空想ピリオド
「ノッシュー、お手紙来てるよー!」
「手紙? 誰から……。」
クルーニャが手に持つ封筒を横目に、ノッシュが尋ねると、クルーニャは封筒の裏に書かれた名前を見つける。
「んっとね……クリストさんだって。誰?」
「あー……その人は俺の先生だ。」
「ノッシュの、先生?」
クルーニャが不思議そうに聞き返すと、ノッシュは笑ってクルーニャから封筒を受け取り、封を切った。
「そ。ホントは祭りに来る予定だったんだけど、仕事で来れなかったんだ。で、休みが取れたから遊びに来るってさ。」
中に入っていた便箋を読みながらノッシュが言う。どうやら、それだけの要件らしく、封筒の中には一枚しか便箋は入っていなかった。
「どんな人なの?」
「どんな人、か。うーん……怒鳴る人じゃないんだけど、厳しい人かな。」
ノッシュは椅子に座り直して考える。
「どういうこと?」
「例えば……乾燥している季節に手洗いをしなければどういう結果が訪れるか、丁寧に叩き込まれる。」
「風邪引く、ってこと?」
「この場合はそうなる。まあ、ちゃんと知識として知っておいたほうがいいことも一緒に教えてくれるから……最初は怒ってるとは思わなかったけど。」
「確かに、怒ってる感じはしないけど……。」
クルーニャの言葉を聞いて、ノッシュも、ちょっと変わった人なのかな、と付け足す。
「ちょっと楽しみね、会うの。」
「昼くらいに着くって書いてたけど。」
「今日なの?!」
「唐突すぎるよ、ホント。」
クルーニャの驚きに、ノッシュも呆れたようにため息を漏らした。
「いい歳して何をしてるんだか……。」
歩きながらルギは隣のルベルを見る。隣のルベルは反省しているようだが、唇を尖らせた。
「やりすぎたと思ってますー!!」
「とにかく、ノッシュが薬持ってればいいんだがな。」
「そうだな。」
デオルダとルギが頷き合うと、ルベルは左手の甲に巻かれたガーゼを摩る。
「まったく……山を踏破した時にどこかでかぶれたんだろ。」
「うう……それ以外に理由はないわよ。」
痒いと言いながら、ルベルはガーゼを摩りに摩る。
「あまり触らない方がいいんじゃないのか?」
「そうは言っても……。」
「おや、お嬢さん。その手はどうかしたのかな?」
ルギ達の話を聞いてか、近くにいた男が近寄り、ルベルに声をかける。
「え、あ……ちょっと山でかぶれてしまって……。」
突然かけられた声に、ルベルが困惑して答えると、男は少し考えて顔を上げた。
「もしよければ診せてもらっても?」
「え、お医者さん、ですか?」
「一応ね。この国には用があってきたのだが、こんなオッサンでもよければ力になりますよ。」
そう言うと、男は優しげに笑う。その顔を見て、ルベルはこの人は悪い人ではないと判断をした。
「えっと、じゃあ……お願いしてもいい?」
「俺らは構わないぞ。な?」
「ああ。」
デオルダとルギの了承を得て、ルベルは男に向き直る。
「あ、お願いします。」
「了解した。じゃあ、そこのベンチにかけてもらっていいかな?」
「はい。」
ルベルは男に指差されたベンチに腰掛けると、左手に巻いていたガーゼを解いた。
「おっと、申し遅れた。私はクリストだ。」
「ルベルです。」
「それじゃ、少し失礼して……。」
ルベルの名前を聞いたクリストは一度頷いてから、ルベルの左手を取って、かぶれている左手の甲をじっと見る。
「その、どう……ですか?」
「大丈夫。そこまで範囲が広いわけでもないし、薬を塗って、あとはあまり触れないようにしておくといい。」
ルベルの手を見つめていたクリストは笑いながら顔を上げると、その手をルベルの膝の上に戻した。
「薬はどんなものが……。」
「本当なら今ここで私が渡せればいいのだが……生憎手持ちがなくてね。」
「えっと、薬の名前を教えてもらうことは……?」
「それは構わないが、薬が手に入れられるのかい?」
ルベルの申し出に、意外そうな顔を返したクリスト。
「ちょっとした知り合いがいまして……。」
「それなら話が早いね。」
ルベルの言葉に納得したクリストはポケットから手帳を取り出し、素早くペンを走らせると、そのページを破って折り畳むと、ルベルに渡した。
「これを見せるといい。きっとわかるはずだ。」
「ありがとうございます!」
メモを受け取り、礼を述べてルベルが立ち上がる。クリストは「お大事に」と一言告げ、ルギとデオルダにも一礼すると商店街の通りをまた歩いて行った。
