医者の応戦
目を覚ますと、懐かしい天井と対面した。昔は特に何も思わなかった天井が、見ただけで自分を現実に引き戻していると感じている。ノルディオがアーフェリークとして一日を進めるためのスタートでもあるような気がした。
と、ここまで考えて起き上がったところで、ノルディオは何とも言えない違和感を感じていた。そして、傍にあった置時計を手に取り、その針二つを、凝視した。
午後二時過ぎ。
昼過ぎではないか。これなら自分が感じた違和感にも納得できる。しかも、自分の服装は寝巻きという格好ではない。夕方から人と会う約束があるので、ちゃんとした格好をしておこうと思った記憶もある。朝ご飯を食べた記憶も、もちろんあって、午前中に片付けておこうと思った仕事に手をつけた記憶もあるわけだが……。
なぜ自分が寝ていたのかという部分がハッキリしない。考えられるのは、昨晩の深酒だろうか……。
「起きたのか?」
「フィリー……。」
ベットに腰掛けたまま考え込んでいたノルディオの元に、フィリーがやって来た。
「二日酔いは治ったか?」
「えっ?! ……俺、やっぱり二日酔いで死んでたのか。」
「なんだ、覚えてないのか?」
「午前中の仕事に手をつけたあたりまでは……覚えてるんだけど……。」
机について、書類の整理から始めたはずだ。その後、クリストが朝届いた新聞やら報告書やら紙束をまとめて持ってきた記憶がある。
「なるほど。まあ、さっきの二日酔いは冗談として……。」
「冗談かよ。」
「ゆっくり思い出せ。昼前の話だ。」
冗談だということに呆れるノルディオを無視し、フィリーは話を続けた。
「昼前?」
「クリストが手紙を持ってきただろう?」
「ああ、そういやまだ見てなかったな……。」
午前中に届いた手紙が何通かあったとのことで、クリストがやってきたのだったが、ちょうど手が離せなかったために後回しにしていたはずだ。きっとまだ机の上に置いたままだろう。
「その後だ。クリストが夕方の予定を確認してる時。」
「えっと……薬剤局の局長が来るって話で、あ。」
局長がやってくる時間、その前に目を通しておいて欲しい書類の確認、最後に晩餐会の話がクリストからされた。その時のことを、ようやく思い出した。
「思い出したか?」
「そうだ……急に咳が止まらなくなって、珍しく過呼吸気味になったんだ。」
話を聞いていただけなのに、咳き込んだ。軽いものだったので、特に手を止めることなく、クリストも口を閉じることなかったのだが、だんだんと大きくなっていった。咽るように咳は止まらなくなって、息が吸い込めなくなってきて、苦しくなっていった。やっと止まったと思えば、息苦しさは続いたまま、自分の呼吸音が高い音となって聞こえてくる。その後に自分に落ち着くように言い聞かせたところまでしか覚えてない。
「お前、そのまま気絶したんだぞ。」
「あー……なるほど。」
「で、大丈夫なのか?」
心配する表情で、フィリーはノルディオの目の前を行ったり来たりした。
「うん、でも、変だな……。風邪って感じじゃないし……咳き込んだだけで過呼吸になんかなったことないんだけどな。」
「疲れてたんじゃないのか?」
「そう、思いたい。」
その理由が一番わかりやすいし、誰もが納得できるはずなのだが、ノルディオは納得できなかった。
「なんか……視線、っていうか、観察されてるっていうのかな。」
「観察? なんでそんなことするんだ?」
納得しなかったノルディオを不思議に思ったフィリーは空中で首を傾げたままだ。
「これは俺の考えすぎかもしれないけど……さ。」
首をかしげたまま考えるフィリーを見ながら、ノルディオはクスッと笑うと、立ち上がった。
「まあ、いいや。」
「あ、こら! どこに行くノルディオ! まだ聞いてないぞ!」
歩き出すノルディオを慌てて追いかけるフィリーは、すぐにその前まで飛ぶと、笑うノルディオに答えを求める。
「まあまあ、俺の予想通りだと、まだ終わらないからさ。」
「は?」
そのままノルディオは椅子に座ると、仕事の続きを始めてしまい、フィリーは一旦諦めるしかなかった。
「や、お待たせノルディオ。」
「いえいえ。いらっしゃい、ティスパー。」
ノルディオよりも背の高い薬剤局の局長でもある、ティスパー・エイアールが片手を上げて挨拶をする。昔から堅苦しいことが苦手なティスパーはノルディオが子供の頃からの知り合いである。仕事上はアーフェリークと深い関係を築いているのだが、ティスパーにとってノルディオは可愛い友人ということになるらしく、ノルディオとしても心許せる存在でもあった。
二人が会うときは面倒な挨拶を省くのが暗黙の了解で、それをクリストや他の誰かがとやかく言うわけでもなかった。
「お食事の準備が間もなく整いますので、こちらでもう少々お待ちください。」
