ルギの刻印
「名前は? 何て言うの?」
「……名前……?」
今にも朽ち果てそうな小さき存在に、永遠とも呼べる時間を持った存在は尋ねた。
いつもなら、朽ち果てて消えていくその時を眺めて、看取って、送り出しているはずなのに。今日だけ、見捨てられなくて。弱々しく伸ばされたその手を握って、枯れそうな声の返事を待った。
「ルギ……?」
自分でもわかっていないような、揺れる瞳と疑問形の声に、彼女はそっと笑いかけた。
「初めまして、でいいのかしら。」
周りを囲むように騎士が立ち並ぶ。その中心に佇むヴィヴィアン。騎士達は主のための道を切り開くように左右に避けると、ヴィヴィアンはルギに対峙する。
「ええ、間違ってないと思います。初めまして。ヴィヴィアン・ジョルジェーンさん。」
「会えて嬉しいわ。ルギ・ナバンギ。」
「さっそくですが、本題にはいらせてもらいます。」
貴族の微笑みを気にもせず、ルギは淡々と口を動かしていく。ヴィヴィアンはいつもなら、空気の読めないやつだと、教養がなっていない人だと思うところだが、ルギに対してそんな考えは浮かばなかった。
「いいわよ。でも……あなたが思っている本題は少し違うわ。」
「どういう意味でしょうか。」
お互いがお互いのペースで話を進めようと模索していたが、ヴィヴィアンの予想外の言葉に、ルギは一歩引いた態度を示す。
「確かに、私達はノルディオ様を探してこの国にまで来た。でも私はね、ルギ。あなたにも会いに来たのよ。」
「俺に……?」
なぜ聖域の貴族が自分に会いに来る理由があるのだろうかと、疑うものの、ヴィヴィアンに敵意は全くない。まして相手は目上で能力者でもない。ルギとしては反論せずに流れを見守るしかなかった。
「お話、しましょ?」
「……そうは言われても、俺に話題はありませんよ。」
「そうね……。少し昔話なんてどう?」
ヴィヴィアンは数秒考えて人差し指を立てて提案をした。
「昔、話……ですか?」
ルギとしては、楽しそうなヴィヴィアンがいよいよわからなくなってくる。急ぎでノッシュを探しに来たはずのヴィヴィアンは自分と昔話をしたいと言い出すなど、考えてもいなかった。当のヴィヴィアンとはニコニコしながら、ルギの後ろで状況をわからずとも一応商店街の人々の代表としてこの場に居合わせたミルシェとジェイズに目を向ける。
「そこのおじさま?」
「な、なんでしょうか。」
目があっただけで冷や汗を書いていたミルシェは声をかけられ、しどろもどろになる。
「“R計画”という言葉に、聞き覚えはありまして?」
「そ、そりゃあ……。」
ミルシェは同意を求めるように隣のジェイズに目線を送ると、ジェイズは顎に手をあて、少し唸るように考えて言った。
「確か、聖域の学者が世界の進化を目指してとかなんとかって言ってたような……。」
記憶に新しい話ではないとは言え、全世界に向けて発表されたこの計画は聖域外でも大きな話題となったのである。計画を進めた場所が聖域であったとしても、その恩恵は全世界が受けるべきであると、発表した学者は悠々と語ったのである。
「その通り。世界のエネルギーを無限なものにして、世界の繁栄を後押ししようとしたものです。では……R計画の正式名称は、ご存知でしょうか?」
ミルシェ、ジェイズの反応は想定内といった様子で、ヴィヴィアンは言葉を重ねていく。そして、彼女が目指している言葉が近づいていく。
「せ、正式名称?」
「その、Rの意味が何かってこと、だよな?」
「ええ。」
目を丸くして、合わせて、考える二人。少し考える素振りを見せたものの、ジェイズが降参だと、肩を竦めた。
「考えては見たけど、聞いたこともねえよな。」
「ああ。ルベルはあるかい?」
「いえ。私もR計画の名前は知っていますが正式名称までは……。」
