SCENE 04
六月──レイシーとの破局から一週間が経つ頃、ジャックはライアンのために動きまわっていた。パーティー会場を選び、友人と相談して日時を決め、招待する人間を選び──。少人数の合コンのような形をとることも考えたが、過去の結果を思い返し、多勢で祝うことにした。
男の参加条件は恋人がいないことという単純なものだったが、女子を集めるのには苦労した。単に容姿がよければいい、というものではない。恋人がいないのはもちろんだが、ライアンがほとんど話したことがなく、彼の少々下品な言動にも笑ってくれる子である必要があった。いるのかどうかはともかく、だが。
ライアンは軽くてお調子者だが、行きずりの女を欲しがっているわけではない。あれでも一応、運命の相手というのを信じている。黙っていればハンサムなのに、性格のせいで損をしてる部分はある。だが、それが彼だ。
計画が計画なので、ジャックは同じ学校の同学年の女子たちに、ナンパまがいのことをせざるを得なかった。幸い彼は目立つし、女子たちのちょっとした噂の的でもあったので、声をかけられて嫌な顔をする女子はいなかったのだが。
火曜日の放課後、ジャックはミュニシパル・ハイスクール校内の図書室にいた。
ここは校舎の三階で、普通教室みっつぶんほどの広さがあり、半分は木製の古い六人掛けのテーブルとイスが、その後方には同じく木製の、古く大きな本棚がいくつか並んでいる。図書室といっても旧図書室、今は校内に別館としてそれがあるので、こちらは普段人の出入りがなく、図書係などというのもいるはずなく、資料室と言えばまだ聞こえはいいものの、掃除すら週に一度しかされない。ほとんど物置部屋と化したこの部屋は、ジャックが学校でひとりになりたいときに時々使う、隠れ部屋のような場所になっている。
窓際の席に座っているジャックは、パーティーに呼ぶ人間の名前をノートに整理しなおしていた。レイシーと別れてから九日経つが、ライアンのためのバースデーパーティーというイベントのおかげか、あまり彼女のことを考えずにすんだ。考えないよう努力していたことも事実だが。
ふと、窓の外を見る。中庭を挟んだ向かいにある校舎の上に広がる空は、オレンジ色に変わりはじめていた。今日は快晴だったが、もうすぐ雨季だ。このイベントが終われば、またレイシーのことを考える日々がはじまるのか。
中学時代、クレジットカードの力を知ったライアンは、ジャックに不可能なことなどないのではないかと言った。正確にはジャックの甘いマスク、そして人望とあったところに、カードという大きな存在が揃ったからだった。中学生にしてすべてを手に入れたな、と茶化された。だが現実は、与えられた物を剥ぎ取られれば、自分ひとりではなにもできない、ただの子供だった。
「いたいた、ジャック!」
その声で彼は我に返った。戸口のほうに視線を移すと、レナがいた。
「やあ、レナ」
彼女はライアンの幼馴染であり、パーティーのいちばんの協力者でもある。パーティーのことを決めた時、ジャックは最初に彼女に相談した。条件を兼ね揃えた女の子を教えてもらい、彼女と二手に分かれ女の子たちに声をかけていった。もっとも、彼女はライアンの恋人探しに協力的なわけでも、彼の誕生日を祝うために協力しているわけでもなく、ただパーティー好きの血が騒ぐだけらしいのだが。
ジャックはふと、ライアンの言葉を思い出した。
「レナは身長、何センチだっけ」
「私? 私は百六十二センチだけど」
そう答えると、彼女は向かいの席に座った。
「小さいほうだと思う?」
「どうかしら。私より小さな子も、大きな子もいるし──普通だと思うけど」彼女は完璧にブロウしたらしいボブカットのベビーブロンドヘアを、整えるように両手で撫でる。「どうかした?」
「いや、なんでもないよ」
ライアンの身長は確か、百七十二センチだったはずだ。十センチの差。それはライアンにとって、“小さい子”の部類に入るのか。
「なに? あなた、小さな子が好みだったの?」
「そんなんじゃないよ」ジャックは話題を変えた。「それより、あとひとり呼びたいって言ってたの、どうなった?」
「ああ、そうだったわ。それを報告にきたのよ。やっとジェニーを説得できたの。合コンなんて嫌だって言ってたんだけど」
「合コンだなんて言ったの?」
彼女は苦笑った。「つい、ね」
「名目はあくまでバースデーパーティーだよ」
「わかってる。とりあえず、ジェニーね」
ジェニーはレナの親友だ。そういえば、彼女は小さい。
「ジェニーは身長、何センチだっけ」
