SCENE 16
数日して雨季に入り、またいつもの日常が戻った。
ライアンは公園で話し合った翌日から毎日、元気に登校してきている。本当に人騒がせな奴だ。彼は故意にレナを避けるようなことはしなかったが、わざわざ会う可能性を高めることもせずに過ごした。連日続く雨のせいで校舎内にも湿気が溢れていて、騒ぐ気にもならない。ライアンといるときにレナに会うこともあったが、軽く挨拶を交わす程度で、話しこんだりはしなかった。ライアンとレナはやはりまだ気まずそうで、レナがライアンにつんとした態度をとる時は決まって、ジェニーが申し訳なさそうな顔で苦笑う。それに対しては、ジャックも苦笑を返すことしかできなかった。
ベネフィット・アイランドのあるフォース・カントリー地方は、六月の前半までは運動すると暑い、といった程度で過ごせるのだが、後半からはじまる約二週間の雨季のあいだに気温の変化が起き、それが明けると本格的に暑くなる。
湿気を帯びたむんむんとした空気も嫌いだが、ジャックはそれよりもとにかく夏が嫌いだった。照りつける日差しに、自分が溶かされてしまいそうな気になる。幸い教室にはエアコンがあったし、ジャックの席は教室の中央付近だったので、屋内で溶けるようなことはなかったが。
それでも、雨季が明けてから数度あったグラウンドでの体育の授業は地獄だった。バカみたいに炎天下の中を走りまわるのには飽き飽きする。翌週になると、教師も暑さに耐えられなくなるのか、ほとんどが体育館内での授業になるのだが。
ライアンは夏が好きで、雨季が明けてからは毎日ように海だプールだと言っていた。毎年のことだが、ジャックはとにかく無視し続ける。
思っていたほど、レイシーのことを思い出したりはしなかった。雨季のあいだはライアンとレナが気まずそうにすることのほうが気になっていたし、そのあとは暑さにうなだれていたからだ。
だが不思議と、ジェニーのことを考える時間が増えていた。会いたいなどと思うわけではなく、彼女がライアンのことを好きなのではないかと考え、妙に気持ちになる。自分でも、それがなんなのかわからなかった。レナを含めた三角関係のような状況に対するものなのか、別のものなのか。まさか、彼女のことを意識してるのか? そんな、まさか。
日は経ち、終業式の日になった。
周りは朝から夏休みをどう過ごすかで賑わっている。たいていはフリー族が海やプールやセンター街でナンパ、アテのある連中は合コン、数少ない恋人もちはデートに明け暮れる予定で、数人は夏休みのあいだに男になってやると無駄に意気込む。
だから、まだ高校生だっての。
友人たちに合コンに誘われたり企画を頼まれたりしたが、ジャックはすべて断った。夏休みは大人しくエアコンの効いた部屋で涼しく過ごす。これが定石。とは思いつつも、けっきょくあちこち連れまわされるのだが。
ライアンのバースデーパーティーに来ていた中で二組は、本当にカップルになったらしい。四人の男たちはそれぞれにあの場にいた女の子を好きになり、まだ進展こそしてないものの、夏休みのうちに必ずモノにすると息巻いている。まあ、上出来なのではないか。
当のキングは、二人の女子に言い寄られているものの、いまいち乗り気ではないらしい。
終業式と二時間ぶんのLHRが終わった放課後、今日こそプールに連れて行くと言い張るライアンから隠れるようにして、ジャックは図書室で暑さにうなだれていた。この室内にも一応ある相当古いだろうエアコンはほとんど効果を発揮しないし、ノートで自分を仰いでみても生温い風にしかならない。エアコンの風を少しでも受けるために窓際の席に座ったが、カーテンを閉めたところで暑さがしのげるわけはなかった。
またタクシーを呼んで、家に着いたらエアコン全開の部屋で母さんが用意しているだろうアイスを食べようか。自分が暑さで溶けてなくなる前に。
突然、図書室の引き戸が勢いよく開いた。
「あ、いたいた」レナだ。
やはりここでは、隠れていることにはならないか。
