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♯1 黒の本

作者初のファンタジー。慣れないジャンルで戸惑います……

古代禁呪エンシェント・スペル』の項目より--


 古代禁呪とは、二千年前に大魔術師《ヴィンセント=J=クレバー》によって確立された七つの強力な呪法である。

 伝説によればこの世を構成する七元素。即ち、『地火風水空光闇』の真髄を限界まで高めた術式と言われている。

 術式一つだけでも一国を滅ぼす程の威力を持つその術は余りの危険性を有するため、開発者であるヴィンセント=J=クレバー自ら封じたと伝えられており、彼が唯一書き起こした魔術書にしかその存在は残されていない。

 しかし、その書すらも現在までの歴史上で存在を確認された事例はなくこれも伝説の域からは出ていない。もし、実在するのならばその魔術的価値は計り知れない物となるだろう。


 --キルスティン王立図書館所蔵『クレオール全書』より一部抜粋。






▼ ▼ ▼


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……おえっ」


 最寄り駅から走ること一○分。息を切らしながら、ついでに嗚咽を漏らしながら染谷律そめやりつは目的地の前で膝を曲げて立ち止まった。

 白地に黒い文字で『大和古書房』と書かれた看板を掲げるここは、文字通りの古書店だ。

 大きく息を吸って高まる高揚感を抑えながら歩み寄る。


「ん?」


 ふと視線を感じて周りを見渡せば、近くの電柱の影に黒いスーツにサングラスの三人組がしきりに辺りを伺っているのに気付いた。


「うわー、これでもかってぐらい怪しいなあいつら」


 が、本の前ではそんなもの至って些末な事。例えこの瞬間に地球が滅びようとも、彼の迸る熱いパトスは止められやしない。

 気を取り直して、磨り硝子の引き戸を開けると、古びた紙とインクの匂いが出迎えてくる。

 いつも通りの甘美な芳香に機嫌も上々だ。


「店長! 掘り出し物はあったかい?」


 すかさず呼びかけると奥から眼鏡をかけた男性が現れた。大和一行やまとかずゆき。年齢不詳のこの店の主人は、相も変わらずポロシャツにスラックスの格好で相も変わらず口に煙草をくわえていた。毎度ながら本に臭いがつくので止めてもらいたいがヘビースモーカーである彼が聞き入れた試しはない。 


「やぁ、 来たのか律君」


「当たり前だぜ店長! 昨日古書市に行ってきたんだろ? そりゃあじいちゃんの見舞いすっぽかしてでも来るっての」


「いや、お祖父さんは大切にしなよ?」


「大丈夫大丈夫。じいちゃん、昨日も日帰りで旅行に行ってたらしいし」


「え? 入院中じゃなかったっけ?」


「それが俺にもよく分からねえんだけどさ。何か川とか花畑とか綺麗な自然に囲まれてリラックスしてきたみたいなんだ」


「それ既にギリギリだよね! お祖父さん次はもう日帰りじゃ無くなっちゃうんじゃないかな!」


「ふぅ、……店長、知ってんだろ? 俺は本が好きだ。この世のありとあらゆる本が大好きだ。歴史書が好きだ。時代小説が好きだ。恋愛小説が好きだ。ミステリー小説が好きだ。海外文学が好きだ。ファンタジー小説が好きだ。書店に入った時は胸が踊る。紙の匂いを嗅いだ時などは絶頂すら感じる。何度でも言うぞ。俺は、本が、大好きだ!! この染谷律。何が起ころうとも欲しい本は絶対に買う! 買ってみせる!」


 言い切った。一息で変態じみた本への熱情を言い切った。肩で息を吐き、酸素を胸いっぱいに吸いながらその顔は実に晴れ晴れとしている。


「……うん、まあそうだね。それは本屋を経営している身としてはとっても嬉しいことなんだけどさぁ……」


「ならば店長。一番良いのを頼む」


「君、軽くオタク入ってるだろ」


 溜め息混じりに、ちょっと待ってろと言い残して大和は再び奥に引っ込んだ。数分後、戻ってきた彼の両手には何冊もの本が抱え込まれている。


「うおお! そう、これだよ。流石は店長良い仕事をする!!」


「まあね、大和古書房は古今東西から奇本珍本を取り寄せオールマイティーに蔵書を持つのが売りだからさ。これぐらい軽い軽い。ほら、これなんて五○年前に絶版になった奴だよ?」


