SCENE 28
ジャックはジェニーと一緒にランチ・ブレッド・カフェへと入った。カウンターの向こうでせっせと動く店主と目が合ったが、彼女はジェニーに気づき、察したようだった。
注文した品を受け取ると二階へとあがり、オープンテラスに空きテーブルを見つけて座った。ここが、サプライズパーティーの舞台になるわけだ。
「どこか行ってたの? というか、なぜ私があそこにいるってわかったの?」ジェニーが彼に訊いた。
ジャックはホットドックを食べている。「十一時まで叔父の店を手伝ってたんだ」いや、ほとんどなにもしていないが。「で、それが終わって家に帰ろうとしてたところ。ちょうどあそこで突風が吹いて、覚えのある香りがした。それで中を覗いたら、君がいた」
「香水の香りなんてよくわかったわね。まるで──」
言葉を切り、彼女は彼の食べているホットドッグに目を向けた。
まるで犬。「その先は言わなくていいよ、言いたいことはわかったから。」なんだか、昨日からからかわれてばかりだ。「これ、まえから気になってたんだ。タウン誌に載ってて」レナと来た時はなにも食べなかった。
「そうなの? でもそれが商品として出たのは二ヶ月くらいまえよ。食べる機会ならいくらでもあったと思うけど」
「詳しいな。君はここの常連?」──だということは知っているが。「まあ言うとおりなんだけど、男はあんまりカフェにはこないよ。男数人でカフェに入ってコーヒーとパンを注文するって、なんか変だろ」
店内を見まわしても、男だけのグループなど見当たらない。
彼女は笑った。「あなたならいくらでも相手がいるんじゃない?」
「それは否定しないけどね」いやいやなに言ってんだ。「いや、冗談だよ」もう、最低。「この話はやめよう。なんか変なこと言っちゃいそうだ。」
もう手遅れな気もするが。怖くて彼女の目をまともに見られない。ジャックは話を変えることにした。
「それより、君が注文したのはなに?」いくらなんでも、この話題の変え方は無理やりすぎだ。
「ハムエッグ・ビーフトサンドよ」彼女はパンをめくって中を見せた。「ハムとたまごとローストビーフとレタスが入ってる」
「やばい、よだれが出そうだ」なに言ってんだ。いや、おいしそうなことは確かだけど、浮かれすぎ。バカになりすぎ。「──もし、よければだけど」なにがよければだ。ちょっと待て、ネジはどこだ。どこかに頭のネジを落としてきたに違いない。ダメだってわかってるのに口が勝手に喋る。「ほんの一口──で、いいんだけど」いやいやいや。よくないって。欲しいなら買えよ。服一枚に比べれば安いものだ。だから軽いって思われるんだ。いや、彼女がどう思ってるかはわからないけど。
ジェニーは無表情に近い表情で自分が手に持っているサンドウィッチへと視線を落とすと、再びジャックの視線を受け止めた。
「──食べる?」
さすがに彼もきょとんとした。嘘だろ、拒否しない? いや、これはもう、拒否してもいいレベルなんだけど。
「君がよければ」
いやいやいや、だからよくないって。断れよ。バカか。誰かガムテープをこの口に貼ってくれ。止めてくれ。
「私はかまわないけど」
そう言うと、ジェニーは食べかけのサンドウィッチを皿の上に置き、彼のほうへと軽く押し出した。
彼は硬直したまま、パニックに陥っている頭をどうにか働かせて考えた。ええと、どうしよう。いいのか? いや、よくないと思うけど。ここまできたらしかたない。でも、どこを? どこを食べても、彼女は再び口をつける。変に避けたら誤解される。いや、もうすでに手遅れだけど。悪い意味で。 ジャックは思いきって、彼女が食べかけた部分を指差した。
「ここを食べても?」
──もう、死にたい。心臓が五回鳴るたびに、頭の中でゴングの音が聞こえる。
だが彼女は微笑んだ。「どうぞ」
