SCENE 21
とりあえず、レナたちが進んだ道だ。
人ごみをかきわけながら三番街の入り口まで戻ると、ジャックは四番街へと進んだ。
彼女は小さい。道に迷った状態で、長く人ごみの中を歩くとは思えない。だが脇に逃げたとしても、解決にはならない。進んでいけばそのうち広場を見つけられるかもしれないと考えるかもしれない。道を訊くという手もあるが、歩いている連中はほとんどがカップルか団体だし、屋台の人間は客以外には冷たい。家族連れなら教えてくれるかもしれないが、訊いたとしても、また迷う可能性もある。だとしたら──?
少し進んだところで二股に分かれた道があり、ジャックは人ごみの中で立ち止まった。右の通りの上部には“五番街”と書かれた、まだ新しい気がするアーチ状の看板がある。
こんなところに五番街などあったか? いや、この景色。あの自動販売機。以前来た時、あそこでライアンがジュースをこぼして、一緒に来ていた奴のジーンズを汚して喧嘩になった。確か以前は、右側の道に屋台などなかった。本来ならここで左に行くが、彼女が知らないうちに、右に流されていたら?
ジャックはそのまま、右へと進んだ。
彼がライアンたちと歩いた左側の通りは、小道こそあったものの、ほとんど一本道だった。ところがレナたちの歩いた右の道は、さらに二股に分かれているせいか、行き交う人々の数は倍近くになっている。
しばらく進むと屋台が途切れ、別の通りに出た。なるほど、ここで屋台が終わっているから、みんな引き返してくるわけだ。だから人数も増えてしまう。ざっと見ただけだが、脇にジェニーらしき人物はいなかった。というか人ごみを避けるにしても、大声で客を呼び込む屋台と屋台の間に立つなど、気まずすぎてできるわけがない。
ポケットから携帯電話を取り出して確認するも、なんの通知もなかった。まだ待ち合わせ場所にも来ていないのだ。
膝に両手をついて身体を支え、ジャックはすぐそこで夏祭りが行われているとは思えないほどにひと気のない通りを見まわした。ここからどう行く? 左のほうは商店街用の駐車場らしく、右には一軒家が並んでいる。
右に行けばメインストリートに出てバス停を見つけられるかもしれないが、彼女はひとりで帰ったりしないだろう。公衆電話など探しても無断だ。携帯電話を持ち歩くのが当然の今の時代では、友達の電話番号など覚えていない。自分だってそうだ。ということは、左。方向音痴でも一応は、勘を頼りに進もうとするかもしれない。
ジャックは左方向へと早足で進んだ。
祭り会場から聞こえる声がしだいに遠くなっていく。外灯はいくつかあるが、どれも薄暗い。
ふと、遠くでサイレンの音が聞こえた。パトカーか、救急車か? 彼女を心配する気持ちと、まさかの事態への不安が強くなる。無事だといいのだが。どこだ? どこに──。
少し進むとひとつだけ、電球の切れた外灯があった。その下には薄明かりの公衆電話ボックスが設置されている。その傍らでうずくまる浴衣姿の女性を見つけた。
黒とピンクの浴衣。ピンクのかんざし。そして、カゴ巾着。
ジャックは彼女を呼んだ。「ジェニー?」
彼女は顔をあげた。
ああ、見つけた。ジェニーだ。「ジェニー!」
「ジャック!」
彼女は立ち上がり、彼のもとへと駆け出した。
ジャックも彼女に駆け寄った。
そして、抱きしめた。
「無事でよかった──」
いつもの香水の香りがした。
次の瞬間、我に返った。「あああ、ごめん──」
「私こそ、ごめんなさ──」
二人は慌てて身体を離し、そこで目が合った。ジャックは彼女を抱きしめた名残りで彼女の肩を掴んでいて、彼女もジャックの腕に触れていた。ひと気のない通りの真ん中で、薄暗くてよくわからなかったが、おそらく、二人の顔は真っ赤だった。ジェニーの目には涙が浮かんでいる。
そして彼の頭の中には、よこしまな考えがまた浮かんでいた。
こんな時に不謹慎なことはわかっている。だが、見れば見るほど──。
「──ごめん」
そうつぶやくと、再び彼女を引き寄せ、ジャックは彼女を抱きしめた。自分でも、なにをしているのかわからなかった。
「本当によかった。なにかあったらどうしようかと思った」
