水難去って肉球危機
近くで足音、そして二、三人の声。微かに目を開けてみる。視界がぼやけている。寝覚めはそこまで悪くないはずなのだが……。そこまで考えたところで少し息苦しいことに気づく。
肩で息をする、とまではいかないが、体に力は入らない。
そしてやはり、寒い。寝る前に感じた寒さではない。体の芯が凍りついたように、自分の体温がどこかへ行ってしまったようだ。
「起きねえな。」
「死んではいないだろうけど……。」
「お前、確認してみろよ。」
「だって、触って呪われでもしたら……。」
「お前は創造神が呪術師だとでも思ってんのかよ……。」
「やっぱ、これか。」
「昨日も思ったんだけどさ、古典的すぎねえか?」
「他に手が思いつかなかったんだよ。」
「仕方ないか。」
悪いが、呪術師ではない。
聴覚はまだ大丈夫そうだ。会話はちゃんと聞こえた。それに、どうやら三人いるらしい。それも、目の前に。
「よっ……。」
その声が聞こえると同時に顔面に大量の水が飛んでくる。
俯いているからといって、すくい上げるように、まして顔面を狙って水をかけるとはどういうつもりだろうか。
「反応、ないな。」
「水少なかったんじゃないか?」
馬鹿だ、こいつら。
「じゃあ、二杯分いくか?」
「やってみるか。」
勘弁してくれ。
「せーのっ。」
ぼやけていた視界もだんだん元に戻ってきている。目が半分くらいしか開いていないからといって、左右から、自分目掛けて飛んでくる水の塊が見えないはずがない。
「ど、どうかな。」
「ホントに死んでるのかな……。」
生きてるよ、馬鹿。
「どうにかして確認したいよな。」
「あ、そうだ。」
「?」
「かけるんじゃくてさ、こう……。」
「ああ、まあ、他にないしやってみるだけ……。」
嫌な予感しかしないんだが……。最後の力を振り絞って顔を上げるべきか……。これ以上水を被らないためには。
「行くぞ。」
「おう。」
眼前に大きなバケツ。そして水面。
なんだ、これ。
「ちゃ、ちゃんと抑えとけよ……!!」
「わかってるよ!」
さっきより声が近い。ここまでくれば触れずとも生きてることくらいわかるだろうに。当初の目的を忘れてるだろ、きっと。
そう思った瞬間に、水面がルギの鼻に触れた。そのことに驚くよりも先に、頭を押さえつけられる。そして、水中に引き込まれた。
突然の事に焦ってすぐに息を吐き出してしまった。これでは十五秒ともたない。
どうにかして顔を上げたいのだが、おそらく二人がかりで頭を押さえつけられている。必死に動いてみるものの、鉄枷がわずかに軋んだだけか。ただでさえ重力に負けを認めようとしていたのだ。どうにかできるわけがない。
「ん、生きてるっぽいな。」
「もっしもーし。おっじゃましまーす。」
「誰だ!?」
「その手、離してもらおうか。」
「!!」
男の手に握られた銃を見るなり、三人は両手を上げた。
「げほっ!! ごほっ……。」
いきなり、水が消えた。バケツが転がる音と、近くで息を飲む音がしたが、そんなことを気にする前に、いきなり吸い込んだ空気が逆に苦しくて咳込んだ。
「よし、まだ生きてるな?」
「貴様!! 創造神を……!!」
三人が構えた瞬間、侵入者は笑う。
「ま、神様の遣いが創造神に用あるからって言っといてよ。」
「なっ……。」
それが兵士達の記憶の最後。侵入者が指を鳴らすと、三人はその場に崩れた。ルギを縛り付けていた鉄枷も亀裂が入り、崩れた。
「よいしょ。」
支えを失ったルギを肩で受け止めるヴィエル。そして、その頬を名前を呼びながら啄く。
ルギの目がうっすらと開き微かに口が動いたが、声にはならない。
「だいぶ冷えてるな。」
