紅橙
「もうすぐ、冬が来るね、ルギさん。」
「そうだな。」
二人の前にある木には、赤や黄に色づいた葉が風に揺れて、そして、ゆっくりと落ちていく。
「私達は……この国を守れるかな?」
「そんなの、やってみなきゃわからない。」
「うん……。」
ルギの言葉が多少投げやりに聞こえ、自信なさげに俯いたレウファの頭にルギは軽く手を置いた。
「それでも、俺らは自分達の国を守りたいって思ったんだ。ならそれでいいだろ。」
「え、いいの?」
それでいいと言い切るルギをレウファは少し驚いた顔で見上げる。
ルギはひらひらと落ちてきた赤い葉を掴んで、笑って口を開いた。
「大丈夫だ。誰かがきっと、わかってくれる。だから、俺らはただ頑張るしかないんだ。」
「うん。そうだね。」
同意を求めるように、自分にも言い聞かせるようなルギの声に、レウファも紅葉の木を見上げながら頷いた。
クリングル商店街の奥に建つ国王の居城。商店街から続くその道の先、城の眼前に広がる小さな広場に、対面するようにミルシェ達と国王の伝令役としてやってきたジュレッグに多くの言葉はなかった。
「お久しぶりです、創造神。」
「……どこかで見た顔だ。」
頭を下げるジュレッグに対し、口を開いたルギの頭には全く覚えがない顔だった。
「君はもう少し顔を覚えたらどうなんだ?」
「え。神様知ってるんですか?」
隣に立っていたアイリスに呆れ顔を向けられ、ルギは逆にアイリスは知っているのかと驚きながら尋ねると、人差し指をビシッと突きつけながらアイリスは答えた。
「君が磔にされていた時の奴だろう?」
「ああ、夏の。」
「ジュレッグ、バルードだったか?」
「覚えていただけたとは、さすがですね。」
デオルダの一言に、ジュレッグは笑いながら答えた。軽く、棘のある言葉だと感じたのか、デオルダは警戒する視線をジュレッグへと向けた。それを見たルギは、間に入るようにジュレッグに問を投げかける。
「それで? お前一人か?」
「ええ。国王様は期待している、とのことです。」
「自分は高みの見物か。」
ルギの睨みと共に投げられた嫌味を、ジュレッグは少し強めに吹いた風で流すように目を伏せた。
「そろそろ時間ですね。」
風が吹いた方向に目を向けると、どうやらルギも同じように感じていたようで、直前のジュレッグの態度など気にも止めていない様子で、お互いの中間地点に降り立った人物を見ていた。
ローブを羽織り、風と共に降り立ったヴィエルはこの場に全員が集まっていることを確認すると口を開いた。
「皆様、お待たせいたしました。本日、ここにクリングルの審判の開催を宣言いたします。この度の審判はヴィエル・ナリュートが務めさせていただきますので、よろしくお願いします。」
ヴィエルはそう言って商店街側の見物人の集団ルギ、国王側から来ていたジュレッグに向かって交互に一礼する。
「……今回は相手が相手なので、説明は省かせていただきたいのですが、よろしいですか?」
「構いません。」
ヴィエルの言葉に会釈を返し、ジュレッグはそのまま数歩下がった。
手は出さないとでも言いたいのかと、ルギは目を細めたが、ヴィエルに向き直り口を開いた。
「なら、確認だけしておく。この国は力の審判だ。それは、国の力を示し、神の遣いを倒すことだっていうのが常識となっている。」
「そうだな。」
「お前の合格条件はなんだ? 倒すって言ったって、お互いに殺し合いをするわけじゃない。そうだろ?」
「もちろん。そうだな……俺を降参させれば文句なし。後は、まあ……自力で立てなくなったら終わりってことで。」
いつも通りの様子で話し始めたヴィエルが「こんな感じでいいか?」と、指を立てながら笑う。ルギも「わかった」と一言簡単に返した。
「戦闘範囲はこの城前広場でお願いいたします。」
「あいよ。」
去り際のジュレッグの言葉に、手のひらをヒラヒラ振りながら返事をするヴィエルの態度に、ルギは少々呆れ始めていた。