「親切な人で良かったー!」
「ま、運が良かったってことで。」
「だな。」
「そんじゃ、ノッシュのとこに行くか。」
「おー!!」
メモを握り締めたルベルが、デオルダの言葉に賛成してその腕を高く上げた。
「来るのも唐突で第一声がそれですか!!」
「なんか、騒がしいな。」
「そうね。」
ノッシュの家の近くまで来た三人が家の前まで来ると、意外な人物と出会った。
「あれ? クリストさん?」
「おや、ルベルさんじゃないですか。」
「え、どういう知り合い?」
「さっきね、私の手を診てくれたの。」
「いえいえ。お力になれなくて申し訳ない。」
「で、ノッシュ。薬もらいに来たの。」
はい、とルベルはクリストにもらったメモをそのままノッシュに渡す。
「……からかってます?」
ノッシュはメモから顔を上げると、横目でクリストを嫌々見る。
「そんなことないだろう? この国で薬が手に入るとすればお前しかいない。だからこそ、彼女にメモを渡したんだ。間違いが無いように、な。」
「どういうこと?」
ルベルは首を傾げてノッシュを伺うと、ため息混じりにノッシュは口を開いた。
「メモに何が書かれてるか、見たか?」
「見てないよ? 四つ折りになってたし。」
「何も書かれてなかったんじゃないか?」
「正解。」
ルギの指摘に、ノッシュは一瞬目を丸くしたが、メモの折り込まれていた側をルギ達に向ける。そこには何一つ書かれていなかった。
「え!? なんでわかるの!?」
ノッシュに見せられた紙を覗きながらルベルが驚きの声を上げる。そして、その驚きを共有しようとデオルダの腕を引っ張ると、デオルダが「俺もなんとなくは気づいてた」と一言。
「なんで!? 気づかなかったの、私だけ!?」
「おや、二人にも気付かれてしまったか。」
「っていうか、なんでわかったのよ二人とも。」
自分だけ気づかなかったという事実に、ルベルは少々不貞腐れたようで、なんで教えてくれなかったのかと言わんばかりに、いいから早くネタばらしをしろとルギを見た。
『音がしなかった。』
「は? 音?」
ルギを睨んでいたルベルだが、デオルダも同じことを言い出したので二人の顔を交互に見る。冗談かと言いたかったが、二人とも真面目な顔をしていた。
「書いている時の摩擦音がなかった。」
「つまり、芯が出てない。」
「ふむ、さすがだな、創造神と助手君。」
顎に手をあてて聞いていたクリストが感心したように頷く。
「……どうも。」
「先生、それくらいにしてください。」
ノッシュは呆れたように、クリストを見る。一方のクリストは笑いながらノッシュに向き直る。
「もちろん。これ以上は何もしないさ。」
「先生?」
「ああ、この人は俺の恩師。」
ルギ達の疑問に答えるように、ノッシュは手短に言う。
「そうだったのか……。」
「とにかく、先生。他の話は中で聞きますから。」
「お邪魔するよ。」
「薬持ってくるから、お前らも中で待ってて。」
クリストを中へ促し、その後、ルギ達に声をかける。
「なんか、悪いな。」
「お邪魔します。」
「これでよし。あ。これ、渡しとくから、もし痒くて仕方なかったら塗って。」
「ありがと。」
ノッシュは軟膏を塗り終わったルベルの手をガーゼで覆い、包帯を巻いていく。
道具を片付け、席に着いたところでクリストが口を開いた。
「さてと。久しぶりだな、ノッシュ。どうだ調子は。」
「……ぼちぼち?」
「反応に困る返事だな。」
意外そうに、それでいて驚いたように瞬きをしていたクリストに、ノッシュはコーヒを飲み込むと、その黒を見つめたまま言う。
「そんなこと言われたって、今は全体的にどうにもならないですからね。」
「それもそうか。」
アーフェリークのことを出されて、クリストも納得するしかない。
「時にノッシュ。」
「なんです?」
話題が変わるのかと、ノッシュが顔を上げると、ドアの呼び鈴が鳴る。「誰か来たのか?」と、ノッシュが不思議に思いながら立ち上がろうとすると、少し先にクルーニャが席を立った。
「あ、私出るよ。」
「ん、悪い。」
ノッシュの言葉に、クルーニャは「大丈夫ー!」と言いながら部屋のドアを開けて玄関へと向かう。
「ところでノッシュ。」
「はい?」
クリストは、クルーニャがいなくなったのを見計らったように肘でノッシュを啄き始めた。
