SCENE 40
再びレイシーと手をつなぎ、公衆電話がみっつ並んだテレフォンボックスに入ると、ジャックは自分の携帯電話の電源を入れてエレンに電話をかけた。
「もしもし、ジャック? なにかわかった?」
「ああ。貧血と寝不足だって」
聞こえなかったからなのか、聞こえたものの自分の耳を疑ったのか、彼女はやはり訊き返した。「なんですって?」
「貧血と寝不足。今、点滴して眠ってる。起きたら話ができるって。今日の昼頃ちゃんと検査するけど、たぶん心配ないらしい」
電話のむこうからは、あからさまに安心した声が返ってきた。「ああ、よかった」
エレンが天を仰ぐ姿が目に浮かぶ。「そういうことだから。やたら飛ばしたりしないで。事故とかは絶対やめて。これ以上寿命縮めたくないんだ」
「そうね、スピード落とすわ。レイには──」
「いや、とりあえず」
「わかったわ。クリスには私から連絡しておくから。レイシーは? 一緒にいるの?」
「うん。ちょっと待って」
ジャックは電話をレイシーに渡した。
「もしもし、エレン──ええ、大丈夫だって。──ありがとう──。ごめんなさい、いつもいつも──」彼女は泣きだし、壁にもたれて座りこんだ。「──ええ。わかった──ええ。じゃあ」
膝に顔をうずめたまま、レイシーは彼のほうを見ずに携帯電話を差し出した。ジャックは受け取って再び電話に応じる。
「なに言ったんだ。泣かせるなよ」
「私じゃない、泣かせたのはキャシーよ。戻ったらお説教してやらないと。じゃあ、あとでね」
「うん」
電話を切り、レイシーが落ち着くのを待ってから、改めて病室へ向かった。
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引き戸の前で躊躇するレイシーをなだめると、ジャックは彼女の手を引いて病室に入った。
病院といえば真っ白のイメージがあるが、最近はそうでもないらしい。セミ個室とでも言いたいのか、横に並んだベッドとベッドのあいだはジャックの身長と同じくらいの高さのライトブラウンの家具で仕切られていて、その上に設置されているらしいオレンジ色の明かりが、うっすらと病室の中を照らしていた。入り口からでは、キャシーの姿は見えない。
彼は彼女の手を握りしめ、ゆっくりと歩いた。
左側の窓際のベッドに膨らみがあり、キャシーがそこに眠っているのがわかった。静かにそこに近づくと、レイシーの肩を支え、キャシーが眠るベッドの脇に立った。
もう一年──二年近くは、彼女の顔をまともに見ていない気がする。医師の言ったとおり、目の下にはクマができていた。白い肌がさらに白くなり、それでいて以前よりもずっと老け込んだような気がした。
ジャックは窓下のソファ横にあった高座椅子をベッドに近づけ、呆然と母親の姿を見るレイシーを座らせた。彼女の手を上掛けの上にあったキャシーの手に重ねると、レイシーは両手でしっかりとその手を握った。
気づいたのか、キャシーがうっすらと目をあける。
「ママ?」
キャシーは声の主である娘の顔を見つけると、力なく微笑んだ。
「レイシー、また泣いてるの?」
「泣かせてるのはママよ! なにやってるの、もう──」
レイシーは彼女の手の甲を、温度を確かめるように頬にあてた。
「大丈夫よ、ハニー。わたしの可愛い娘。泣かないで」
「わかったから、今は眠って。言いたいことはあとで言うわ。たっぷりとね」
涙目で睨みながら言うレイシーの言葉に微笑みを返すと、彼女はまた眠った。
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ジャックとレイシーは、キャシーのベッドから対角線上にある戸口近くのソファに並んで座った。
「ごめんね。もう、電話するつもりじゃなかったのに」レイシーが言った。
「さらっと言うね」
「だって、ずっと引き止めなかったあなたが引き止めたのよ。ああ、もうこれ以上はダメだなって」
ジャックは苦笑う。「なにそれ」
ソファに背をあずけ、レイシーはキャシーのベッドがあるほうへと視線をうつした。
「──ママがこんなことになったのも、私のせいね」
「違う」
「最近、ほとんど毎日、飲みに行ってたみたいなの。仕事が終わって帰ってくるとフラフラと出かけて、帰ってきたと思ったら、数時間後にまた出かけたりして、朝帰ってきて──ソファで少し眠って、仕事に行って──」彼女の目に涙が滲む。「──知ってたのに、止めなかった」
視線を落としたまま、ジャックは彼女に訊いた。「──レイモンドには、電話しなくていいの?」
彼女は首を横に振った。
「迷惑はかけたくないの。これは、私とママの問題だもの」
迷惑だとは思わないけれど。「じゃあ、少し休みなよ。疲れただろ」
レイシーはまた首を横に振った。
「それよりも、あなたとちゃんと話さなきゃ」
話す。「なにを?」
「──夏祭りの時、見たの」
ジャックの心臓が、大きく音を立てた。
「あなたが──あ、LPICの夏祭りでね、その──」
頭の中が、真っ白になった。「なに──」
「手をつないでた」
──終わった。
レイシーは彼を見た。
「怒らないから、ちゃんと言ってよ。私はもう、あなたの恋人じゃない。友達なの」
なにを言っても、傷つけることになる。あれは、そういうのではないが──。
脚のあいだで手を握り合わせ、ジャックは覚悟を決めた。
「──ごめん」




