少女とこいのぼり
「お兄ちゃん。大丈夫?」
いつの間にかうたた寝をしていたようだ。少女は覗き込むようにルギを見ていた。
「うん。大丈夫。」
「そう、よかった。」
そういうと、少女はにっこりと笑い、ルギの隣に座った。
「お兄ちゃんひとり?」
「そうだよ。」
「私も。」
「お父さんとお母さんは一緒じゃないの?」
一人でここに来ることはあまりいいことではない。
まして、見ず知らずのルギに声をかけてきたのだ。
あまり楽観視していいことではない。
「うん。お仕事忙しいんだって。」
「じゃあ、ここまで一人で来たの?」
「そう。最近は毎日来てる。」
「心配してないの?」
「口ではそう言ってた。でも、それだけ。」
心配はしている。でも、それだけ。と、言う少女は寂しそうに見えた。
「そっか……。」
「あ、でもノッシュさんはすごい顔して心配してくれた。」
「すごい顔……?」
ルギは聞き慣れた名前が出てきたことよりも、その顔が気になった。
その一方で、昨晩の話にでてきた子供はこの子であると気づいた。
「あ、ノッシュさんっていうのは街のお医者さんなんだ。でね、心配してくれてて、すごく慌てて私のところに来て、怪我はない? って聞くんだけど、慌ててるから何言ってるか半分わからないんだ。」
楽しげに笑う少女を見て、焦るノッシュの顔が浮かんだルギだったが、笑いを必死に堪えた。
「た、大変なお医者さんだね。」
呂律が回るかどうかは、医者としての問題ではない。
「うん。でもとてもいい人なんだよ。」
「そうなんだ。」
「ねぇ、お兄ちゃんはどこから来たの? 私、この街で見たことないよ?」
「……秘密。」
人差し指を立てて唇に当てるルギ。
「えー? なんで?」
それを見て楽しげに顔をルギに近づける少女。
「お医者さんが苦いコーヒーを飲めるようになったら教えてあげる。」
「?」
ルギはノッシュがブラックコーヒーを飲まないことを知っている。
自分も基本的に飲まないのだが。
「お医者さんに聞いてみるといいよ。」
「うん、わかった。」
真剣な目で頷く少女。
思わずルギの顔にも笑みが浮かぶ。
昔は……こうやって、子供と遊んでいた。
昔の話だ。
「あ、そろそろ帰らないと。」
「気をつけてね。」
「うん、ありがとう。……あ。」
立ち上がった少女が何かを思い出したようにルギを見た。
「?」
「お兄ちゃん明日もここにいる?」
「どうかな。」
こればかりは絶対ではない。肩をすくめて見せるしかなかった。
「そっか……。じゃあ、またね。」
手を振り駆け出した少女の背中を見送った。
「またね、か。」
そんな言葉もあったな……。と、心の中で呟いた。
吹き抜ける風が、木々の葉を揺らしていた。
ルギも立ち上がり、歩き出した。
「へー、珍しいこともあるな。」
「そこまで珍しいことでも、ないけどな。」
街に買い物に行ったデオルダの帰り道の隣にいるのは、ノッシュである。
二人の話題は、ルギが一人で外に出たということであった。
「で、次何作るとか言ってないの?」
「昨日の今日だろ。まだ何も言ってねえよ。」
「そっか。なんで人形爆弾の時呼んでくれねえんだよ。」
「俺はあれが兵器だとはカケラも思ってないがな。出てきたの、閃光弾だったわけだし。」
「ま、それもそうか。」
「あ、ノッシュさんだ。」
楽しく談笑をしていた二人は森の脇道から出てきた少女と出会った。
「ジュア? なんでこんなところに……ってまた来てたのか!?」
「えへへ、ごめんなさーい。」
笑いながら謝る少女。
「思ってねえな? まったく、あれほど言っただろ……。」
反省の色が見えない少女に呆れるノッシュ。
「ノッシュ、昨日言ってた……?」
「そうそう。ジュアだ。」
「えっと、森に住んでるデオルダさん?」
デオルダを見上げるジュア。
「デオルダ・ロウリスだ。よろしくな、ジュア。」
荷物を地面に一旦置き、屈むデオルダ。
子供と目線の高さを合わせて喋る。誰かが言っていたことだ。
「はい。ジュア・ヴィディです。」
「で、ジュア。」
お互いの自己紹介が終わったのを確認してノッシュが声をかける。
「なあに?」
「なあに、じゃなくて。何もなかったんだろうな?」
「あ、ノッシュさんさ。」
ノッシュの心配を無視してジュアが話を始めた。
「?」
「苦いコーヒー飲めないの?」
「一体何の話だ。」
自分の心配を無視されたことを怒ろうとはしなかったノッシュだが、唐突な話の切り出しに、ジュアではなく、デオルダに聞く。
「俺に聞くな。」
「いいから。」
「飲めないっていうか、飲まないけど……。」
ジュアの真剣な眼差しに、たじろぎながらもノッシュが答える。