「マジですか!? 半端ねえぜ店長!!」


 一冊、二冊。本を数える瞬間が一番楽しい。興奮する。鼓動が早まる。呼吸が荒くなり、快感すら覚える。


「うわぁ……君、今凄い顔してるよ?」


「……良い本とは、貴婦人のように優美で、絵画のように緻密で、宝石のように輝き、そして愛のように大胆である。by染谷律」


「分かったから涎拭きなよ。垂れてる垂れてる」


「店長……愛してるぜ」


「しみじみと言わないでくれるかな。気持ち悪いから」


 律の、乱丁落丁が無いかを確かめる手つきは恋人の髪を撫でる時に似た繊細さを持っていた。この少年の本に対する愛情は本物なのだ。

 だからこそ、大和は彼を気に入っている。初めて出会った日から今まで、客と主人というよりも友人のような関係を保ってきた。


「お気に召したかい?」


「あぁ、パーフェクトだ店長。これ全部貰うよ。でもさぁ、何か一冊だけ良く分からんのが混じってたんだけど。いやいや、文句はないよ? 本に対して文句をつけるとか万死に値する恥ずべき行為だよ。だけどなーんか気になっちゃってさぁ」


 ほら、と律が差し出したのは革張りの高級そうな黒い本だった。奇妙なことに表紙には題名どころか作者名も書いていない。中を読んでも解読不能の文字が並んでいるだけだ。


「うん? ああこれか。いや何、僕も古書市の帰りに知り合いからおまけとして貰っただけだから詳しいことは分からないんだよ。でも、どうにも使い道が無くてね。こんなの売り物にもならないんだけどお世話になってる人だから断り切れなくてさぁ。律君、良かったら持っていってくれないか? もちろんその分の料金は要らないから」


「うーーん、何か曰く付きっぽいけどこれはこれでなかなか……そそるもんがあるなぁ。状態は申し分ないし、デザインも良い。よし、分かったよ店長。ありがたく頂戴させて貰います」


 紙束にインクで文字が書かれていればそれはもう宝だ。しかもタダと来たら断る理由はない。


「えーっと、じゃあその本の代金は抜いて六冊で丁度三○○○円だね」


「店長。新しいポイントカードくれ」 


 大和古書房と書かれた袋のずっしりとした重さが嬉しい。引き戸を開ける間すらもどかしく、家へと駆け出す。家までは走って一○分。限界を越えたら五分。


 しかし、今回は。


「限界の更に先へ!!」


「見つけたぞ!」


 律が新たな世界へ目覚めようとしていた時に、横合いから男の声が聞こえた。

 

「!!」


 見ると、此方へと全速力で走ってくるのは先ほどのスーツの三人組。


「う、ええ! 何だよアンタら!?」


 新手の強盗かと思ったが、今の律には金目のものなどない。なけなしの金は本を買うのに使ってしまった。コマンド=逃げるを選択した律は、そのまま全速力で撒こうとした。


 が、


「小僧! その本をよこせ!!」


「それはお前なんかが持っていても何の価値もない物だ!」


「さっさと渡せガキぶっ殺されてえのか!!」


「あぁ゛?」


 思わず、自分でも驚くほどドスの利いた低い声が出た。きっと今の自分はとても人様にお見せできないような凶悪な面をしているだろうと理解しながら、それでも我慢出来ない。


 今、何と言った。

 イマ、コイツラハナントイッタ?


「おい。クソムシ三匹。今なんつった。お?」


 明らかにさっきまでとは違う殺意すら混じった雰囲気。三人組が言い放った言葉は彼に取っては死刑にすら値するものだったのだ。


「聞こえなかったのか? その本をよこせと言ったのだ」


 その変化に三人組はまだ気付いていない。だからもう一度言った。愚考にして愚行。彼らは、怒らせてはいけない者をきっちりかっちり丁寧に怒らせてしまった。


「……そうかそうかやっぱりそう言ったか。じゃあいいや。もう猶予は要らないな? よし、と。そんじゃ取り敢えず沈めオラァ!!」


 言うや否や手近な男の顔面に目掛けてハイキックを打ち込む。ブンと空気を裂くような重い音と共に棍棒のような一撃がこめかみに打ち込まれた男は、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。

 時間が一瞬止まったかのような余りにも鮮やかな上段蹴り。


「なッ……!」


「貴様ッ、……!」


「良いかクソムシ。てめえらに言っておくけどなぁ、俺から本を奪い取るっつーなら百回死んでもしょうがねえぞ? それに欲しかったら欲しかったで頼み方ってもんがあるだろうが!!」 