「──うん。ごめんなさい。心配してくれてありがとう」
そう答え、ジェニーは彼の腕の中で静かに泣いた。
ほんの数分のことのはずだが、それが彼にはとても長い時間のように思えた。
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ポケットの中で携帯電話が鳴り、ジャックはまた我に返った。
「ああ、ごめん」
彼はまた、今度こそ完全にジェニーから身体を離した。彼女は涙を拭きながら笑った。
「ううん、私のほうこそ──本当に、どうしようかと思ってたの。」
彼の頭の中はまだ混乱している。なんだっけ、そうだ。電話だ。
取り出した携帯電話を開き、画面を確認した。
「レナからだ。出る?」
「いいの?」
「すごく心配してた」
携帯電話を受け取ると、ジェニーはボタンを押して電話に応じた。
「もしもし、レナ? そう、私。ええ、大丈夫。なんともないわ。──うん。今から行くね。うん。じゃあ」
通話を終えると、携帯電話をジャックに返した。
「みんなに心配かけちゃった。ごめんね」
「もういいよ、無事だったんだから」彼が微笑んで言うと、彼女も笑った。「あ、そうだ。ちょっと待って」
ジャックはポケットからペンとメモ帳を取り出しながら公衆電話の灯かりが届く範囲に行き、しゃがみこんだ。
ジェニーが覗き込む。「なに?」
「こら、見えない」
「ああ、ごめんなさい」
彼女は彼の隣に移動した。
彼が笑う。「いや、大丈夫だけどね」
「ええ?」
「ごめん、書けた──はい」しゃがんだまま彼女を見上げ、一枚の紙を渡した。「僕の番号と、一応、アドレスも。でもそれ、できれば財布に入れといて。携帯電話に登録してるだけだと、携帯電話を忘れたら意味ないし」
「いいの?」
ジャックは立ち上がった。
「いいもなにも、またみんなで遊びにきたとき、こんなことになったら困るしね。まあ財布も一緒に忘れられると、もうどうしようもなくなるけど」
彼女は笑った。
「あと、よかったら」彼はメモ帳とボールペンを渡した。「君のを」
微笑んでそれを受け取ると、ジェニーも番号とアドレスを書いてジャックに渡した。
「はい。」
ふいに、手が触れる。
その時、ライアンの言っていたことが、ようやくジャックにもわかった。ジェニーが望んでいないことは百も承知だが、それでも、キスしたいと思った。もう一度抱きしめて、キスしたいと思った。
その時音がし、後方で空に花火があがった。
ジェニーが嬉しそうにそれを見上げる。
「わあ」
──なんだか、邪魔されてばかりだ。
ジャックも振り返り、空を見上げた。なんの変哲もない、ありきたりなオレンジ色の大きな花火だが、やたら綺麗に見える。
「行こうか」
「ええ」
待ち合わせ場所へと向かうわけだが、どうしようかと少々悩んだ。そして彼は気まずそうに切りだした。
「一応、人通りの少ないこの道を進むけど──またはぐれたら困るから、服の裾、掴んで手くれる?」
チークなのかなんなのか、ジェニーの頬は少々ピンク色に染まっている。「ええ、と──伸びちゃうよ」
「はぐれるよりマシなんだけど」
彼女が苦笑う。「しばらくはこのこと、言われそうね」
「そりゃ、夏のあいだは」
「じゃあ、これは?」彼女はカゴ巾着を見せた。「これの取っ手をひとつずつ、持てば──」
「壊れるよ」
その言葉で数秒、沈黙になった。
「──じゃあ、もういい」
そう言うと、ジャックはジェニーの左手をとってゆっくりと歩き出した。
「ジャック──」彼女は戸惑った様子で言った。
つないだ指先に彼女の熱が伝わり、心臓の鼓動が速くなる。
ジャックは彼女の顔を見られなかった。そしてそれ以上に、おそらく真っ赤だろう自分の顔を見られたくはなかった。
「今だけ」
そう言うと、彼女がなにかを言った気もしたが、自分の心臓の音が身体中に鳴り響いているせいか、それとも花火の音のせいか、彼にはよくわからなかった。思考回路は彼女の手をとった瞬間から、すでに停止している。
ただ、顔が、手が、全身が、火照るように熱かった。夏の暑さのせいか、人ごみをかきわけて走ったせいか、それとも、数分前に彼女を抱きしめたせいか、今現在、右手に伝わる彼女の温度のせいか。
