比較的安全なはずの街道で俺が目にしたのは、複数の魔物に襲われる馬車と騎士の一団だった。馬車にはそれなりに高貴な人物が乗っているようで、中々の練度と装備をもった数人の騎士たちが応戦している。襲い掛かっている魔物はFランクの鋼狼の群れ。ランク自体は10ランクのうち下から二番目とそれほどでもないが、いかんせん数が多い。おまけにあいつらは名前の通り鋼のような体毛を持っていて、斬撃に対して強い耐性を持つ。中々の練度があるといっても一般的な騎士の範疇。このままではジリ貧だろう。
「一丁やってやりますか」
状況把握は十分。とりあえずは助太刀するとしよう。森の中で魔物に襲われる高貴な身分の人間を助けるなんて、ファンタジー小説のお約束イベントみたいで少しばかり心が躍る。
「久しぶりだが、悪くない!」
お約束イベントばかりだった昔の自分を少しだけ思い出して、俺は魔物へと吶喊した。