「仕事のくせに、口調がいつも通りに戻ってるぞ。」
「いいの、どうせお前相手だし。」
「あっそ。」
「悪いな、こんなことになって。」
「お前が謝ることじゃない。俺らの問題だ。」
ルギには少し野暮だったかと、ヴィエルは軽く笑う。
そう言ってもらえて、自分が感じていた心の重さがなくなったかのように楽になった。わかっていながら、責任を感じずにはいられなかったから、当然だと言いたげな言葉がありがたく思えた。
「悪いけど、俺も知っての通り必死だからな。手加減とかはナシだ。」
「わかってるわかってる。俺も普通に仕事するっての。」
ルギは口元を緩ませて物体生成を発動する。自分の前に、橙色の剣を二本作り出すと、それを掴んで構えた。
「死にかけの底力舐めんな!!」
「いいぜ、来いよルギ。審判開始だ!!」
「滑稽だな。思った通り。」
腕を組みながら、クリングル国王、アジェルクス・クリングルは短く息を吐きだした。ほんの数分、審判戦闘の最初を見て、自然と込み上げてきた笑いだった。が、面白くて笑っているのではない。
「創造神、ですか。」
傍に控えていた副官が確認するように尋ねると、軽い頷きの後に説明が続いた。
「前評判も頼りないな。賢者の中では頭いくつか抜けているとしても、だ。弱点が致命的すぎる。」
「弱点、というと……目視しなければ物体生成を発動できないという……。」
話には聞いたことがあると、考えながら国王の話に耳を傾ける。
「それもまあ、その通りだ。だがそれ以上に、この程度のアフェトロッソにやられているようでは……RUGIが聞いて呆れる。」
「所詮は人間ということですね。」
「まったくだな。」
退屈そうな声を聞きながら、副官の男はもう一度城下の広場で戦う創造神の動きを目で追い続けた。
一括りの攻防を終え、ルギとヴィエルは距離をとっていた。
ルギの物体生成で創り出した双剣に対し、ヴィエルは持ってきていた剣、一振で凌いでいた。十分に満たない程度の攻防の感触に、ルギは顔を顰めていた。
そんなルギの心情を気にもせず、ヴィエルは驚きと感心が混じった表情で笑いながら口を開く。
「器用だな、ホント。物体生成ってそんな剣も創れたのか。」
「お前の大雑把な力と一緒にすんな。」
ヴィエルの力は紅炎という炎を作り出す力。だが、ヴィエルには力の派生能力として、起爆結晶というものを作り出すことができる。紅炎を球状に生成して放つヴィエルの攻撃方法ならば目に見えるから対処もし易いが、起爆結晶はどこかに埋め込む、置くといった使い方をしている。設置型と言えるこの攻撃方法はこの上なく厄介であるとルギは警戒していた。
「へいへい。じゃあ、その大雑把な力でもお見舞いするとしよう。」
「何……?」
ルギがヴィエルからの攻撃を予測して、両手に持った物体生成の剣を体の前に構える。
だが、ヴィエルは動こうとはしない。その様子にルギが警戒しながら半歩前へ足を踏み出したところで、視界に小さな光が過ぎった。
右手に持った剣の刃、その真ん中辺り、その物体生成の質量の中で、小さく赤く煌く光。
「しまっ……!!」
「弾けろ。」
ヴィエルが笑みを含んだ顔で呟くと同時に、ルギが右手で持っていた剣が爆発して物体生成の欠片が飛び散る。そして、ヴィエルは爆発の煙から距離をとった。
「油断し……?」
ヴィエルが「油断しただろ」と、ルギをからかうように言いながら、煙の中を覗き込むように首を伸ばそうとしたところで、煙の中から橙色の剣が自分に向かって飛んでくるのが目に入った。
「っと?!」
ヴィエルは握っていた剣を力ずくで真上に振り上げ、自分目掛けて飛んできた物体生成を打ち払う。
「当たらなかったか。」
「それは俺の台詞だ。あの距離なら破片が一つくらい刺さってくれても良かったんだけどなー。」