「えー。」
がっかりされた。
「えー!? なんで!?」
それに驚くノッシュ。
「飲んで。」
「なんでわざわざ飲みたくないのを飲まなきゃならない!?」
「よし、俺が手伝おう。」
デオルダが楽しげに話に入ってきた。
「やった!」
意外なところからの救いの手にジュアが喜ぶ。
「やめろ!!」
「ジュア、遊びに来るか?」
「行くー!!」
デオルダの提案に両手を挙げて喜ぶジュア。
ノッシュは完全に無視である。
「こら! 勝手に……。」
「ジュアの親御さんだって、俺のところなら問題ないんだろ?」
これは昨晩の話。
「ぐ……そう言ってた。」
「帰りはお前もいるんだし。大丈夫だな。」
「俺が、無理矢理ブラックコーヒー飲まされること以外は、な。」
デオルダに負けたことを感じながら、三人は歩き出した。
「で、なんでいきなりコーヒーの話だったんだ?」
ジュアとノッシュがソファに座っていると、デオルダがキッチンから尋ねた。
「ジュア?」
「あのね、見たことない人に会ったんだ。」
「……。」
黙ったノッシュ。
「……。」
静止したデオルダ。
「?」
不思議そうに見るジュア。
「大丈夫だったか?」
「??」
心配するノッシュを見つめ返すジュア。
「いや、見知らぬ人に声かけられたんだろ?」
「ううん。私がかけた。」
「ダメだろ、それは。」
「だって、泣いてたから……。」
ジュアは、少女らしい悲しげな顔をした。
「泣いてた?」
「とても悲しそうだったの。一人だったし。」
「旅人か?」
デオルダが聞くも、ノッシュは首を傾げるしかない。
「まあ、何もなかったなら……。」
「でね、どこから来たの? って聞いたら、ノッシュさんが苦いコーヒー飲めたら教えてくれるって言ってた。」
「なんで俺がブラックコーヒー飲まないの知ってんだよ。」
「街の人は知ってるだろ。」
「誰だ、変な知識を教えたの!!」
立ち上がるノッシュ。頭の中では街の人でそういうことをしそうな人を探している。
「でも、私は知らない人だよ?」
「あ、そっか。」
ジュアは見ず知らずの人に言われたと言った。
そうなると、少なくとも街の人ではない。
「さてと、コーヒータイムだな。」
そう言いながら、デオルダがマグカップ三つを持ってきた。
「苦い?」
自分の前に置かれたマグカップを見てジュアがデオルダに聞く。
「大丈夫、甘くしてある。」
「やった。」
「俺のも甘くしてくれぇ……。」
「砂糖いれないくせに。」
デオルダは笑いながら、真っ黒なコーヒーが入ったマグカップをノッシュの前に置いた。
「うう……誰だよ、こんなこと言ったの……。後で覚えてろよ……。」
「さてと、準備は整ったぞ。」
「飲めばいいんだろ。」
ノッシュはそう言って嫌々飲み始めた。
「飲めるじゃん。」
「に、がい……。」
「ブラックだからな。」
「よく飲めるな、デオルダ。」
デオルダはいつもブラックだ。
「俺はコーヒー好きだからな。」
「そういう問題じゃねえよ。」
「ただいま。」
ドアが開く音と、ルギの声。
「おう、おかえり。」
「ノッシュ、来てたのか。」
「来てた。」
ノッシュのいつもとは違うテンションを感じたルギ。
「え、何? 不機嫌なの?」
「コーヒーが苦い。」
「は?」
「お兄ちゃん!?」
ノッシュの陰から顔を出し、ルギを見たジュアが驚くように言う。
「お兄ちゃん?!」
それに驚いたノッシュがジュアを見る。
「あ。さっきの子?」
ノッシュの隣の子供の顔に見覚えがあったルギ。
先程は名前を聞かずに別れていた。
「おい、ルギ。」
「?」
「ちょっと来い。」
「え、何怒って……。」
ルギは何もノッシュに対して悪いことをしたつもりはないが、ノッシュの目は真剣だ。
「いいから来い。」
「?」
ノッシュに近づくルギ。
「殴って、いいよな?」
「あ、もしかして、コーヒー?」
ノッシュのマグカップを見て、ルギは理解した。
「もしかしなくても、だ。」
「それくらい飲めよ。細かいな。」
それぐらいで殴られてはたまったものではない。
「一人で泣いてたくせに。」
「なぁっ!?」
コーヒーとは釣り合わないほどの悪気が投下された。
「あ、それそれ。俺も気になる。」
「うるさいな!! お前らどこから……!!」
「見たのはこの子。」
「あ、ああ……。」
「ジュアです。」
ジュアが笑いながら言う。
「ルギだ。よろしくなジュア。」
「お兄ちゃんここに住んでるの?」
ノッシュがコーヒーを飲んだということは、教えなければならない。
隠すほどのことでもないのだが。
「まあ、一応。」
「いつから?」
「いつって、二年前?」
デオルダに同意を求めた。
