SCENE 07
ジャックはライアンの部屋にいた。近所のコンビニエンスストアで適当なつまみを調達し、それを二人で食べている。
ライアンの部屋はそれほど広くない。普通だ。だが個々の大きさはともかく、家具の数はジャックの部屋よりも多い。ライアンは多趣味で、なんでも試してみるタイプだ。ジャックも誘われれば乗ることもあるが、夢中になるものはそうない。それが二人の一番の違いだった。
黒で統一された無機質なジャックの部屋とは違い、ライアンの部屋にはバスケットボールや有名なバスケット選手のユニフォームのレプリカ、ギターにベース、よくわからないメタルバンドのポスター等、様々なものがあった。コミックスが収納された本棚の横の棚には、大量のCDアルバムがアルファベット順に並べてある。ジャックの部屋には四枚しかCDがない。しかも最後に買ったのは、三ヶ月もまえだ。
「ジェニーって、オレのこと好きなんかな」
ベッドに腰をおろしているライアンの突然の言葉に、ジャックは飲んでいたオレンジジュースを吹き出しそうになった。
だが彼はむせる彼を気にもとめない。「あの笑顔は反則だ」
ジャックはどうにか持ちなおした。「彼女はいつも笑ってる」
「いや、あれは特別だろ」
なにを根拠にそう思うのだろう。「騙した罪悪感からじゃないのか」自分でもそっけない言いかたになったのがわかった。
「騙したのはジェニーじゃねえ。レナだ」
「二人だ」
「ジェニーはレナの言いなりになっただけだろ」
どうやら重症だ。ジャックは話題を変えた。「そういえば、レナはどうだった? 別人だっただろう」
「ああもう、思い出させんなよ」
そう言いながら、ライアンはベッドに倒れこんだ。
「アレは詐欺レベルだな」とジャック。
彼はなぜか不機嫌だ。「マジありえねえ」
ジャックは再びジュースを飲んだ。
「でも美人だった」
「眼鏡で見えんかった」
「嘘つくなよ。ときめいたって正直に言え」
「だああ! もう!」
彼は苛立たしげに叫びながら勢いよく飛び起き、ベッドの上であぐらをかいた。
「なに」
ライアンが睨むように深刻な表情をする。「正直に言うから、お前も正直に言え」
「なに?」
「先に約束しろ。嘘はつかねえって」
ジャックは悩んだ。嫌な予感がした。だが、ここで下がれるわけがない。それを彼が許すはずがない。
「わかった」
「よし。ここだけの話だ。レナは昔から可愛かった。俺が生まれてはじめて可愛いと思ったのもあいつが最初だ。おかげでオレは今じゃかなり理想が高い」
すごい暴露だ。
「今でも美人だ。それは認める。正直、高校に入ってあいつと再会したとき、マジでヤバイと思った。面影はちっともなかったけどな。けどそんな考えはものの十秒で終わった。問題はあいつの性格だ。昔は可愛かったのに、今じゃ魔女みたいになってやがる」
よく喋るな。いつものことだが、いつも以上だ。
彼は続けた。「もちろん、悪い奴じゃないのはわかってる。悪戯が好きで口が悪いだけだ」
お前もな。
「けど一番気に入らねえのは、オレを見るアイツの目だ。いつも見下したような目してやがる。今日もそうだ。オレがどんな反応するかわかってたんだ」
ジャックは口をはさんだ。「反応って言うほどの行動はとってなかった気がするけど」
彼が溜め息をつく。
「お前、見てたんだろ? あの場面でオレがどういう反応見せると思ったわけ?」
バレている。そういえば、どうすると思ったのだろう。「押し倒したりしなきゃいいなと──」
その答えに、彼はまた溜め息をついた。
「オレもそう思ってた。ああいうひと気のないところで告白するってことは、キスのひとつやふたつは覚悟してんだろ、みたいな」
どんなだよ。
「けど実際、かたまっちまった。今まであんな告白されたことないし。たいていメールか電話だし」
言われてみればそうだ。彼が口説く時ですら、そんな場所は選ばない。
ライアンは両手を胸の高さまで上げ、同時に天井を見上げて叫ぶように言った。
「しかもあの外見! なんでよりによって真面目系で責めてくんだよ?」
あ、雪だ。みたいな感じではなく、黒魔術で降臨する悪魔をの存在を実感している感じだ。
ジャックは質問を返した。「え、実はああいうのが好みなのか? もっと露出高いのが好きなのかと思ってたけど」
レナが着ていたのは、白い長袖のブラウスに膝上丈のスカートだ。
