SCENE 06
LHRが終わったあと、ジャックはライアンを連れて図書室へと向かった。彼は渋々といった様子でつきあってくれている。
「ペンの一本や二本、どうでもいいと思うんだけど」と、図書室の戸を開けるジャックにライアンが言った。
同感なのだが。「いや。ダメ」
彼は窓際の机へと向かい、ペンを手にとった。あくまで自然を装い、椅子に腰をおろす。どうして座るんだ、などと言われないことを願いながら。
だがそんな心配は無用だった。あとに続くよう、ライアンも向かいの椅子に腰をおろした。
「久々に来たわ、ここ」教室内を見まわしながら言った。「で、パーティーの準備は順調か?」
机の上でカバンを開け、ジャックは忘れたことになっているペンをペンケースにしまっている。「ああ、問題ないよ」
「ならいいけど」と言い、彼は大きなあくびをした。
ジャックは頭をフル回転させていた。話題。引き止める。話題。
「──ちょっと、訊きたいことがあるんだけど」
「なに」
「身長百五十五センチってどう思う?」
ジャックの頭の中は早くもちょっとしたパニックを起こしていた。いやいや、なにを言っているのだ。
「どうって言われても。小さくて可愛いんじゃないのか」と、ライアン。
やはり小さいほうに入るのか。
彼は思いなおした。「あ、小さくても顔が可愛いとは限らねえか」
そうなのだが。「じゃあ、ジェニーは? 可愛い?」なにを言っているのか、ジャックは自分でわかっていない。
「彼女は可愛いな」彼は恥ずかしげもなく言った。「あれでオトコがいねえのがマジで不思議」
その情報は初耳だ。いや、安心したわけではない。
ライアンは質問を返した。「ジェニーがどうかしたか?」
「なんでもない。じゃあ──」
再び頭の中がパニックに陥った。引き止めてろと言われても、なにを話せばいいのかわからない。話してくださいなどと言われて話せるほど器用ではない。
ジャックはなんとか口を開いた。「パーティーの前に誰かに告白されたらどうする?」そしてもうだめだと思った。
「告白? ジェニーがオレに告白すんのか?」
きっぱりと否定した。「違う。ジェニーじゃない。他の誰かだ」
「なんだ、違うのか」
残念なのか。
「どうするって、可愛かったらつきあうだろ」そう答えると、ライアンは誇らしげな顔をした。「パーティーには行くけどな」
行くのか。
「なんか今日のお前、変だぞ」
ジャックには返す言葉がなかった。自分でもそう思っていた。というか今日に限らず、この頃ずっとだ。
ライアンはまた質問を返した。「お前はどうする?」
「なにが?」
「ジェニーに告白されたら」
なんなのだ。レナといいライアンといい、二人してジェニーの話ばっかり。──いや、今は自分から名前を出したのか。
「どうもしない」と、あくまで冷静に答えた。
「たまには他の女も見ろよ」
ライアンには、レイシーと別れた翌日、そのことを報告していた。そんな必要はないが、いずれわかることだ。
「お前はあっちこっち見すぎだ」
ジャックの精一杯の反論を、彼は鼻で笑ってあしらった。
「人間、若いうちに遊んでおかねーとな」
お前はこれからレナに遊ばれるんだけどな。
思いついたような顔をし、ライアンはまたもジャックに質問した。
「んじゃさ、レナに告白されたらどうするよ?」
告白されるのはお前だよ。「だからどうもしないって」
「つまんねえ答え。っつーか、パーティーってお持ち帰りアリなわけ?」
「お前な。同級生だぞ」
「あ、言いかたが悪かった。お近づきになって、じゃあもーちょっとふたりっきりで語ろうかって言って、一緒に帰ってそのまま、みたいな」
ジャックは完全に呆れている。「いや、それをお持ち帰りって言うんだろ」
「あれ? そうなの?」
「変に手出ししたら、これからの高校生活が──」
戸をノックする音がジャックの声を遮った。そして図書室の戸が開いた。
黒髪少女、レナが現れた。ゆっくりと彼らに近づいて途中で止まる。黒髪のウィッグだけでなく細いフレームのメガネもかけていて、少しばかりのメイクをしつつ、服まで変わっていた。
「あの、ちょっと、お話が──」
彼女が言った。声も少々変えている。それだけでなく、態度もだ。もじもじとしている。まるで別人。多才だ。
「なんだ、またジャックに告白か。んじゃオレは失礼して──」
ライアンは立ち上がったが、彼女はそれを止めた。
「いえ、あなたに──」
ぽかんとすると、彼はそのままジャックへと視線をうつした。
「じゃあ、僕が失礼する。ライアン、正門で待ってる」
立ち上がりながらそう言うと、ジャックは荷物をまとめて図書室を出た。もちろん、戸は少し開けたまま。
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廊下にはジェニーがいた。今度は本物だ。ジャックは彼女の名前を口にしようとしたが、言葉を呑み込んだ。
彼女は無邪気な笑顔のまま、人差し指を唇にあてた。“静かに”、と。そして動画機能を起動した赤いデジタルカメラをジャックに渡した。
「撮って」
小声で話すジェニーを、ジャックは素直に可愛いと思った。
音をたてないよう床にカバンを置き、カメラを受け取った。そしてカメラを戸の隙間から図書室内に向け、録画開始ボタンを押した。
ジェニーはすぐに携帯電話でレナに合図を送った。レナはマナーモードにした携帯電話をポケットに入れていて、それにジェニーが電話をかける。バイブレーションが合図になるということだ。これも計画のひとつらしい。