さっきの驚いた顔はどうしたと言いたくなるくらい、ルギはケロッとした様子で、寧ろ自分の投げた剣が当たらなかったことを悔やんでいるといった表情に見えて、ヴィエルは諦めて息を吐き出した。
「言ってんだろ。お前の大雑把な能力と一緒にすんなってな。」
「ほえ、あの距離と時間で間に合うのか。そういうとこは、やっぱりさすがだよな。」
ヴィエルは小さく呟いて目を伏せた。
正直なところ、万全ではないとは言え、創造神を相手にするのは避けたかった。いや、ルギと戦うことを望んではいたのに、このシチュエーションを聞いたときに、自分がルギの命を間接的に奪う役になってしまったのではないかと考えてしまった。
からかいの言葉が口から出る度に、何か悲しくなっていく。
そう、万全ではないとは言え……。
今日のルギの発動している物体生成からは、明らかに力が感じられなかった。戦闘領域として定められたこの範囲の隅に商店街のミルシェを始めとした面々が不安そうに勝負の行方を見ている。その中には賢者達の姿もあり、そして、その周りには防御壁がある。それはいい。もしものことがあって、誰かに怪我をさせてしまったとなれば、後でアイリスに何を言われてしまうかわかったものではない。問題にすべきは、その防御壁の色だ。
橙色の物体生成であるのが普通だと思っていたし、それが無難であるとも考えていたヴィエルにとって、茶系の色、つまりはユーシィが作り出していたという事実を目の当たりにしてヴィエルは本当に驚いた。だから、ルギの言う通り、状況を見ての通り、自分が感じた通り、その命は残り少ないのだろうと、確信することとなってしまった。
「何も起こらないことを、願ってるよ。ルギ……。」
ヴィエルはルギに聞こえない声の大きさで呟いた。
陽動として飛ばされたヴィエルの紅炎球を右前に前進しながら避けると、紅炎の影からヴィエルが現れた。
「っ!!」
「悪いなルギ。」
ヴィエルは持っていた剣を紅炎から飛び出した勢いのまま振り上げ、ルギが体の前に交差して防御の構えを見せた、物体生成の双剣を弾き飛ばす。
「くっ……!!」
剣が弾き飛ばされた衝撃が腕にも伝わったのか、ルギの動きがわずかに止まる。
「これで、決まりだな。」
あの程度の物体生成しか発動できない状態を考えると、そろそろ潮時だろうとヴィエルは考えていた。自分が勝ってしまうことに悔いがないわけではない。クリングルという国が全く見知らぬ国であると言うならばこんな気持ちにはならなかっただろう。それもわかっている。
それでも……これ以上どうしようもできなかった。
懺悔の言葉を心の中で叫んでヴィエルは大きく踏み出し、ルギの胴を力任せに蹴り飛ばした。
「あ。」
ルギとの、目の前の攻防に集中していたためか、いつの間にかデオルダ達のいる城前広場の隅の方まで来ていたことにヴィエルは気付いていなかった。ルギを蹴り飛ばしたその先にユーシィが作ったであろう防護壁があったのである。
「うわぁ……個人的にやり返しが来そうで怖い。」
蹴り終えた足を地面にゆっくり下ろしながら、ヴィエルは顔を覆いたくなった。
「げほっ……。ったく、力一杯蹴り飛ばしやがって……。」
ルギは口の中に溜まっていた血を吐き出し、ぼやける視界をどうにかしようと頭を左右に振りながら立ち上がる。
どうやら、時間切れになってしまったようだ。今のは完全に動きを読まれていた。
こうなってしまってはこちらの攻撃に意味がなくなってしまう。かと言って、守りだけでは何も得られない。
さて、どうしたものか……。
「ルギ!!」
「え?」
耳に届いた鮮明で大きな声に、ルギは驚いて後ろを振り返る。
「知らんうちにこんなとこに吹っ飛ばされてたのか……。」
「ルギ、聞こえるか……。」
「ミルシェさん? 聞こえてますけど……。」
未だふらつく頭を抑えながら立ち上がると、ユーシィの創り出した壁にはルギがぶつかった部分からヒビ割れて穴が空き、少しずつ消えていく最中だった。壁が消えたあたりから、心配していると誰でもわかる表情でミルシェがルギを見ていた。その傍にはレウファもいて、今にも泣き出しそうだった。