「いや、そうなんだけど! オレ、ああいう清楚真面目系に免疫ないだろ。オレに寄ってくんのはたいていチャラチャラしてる男慣れした女か、そうじゃなくても将来はそうなる奴ばっかりだ」
「ようするにときめいた、と」
そうが言うと、ライアンはまたジャックを睨んだ。今度は悔しそうな顔をしているが。
「ああ、そうだよ! 悪いか」
そしてまたベッドに倒れこんだ。
今日は一段とおもしろいな、こいつ。とは思ったものの、怒るのはわかっているのでジャックは言わない。
「べつに悪いとは言ってない。確かに別人だったし、美人だった」
「もういいよ、あいつの話は」
ライアンは引き寄せたクッションに顔をうずめ、背を向けた。長い付き合いだが、彼のこんな姿を見るのはジャックもはじめてだった。
ライアンとレナは、いつも勝負している感じだ。友達というよりはライバルで、恋人というよりは夫婦。同い年というよりは大人と子供。いつでも、レナのほうが一枚上手だ。
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ライアンがテーブルに置いた小さな巾着袋が目に入った。ジェニーが投げたものだ。それを手にとり、再び中を見た。折りたたまれた小さな紙が入っている。ジャックはそれを広げた。
「“誕生日おめでとう。レナとジェニーより”」
肩越しにライアンが言う。「なに」
「そのブレスレット、レナとジェニーからだって」
「んなことは最初からわかってる。ジェニーがオレの好みなんて知るわけないだろ」
なるほど、と思った。これでライアンの言う、ジェニーが彼を好きだという説はなくなったかな、と。ジャックは紙を巾着の上に乗せ、テーブルに戻した。
ライアンは寝転んだまま彼のほうに向きなおってベッドに片肘をつき、そこに頭を乗せた。
「そんなことより、お前だ」
「なに」
「お前、あの二人のことどう思ってる?」
「は?」
「レナとジェニーだよ」
「友達だろ」
「正直に言えよ」
「レナは美人。ジェニーは可愛い。それだけだ」
「そうじゃなくて、こう──」
「恋愛対象ってこと?」
「そう。レイシーと別れたことだし」
「考えたこともない。だいいち、別れたばかりだ」
ジャックは言ったが、ライアンは引き下がらない。「去年だって、別れた時期はあっただろ」
なにを言わせたいのかがさっぱりわからなかった。「答えは同じだ」
「なら質問を変える。今二人から告白されたらどうする?」
どうする? どうしろと言うのだ。「そんなこと言われても、考えたことがない」レイシー以外の女の子とつきあうことなど、考えたことがない。
「考えたことがないなら今考えろ」
ライアンはあくまで真剣な顔だった。こういう時は、はぐらかしが効かない。しつこく訊かれる。
言われたとおり、ジャックは考えた。つきあう? レナと? 恋人として? 彼女には好きな人がいる。もしいなかったら? いや、それでも──。
ジャックは考えることを中断した。「その前に訊きたい」
「なに」
「それを訊いてどうする? まさかひっつけようなんて思ってないよな」
彼は鼻で笑った。「まさか」
そして起き上がって再びあぐらをかき、真剣な目でまっすぐにジャックを見た。
「なあ、ジャック。お前はオレの親友だ。お前には幸せになってもらいたいし、いい女を見つけてもらいたい。けどオレの思う“いい女”の中にレイシーは入らねえ。美人ではあるけど、中身の問題だ。お前が彼女のことを詳しく話さないから、オレは細かいことはわかんねえ。けどお前も知ってのとおり、オレは運命ってやつを信じてる。なにが原因で別れてなにを理由に戻ってんのかは知らねえけど、もしレイシーがお前の運命の相手なら、もっとすんなりうまくいくはずだ。たとえ障害や問題があったとしても、別れずに乗り越えられるはずだ。彼女が運命の相手なら、彼女が抱える傷だとかお前たちの前にある壁ってのは、ちゃんと乗り越えられるもののはずだ。運命の相手ってのは、そういうもんだ。あとは気づくか気づかないか、やるかやらないかだ。お前ができることをすべてやってて、それでもダメなら、彼女はお前の運命の相手じゃねえ」
──不思議とライアンの言葉がすんなり頭に入ってきた。彼の言いたいことが理解できた。
ジャックは立ち上がり、ドアのほうへ向かった。
ライアンが引き止める。「おい」
「レストルーム」
部屋を出てドアを閉めた。レストルームへ駆け込むと、ジャックはうしろ手で鍵をかけた。