空に打ち上げられる花火の音に負けない勢いで大きく、早く、強く、心臓の音が聞こえた。
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無言のまま通りをしばらく歩き、やがて左に曲がると、前方に再び屋台が並び、大勢の人で賑わう夏祭りの舞台が見えた。
屋台と群衆に近づくと、ジャックは振り返らないまま、声もかけないまま、ジェニーの指だけでなく、手の平をしっかりと握った。人波をかき分けて進む。五番街ほどの荒波ではなかったが。左には四番街がある。本来ならジェニーは、レナたちと一緒にここに出てくるはずだった。
三番街の手前で、右にあるステーション・パークの入り口へと辿り着いた。パークの入り口付近にも少々の屋台があり、今も打ち上げられている花火を見るためか、あちこちに人が散らばっていた。
広場には高さ十メートルほどの巨大な噴水があり、なにをどうしているのかは知らないが、巨大な石の壁の上部から、大量の水が滝のように流れ落ちている。その噴水を囲うようにして背の低い石壁があり、その中央あたりには五~六メートルはあるだろう銀色の時計が設置されていた。
時計を支えにに、石垣の上に立ってあたりを見まわすライアンとギャヴィン、ディランの姿を見つけた。その下にはレナたちの姿もある。
そっと手を離すと、ジャックはジェニーに聞こえるよう、顔を近づけて言った。
「みんないた」
「どこ?」
「時計の真下」
行き交う人々の隙間から彼らを見つけると、彼女はたちまち笑顔になった。
ライアンもジャックたちに気づいた。みんなに声をかけると石壁から飛び降り、いちばんに走り出した。レナたちもあとに続く。
ライアンが叫ぶ。「ジェニー!」
こいつ、またやる気だ。
そう思ったジャックはとっさに前に出て、ジェニーに駆け寄ろうとしたライアンの前に腕を出し、引き寄せて阻止した。
彼は怒った。「なにすんだ!」
「ジェニー!」
「レナ!」
ジェニーはレナに抱きついた。レナも彼女を抱きしめ、髪を撫でた。
その光景に、ジャックは数十分前の自分の行動を思い出した。ああ、なにやったんだ。ものすごくバカなことをした気がする。あんなの、あんなの、あんなの──。
レナは本気で泣いている。「ごめんね。ちゃんと手、つないで歩けばよかった」
「私こそ、心配かけてごめんなさい。ちゃんとみんなについていけばよかった」
ジェニーも泣いていて、それを涙目のメリッサと、ベラの隣で苦笑うハンナがなだめた。
「お前がヒーローになってどうすんだ」
ジャックに小声で言うと、ライアンは彼女たちのほうに行き、ジェニーとレナの頭にぽんと手を置いた。
「よし、んじゃなんか食いながら花火見るか」
「ジェニー、大丈夫? 疲れてない?」ハンナが訊いた。
彼女が苦笑う。「ありがとう、ハンナ。大丈夫よ。おなかぺこぺこなの。」
「男子になんか買ってきてもらえばいいじゃん」ベラが言う。「女のぶんは奢ってあげる」
彼女の妙な金遣いの荒さはなんなのだろう。
「ジャックはいいわよ。ジェニーを見つけてくれたんだもの」
「いいよ、レナ。行ってくる。さっきのところで待ってて」
ジャックが言うと、ベラは適当な金額をギャヴィンに渡した。ジャックはライアンに肩を組まれ、男五人で屋台へと向かった。
花火は午後八時から十時までで、最初こそ普通だったものの、しだいに派手になっていった。
景品の数を競うゲームは無効、けっきょくジャックはネックレスをジェニーに渡せないまま、解散になった。
ベラとハンナとギャヴィンは、駅からセンター街へと向かう電車に乗った。メリッサは迎えに来た親の車で、ディランとコナーも地元は違うが同じバスに乗り、帰っていった。
帰りはなにがなんでもタクシーを使うつもりだったジャックは、レナから呆れきった視線を浴びせられながらも彼女とジェニーを同じタクシーに乗せ、荷物がどうこうとうるさかったライアンを先に降ろし、彼女たちをレナの家に送り届けた。
自宅に帰った時には午後十一時を過ぎていて、自室に入ってポケットの中に入れていた荷物をテーブルに出すと、ベッドに倒れこんでそのまま眠った。