「“Routine Unknown Generate Imagination”……でしょう?」
二人が降参の態度を、ルベルの考え込む態度を見ながら、ルギが口を開く。言い淀むことなく出たその単語を、三人は驚きの表情で聞いていた。
「その通りです。まあ、学者の理想をそのまま綴ったものですので、意味もよくわかりませんが……。」
「確かに……よくわからないな。」
ジェイズはルギの言った単語をカタコトのように復唱しながら苦笑い。それを聞いていたミルシェもよくわからないといった表情を浮かべた。
「そして、頭文字を取って……“RUGI”計画と、関係者には呼ばれていたそうです。」
「何……?」
「ルギだと……?」
三人の驚きと困惑の視線を受けながら、ルギは振り向きもしない。
「それにしても、この辺り一帯に物体生成を展開しているのですね。さすがは、ルギに選ばれただけのことはありますね、創造神。」
「前置きはそれくらいにしてもらえますか?」
ようやく合点がいった。
目の前の貴族はニコニコと、自分を呼んでいる。ルギ・ナバンギとして見ているのではなく、RUGIとして自分を見ているのだ。それはいい意味での歓迎とは到底違うものだと、今理解する。ヴィヴィアンにとってみれば、ノルディオが聖域へ戻ることは問題ではないのだ。戻ることは前提として考えられているのだ。だから、迎えに来た。だが、迎えに来たのは、ノルディオだけではなかったのだ。
「私はあなたも迎えに来たのです、ルギ。」
「もう一度、計画を始める気ですか。」
「あれはこの世界に必要なもの。そして、そのためにはあなたが必要なのは至極当然の話です。」
「俺が、それに“はいそうですね、この世界のためにこの身を捧げます”とでも言うと思ってます?」
「まさか。逃げ出した悪い子が簡単に帰ってくるとは思っていませんよ。」
敵意を静かに向けるルギに対し、ヴィヴィアンは余裕の笑みを崩さない。
「じゃあ、どうするんです?」
「相手してもらうわよ、創造神。」
「……するわけ、ないでしょ。」
「なんですって?」
ルギは薄目を開けて一行を見やると、指を鳴らす。橙色の瞳は、ヴィヴィアンの護衛騎士全てを捉えていた。
彼らの四肢は身動きができないように、その隙間を縫って物体生成が貫いている。
「っ!!」
「ノルディオとあなたに関しての問題に口出しも、手出しもするつもりはありません。寧ろ、できないと思ってましたから。でも……これだけは別だ。」
「そう……。」
ルギの強めの口調に対し、ヴィヴィアンは目を伏せた。
「確かに、俺は今でもルギを名乗ってる。自分が計画の要であることも否定はしません。事実ですからね。」
「そう……。でも、私があなたと敵対するつもりがあるのに、物体生成対策を考えていないとでも?」
ヴィヴィアンは伏せていた瞳をゆっくりと持ち上げる。そして、やはり、その薄い笑みは消えていない。
「……っ?!」
右肩が、凍ったように寒い。
左肩が、燃えているかのように、熱い。
正反対の、極端な感覚。冷たさと熱さが激しくなり、痛みまで感じて、ルギは両肩を両腕で包み込むように背中を丸める。
「ルギ……!?」
これは、目の前で起きていることではない。街中に展開している、どこかの物体生成の一面から送られてきている、遠くの感覚。場所を特定することは難しくない、難しくはないのだが……一箇所ではない。多数の箇所から、それぞれ異なった感覚を本体に送られているのだ。視認している場所以外からの情報が多すぎる。状況が理解できなくなって、わけがわからなくなって、頭がおかしくなりそうだ。
「あなたの物体生成の弱点と呼べるのは、その共感覚。さあ、耐えられるかしら?」
「ぐ……っ……!!」
