沈黙のトライアングル
「……。」
デオルダはコーヒーをテーブルまで持ってきた。いつもであれば、一言あってからコーヒーを飲み始めて雑談……それがいつものパターンである。
だが、珍しいことに、ルギがコーヒーに口をつけず、腕を組んで天井を見上げたまま、動かない。
「コーヒー、飲まないのか?」
ルギはいつまで経っても動く気配がなさそうなので、デオルダが声をかけた。
「いや、飲む。」
「何に悩んでるんだ?」
仰け反っていた体を起こし、コーヒーを飲み始めたルギに尋ねる。
「何って、バズーカに決まってんだろ?」
少し飲んだところで、ルギはまたソファに深く座り直した。バズーカでそこまで悩むことがあるのだろうか。
「お前の決定事項なんか知るかよ。」
「そう言うなよ、一応助手だろ?」
ルギとしては、助手だから手伝ってくれ。というニュアンスを持たせた言葉だったのだが、話は違う方向へ動き出した。
「そうだ、俺はお前の助手だ。」
「……なんでそんな偉そうなんだ?」
ルギは不満そうな顔はしなかったが、不思議そうな表情はしていた。
「助手の一番の仕事は、コーヒーをいれることだからな。」
「……今日も美味い。」
確かにこの助手、コーヒーばかりいれる。
せっかくいれたコーヒーをすぐ飲まなかったことを不満に感じたのかと思い、ルギはコーヒーの感想を述べたのだが……全然関係がなかったようだ。
「私のことはコーヒーと呼び給え。」
「よくやった、コーヒー。」
「犬みたいだな。」
「お前が呼べって言ったんじゃねえか。」
「さてと、そんな茶番はさておき。」
「茶番かよ。」
「聞くだけ聞く。」
そう言ったデオルダがコーヒーを一口。
「手伝う気は?」
ルギはあまり関心を持たないコーヒー助手に目線で訴える。手伝ってくれ、と。
「誰も、手伝うつもりがないなんて言ってないだろ。」
「じゃあなんで聞くだけなんだよ。」
手伝う気があるのなら素直にそう言ってくれればいいものを。と、ルギは思った。
「俺に言わせるのか?」
「……誰に言わせればいいんだ?」
デオルダの言わんとしてることがわからない。
「わからないなら、別にいいんだけどよ。」
全然いい顔をしていないデオルダ。
「……わからん。」
わからないから、わからないと、言った。デオルダのことだから「馬鹿だな、お前は」みたいな文句とも悪口とも、からかいともとれる言葉を言った後に、説明してくれるとルギは思っていた。
思っていたのだ。
「ふーん……。」
「え。」
ルギは直感的に、この状況が、今までに経験したことのないものであると感じた。
デオルダが、そっぽを向いたのだ。
普通に考えると、それだけのこと、である。
だが、ルギ・ナバンギにとって、デオルダ・ロウリスが話の途中で目を逸らすことなど、今までに経験しなかった状況なのだ。
それだけに、自分の発言が悪かったのだと認めるしかないのだが、今日のデオルダの言いたいことがわかっていない以上、自分の発言の何が悪いかなど、わかるはずもない。
「……。」
デオルダは何も言わず、ルギと目を合わせない。
「……。」
ルギは何も言えず、デオルダを見るしかない。
少しの間、沈黙。いつまで続くのかわからない静寂はルギを焦らせる。
焦ったところで、何も答えは出はしないことを、ルギ自身がわかっているのだが、どうしていいのかもわからず、硬直していた。
だからこそ、突然ドアをノックする音に必要以上に反応してしまったのかもしれない。
「もっしもーし?」
そう言いながらドアを開けて顔を出したのは、町医者のノッシュ・レイドットだった。
「んあ? 何してんの?」
ルギとデオルダの異様な雰囲気を感じてか、ノッシュは苦笑いを浮かべた。
「えっと……。」
「別に、何も。」
言葉に詰まるルギと、ぶっきらぼうなデオルダを見て、苦笑いの表情を崩すという選択肢はノッシュにはなかった。
デオルダはいつものように、ノッシュにコーヒーを出した。
いつもと違うのは、彼が一言も喋らなかったことである。
その雰囲気の影響か、ノッシュも言葉を発さない。
ルギは石化しているかのようだ。
町医者のノッシュだが、ルギとデオルダと友好関係にあり、家を訪れることはよくあるのだ。
ただ、今回のタイミングが悪かっただけである。
「……。」
「……。」
「……。」
こうして、前代未聞のそっぽ向き男と、バズーカに悩む失言者、状況のわからない第三者の沈黙トライアングルが完成してしまったのである。
そっぽ向き男に動く気配がないと察した第三者は、隣にいる失言者に無言で助けを求めた。
一方、失言者はその視線を感じてはいるものの考えがまとまらない。