どうやら、ジェニーは気にならないらしい。いや、でも、なんだっけ。怒らないとか、ああいう類のポーカーフェイスか? やはり読めない。もう、さっさともらってしまおう。
ジャックはサンドウィッチを口に運んだ。そこで気づいた。考えてみれば、ちぎって食べるのでもよかったんだ。
「うん、うまい」
普通の状態で食べれば、そう感じたはずだ。だが正直、味はよくわからなかった。どうやら頭のネジをどこかに落としたうえに、味覚まで麻痺してしまったらしい。
「それはよかった」
彼女は微笑むと、ジャックが返した皿からサンドウィッチを手にとり、ためらうことなく口に運んだ。
その行動も、彼にとっては嬉しい反面、やはりよくわからなかった。やはり気にしないのか? まあいい。それよりも、気まずさを残さない話題。なにが? いや、というか、プレゼント。聞かなければ。靴。どこで買ったか。
ジャックは改めて彼女に質問した。「そういえば、家はこの近く?」
なにをわかりきったことを。いや、だが、招待状の件がなければ彼女の家をちゃんとは知らなかったはずだ。
彼女はミルクセーキの入ったクリアカップを手に取った。
「ここからバスで約五分よ。ハーバー・パディなの」
「意外と近くだね。僕の家はここから歩いて約五分だ」訊かれてもいないことを。
「そんなに近いの? 小さい頃からあの図書館に通ってるけど、きっと会ったことはないわよね。というか、中学が違うわよね? 地元はライアンと同じでしょう?」
「そう。元はウェルス・パディに住んでた。高校進学と同時にこっちに家を建てて、引っ越してきたんだ」
不思議だ。去年から彼女を知っているのに、こんなことすら話したことがなかったのだ。
「そうだったの」
最初からこの町に住んでいれば、ジェニーと同じ中学に通っていれば、やはり彼女のことを好きになっていたのか。
レイシーのことを知らないまま、ジェニーのことが好きだと気づいた時、すぐに告白して、もしかすると彼女とつきあって。
──なんて、考えてもしかたのないことだが。
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ランチ・ブレッド・カフェを出ると、ジャックとジェニーは図書館へと向かった。
「君が読書家だとは思わなかったな」ふいにジャックが言った。
「読書家ってほどでもないわ。厚さ一.五センチくらいの本を、毎日少しずつ、二週間くらいかけて読むの」
ジャックは本編に入って二ページ目でもう、眩暈がする。ひどいと人物紹介の欄でもう、本編を読むのが嫌になる。
「それでも、意外だよ。感心した。スポーツ万能で本も読める。」スポーツ万能というのはレナに聞いたのだが。「勉強も出来るよね。いつも学年で三十位以内に入ってる」
ちなみにジャックは体育の成績はいいものの、勉強のほうは学年でギリギリ百位以内だ。普通。
彼女の頬は赤くなった。「いつもじゃないわ。出たり入ったりよ」
照れているのか? 「意外と照れ屋だったりもするよね」いや、意外ではない。可愛い。「あと、努力家」ライアンもそうだが、なにかをやってみようとする人は尊敬に値する。自分にはできない。「──僕も見習わないと、いろいろ」
なぜそんなことを言ったのかはわからないが、レイシーのことが彼の頭の中をよぎった。彼女も努力家だ。成績でしか自分を出せなくなってしまった努力家。
もうすぐバス停だ。これからどこかに、と言いたいところだが、さっきの言動のあとでは、さすがに気まずくて言えない。せめて本が読めるようになれば、彼女を図書館に誘うこともできるのだが。
ジャックは口を開いた「そういえば、君のおススメの靴屋はどこかな」
「まだ靴のことを言うの?」
やはり気にしているのか。ごめん。「違うよ。君が買ったのと同じ店で買えば、僕も君と同じくらい、ひとつの物を大切にできるんじゃないかと思って」ただの口実ではあるが、そうなれたらと本気で思う。