次から次へと送られてくる電気信号の羅列が激しく脳を揺さぶって視界が回る。膝をついて地面を見ているはずだが、視界の情報がまったく認識できないほどに、脳が処理できていない。街中の物体生成を解除すれば、この痛みも治まるのだろうが、それをするわけにはいかないのだ。
だからといって、今、解決策が思い浮かぶハズもない。
「ルギっ!!」
「動かないで!! 創造神の脳が飛ぶわよ!!」
「っ!?」
「私の邪魔は、させないわ。」
ルベルの慌てた声も、この場の流れを手にしているヴィヴィアンにかき消される。
「さてと。もう邪魔はいないわね。」
ルベルが苦虫を噛んだところで、ヴィヴィアンは勝利を確信した。
ヴィヴィアンの安堵の声で、一番近くにいた騎士がルギに歩み寄る。
「丁寧に扱ってあげてね。大事なヒトなんだから。」
「畏まりました。」
近くまで寄ってきていた騎士は、ヴィヴィアンに敬礼をすべく、一度その体の向きを逆へと変えた。その一瞬をルギの瞳は見逃さず、力強い橙色を宿した。
瞬間的に作られた物体は木片ほどの、手よりも少し大きな欠片。尖った両端は握った手のひらからはみ出ていて、その鋭利さがはっきりと見えた。
ルギはその欠片右手に握り締め、力一杯左肩に突き刺した。
「なっ?!」
「何をしているのっ!?」
眼前にいた騎士と、真っ直ぐにルギを見ていたヴィヴィアンがルギの肩に突き刺さった欠片と、飛び散った血に目を釘付けにしながら叫ぶ。そして、それはルギの後ろから見ていたルベル達にも恐ろしい光景として映っていた。
「ルギっ!?」
静まった中で、痛みに耐えながらルギがゆっくりと立ち上がる。
「この程度で……勝ったつもりか……?」
「何を考えているのかわからないわ。フラフラじゃない。」
「どうだっていい。俺はお前らに協力なんて……しない。」
「……いいわ。その状態なら創造神といえど、騎士複数を相手にできないでしょ。」
「畏まりました。」
ヴィヴィアンの不貞腐れたような言葉に、騎士数人が前へ出る。
そして、騎士達は順に剣を抜く。太陽の光に反射した剣が全てルギへと向けられる。
「ちょっと荒いけど、仕方ないわね。やって。」
ルギは左肩を抑えながら、半身になり、距離をとろうと後退る。
「逃がすか!!」
複数人が取り囲むように、その剣を振りかぶる。
右、左、前に逃げ場なし。後ろに下がっても、避けきれない。ルギは逃げる選択肢を切り捨て、ろくな生成もできなくなっている脳を無理矢理叩き起こそうと、瞳に力を入れ、光を宿したところで、地面に亀裂が入る。
「そこまでだ!!」
響く声と、突如として地中から現れた蔓が、ルギに襲いかかろうとしていた剣に絡みついて奪う。
「な、何だこれは!!」
「植物……!?」
剣を絡め取られた騎士は宙に浮かぶ自分の剣を見上げながら、戸惑いの声を上げている。騎士ほど困惑しなかったルギの元へ、蔓から降りてきた樹精。
「大丈夫か、ルギ。」
「フィリー……助かった……。」
「珍しく満身創痍だな。」
「色々と。」
深刻そうな声色で自分を見ていたフィリーに「半分は自分でやりました」なんて言える雰囲気でもなく、ルギは苦笑いで答えるしかなかった。
そして、ルギの一歩前に出たノッシュが騎士達と向かい合う。
「貴様!! ヴィヴィアン様の邪魔をするなど言語道断!! 恥を知れ!!」
騎士は今にもノッシュに襲いかかろうかという様子で声を荒げる様子に、ルギは物体生成を発動しようかと考えたところでフィリーが止めた。「大丈夫」だ、と。
「……恥を知れだと? 貴様、誰に向かってその口を開いているのか、もちろん、わかっているんだろうな?」
ゆっくりと、言い聞かせるように口を開いたのは、ノッシュの面影がない声だった。重くのしかかるような、暗い声。