「ジェニー? 確か、百五十五センチだったかしら。あの娘は小さいって言えるかもね」レナの表情が悪戯っぽく変わった。「彼女に気があるの?」
「そんなんじゃないよ」
彼女が唇を尖らせる。「なんだ、残念」
残念がるところでもないと思うが。
「けっきょく、人数はぜんぶで何人?」レナが訊いた。
「ジェニーを入れて二十三人。男が十、女子が十三」
「女子がひとり余るじゃない」
これは天然なのか。それともわざとなのか。
「いや、レナ。言ったはずだ。女子を多く集める。それに、余るのは三人だよ」
「ん? ああ、そうね」
彼女は納得した。天然だったのか、奇数なことを気にしたのか。
今度はジャックが質問を返す。「君は呼びたい男、いないの?」
「いるわ」
意外な答えだった。「同級生なら、僕が──」
「無理よ」
「なんで?」
レナは微笑んだ。「この学校の生徒じゃないからよ」
ジャックは机に身を乗り出した。
「年上?」
「わお。勘がいいわね」
さらに意外だ。「大学生?」
こちらの好奇の目に気づいたのか、彼女も両手を組んで身を乗り出した。
「そうよ」
適当な受け答えかと思ったが、正直に答えてくれているのかもしれない。
彼はさらに質問した。「脈あり?」
「ないわ」
ここまで正直とは。「告白は?」
さすがに行きすぎかと思ったが、それにもちゃんと答えがあった。
「しないわ」
ジャックは目を離すと負けという根比べをしている気分になっている。
「どうして?」
「相手にされるわけがないからよ」
「やってみなきゃわからないじゃないか」
「あなた、兄弟は?」
「いない」
「そう。じゃあわからないかもしれないけど」身を引いて一度顔をそむけると、レナはまた彼へと視線を戻した。「もしあなたにお姉さんがいたとして、お姉さんがライアンとつきあいはじめたらどう思う?」
ライアンと?
彼女はつけたした。「まあ彼じゃなくてもいいけど。お姉さんが、自分と仲のいい友達とつきあいはじめたら?」
彼は考えた。──微妙だ。
「それは──」
「そういうことよ」
ようするにレナは、友達の兄に片想いしているということか。しかも、“友達”をライアンに置き換えるあたり、その友達というのは──。
「つまり──」
「ストップ」彼女が言った。「考えてることはわかる。正解よ、たぶんね。でも、黙ってて。誰にも、ライアンにも言わないで」
「わかってる」
レナは悔しそうな顔をした。「ああ、誰にも言ったことなかったのに。あなたに言っちゃうなんて」そしてテーブルに顔を伏せた。
ジャックは笑った。「僕のほうこそ、誰かの恋愛にこんなに興味を持ったのははじめてだ」
「褒め言葉として受け取っておくわ」彼女は身体を起こし、腕時計で時刻を確認した。「あ。カバン取りに行かないと。もちろんつきあってくれるわよね?」
「かまわないけど」
レナが席を立つ。
「今度はあなたの番ね」
ジャックもノートとペンケースをカバンに戻し、席を立った。
「なにが?」
「恋の話よ。彼女がいるのよね」
まさかの展開に、ジャックは彼女の話に興味を持ったことを早くも後悔した。
「ノーコメントっていうのはどうかな」
「却下」
「──誰にも言わないなら」
「もちろんよ。私の話を口外しないなら、この場限りの話ってことにしてもいいわ。明日からは今までどおり、なにも知らないってことで」
「誰にも言わないならなんでもいいよ」あとは誰かに立ち聞きされないことを祈るだけだ。「とりあえず、誰もいない場所で」
レナは笑った。「誘ってるの?」
「まさか。口の軽い、噂好きな奴に聞かれたくないだけだ」
「うちのクラスなら大丈夫でしょ。たぶんもう誰も残ってないわ」
廊下に出ると、周りに誰もいないことを確認し、ジャックは彼女に質問した。
「ライアンにどこまで聞いてる?」
「あんまり。噂程度のことしか知らないわ。彼に訊いてもよくわからないって言うもの。私が聞いてるのは、美人な彼女とやたらとひっついたり別れたりしてるってこと。その彼女の束縛がすごいってこと。あとは──」階段をおりる途中で、彼女は彼のほうを振り返った。「そのことについて、あなたがあまり話したがらないってこと」
それだけ聞いていればじゅうぶんだと思うのだが。
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ジャックはレナと一緒に二年B組の教室へ入った。
「そこに座って、窓際の一番うしろ」彼女は身振りで示した。
「君の席?」
「いいえ、私はそのひとつ前。そこはジェニーの席なの」