ヴィエルは自分が着ていたローブを脱ぎ、ルギに着せた。
「急ぐぞ、ヴィエル。この様子だと……。」
「ええ。物体生成を発動できていないようですね。」
鉄格子の近くの黒猫が呟いた。ヴィエルはローブを着せたルギを肩に担ぎ、さらには黒猫も乗せ、鉄格子をくぐる。
石の牢獄に取り残された三人が目を覚ましたのはもっと先のことである。
息を切らしつつ、足を止めたデオルダ。
「ここまで走ってきたのはいいが……。」
「ここで大丈夫……かな。」
「俺らは、今待つことしかできないからな。」
デオルダの後ろではノッシュとクルーニャが息を整えていた。
「ね、ねえ、三十分経った?」
「いや、まだ二十分も……。」
周りを見渡しながらクルーニャが聞き、ノッシュは時計を確認しながら答えた。
「そ、そうよね……。」
クルーニャがもう一度深呼吸した瞬間、突然人影が現れる。
一瞬の風が吹いたように。
「おまたせ。」
「!!」
「ヴィエル!!」
「遅くなったな。」
ノッシュ達が近くに駆け寄ると、ヴィエルは振り向きながら笑う。
「ルギ、は……?」
「……見るか?」
ノッシュの呟くような問いに、ヴィエルは目を閉じ、小さく息を吐き出す。
「え……。」
その様子に、ノッシュ、デオルダ、クルーニャが顔を見合わせる。
見合わせた顔はそのまま、ヴィエルに向かう。
ヴィエルはローブで包んだルギを地面に降ろすように膝を折った。
「俺には、寝てるようにしか……見えないけどな。」
「嘘だろ……。」
「そんな……。」
その動作に、ノッシュとクルーニャが目を見開いて困惑する。
「お別れくらい言ってやってくれないか……?」
「え?」
「ん?」
ヴィエルはノッシュ達の顔を見て逆に驚いた。暗い話題を言い出したのは自分であるし、今もその雰囲気のままだったはずなのだが、ノッシュ達の顔は行き場を失ったような驚きを自分に向けている。
と、いうか頬が痛い。
横目で見ると、拳が頬にぶつかっていた。
「なんだよ、気がついてたなら言えよ。もうちょっとで……。」
「うっさい……。」
ルギはそう呟く。そしてその腕は力なく地に落ちた。
「大丈夫か?」
「何とか……。」
ヴィエルはローブに埋まっているルギを覗くように顔を動かす。ルギは片目を開けて頷いた。
「ルギ?」
「ん?」
「よかった、生きてる。」
「何、心配してんだよ……。」
「いやぁ、色々。」
三人は苦笑いを浮かべて安心する。予想通りの反応をされたから余計安心したのかもしれない。
「ルギ、起きて早々悪いが……。」
「物体生成、ですか?」
「わかっているようだね。」
近くに歩いて来た黒猫を視界に見つけ、ルギは左腕を見せる。
「これ、何か……おかしいんです。」
「なんだこれ。」
「気づいたらもう……。」
そして、神様が恐る恐る前足を伸ばし、ブレスレットの上に取り付けられた機械に触れる。
「ぎゃああっ!?」
「え。」
火花が散ったかと思うのと同時にライオの声。
「僕の肉球っ!!」
「ご、ごめんライオ。」
「僕の……にくきゅううううううっ!!」
泣き叫ぶようなライオの声と慌てた神様の謝る声が、一匹の猫から発せられる。
「なんか、とんでもないことに……。」
「ああ。」
「ぅ……。」
「!? ルギ!! おい!!」
ヴィエルが焦るように声を大きくした。先程まで意識を保っていたはずのルギが、力なく目を閉じていた。
「どうなってんだ……。」
「光ってるよ、ブレスレット……。」
「ホントだ。でも、上の変なのも一緒に光ってない?」
「確かに、さっきと色が……。」
クルーニャが指でルギのブレスレットを差す。橙に光るブレスレット。その光を覆い隠すように機械の一部が光る。
「っ!!」
