SCENE 41
レイシーに少し休みたいと言われ、ジャックはひとり病室を出た。
ふらふらと談話室に向かい、そこに並ぶうちのひとつのチェアに座った。テーブルに顔を伏せ、両腕で顔を隠し、目を閉じる。
なにをしたても、傷つける。誰かにやさしくしても、誰かを好きになっても、どちらにしても傷つけるのだ。レイシーはそういう立場にいる。恋人として、元恋人として、そういう立場にいる。
レイシーの家族をどうにかしたいなどと考えはしたが、そのあとのことまでは考えていなかった。レイモンドに会って、キャシーに会おうとした。レイシーがまた家族三人で暮らせればいいと思っていた。だが、彼女に言う時のことまで考えていなかった。
好きな女の子がいる。
マイクに宣言した。両親に宣言した。なのに、レイシーに言う時のことまで考えていなかった。バカだ。
泣くか怒るか、というのは考えたことがあるのだったか。
怒らない、と言われた。でもきっと、泣いている。また泣かせた。こんな状況で。
ふいに、ジェニーの顔が浮かんだ。
彼女が笑う。彼女が泣く。ジェニーの泣き顔は、どうかとは思うが、好きだ。──泣かせたいとかではないのだが。
けれど、レイシーには泣いてほしくない。彼女が泣くのを見るのはもう嫌だ。レイシーの涙はいつも、自分の手が届かないところに理由がある。抱きしめたところで、いくら拭ったところで、彼女の涙を止めることなどできない。
「こんなところで寝てると風邪ひくわよ」
伏せていた顔をあげると、エレンが向かいの席に座っていた。上半身だけをこちらに向け、右肘をついた手にあごを乗せて微笑んでいる。
ジャックは体を起こし、指で眉間を押さえた。
「早くない?」
「そう?」彼女は腕時計を確認した。「六時四十分。朝だからか車が少なかったのよ」
「飛ばすなって言ったのに」
「大丈夫。せめてあなたが結婚するまでは生きてるから。レイシーは?」
結婚、ね。「病室で寝てると思う。キャシーも寝てるから、起こすなって」
「そう。じゃあ先に、先生のところに行って話を聞いてくるわ」エレンは立ち上がろうとしたが、やめて彼へと視線を戻した。「大丈夫? 疲れてない?」
力なくもジャックは微笑を返す。「若いから大丈夫」
「そういう意味じゃないんだけど」
「そういう意味以外は受けつけない」
顔をしかめ、唇を尖らせる。「ま、いいわ。行ってくる」
そう言って席を立つと、エレンはエレベーターへと向かった。
いつのまにか、窓に設置されたクリーム色のブラインドの隙間から朝日が差し込んでいる。
チェアに背をあずけ、ジャックは腕時計で時刻を確かめた。六時四十五分。そろそろ他の患者たちも起きる──起こされる時間か。
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ジャックはテレフォンボックスに入った。壁にもたれ、携帯電話の電源を入れて、ライアンに電話をかける。
──六回、七回。出ない。ライアンの寝起きが最悪に悪いことは知っている。一度電話を切り、またかけなおした。メールでもかまわないが、どうせまた電話がかかってくる。でもこちらは電源を切っている。延々とかけてきて、あげく説教される。で、理由を訊かれる。ただでさえ、最近は行動が怪しいと思われているのに。
と、思ったところで、彼は電話を切った。
──プレゼント。土曜日。誕生日。すっかり忘れていた。どうしよう。
そもそも、どうしようとしていたのだったか。いや、なにも考えていなかった気がする。手に入れることで頭がいっぱいだった。家に送るのが彼女の地元の慣わし──手に入れたのは昨日の夜だ。今からは当然無理。
というか、なぜ昨日考えなかったんだ。キャシーのことを考えていたから。ああ、もう、今日中になんていうのは無理な気がする。いや、夜なら話は落ち着いているか。どこかで時間を見つけるしかない。最悪、夜中でもしかたない。
深い溜め息をつき、ジャックは再びライアンに電話した。
──三回、四回。ボックスの外では、何人かの看護師や患者が行き来している。そろそろキャシーも起きるかもしれない。早く戻らないと。
──八回、九回。そこで呼び出し音が止み、低く不機嫌そうな声がした。
「うるせえ」
「ごめん」
「土曜だぞ。もっとゆっくり寝かせろよ」そう言うと、ライアンはこちらにもわかるような大きなあくびをした。「で、なに」
「起きてるか?」
「起こしたのはお前だろ。ふざけてんのか」
最高に機嫌が悪い。「頭を起こせって言ってるんだよ。今日一日、もしかしたら連絡とれないかもしれないから」
「は? わかりやすく言え」
「今日、ジェニーのバースデーパーティーには行けない」
「なんで」
再び腕時計で時刻を確かめる。七時を過ぎた。
「どうしても。でもお前は行けよ」
「わけわかんねえ。理由を言えよ」
「言えな──」ジャックの目に、エレベーターのほうへと歩いていくレイシーの姿が映った。「レイ──」どこに行くのだ。
ジャックはテレフォンボックスのドアを開けた。
「レイシー?」
彼女は視界から消えた。
「ちょ、おい、今──」
「悪い、ライアン。また連絡する」
ジャックは電話を切って電源をおとし、エレベーターのほうへ走った。
彼女はエレベーターの前に立っていた。
「レイシー」
声をかけると、彼女は眠そうな目で振り返った。
「ジャック。どこにいたの?」
「ごめん、電話してた。どうした?」
「売店──喉が渇いて」
なんだ、売店か。「財布、持ってないだろ」
「あ」
「一緒に行こう」
二人はエレベーターに乗りて一階におり、売店で適当なものを買って病室へと戻った。