彼女は笑った。「私がこの靴を買ったのは、ハーバー・ストリートにあるマイキー・シューズっていう店よ」
「“マイキー・シューズ”、ね。」マイキー。マイキー。「今度行ってみるよ」
「いい店よ、小さいけど。父の古い知り合いがやってるの」
「へえ。その靴には、何か思い入れがあったりする?」
「たいしたことじゃないわ」
それでも聞きたい。
バス停に着くと、ジャックはジェニーが乗るバスの時刻表を確かめた。すでに彼女の住所は暗記してある。
「あと五分くらいだね」
腕時計を見てそう言ったが、さすがに細かい住所を知っているというのはおかしいような気がした。しかもまだこのあたりの地理、よくわからないのだが。
もうバス来るな。どこかでエンスト起こして遅れてくれ。
そんなことを考えながら、ジャックはジェニーの隣に座った。
「聞かせて」
肩をすくませると、彼女はゆっくりと口を開いた。
「小学生の時、新しい靴を買ってもらうためにマイキーの店に行ったの。よく覚えてないけど、たぶんそのとき初めて、自分の選んだ靴を買ってもらえることになってた。小さな店内に、色々な靴が所狭しと並んでた。その中で唯一、端のほうに、箱に入ったまま積み上げられた靴があったの」
彼は彼女の横顔をじっと見つめたまま、話を聞いていた。目が合っていれば、こんなに長く見つめるなどということはできないが、幸い、彼女は前方を見たり下を向いたりしている。近くで話せるのも嬉しいが、こうして眺めているのも好きだ。
ジェニーは続けた。「彼に、どうしてこの靴を出してあげないのって訊いたわ。そしたら、しばらくは店に出してたけど全然売れなくて、そのうえ商品にならないくらい色褪せちゃったからって。子供心に響いたのか、私はその靴が欲しくなった。でも小学生の私にはサイズが大きくて。それでお小遣いを貯めて、中学の時にこの靴を手に入れたの。彼は半額でいいって言ったけど、それはダメだって私が意地を張って、定価でね」
ジャックは微笑んだ。「いい話だ」
人の思い出に触れるのは、悪いことなのか。だが彼女のお気に入りの靴を見ているうちに、いつのまにか、自分までその靴を気に入ってしまっている。
ジェニーはやわらかな表情で彼に微笑んだ。「この靴は、マイキーがはじめて商品として作った靴、そして、最初に店に並べた靴よ。だから彼も手放せなかったのね。しかもワンサイズしかなくて、しかもそのサイズは中学の時から変わらない私の足のサイズ。つまり、今は私専用の靴ってわけ」
まさか、職人と知り合いだとは。「作った人がそんなに身近にいるとは思わなかったな。君がそんなに大切にしてること、彼も喜んでるだろうね」
彼はそう言ったが、彼女は苦笑った。
「彼に会うたび、私は怒られるわ。そんな靴はさっさと捨てて、新しいのを買えって。今見るととんでもない出来損ないだ、新しいのを買ったほうが私のためにも彼の店のためにもなるって」
彼女は不満そうな顔でいい終えたが、言葉には愛情がこもっている気がした。
「本当は嬉しいんだよ」
「──そうね。きっと、そうだといいな。」
照れたらしく、ジェニーはごまかすように小さく喉を鳴らした。
そこに、バスが来た。
ああ、くるなって言ったのに。いや、言ってないけど。
バスが近づき、彼女は立ち上がった。
「じゃあ、また。学校で」
「うん、月曜に」
ジャックも立ち上がった。抱きしめたい気持ちをぐっとこらえる。明日も会いたいなどと言ったら、どうなるのだろう。
「楽しかったよ。つきあってくれてありがとう」
彼がつけくわえた言葉に微笑みを返すと、ジェニーはバスに乗り込んだ。
彼女の姿を目で追う。引き止めたら、まだここにいてもらえたかもしれないのに。
一番うしろの席に座った彼女と目が合った。それを確認したからか、バスはゆっくりと走り出した。手を振ると、彼女も返してくれた。
バスが角を曲がり、姿を消す。
──肝心なことが言えない。根性なし。