なんとなく、フィリーの言った意味がルギにはわかったような気がした。
「なんだと……?!」
ノルディオの反抗的な喋りは、騎士達の怒りをどんどん激しくしているようだったが、それに構うことなくノルディオは口を開く。
「恥を知るのはお前らの方だ。こんなところまで出向いて他人様に迷惑をかけることが恥曝しだと気づかなかったとは……落ちたものだな。ヴィヴィアン・ジョルジェーン。」
「貴様!! お嬢様に向かってなんという口の聞き方だ!!」
主を侮辱されたことに、いよいよ我慢ができなくなったのだろう。剣を奪われていなかった騎士の一人がノッシュに向かって剣を振りかぶる。
ノルディオは驚いた様子もなく、その剣を避けようとする様子もなかった。制止したのは、彼らの主である、ヴィヴィアンの声だったのだ。
「やめなさい!!」
「!?」
「ヴィヴィアン様……?!」
もちろん、剣を振りかぶっていない騎士達にも動揺が走る。ここまで、ルギに対してペースを掴み、あと一歩のところまで追い詰めていたのは、間違いなくヴィヴィアンなのである。それが、突然でてきたわけのわからない小市民に屈するなど、考えられないのだ。
「剣を収めろ、と言ったつもりだが。聞こえなかったのか?」
「引きなさい。」
騎士達の動揺を感じながらも、ヴィヴィアンは一言、騎士達に告げる。
「し、しかし……!!」
「いいから!! 引きなさい!!」
「か、畏まりました。」
騎士は状況を把握するよりも、主の意に従う。それを確認して、ノルディオもルギの方を振り返る。
「大丈夫か、ルギ……。」
「悪いな、助かったよ……。」
こちらを向いている顔は、ノッシュで、言葉も背中越しで聞いていたよりはノッシュのものであったからか、少しおかしく感じてしまう。
「一応、事情的なのは把握したつもりでいる。」
「……そんな顔すんな。事実は事実だ。」
「……わかった。」
RUGIのことを言っているのはなんとなくわかった。でも、それをノッシュが気にすることではないと、ルギは笑う。
「そのお声……忘れることはございません!!」
騎士達を押しのけるように駆け出して来たヴィヴィアンが跪く。その顔は欲しかった玩具を与えられた子供のように、明るい。
「……久しぶりだな。ヴィヴィアン。」
そして、対称的なこの世の終わりを目の前にしているノルディオの素っ気ない声。
「あぁ……私如き者を覚えていてくださるとは……!! なんという幸せでございましょうか!! ノルディオ様!!」
「!! ノ、ノルディオ様……!?」
「ご、ご無礼を……!!」
ヴィヴィアンが叫ぶように呼ぶ名前に、彼女の騎士達も慌ててその後ろで跪き始めた。ノルディオは見向きもせず、ヴィヴィアンと顔を合わせる。
「ヴィヴィアン。物体生成に影響しているモノを全て撤去しろ。」
「!! そ、それは……何故ですか……?」
「お前……俺に二度も同じことを言わせる気か。」
「!! 失礼いたしました。」
「すぐに。」
ヴィヴィアンは少し唇を噛む仕草をしたが、ノルディオに逆らうようなことはせず、頭を下げた。そして、主が了承したためか、すぐに騎士は動き出した。
「さすがだな、ノッシュ。」
一部始終を見終え、ルギが感心したようにノッシュに声をかける。振り返る顔には、ノッシュ・レイドットの笑みが、確かにそこにあった。
「これくらい鶴の一声にならなかったら、俺の立場がねえよ。」
4月16日:誤字訂正
読んでいただきありがとうございます。
ヴィヴィアンVSルギ。最後にノルディオ。
そしてRUGI、とルギの名前の意味みたいな話でした。
英語力のなさが顕著になってしまったのではないかとヒヤヒヤしてます。
次話。
時間は少し戻って。
ヴィヴィアンVSルギの裏の戦いです。
またよろしくお願いします。