「くっ、何を訳の分からん事を……!」


「なら分からせてやんよコラ」


 一人目の顎に掌底を叩き込み、脳を揺らした所で腹部へのストレート。最後に全体重が乗った跳び蹴り。

 間髪入れない衝撃の連続に数メートル吹き飛んだ男は、そのまま地面に叩き付けられて動かなくなる。


「……何なんだ。一体何なんだ貴様はァ!?」


 あっと言う間に仲間二人を失い、動転したように最後の男が叫ぶ。理解不能の怪物に対する純粋な恐怖に体の震えが止まらない。


「俺は本が好きなただの高校生だ。よーく覚えとけよ? 覚えたら後悔しろ。自分達がした事を心の底から悔やみやがれ」


 両手を構えて体は真半身。独特な構えは、彼の格闘スタイルである『ムエタイ』の特徴だ。護身術として習うには攻撃的過ぎる正真正銘の実戦武術が、目の前の敵を喰らおうと牙を剥いた。


「くそっ、……やむを得ん。--イグニス・カノニカス(焔の砲弾)」


「?」


 聞き慣れない言語を呟いた直後、男の手のひらの周りが歪んで見えた。それは高熱によって空気が膨張する事で発生する陽炎だ。だが、律はそれを知らない。

 陽炎の原理自体は当然知っている。が、それが人間の手のひらの周りで起きる原理を知らなかった。


「……?」


 律の目前で変化は訪れた。男の手が一瞬赤く光ると、次の瞬間にはボーリングの球程もある大きさの火の塊が浮かんでいた。


「……おいおい、何だよそれ……?」


「手段は選ばん」


 驚愕する律を目掛けて男は腕を振った。それはまるでボールを投げるようなフォームで。解き放たれた火球は律へと一直線に突き進む。


け」


 その声に反応して火球は炸裂した。溢れ出る熱波が肌を焼き、爆音は一種の衝撃波となって鼓膜にダメージを与える。


「ぬ、ぐっ……! んだよそりゃあ。随分と面白え手品だなおい」


「ふん、最初からこうするべきだったな。もう良い小僧、貴様は殺す。その後で本は頂く」


「……またそれか。一体こいつらが何だって言うんだよ」


「勘違いするな。我々の目的はその中にある黒い本だけだ」


「黒い……本? それが目的か? 何の為にだ」


「それを貴様如きが知る必要は無い。どうせ理解は出来んよ。全く、大人しく差し出しておけば良かったものを……バカな小僧だ」


 『死』。漠然としたその感覚が今、明確に感じ取られた。何であろうとどうであろうとこの男は自分を殺すだろう。

 躊躇なく、一片の迷いもなく。

 --体が動かない。見る景色全てがスローに見える。新たに生み出された火球も、男の動きも、空を流れる雲も、飛んでいる鳥すらも。死ぬ前の瞬間は時間を長く感じるらしいが、どうやら本当らしい。律は、力無く顔を下げた。生憎と超常現象に対抗する術など持っていない。


『右に転がって下さい主人マスター


「!?」


 膨大なアドレナリンが分泌されている脳内に、涼やかな女性の声が響いた。考える暇もなくその声に律は従う。

 直後に一瞬前まで律がいた場所に火球が着弾した。抉れて焼き焦がされたアスファルトが異臭を放つ。


『現在、緊急時につき主人マスターの安全を最優先に考え、クレヴィオス王国への転送魔術を行使します』


「待て待て待て! お前は誰だ、いや、何だ?」


主人マスターの腕の中にあります黒革の本--大魔術師ヴィンセント=J=クレバーによって書き起こされた魔術書《七翠剣のセブンス・ジェイド》でございます』


「は? 魔術師? それに魔術書? ……え、聞き間違い? それとも俺の頭がどうかしたのか?」


『いいえ聞き間違いではありません主人マスター。それに主人マスターの脳は健常です。また、重ねて申し上げますがただ今時間を少し止めておりますのでご混乱なきようお願いします』


 はっ、と顔を上げるとそこにある景色全てがもうスローでは無かった。止まっていた。雲の流れも飛ぶ鳥も、男の怒りに歪んだ表情も、全てが停止している。


「時間を止める、か。もう何でもありだな。青い猫型ロボットみたいだ」


『その表現は理解出来かねますが、この程度の事私に取りましては朝飯前です』


 そう答える声は、心なしか誇らしげである。


『それでは転送まで五…四…三…ニ…』


 無音の世界で、耳触りが良い女性の声だけが頭の中に響く。


『一』


 律の視界が眩い光で覆い尽くされた。遠退く意識の中で、彼が最後に見た光景は何時の間にか手に握られていた黒い本の艶やかな表紙だった。

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