♯3 片鱗
「おい」
『…………………』
「おい」
『………………ふゅー』
「おいこら。吹けねえ口笛でごまかしてんじゃねえよ」
『ああもう、女々しいですね主人。ぐだぐだ言わないでとっとと城に入りますよ!』
目の前に聳えるのは灰色の強固な城門。その後ろにちらりと見える数本の尖塔と巨大な影は、中世ヨーロッパの城と全く同じ物だ。
「だから、何で、俺が、王に会わねえといけねえんだよ!?」
『当然じゃないですか。今からこの国を救う英雄が王の顔すら知らなくてどうします?』
「つーか俺、戦争の話すら飲み込めてないんですけど!?」
『大丈夫。私がバッチリサポートしますから! さあ、偉大なる魔術師の誕生ですよぉぉぉ!!』
「ダメだ。面白いほど話が噛み合わねえ!!」
異世界に行って魔術師になって魔物と戦争して国を救った英雄になる。ゲームならばありふれた設定だがこれは現実。
一高校生がどう足掻いたって途中でデッドエンドになるのが関の山だ。しかも、それはリセットが効かない本当の死である。
『あっ、ほら主人。さっさと行かないと。警備兵が警戒態勢に入ってます。知ってますか? あの波状になった刃で切られたら一生治らないんですよ』
「うん、そうだね。今まさに振りかぶってるもんね。ところで翠。あの兵隊さん五○メートルくらいあった距離を一瞬で詰めたんだけど何が起きてるのかな、ってぬおわァァああああああああ!! ちちちち違うよ兵隊さん。話し合えば分かり会えるよ僕達! 最初から殺しにかかるのってどうかな!?」
ゾン!! と頭を狙った斬撃を間一髪でしゃがんで避けるが、頭頂部辺りの髪の毛が数本パラパラと落ちた。
続いて返す刀で狙われたのはちょうど翠を抱えていた右手
そう、右手。
つまり本に--
その瞬間、カチリと律の頭のどこかでスイッチが入った。
電光石火の如き早業で翠を右手から左手に持ち替えて、空いた右腕で剣の側面を殴り軌道を強引に変える。
「シッ!」
鋭い呼吸。左足を軸にして、遠心力と体重が最大になった膝蹴りを兵士の横腹に打ち込んだ。
鎧の上からでも威力を失わない一撃をまともに受け、半歩よろける。
「おらァッ!」
バゴォ! 腕を捻って顔面に放たれた拳の衝撃は、鼻から頭に抜けた。
鮮やかな脚技と拳の連携。剣を取り落とした兵士がゆっくりと後ろ向きに倒れる。鍛え上げられた筈の兵士は、完璧にノックアウトされていた。
「テメエ、翠に傷が付いたらどうしてくれるこのクソ野郎!?」
倒れている兵士を踏みつけかねない勢いで激昂する律。怒りがまだ収まらないのかその呼吸は荒い。
『ああーー……やっちゃいましたね主人』
それに比べて翠の反応は若干冷めていた。もし彼女が人間だったら額に手を当てていたかも知れない。ただでさえ不審人物として捉えられていたのに、あまつさえ正当な警備兵を倒してしまったのだ。理由はどうあれ、律が危害を加えた事に間違いはない。
『これで完全に主人は敵と認識されました。はぁ~、この誤解を解くのは骨が折れそうですよ』
「ちょっと待てよ。先に手ェ出してきたのはこいつじゃねえか」
『だから言ったじゃないですか、魔物と戦争をして貰うって。この国は今かなり危なっかしい状態なんですよ。みんな気が立ってるんです。いきなり見慣れない者が現れたら魔物が攻めてきたと考えてもおかしくないでしょう?』
「……でも、やらなきゃやられてた。言っておくがな、俺は聖人君子じゃないんだ。何の抵抗もせずにただ殺されてたまるかよ」
『主人。主人はご自分の行いにもっと責任を持つべきです。今のあなたはただの人間ではありません。世界最高の魔術書を従える唯一無二の方です。あなたがその気になれば世界を滅ぼす事も出来ると自覚して下さい。これは比喩ではなく、もはやあなたはそのレベルの存在なんです』
その堅く厳しい口調は有無を言わせない迫力があった。平和な状態ならいざ知らず、もうこの国は正当防衛がまかり通る程甘くは無い。
王国の兵士を倒した事実。引いては王国そのものに宣戦を布告したも同然となる可能性すらある。
臨戦態勢の国家は火薬が詰まった樽のような物だ。少しの火種で大爆発を起こす。
「………………ちッ、分かったよ。俺が悪かったよ」
「そうです。全面的に主人の責任です。でも、非を認めればどうにかなるとでも思ったら大間違いですけどね!」
「う、ええっ? なんか厳しくねえ!?」
「……まぁ、私を守ろうとしてくれた事には感謝しますけどね。やっぱり主人は主人でした。あなたを選んだ私の目に狂いはなかったようです」
感慨深そうに呟いた後に、翠は更に問いかける。
「ところで主人。本音と建前という言葉をご存知ですよね?」
「はぁ? 当然だろ」
「それでは、私の先程の諫言は建前と取って下さい」
「……じゃあ、本音は?」
「分かりませんか?」
ふふっ、と笑う翠。 一拍開けて、
「ぶっ潰してくれてありがとうございます、ですよ」