SCENE 03
ジャックがレイシーと知り合ったのは、中学の時だった。
小学校も同じだったが、彼らの通っていた学校は人数が多く、六年間同じクラスになることもなく、話したことすらなかった。
中学一年の夏休みが終わった頃、学校にとんでもない美人がいると噂がたった。ジャックは興味がなかったが、ライアンたちに連れられてその女の子を見に行った。
てっきり年上だと思っていたのだが、同級生だった。幼さの残る清楚な顔立ち、白い肌と肩まであるゴールデン・ブロンドヘア。それがレイシーだった。おそらく彼女は成長期の真っ只中にいたのだが、一ヶ月以上の長期休み明けというタイミングも、彼女の魅力を男たちに認識させる手助けをしたのだろう。
その時目が合って、少々見とれていたのを隠すよう無意識のうちにジャックが微笑みかけると、レイシーも彼に微笑みを返した。
それからは早かった。彼女に声をかけられ、話すようになり、告白された。ジャックは女友達に対する“好き”とそれ以外の異性に対する“好き”の違いがよくわからなかったが、レイシーは美人だったし、友人としては好きだったので、断る理由がなかった。
交際をはじめ、クリスマスを一緒に過ごし、新年を迎え、教会にも一緒に行った。しばらくは順調だった。
だが中学二年の時、彼女の両親が別居することになった。レイシーは平気なフリをしていたもの、すぐにバランスを崩したようだった。
ひとりになって考えたいと、彼に別れを切りだした。おそらく、両親の仲を繕うことに全力を注ごうとしたのだ。だが、うまくいかなかった。せめて母親とはうまくやらなければと思うものの、母親は父親の思い出をどんどん捨てていく。
そして両親は正式に離婚した。ひとりでは耐えきれなくなり、レイシーはジャックを頼った。彼は再び、彼女を支えようとした。
ジャックが下級生に告白されると、レイシーはその下級生に対して敵意を剥き出しにした。それまでほとんど気にならなかった彼女の束縛が、一気に強烈なものになった。
彼は、彼女がなにに対して怒っているのか理解できなかった。やがてライアンと企画したクリスマスパーティーのことを、彼女も誘うつもりで話した。彼女は怒った。そして我に返り、ジャックを束縛していること、それによって彼を苦しめていることに気づいて、その場で別れを告げた。
その後もふたりは何度かヨリを戻し、また別れてを繰り返した。すべてはレイシーの希望で、ジャックからどうしたいかを言ったことはなかった。
ジャックができたことといえば、下級生からの告白以降、中学を卒業するまでにもらったいくつかのラブレターを、誰にも知られないまま、読まずに破棄することだけだった。おそらく告白のための日時や場所を指定してあるのだろうが、そこに行って告白を断り、その相手にレイシーがダメージを上乗せするという悲劇的な状況を作らないためだ。別れているあいだも、それはなにも変わらなかった。
ライアンから言わせれば、彼の行動はレイシーをつけあがらせているだけだった。だがジャックはジャックなりに彼女を好きだったし、心配もしていた。ひとりになって考えたいという彼女の意思を尊重しているつもりでもあった。
最初に別れを告げられた時の、“僕はいつでも君の味方だ”と言った自分の言葉を、守っているつもりだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌朝、起床したジャックはゲストルームを覗いたものの、そこにレイシーの姿はなかった。
一階のリビングに行くと、コーヒーを片手にロッキングチェアで新聞を読むクリスがいた。
「父さん、おはよ」
声をかけると、彼も微笑みを返した。「おはよう、ジャック。よく眠れたみたいだな」たたんだ新聞をテーブルに置く。
「まあね。レイシーは?」
「一緒に朝食をとったあと、エレンが連れ出したよ。女だけのショッピングだそうだ」
ジャックはシングルソファに腰をおろした。
「昨日のことは話したの?」
「話したよ。とりあえず安心したようだ。マリオンも結婚してるからね。そう簡単におかしなことにはならないさ。それに──」
言いかけたものの、彼は言葉を切った。
「それに?」
「いや、なんでもない。そろそろ仕事に行く用意をしないと」
続きが少々気になったが、ジャックは追求しなかった。
「日曜なのに大変だね。うちもレイシーの両親みたいにならないといいけど」
彼は笑った。「うちは大丈夫だよ。僕たちはあの事務所の共同代表、同じ職場で仕事してる。帰宅時間こそ違うことが多いけど、毎日ちゃんと話をしてる。仕事のパートナーとしても夫婦としてもね。それにエレンはキャシーと違って、気に入らないことがあればすぐ口に出す。知らない間に距離ができてたなんてことにはならないさ」
そう言うと、クリスはコーヒーの残りを飲み干した。
「だよね」
自分の両親が愛し尊敬し合っていることは、息子であるジャックもじゅうぶんに知っていた。そんなふたりを誇りに思っていた。だがその一方で心配だったのは、仲のいい彼らの存在が、レイシーの目にどう映るかだった。
かつて彼女が見ていた、仲むつまじい夫婦の姿。それによって、彼女の傷が広がるのではないかと思っていたのだ。
しばらくしたあと、クリスが仕事に行き、家にはジャックひとりになった。
自室のベッドに横になり、目を閉じる。
たびたび痛感することだが、高校生の彼はあまりに無力だった。
レイモンドの経営するレストランにレイシーを連れて行くことも考えたが、彼がいつどこの店舗に現れるかなどわかるはずがない。電話をしても──レイシーが何度か言われたように──忙しいと断られればそれまでだし、運よく彼の店にいる店に入ったとしても、仕事中に時間をとらせることなど、できたとしてもほんの数分だろう。そんなに短い時間でレイシーが自分の気持ちを伝えきれるとは思えない。仮にその親子関係が改善されたとしても、彼女の一番の希望は家族三人で暮らすことだ。問題の解決にはならない。