何度かライアンの運命論を聞いたが、運命の相手などという話は、真剣に考えたことがなかった。ただ当然のように、いつかはレイシーと結婚するものだと思っていた。何度別れても戻ってくるものだと思っていた。
思ったとおり、また別れた。それでも心のどこかで、また戻ってくるだろうと思いこんでいる。そうなれば自分は再び彼女を受け入れるのだろうし、そのうちレイシーも落ち着いて、結婚して一緒に暮らすのだろうと思っていた。
“運命の相手なら、目の前の障害は乗り越えられるもののはずだ”
ライアンの言葉が、頭の中をぐるぐるまわる。
何度も思い知ったとおりということだ。レイシーの傷は、彼女の見ている現実は、自分には重すぎるということだ。
何度別れたり戻ったりを繰り返したところで、けっきょく自分にはなにもできない。
喉にこみ上げてくるなにかを、ジャックはぐっと目を閉じて呑み込んだ。
わかっていた。わかっていたことだ。僕はヒーローにはなれない。
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平静を取り戻したジャックがライアンの部屋のドアを開けると、ベッドに寝転んでいたライアンは、読んでいた雑誌を世界記録に載りそうな勢いでクッションの下に隠した。そして言った。
「気にすんな」
明日のパーティーに来る女の子が可哀想に思えてきた。
ジャックが再び脚のないくたびれたソファに座るのを待ち、ライアンは再び切りだした。
「で、答えは?」
「考える。ちょっと待て」
そう言うと、彼は再び考えはじめた。レイシーのことは頭から切り離し、純粋に考えることにした。
「さっきの続きだけど」と、先ほどまで読んでいた雑誌をベッドの下に押し込みながらライアンが言う。「べつにレナとジェニー、二人に絞らなくてもいい。オレが訊きたいのは、今後、レイシー以外を女として見るかってことだ」
「わかってるよ。でも、レナはない。彼女とはできれば、一生友達でいたい」
ライアンはぽかんとした。
ジャックが続ける。「でもジェニーはわからない。二人っきりで話したこともほとんどないし、まだ彼女のこと、ぜんぜん知らないんだ。好きになる可能性はあるかって訊かれたら、あると思う。ただ──今は、レイシーのことを気にかけてる。さっきのお前の話でいえば、確かにレイシーは、僕の運命の相手とやらじゃないかもしれない。でもそういうの抜きで、レイシーとちゃんと、納得のいく形で別れない限り、他の誰かってのは考えられないと思う」
おしゃべりライアンは口をはさまず、静かに話を聞いていた。うつむいたかと思えば口元を緩め、言葉を返す前にクッションを投げてジャックによこした。
「優柔不断」
「うるさい」
ジャックが笑いながらクッションを投げ返すと、彼も笑いながら投げ返した。
またそれを投げ返して質問を返す。
「お前はどうなんだよ」
ライアンはまた投げた。
「なにが」
それを受け取ると、今度は投げずに言った。「レナとジェニーだよ」
「んー」低い声で悩ましげにうなると、ライアンはテーブルにある炭酸ジュースに手を伸ばし、一口飲んだ。「レナはいい部分をもっと見てみないと、なんとも。オレは尻に敷かれる男にはなりたくないし」
遠まわしに僕がそうだと言っているのか?
「じゃあジェニーは?」
「彼女はいい子だ。まあお前も言うように、めちゃくちゃ仲がいいっていうわけでもないしな。もっと仲良くなりたいとは思うよ。けど、どっちかっていうと──」
「いうと?」
ジュースをテーブルに戻したライアンは眉間にシワを寄せ、妙に真剣な表情をした。
「ジェニーはお前って感じしないか?」
思わずか、ジャックは笑った。
「というより、お前にはレナって感じだ」
「だよなあ」彼はうなだれるようにベッドに転んだ。「オレ、なんだかんだでレナみたいな奴、嫌いじゃねえんだよ。性格が悪いのは論外だけど、気が強い女ほど落とした時の達成感が大きいというか──」
ゲームか。
ベッドに寝転んだまま、ライアンは両手でクッションを抱きしめた。
「けどジェニーはなんつーか、傷つけたり弄んだりしちゃダメな気がする」
恋する乙女か。
だが、その気持ちはよくわかった。
ジェニーは明るくてよく笑い、男女問わず友達も多いが、とても純粋な聖域の中にいる気がする。生半可な気持ちで近づいてはいけない気がする。汚してはいけない気がする。
女神とは、また別だが。