図書室の中で、それまでもじもじと口ごもっていたレナがやっと本題に入った。
ジャックはジェニーと並んで廊下に膝をつき、少し開けた戸の隙間から、カメラと共に中の様子を観察した。ライアンに知られないよう、目立たないように。
もちろん、ライアンがどんな反応をするかには興味がある。だが、ジャックの意識は別のところに向かっていた。ジェニーだ。さすがに距離が近すぎる。すぐ下──正確にはカメラの真下に、ジェニーの顔がある。香水の香りがする。懐かしい香り。彼女が一年の時からつけている香水だ。──いや、集中しろ。
あまり顔を見られないようにという気持ちの現れなのか、レナはうつむいたまま喋っている。「それで、渡したいものがあって──」
一方ライアンは妙に緊張した面持ちで、椅子に座ってはいるものの、どこか落ち着かないような、今すぐ立ち上がりたいような顔をしていた。彼の性格上、じっと話を聞いているというのは苦手なのだ。彼も告白されたことは何度かあるが、真面目で清楚そうな女の子から、こういった静かな場所でというのは経験がなかった。変に動くと相手を怯えさせてしまいそうなこの状況は、彼にとっては少々きついかもしれない。
「これ──に、名前と住所と誕生日と電話番号が書いてあります──よかったら、読んでください!」
レナは壇上で卒業証書を貰う生徒のように白い封筒を彼に差し出し、深く頭を下げた。
実際その招待状に書いてあるのは、パーティー会場の住所と電話番号、そしてライアンの誕生日とレナのサイン。嘘はついていない。レナの表情は見えないが、ライアンが気づかないところを見ると、ベテラン女優並の演技なのだろう。
ライアンが封筒を受け取ると、彼女はもう一度深く速く頭を下げ、一目散に走りだした。机と机のあいだを縫うように進み、本棚と本棚の間を抜け、後方の戸口へと向かった。入ってきたのとは別のところから出るつもりなのだ。
──それはさすがに、不自然だろう。
だが、ライアンは気づいてないらしく、白い封筒をじっと見つめている。
後方の戸口から出てきたレナは、ジャックたちに向かってにやりと笑った。勝ち誇った顔だ。
「行って」ジャックは声を潜めてジェニーに言った。「すぐに行く。正門のところで待ってて」
彼女は心配そうな顔をしたが、彼が微笑んで「大丈夫」とつけたすと、うなずいてレナの元へ駆け寄り、二人で廊下を走っていった。
ライアンは、その場で封筒を開けるはずだ。そう思い、ジャックは再びカメラと共に彼を観察した。ただし、今度はいつでも走り出せるようカバンを持ち、体勢を整えて。
図書室にひとり取り残されたライアンは、ゆっくりと慎重に、渡された封筒を開けた。中の紙を取り出し、二つ折りになったそれを開く。
彼の真剣な表情は、またたくまに怒りに変わった。立ち上がって獣のような怒鳴り声でレナの名前を叫び、招待状を机に叩きつけた。
罪悪感もあるが、正直おもしろかった。笑い転げたい気持ちをこらえ、ジャックは録画を止めて走り出した。
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外に出たジャックは、正門近くのベンチで待っていた黒髪眼鏡少女レナとジェニーにさっそく、その映像を観せた。
当然、二人は笑った。ジャックも彼女たちと一緒になって笑った。三人の目には笑い涙が浮かんでいた。
特にレナは大笑いだった。黒髪のウィッグをつけたまま、ベンチの上でおなかを抱えて脚をジタバタさせていた。ジェニーはそんな彼女の肩に額をつけ、声を押し殺して笑っていた。が、肩は笑いで震えていた。
五分ほどすると、不機嫌そうな様子のライアンが自分たちのところに歩いてくるのに気づいた。
ジャックはとっさにジェニーの隣に座り、彼を待った。これ以上は悪いと思い、三人は笑い出しそうになるのを必死にこらえた。
やがてライアンが辿り着き、黒レナの前で立ち止まった。
彼は無言で彼女を睨みつけ、その頭にあった黒髪のウィッグを取った。
「この野郎」
レナはもう、笑いをこらえてはいなかった。眼鏡を取って冷静な表情でライアンの視線を受け止めると、やさしく微笑んで言った。
「誕生日おめでとう」
──パーティーは明日。だが、ライアンの誕生日は今日だ。
彼女の言葉に、ライアンの表情はみるみる落ち着いた。なにも言えなかったのだ。ウィッグをレナの頭に雑に戻すと、彼はくるりと向きを変えた。
「帰る」
「ライアン」
ジャックは立ち上がり、彼に近づいた。しょうがない、と思った。今日は前祝いだ。いや、誕生日当日だが。
「ライアン!」
立ち上がったジェニーが彼を呼び止めた。彼らは振り返った。
「誕生日おめでとう」
彼女はなにかをライアンに向かって投げた。
なにこの完璧なコントロール。
受け取った小さな黒い皮の巾着の紐を解き、ライアンは中を見た。ジャックも駆け寄って、その中身を確かめた。シルバーブレスレットだ。ジャックにはわかった。彼好みのアクセサリーだ。
「また明日ね」
ジェニーが笑顔で言った。その隣でレナも微笑んでいた。まるで我が子を見守る母親のように。
ライアンはブレスレットを左腕につけ、その腕を彼女たちのほうに突き出し、照れを隠すように誇らしく笑って見せた。
そしてまた向きなおり、正門へと向かった。
ジャックも彼女たちに手を振り、彼のあとを追いかけた。