ルギが痛みに耐えるように顔を仰け反らせた。
「ルギ?!」
「しっかりしろ……!!」
ヴィエルがルギの肩を揺するが、ルギの目は虚ろなまま、荒い息遣いだけが耳に届く。
「目の光が安定してない……。」
「乱しているんだろう、物体生成を。」
「神様。」
「とにかく、その装置を外せ!」
「は、はい!!」
いつにない強い口調の言葉に答え、ヴィエルが力ずくにブレスレットに取り付けられた装置を外して少し離れたところへ投げる。
「ヴィエル。山火事にならない程度に。」
「了解!!」
ヴィエルはそう言うと、装置を投げた場所に向かって指を鳴らした。
まだ宙に浮いたままの装置はそのまま爆発し、煙に包まれたまま地面へと落ちる。
「ば、爆発した……。」
「ま、俺の力みたいなもんだ。」
「さすが……。」
「それで、神様。」
ヴィエルは神様の方を向く。事態の説明を求めるように。
「異能の流れを乱すなど、今までなかったことだ。この国だけの問題ではあるまい。」
「話が大きくなりそうですね。」
「当たり前だろう。言い方は悪いが、今回ルギだったからこの程度で済んでいるんだ。」
「確かに、言い方は最悪ですね。」
口角を上げながら黒猫に向かってヴィエルが言う。
「そう言っただろう。」
「そういう表現しちゃダメなんじゃないんですか? こんなところで。依怙贔屓だって思われますよ?」
拗ねたような神様の言葉をからかうようにヴィエルが笑う。黒猫は顔を擦りながら大丈夫だと言った。
「彼らは敵じゃない。」
「なるほど。」
「さてヴィエル、一応アレを回収してくれるかい?」
「了解ですっと……。」
ヴィエルは立ち上がろうとして、ルギがまた気を失っていることに気づく。
「俺が変わる。どうせ、家は近いし。」
「お、すまん。」
「寝てるだけ、だよな?」
デオルダが近づいて、ルギを担ぐ。肩の辺りで気を失っているルギを横目で見てデオルダが少し心配そうに言う。
「ああ。特に外傷はない。ただまあ……。」
「?」
「風邪は引くかもな。」
「風邪?」
予想外の返答にデオルダが目を丸くして聞き返す。
そう言われると、とデオルダが改めて目線をルギに戻す。
顔色が悪い。物体生成の影響だろうとは思っていたのだが……体が随分と冷え切っているのに気づいた。
「あ、ちょっと待ってろよ。回収したら、俺も一緒についてく。」
「じゃあ、私は戻るとしよう。ライオに少し負担をかけてしまったしね。」
「わかりました。」
「ヴィエル、クリングルにいてくれ。何があるかまだわからないからね。」
「はい。」
「じゃ、ルギを頼んだよ。」
黒猫が前足を上げて尻尾を畝ねらせた。
「はっ?! 肉球!!」
「大丈夫よ、きっと。」
クルーニャが屈んで自分の前足を覗き込むライオに声をかけるが、ライオはもう涙目である。
「ぐすん。」
「あ、えっと……。」
「うわああああああああ僕先に帰りますううううう!!!」
ライオは一目散に走っていく。
「相当ショックだったのね、肉球。」
「だな。」
クルーニャとデオルダが苦笑いを浮かべた。その後ろでノッシュが何かを見つめたまま動かない。
「ノッシュ? どうかしたか?」
機械の回収に行こうとしていたヴィエルもノッシュの様子を不思議に思ったのか、声をかけた。
「何か、来る……。」
かけられた声に驚くこともなく、ノッシュは一言だけ口を動かした。
すぐには、この言葉の意味を誰も理解できずにノッシュをただ見つめていた。
読んでいただき、ありがとうございます。
とりあえず、無事ではないにしろ帰ってきたルギ。
ですが、魔王はこんなものじゃ終わらない。
しつこいんです。面倒なくらいに。
次話はノッシュが頑張ります。
またよろしくお願いします。