「いい席だ」
「でしょ」
二人はそれぞれの席についた。ジャックは机に肘をつき、レナは横向きに腰をおろす。おそらくほとんどの休憩時間を彼女は、こうしてジェニーと話して過ごしているのだろう。
ジャックは切りだした。「で、なにが訊きたい?」
「あなたがなにを話してくれるのかわからないから、そうね──」脚を組み、教室前方にあるブラックボードのほうを見て考えこむような素振りをみせてから、レナは彼へと視線を戻した。「ずっと気になってたんだけど、どうしてそんなに別れたり戻ったりを繰り返すの?」
「なんでと言われても」
「何度も戻るってことは、気持ちがあるってことよね。なら、別れなきゃいいと思うんだけど」
もっともな指摘だ。だが、僕たちにそれは当てはまらない。ジャックは質問に答える代わりに、質問を返した。
「誰かとつきあったことは?」
「あるわ」
これは想定内。「障害にぶつかったことは?」
「障害?」
「そうだな、たとえばだけど──親に反対されてたり、相手に、親が決めた婚約者がいたり。心にどうしようもない傷を抱えてたり、そのせいで周りに気を遣いすぎて自己嫌悪に陥りやすくなってたり」
ジャックは神妙な顔をする彼女の言葉を待たずに続けた。
「ライアンがなにを言ったのかはわからないけど、ほとんどは当たってるよ、たぶんね。嫉妬深いのも事実だ。でもそれには大きな理由があるし、僕もその点は理解してる」納得しているかと訊かれれば、答えに困るが。「原因はもっと別のところにあるんだ。それを解決しない限り、彼女は抜け出せない。僕たちがお互いをどう思ってるかは、その原因の前ではなんの意味もなくなる」
深刻そうな顔をするレナに、ジャックは痛々しい微笑みを返した。
「これ以上は話せない。ライアンも知らないんだ」
彼女はうつむき、溜め息をついた。
「よくわからないけど、難しいのね」
ジャックは答えなかった。そして、窓の外を見た。いつのまにか空の色は変わり、紫と灰色が混じった色になっている。
「そんな顔しなくていいよ。もう終わったことだ」
そう言って、ジャックは立ち上がった。
レナが顔をあげる。
「終わった?」
「終わった。別れた」
彼は、自分が寂しそうに微笑んでいることに気づいた。彼女は驚いていたが、それに気づいたのか、なにも言わなかった。
「約束だ。誰にも言わないで」
これ以上、自分を惨めにしたくなかった。
レナも立ち上がり、カバンを持って椅子をなおした。
「わかってる」
ジャックは苦笑った。「だから、そんな顔するなって。それより」戸口へと向かう。
彼女もあとに続いた。「なに?」
「君がつきあった人のことが訊きたい」
二人は教室を出た。
「さっきのじゃ割に合わない気がして」と、彼はつけたした。というより、この暗い雰囲気を変えてくれる話なら、なんでもよかったのだが。
「残念なことに、そんなに明るい話題じゃないわよ」とレナが言う。「私は笑えるけど」
エスパーか。
「中学二年のとき、センター街でナンパされたの」
彼女から返ってきた答えに、ジャックはまたも意外性を感じていた。そんなものについていくようには見えない。
カノジョはつけたした。「子供だったのよ」
エスパーか。
笑いそうになったのを、ジャックは顔をそむけつつ、口元を隠してごまかした。幸い彼女は前を歩いている。気づいていないはずだ。
「あなたって実はわかりやすいのね」
レナの言葉で、彼は視線を前方に戻した。そこで気づいた。鏡だ。階段の踊り場に設置された大きな鏡。その鏡越しに、彼女は自分を見ている。
気まずさに顔をそむけた。
「その──ごめん」
「あやまることじゃないわ。自分でもバカだったと思うもの」踊り場を通り過ぎ、彼女は階段をおりながら続けた。「彼は別の中学の三年生だった。しばらく話をして、番号とアドレスを交換した。いつも電話をくれて、すぐにつきあいはじめて、私はどっぷりと彼にハマってた」
笑える話でないわりには冷静だ。
「一ヶ月は健全なお付き合い。そのあと、彼の家に遊びに行った」
彼は少々眉をひそめた。「──早過ぎない?」
「男の子の家に遊びに行くのがどういうことかってのはわかってたわ。でも、彼がそういうタイプだとは思わなかったのかもね」
「騙された?」
「そうは思ってない。そこはかまわないの。私もたぶん、オトナの世界に憧れてたし」
口にはしなかったが、ジャックには未知の領域だった。
「まあ、たいした変化はなかったし、後悔というか、罪悪感のほうが大きかったわけだけど」
そういうものなのか。