「あの子は奥さんか?」
「……わかりきった冗談言うのやめてもらっていいですかね。」
一瞬戸惑ったノッシュだったが、クリストの肘を押し戻すと、マグカップに口をつける。
「ちょっと進みすぎだな。」
「うん。ぶっ飛びすぎてさすがにノッシュも冷静だ。」
同じようにコーヒーを飲んでいたルギとデオルダも話は聞いていたものの、未だクリストという人物を掴めずにいた。
そこへ、慌てた足音と急いでドアを開ける音。
「ノ、ノッシュ……!!」
明らかに焦っているクルーニャが、助けを求めるようにノッシュを呼んだ。
「クルーニャ? どうかし……。」
「よ。来ちゃった。」
状況を確認する前に、クルーニャの後ろに現れた彗星。
「スティス?」
「久しぶり。」
ルギが驚きの声を上げると、スティスはいつも通りの表情でルギに手を上げて挨拶を返す。
それでも、ノッシュだけは何も言わずに、突然の来客を見つめている。
「そんな怖い顔すんなって。悪い知らせが二つ。どっちがいい?」
「選びようがねえな。」
「だよな。」と、スティスが肩を竦める。息を一つ吐き出して、ノッシュに向き合うと、人差し指を立てた。
「一つ目。アーフェリーク頭首が息を引き取った。」
「!!」
これに驚いたのはもちろんノッシュだけではない。アーフェリークの話を聞いていたためか、その場にいた全員が驚いた。そしてスティスは「さらに二つ目。」と言いながら中指も立てる。
「あと小一時間もすればアーフェリーク捜索部隊がこの国にやってくる。そこにはヴィヴィアン・ジョルジェーンもいる。」
「ヴィヴィアンだと……!?」
「そう。下手したらもう手段を選ばなくなる。それくらい切羽詰まってるからな、向こうは。」
ノッシュの異様な驚きも、スティスには予想の範囲内だったようで、再度ノッシュの名前を呼んだ。
「この国を守りたいか?」
ノッシュは口を開かずに、視線を斜め下に落とした。
「な、なんでノッシュ?」
「いや、この国が終わっても何も終わらない。他の国が被害に遭うだけだ。全て、お前にかかってる。」
クルーニャの疑問は二人に無視される形となり、スティスは次々に言葉を重ねていく。
「俺に……どうしろって言うんだ。お前は。」
「考えろ。」
「なっ……?!」
「そのために来た。小一時間、時間は作った。こんなくらいしかできないことは申し訳ないと思う。だから、考えろ。」
「考えろって……考えたところで……。」
「そう、どうにもならない。」
「じゃあなんで……。」
「もう一回聞くぞノッシュ。この国を……守りたいか?」
一方的な会話は、誰も口を挟むことなく続く。そして、スティスの二度目の問いかけに、ノッシュの瞳は大きく揺れた。
「選択肢を狭めているわけでも、俺が誘導尋問をしているわけじゃない。」
「選択肢を狭めるも何も……ひとつしかないじゃないか……。」
「だから、どうしたいか考えろ。この状況をどうにかできるのも、できないのも……お前しかいないんだよ。……ノルディオ。」
一拍おいてから、スティスはその名前で呼んだ。精一杯の謝罪を込めて。
「やめろっ!! その名前で俺を呼ぶなっ!!」
「いい加減にしろ!! 今そんなこと言ってる場合か!! 時間がないんだよ!!」
「何がアーフェリークだ!! 何が貴族だ!! あんなところ誰が好き好んで帰るんだよ!!」
「……後で何発でも殴っていいからな。」
「え……?」
突然トーンダウンしたスティスの声に戸惑う。
「ノッシュ……。」
「ぁ……!!」
クルーニャに“ノッシュ”と、呼ばれて気が付いた。
ノッシュ=ノルディオを知っていたのはスティスだけ。ノルディオと、呼ばれただけで、頭に血が上った。スティスがわざと、怒らせていたなんて、微塵も考えもしなかった。
隠していたはずの自分を、自ら曝け出していたなんて、気づきもしなかった。
「こんなところで終わるのか……。しかも、自分で夢に終止符を打ったのか……。俺が、ノッシュ・レイドット(自由)を殺したのか……!!」
虚ろに呟く声は、部屋の中に響くことなく消えていく。
その夢と共に。
読んでいただきありがとうございます。
8章もいよいよ内容の濃いところへ突入です!
前回から間があいてしまい、申し訳ないです。
今月はもう少し更新ペースが落ちているかと思いますが、これからもどうぞよろしくお願いします。