「だな。俺ら二人で来たし。」
「知らなかった。」
デオルダがこの国に来たことを知っていたジュアは驚く。
「コイツは街に行かないからな。」
「なんで?」
「えっ……。」
少女の素朴な疑問はルギに向けられていた。
「俺は知らないぞ。」
「俺は知ってるけど。」
「ま、まあまあ……そういう話は置いといて……。」
ルギはどうも、この話に関してはここで終わらせたいようだ。
「じゃあ、なんで泣いてたかは?」
だが、ここでノッシュが食い下がった。
「ああもう、うるさいな!! 悪いかっ!! 悲しんだら……悪いかっ!!」
ノッシュは「そこまで言ってねえよ」と、言いつつも笑っている。
相当見られたくなかったのか、見られてないと思ったのか……。
「わかったから落ち着けよ。」
「笑ってんじゃねえか。」
デオルダの方がノッシュよりも笑っていた。
「今のでなんとなく理由がわかったかも。」
「何?」
「いや、これはちょっと……なぁ?」
視線をルギに向ける。
「なぁ? じゃねえ。」
「昨日も意地張ったからなぁ……。」
「!!」
ルギの顔色が変わった。
「昨日?」
「私が悪うございました。どうかそれ以上は……。」
ルギの土下座体勢である。
「弱いな。」
「弱み握りまくりだ。」
「うぅ……。」
「ふふ……。」
ジュアが笑い出した。
「楽しいか?」
「うん。可笑しくて面白い。」
「そりゃよかった。」
笑うジュアにノッシュが嬉しそうに言う。
「ルギさんも街に来ればいいのに。」
「おっと、話が戻った。」
ノッシュも驚きであった。
「か、考えておくよ。」
さすがのルギも言葉に詰まる。
「うん!」
「ほい、コーヒー。」
デオルダがルギの分のコーヒーを持ってきた。
「ありがと。」
「そうだ。ルギ。」
「んー?」
「なんか作ってあげれば?」
「ジュアに?」
「そうそう。」
「?」
不思議そうに見るジュア。
「コイツ、工作は得意だ。」
「工作?」
「とりあえず、モノを作ったり直したりするのは得意だ。」
「なんでもいいの?」
ルギを見上げるジュア。
「なんでも……はよくないけど。」
「なんでもいいぞ。」
すぐに否定するデオルダ。
「おい。」
「こいのぼり!!」
ジュアがデオルダの言葉を聞くなり大きな声で言う。
「こいのぼり?」
「ああ、もうすぐか。」
時期的に空を泳いでいても不思議ではない。
「それでいいのか?」
コーヒーを飲みながら、ルギがジュアに確認する。
「いいの!?」
ジュアはとても嬉しげに目を大きくした。
「それくらいなら。」
「やった!」
「二日三日あればできると思う。」
「じゃあ、また来るね。」
「一人で来ない方がいいぞ、きっと。」
一人で来そうだったので、ルギがジュアに言う。
「ノッシュさんだね。」
「おおう、俺か。」
「他に誰がいるんだよ。」
「そういやそうだった。」
「だろ?」
納得したノッシュが、ジュアに一人で行かないことを注意しておく。
「あ、こんな時間か。今日はそろそろ帰るとするか。」
ジュアが頷いた後、時計を見て立ち上がる。
「お、今日は早いのな。」
「一応医者なんだよ。これでも。」
「ああ、そうだった。」
「さてと、行くかジュア。」
「うん。」
名前を呼ばれて、ジュアも立ち上がり、ノッシュと共に外に出た。
「またな、ジュア。」
「うん!! またね!」
ルギに言われたのが嬉しかったのか、ジュアは明るい顔で手を振った。
ジュアとノッシュが帰った後、ルギがコーヒーを飲み始めた。
「こいのぼり、ね。」
「嬉しそうだな。」
その顔を見るなり、デオルダが言う。
「なんだよ……。」
「別に。寂しそうだったから?」
完全に弱みを握られてしまった。
「うるさいな……。」
「諦めたって怒らねえよ、きっと。」
「なんで言い切れるんだよ。」
「お前が諦めたっていうのは口だけだからだよ。」
「は?」
「どういうことだ。」と、聞こうとしたが、デオルダが席を立った。
「さてと、頑張れよ。ルギ兄さん。」
「お前は俺の心を粉々にする気か。」
昨晩も思春期だ、少年だとかでからかわれたばかりだ。
ただ、からかわれるのは初めてではない。
いつものことなのだ。
ルギはキッチンに入っていくデオルダの背中を見た。
全部理解して、からかって、楽しんでいる。いつも。
それでも、デオルダが、自分のことを自分から話したことは一度しかない。
ルギ・ナバンギに残された時間は、あと342日。
読んでいただきありがとうございます。
ブラックコーヒーとこいのぼりでした。
ジュアという少女も加わって最初よりは賑やかになるかと、思います。
次話はこいのぼりの続きです。