ジャックは両手で顔を覆った。
レイモンドが家を出た時、泣きじゃくるレイシーを見ていられず、クリスとエレンに相談した。
だがふたりはなにも言わなかった。友人ではあるが、彼らから直接相談されたわけではない。それは正式な離婚の時も同じで、彼らが必要としていないのなら、自分たちが入りこむべきではないと。
弁護士らしい、もっともな意見だった。
弁護士は、セラピストではないのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつのまにか、二時間が経っているらしかった。
開け放っていた窓の外から声が聞こえ、身体を起こしたジャックは窓から家の外を見下ろした。タクシーのトランクにある紙袋や箱を一気に持とうとしているエレンが見えた。どうやら相当買いこんだらしい。
「母さ──」はっとして、ジャックは言いなおした。「エレン、行くから無理しないで」
最初に言いかけた言葉が聞こえてないといいのだが。窓を閉め、彼は一階へと向かった。
外へ出ると、自分で荷物を持とうとしていたはずのエレンが、なぜかタクシー運転手の腕に箱を積み重ねていた。ジャックに気づくと、彼女は無邪気な笑顔を見せた。
「あらジャック、きてくれたのね」
「エレン──」彼は当然のように呆れていた。「すみません、持ちますから」そう声をかけて運転手から四つの箱を受け取る。「紙袋は自分で持って、母さん」
彼女は、問いかけるような目をした。運転手も目を丸くしている。ハタから見れば親子だとわかるはずだが普通、親が子供に名前で呼ばせるなどということはしない。それに対しての驚きだろう。
ジャックはかまわず玄関へと歩き出した。荷物を運ぶのを手伝ってくれればさらにチップを渡すと言っていたエレンは、不機嫌な様子で運転手に言った。
「チップはなしよ」
そして息子のあとを追った。
家に入ると、ジャックはリビングのソファ脇に荷物を下ろした。エレンもすぐあとに続いた。
「なんなのよ? ジャック」
「それはこっちが聞きたい。あの人はタクシーの運転手であって、召し使いじゃない。それよりレイシーは?」
彼女はなにか言いたげだったが、言葉にする代わりに溜め息をついた。
「帰るっていうから家へ送ったわ。夕食に誘ったんだけどね。夜あなたに電話するって」
「そう」
彼女がそう言うの時は、決まって自分を責めている時だ。自分に、エレンやクリスに、心配をかけたことを悔やんでいる時。成長できない自分を責めている時。
そして必ず、同じセリフを口にする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
数時間後、夕食を食べ終えたジャックは、明かりもつけずに自分の部屋にいた。ソファに寝転び、そろそろかと考える。
案の定、センターテーブルの上で携帯電話が鳴った。おそらくレイシーからだ。
この電話に出なければ、彼女はどうするのだろう。考えなおすのか、それともメールですませるのか。いつもと別の方法を試してみたい気はするが、けっきょく出ないわけにいかない。せめて自分だけは、レイシーに誠実でいたいと思っている。居留守さえ、裏切りになる気がしていた。
起き上がって携帯電話を手にとると、通話ボタンを押した。彼女の声が聞こえるよう、受話口をしっかりと耳に当てる。
「やあ」
「ハイ」
泣いたあとの声だ、とジャックは思った。
「あなたの声、好きよ」
「知ってる」と答えた。何度も彼女に言われた言葉だ。「ショッピングはどうだった?」
「楽しかったわ。たくさん買ってもらっちゃった。遠慮したのに、ランチまで」
「遠慮するほどの仲じゃないだろ」
彼女はなにも言わない。
「──寂しいなら、いつでもここにくればいい。なんならキャシーも呼んで、ここに住めばいい。部屋なら余ってる。それで時々、みんなでレイのところに──」
「だめよ」レイシーが言った。「私の家族の問題だもの。──もう壊れちゃって、“家族”じゃないのかもしれないけど──」彼女は、弱々しく言葉を継ぐ。「あなたに、あなたたち家族に、迷惑はかけられない。──でも」
「うん」
「そう言ってもらえて、嬉しい。はじめてね」
なにかが喉元にこみ上げてくるのを感じ、ジャックはぐっと目を閉じた。
「なにがだ」
「今まで一度もそんなふうに言ってくれたこと、なかった」
無理に笑う彼女の姿が目に浮かんだ。
「止められないなら無意味だ」
レイシーは少しムキになった。「そんなことない。あなたはなにも悪くないわ。すべては私の弱さよ。何度も何度も同じことを繰り返して、あなたを頼って、困らせて、傷つけて、家族にまで心配かけて──」また、泣きだした。「──私が言おうとしてること、わかってるのよね」
わかりたくないのに、わかってしまうのがつらかった。胸が張り裂けそうだった。
「──うん。ごめん──」
「あやまらないで。言ったでしょう、あなたは悪くない」
「でも──」
「大好きよ、ジャック」
だめだ、こんなの。またいつもと同じだ。
「ありがとう」
なにもしていない。なにもできていない。
「ごめんなさい」
あやまるのは自分のほうだ。そばにいることしかできない。でもまた、それすらできなくなる。
「さよなら──」
「レイシー──」
電話は切れた。繋がりが途絶えたことを知らせる音だけが、虚しく残る。
携帯電話を閉じると、ジャックはもう片方の腕をソファの座面に思いきり振り下ろした。
己の無力さを憎んだ。彼女が一番欲しがっているものをわかっている。わかっているのに、なにもできない。彼女が傷つき去って行くのを、ただ見ていることしかできない。そして、彼女が戻ってくるのを待つことしかできない。
中学生だった頃と、なにも変わっていない。
ジャックはまたしても、彼女のヒーローになれなかったのだ。