自分が悪いということはよくわかったのだが、ここで失言を重ねてしまうとそっぽ向き男がどんな行動に出るか予想もつかない。慎重に、慎重にならなければならなかった。
だが、意外にも、口を開いたのはデオルダであった。
「決めた。」
「え?」
「何を?」
いきなりの発言に、驚きを隠せない。
「散歩してくる。……悪いな、ノッシュ。せっかく来てくれたのに。」
「あ、いや、別にいいけど。」
言いながら、席を立つデオルダ。いつも通りだと、ノッシュは感じた。
「ルギ。」
「ひゃいっ!?」
難問を当てられた学生のごとくソファから立ち上がる。
「声がひっくり返ってるよ。」
ノッシュが呆れるのも無理はなく、動揺の具合がバレバレである。
「わからないなら、それでいいんだ。」
そう言うと、デオルダは家のドアを開けて行ってしまった。
「……。」
立ち尽くしたルギ。
結局、状況がわかっていないノッシュが口を開く。
「なあ。」
「言いたいことはわかってるつもりだが……。」
「何したんだよ。」
「それがわかってたら土下座でもなんでもしてるよ。」
「わかんなくても土下座しろよ。」
「ごもっともで。」
「ホントに心当たりないの?」
「……最初から説明するから、助けてくれ。」
ノッシュは、自分以外のマグカップに入っているコーヒーが残っているのを見て、この状況の深刻さを理解した気がした。
「うん。」
ノッシュは自分のコーヒーを飲み干して一言頷いた。ルギの説明も終わったようだ。
「俺が悪いんだろうけど。」
「ルギ。」
「?」
「説明を全部聞いて思ったんだけど。」
「なんでもいい! 教えてくれ!!」
ルギはノッシュに対して土下座する勢いだ。
「落ち着け。とりあえず、率直な意見だ。いいな?」
「ああ。」
「話の内容からいってお前が悪いんだろうと思う。けど……。」
「けど?」
ルギとしては、悪いと言い切ってもらったほうがいい気がしたが、曖昧にしたノッシュの態度も気になった。
「別段、お前が悪いという感じではない。」
「は?」
先程までノッシュはルギが悪いことをしたかのように話していた。それなのに、ここでいきなり擁護されては、自分でも何がなんだかわからなくなる。
「いや、最初は雰囲気的にお前が何か悪いことしたんだと思ってたんだよ。先入観ってやつ?」
「あ、ああ……。」
「で、思ったんだけど。」
「なんだ。」
「あいつ、怒ってたの?」
「……怒って、たかな?」
そう言われると、デオルダが怒る時は基本的に誰が見てもわかるように怒る。
先日、怒鳴り散らされたばかりだ。
「ふてくされてんのかと思って見てたけど、あいつ、別にわからないならそれでいいって言ってただろ。」
「そうなんだけど。いいって思ってるやつがあんな顔するか?」
「それは……絶対しないと思う。」
二人の頭にはついさっきのデオルダの顔が浮かんでいた。
「だろ? だから俺が悪いんだろ?」
「まあ、お前の記憶力のせい?」
つまり、何か大事なことをルギが忘れていることが今回の原因だという結論に二人は達した。
「殴ってくれ……。」
「そんなんで思い出すか?」
「あー……。」
「無理か。」とルギが諦めた。
「ヒントとかねえの?」
「ヒント?」
「バズーカの話してたんだろ? うーん、難しく考え過ぎかな……。バズーカの後は……。」
と、ルギの説明を思い出すノッシュ。ルギも、もう一度記憶を遡る。
「助手、だったか? なんか結構簡単なことだったりするんじゃねえの?」
「助手……?」
「?」
「助手の、一番の仕事は……コーヒーをいれること……。」
「それ、仕事か?」
「なんであいつ、あんなにコーヒーに固執し始めたんだっけ……。」
「え。これ? これなの?」
「五年前、だよな……。」
頬杖をついたまま、ルギが言う。
「五年前って、お前らが会った頃の話、だよな?」
「そうなる。」
「それなら、俺は全然知らないぞ?」
「だよな。」
ノッシュは、ルギとデオルダが五年前に出会ったことは知っているが、彼自身がその場にいたわけではないので、詳しいことは知らないのだ。
「で?」
「あの頃は……………………。」
目を閉じ、俯いて、唸るルギ。
「長いよ、考えるの。」
「…………あ。」
ルギは何かを思い出したように顔を上げた。
「何!? 思い出した!?」
「間違ってたら土下座する。」
「今から弱気になるなよ。」
「よし、手伝ってくれノッシュ。」
「おう!!」
ルギが立ち上がり、名前を呼ばれたノッシュも続くように立ち上がる。
日が暮れるまでにはまだまだ時間はあった。
読んでいただきありがとうございます。
……バズーカつくりませんでしたね。
無計画でスミマセン。
次話も読んでいただけると飛び上がるくらいに嬉しいです。
よろしくお願いします。