「ありがとう。」
椅子を促され、ティスパーが座る。ノルディオもその向かい側に腰を下ろした。
「いやあ、君が戻ってきてくれるのは私個人としては嬉しいことなんだがね? どうだい? ノルディオ。いや、ノッシュ・レイドット君。」
「ティスパー、その話題はいろいろと問題があるんだけど。」
クリングルにいるとき、ノッシュとしてティスパーとは連絡を取り合っていた。というより、ティスパーがクリストに聞き出していきなり連絡をしてきたのだが。
「なるほどなるほど。内緒話は後にしようか、ノルディオ。」
「結局その話題は諦めないのか。」
「気になるところだからね。私としては。」
「相変わらず変な性格してるよ。」
「お褒めいただき光栄だね。」
「褒めてないって。あ、でも情報提供にはすごく感謝してるよ。」
「言ったろ? ひとりごとだと思ってくれって。」
ティスパーは、普段、好んで仕事の話をしない。それが、ノッシュに連絡するときだけは考えられないくらい仕事の話をしてくるものだから、最初は慣れなかった。それでも、その情報があってありがたいと思っているのが今なのだから感謝している。
アーフェリークの人間は医療に関わるものでありながら、その才能が高い一族ではない。確かに、先代もノルディオも医者という身分ではあるが、その腕前が医療の頂点に君臨しているわけではないのだ。そういう意味では圧倒的に分家の方が力がある。
ではなぜ、アーフェリークが医療の頂点などと呼ばれ始めたかという話だが、これはただ単に時間と経験が積み上げた知識と情報網の多さだとノルディオは思っている。だから、現代のアーフェリークの役割は基本的に医療環境整備やら新薬開発などで、現場には求められていない。
現場に求められてはいなくとも、現場の情報がなければ何もできないのだ。だからこそ、現場責任者でもあるティスパーからの情報は今とてもありがたいものだった。
「さてと、ちょっと本題に入ろう。」
「ちょっと本題ってなんだ。」
「君、顔色悪いけど疲れてんのかい?」
「え。」
フィリーが本気で心配していたので、そんなに顔色が悪いのかと、鏡を見てちゃんと確認してきたし、そもそも個人的には具合が悪いわけではない。
「冗談だ。」
「どこが冗談だったんだ?」
「疲れてんのかい、の部分。」
「そんなに顔色悪いか、俺。」
「誤魔化すとは、これも内緒話だな。」
確かに少し誤魔化そうと思ったのも確かだが、そこまで顔色だけでバレるようなものではないとノルディオは首を傾げる。
「クリストに聞いたぞ。過呼吸で倒れたんだろう?」
「あのお喋りめ……。」
ノルディオが精一杯の皮肉声で呟くと、後ろから楽しげな足音。
「呼びました?」
「……呼んだ。」
「ナイスタイミングだ、クリスト。」
クリストがこちらに向かってきているのを見ていたティスパーは満面の笑みのクリストと、呆れたノルディオの顔を見比べて笑っていた。
「ありがとうございます。お食事の準備ができましたので、どうぞこちらへ。」
「いただくとしようか。」
「ええ。」
二人は立ち上がり、ティスパーがメイドの誘導に従う。ノルディオもその後ろを歩きだそうとしたところで珍しくクリストが呼び止めた。
「ノルディオ様。」
「ん?」
「お体の方は……。」
「ああ、気にすんな。大丈夫だ。」
「何かありましたら、お呼びください。」
「わかってるって。」
クリストの心配の声を聞いて、昼前の自分が相当酷いことになっていたのだと、日が沈んでからノルディオは理解した。
「お一つよろしいですか?」
食後、ティスパーと内緒話をするために廊下を歩いていたノルディオを、クリストがまた呼び止めた。
「なんだ?」
「あのお手紙はご覧になりましたか?」
「ああ、見たよ。声出して笑うところだった。」
目が覚めてから、机の上に封を切らずに置いたままの手紙に目を通した。その中の一通がどうも面白くて笑いそうになった。その様子が気になったフィリーは覗き込んで笑っていたが、ノルディオは最後まで読み終えると少しの間どうしようかと考えたほどだった。
「どうなさるおつもりですか?」
「引き受けてやるさ。姫様の勇気に免じて、な。」
途中で部屋に寄り、一通の封筒を引き出しから取り出した。
「勝つつもりは微塵もなさそうですね。」
「当たり前だ。この戦は負けたもの勝ちだからな。」
ノルディオはクリストに封筒を手渡すと、口元を緩めて笑った。問題は山積みだが、順に紐解いていくとしよう。
手始めに、もう一度、あいつに苦虫を噛み潰してもらうとしようか。
読んでいただきありがとうございます。
どうにもテンポが悪くてすみません。
徐々に舞台を聖域に移していきたいと思いますのでよろしくお願いします。