「もう、やめようよ……。」
「レウファ?」
「勝たなくていいよ……死なないでよ……。」
「か、勝たなくていいって……お前自分が……。」
「わかってるよ!!」
レウファは力一杯叫ぶ。目元に溜まった涙は今にもこぼれ落ちそうなくらいだった。
「ルギ、頼む……。今の私達は、お前を失うわけにはいかないんだ……。」
ミルシェだけではなかった。その後ろの審判を見に来ていた人々が、口にはしていないにしろ、その表情はミルシェの言葉に同意しているようだった。
「だ、だからって!! レウファを見捨てるようなことを……!!」
「お前の物体生成を見ていればわかるから、言っているんだぞ。」
「っ……。」
ミルシェにはわからないだろうと言いたかったが、エデンに物体生成のことを言われてしまっては、何もルギには言い返せなかった。
「今回は、私達の負けだ……ルギ。」
ミルシェはルギに諦めを促すように、言った。
どちらの命を取るか、そんなのルギにとっては問題にならないことだった。
「くだらない……。」
「ルギ?」
ルギはゆっくりと立ち上がり、空を仰いだ。怒るのは、考えるまでもなくわかっていた。アイリスには釘も刺された。勝ち負けに拘って命を投げ出すのが、愚かなのか。中途半端に戦うのが愚かなのか。
最期くらい、派手に、馬鹿みたいに、思うままに戦おう。負けるかもしれないなんて、そんなの最初から知っていたはずだ。この国が力の審判だと知った時から、相手がヴィエルで、軍事力のないクリングルがない力に頼ろうとしていると、わかった時から。
なら、何を今更躊躇していたのか。
なら、何を今更躊躇するのか。
考えるまでもない。
頑張れよ、自分。もう少しくらい無理も無茶も構わないだろ。今まで散々他人の警告無視してきたんだからさ。
今日だって笑って許してもらおうよ。
「ルギ……?」
空を仰ぎ、深呼吸したルギを、ルベルは心配そうな声で呼んだ。
「な、何よ。」
呼んだのは自分であるが、ゆっくり、返事もなしに見つめ返されて困り、ルベルはルギの言葉を待った。
「先に謝っとく。お前、きっと怒るだろうから。」
「な、何言ってんの……?」
「でも、頑張るからさ。また許してくれな。」
言い聞かせるように、お願いする子供のようにルギはルベルに言う。
「ま、待って……何をする気で……。」
ルベルが問いかけるよりも前に、ルギがその瞳を開いた。ルギの瞳は、橙色の光が消えかかっていて、その光が瞳に吸い込まれていくように、赤く色づいていく。
「ごめんな。」
バツが悪そうな子供のように、小さく笑う。
いつも、そうだ。
いつだって、ルギは。
「許すわけ、ないでしょ……!!」
ルベルは力一杯、掠れた声を振り返ろうとしない背中に届かせたい一心で、消えかけた壁を叩いた。
ルギとルベルのやりとりを声は聞こえないにしろ、遠目に見ていたヴィエルは、自分の前に戻ってきたルギに笑いながら声をかけた。
「終わったら一緒にお説教か?」
「まあ、説教で済めばいいんだけどさ。」
ルギが肩を竦める。
ヴィエルは笑うのをやめてルギの瞳を覗き込んだ。物体生成の橙色とは少し違う。完全に赤と言い切る色ではないにしても、普段から比べると明らかに赤い。
「さてと、お前……これ見るの初めてだよな?」
ルギが自分の瞳を指差した。
「そう言われると、そうだな。紅橙とかいうやつか……?」
「そんなとこだ。」
ルギよりも、ルベルの様子から行けば、油断するわけにはいかない。先程までとは何かが変わるはずだと、ヴィエルは頷きながら唾を飲み込んだ。
「じゃあ、第二ラウンドといこうぜ。」
読んでいただきありがとうございます。
前回からだいぶ時間が開いてしまい、年越しもしてしまいましてすみません。
何はともあれ、審判開始です。
また、今年もよろしくお願いします