彼女はミニスカートを揺らしながら、すたすたと歩いてくる。
「ひさしぶり、どうした?」
「ひさしぶりって、おととい話したじゃない」
そう言うと、レナはジャックの隣の席の机に腰かけた。
「そうだった。で?」
「ミッド・オーガストなんだけど。八月十三日に、リトル・パイン・アイランドのニューポートで夏祭りがあるの。友達と行こうって話してたんだけど、ライアンのバースデーパーティーにきてたコが、またあなたたちと一緒に行きたいって言ってて。全員ってわけにはいかないけど、男女五人ずつくらいでどうかなって」
「そんなの、メールか電話でよかったのに」
「電話壊れちゃって、今修理に出してるのよ。明日取りに行くんだけどね。ジェニーはあなたの番号知らないって言うし」
そういえば自分も彼女の電話番号を知らない。
「で、どう?」レナが訊いた。
「僕はかまわないよ」人ごみは好きではないのだが。「僕たちってことは、ライアンもだよね」
「来たいって言うんなら来ればいいんじゃないの。私はどっちでもかまわない」
彼女はやはり完璧なボブカットの前髪を、照れ隠しのように指でいじりながら答えた。それが、ジャックの目には妙に微笑ましく映った。
「完全に仲直りする日も近いな」
彼が笑って言うと、彼女はしかめっつらを彼に向け、また顔をそむけた。
「──ずっと、言えなかったんだけど」
「なに?」
「私が怒ったの、キスのことだけじゃないのよ」
ライアンのことだ。「どういう意味?」
ジャックが訊き返すと、彼女は溜め息をついた。
「もちろん、なんの予告もなしにあんなことされて、ムカついたのは本当なんだけど」
予告すればいいものでもないと思うのだが。
「その、なんていうか、その──」
口ごもる彼女の態度に、ジャックの表情は思わずにやけた。
「ときめいた?」
彼女は真っ赤になった。
本気か。
「もう、信じられない」レナは下を向き、顔を両手で覆った。「違うのよ、キスじゃなくて、そこじゃなくて──」
言葉を切って顔を上げた。“わかって”と懇願するような目をしている。
彼は笑いそうになるのを必死にこらえた。「お姫様抱っこってこと?」
レナは怒った。「そんな言いかたしないで! ときめいたっていうか、なんていうか、ゲームで私を抱き上げたディランなら、身長も高いし、筋肉もあるし、軽々抱き上げられても違和感なかったんだけど──」
必死な彼女の言い訳に、ジャックの心はまたも和んだ。「つまり、ライアンみたいに特別長身ってのでもなくて目立つ筋肉もない奴にひょいっと抱き上げられたもんだからびっくりして──ドキッとした、と?」
ライアンはスポーツが好きだし、少なくともジャックよりは筋肉があるのだが。
レナは泣きそうな顔をしてうなずいた。頬はまだ赤い。
「つまり、八つ当たりだ」
「それは違うわ、ホントにムカついたんだもの。ただダメージの度合いで言えば、キスそのものよりも、抱き上げられてときめいちゃった自分が許せなかったっていうほうが大きくて──」
彼女はまた両手で顔を隠した。
ときめいたって認めちゃったよ。などと思いながら、ジャックは肘をついた手で口元の笑みを隠した。
「言っておくけど、あいつは筋肉あるよ。普段は服で見えないけどね。腹筋は割れてるし、腕相撲なら僕より強い」
「そうなの? ──って、あいつの裸の話なんかしないでよ!」
一瞬喰いついた。「裸の話なんかしてない。筋肉の話」
本当におもしろい。
彼女はやはり怒った。涙目でジャックを睨む。「もう! からかわないで!」
やりすぎか。「ごめん。じゃあ──話を変えても?」
レナはまだしかめっつらのままだ。「なに」
「ジェニーがライアンを好きかもって思ったことはある?」ああ、言っちゃった。
「はあ? あるわけないじゃない。なんでそうなるわけ?」
まさかこんな勢いで否定されるとは。「いや、パーティーの時、トレーラーハウスの外でジェニーがライアンを出迎えたんだ。そのとき、ライアンが──」
言いかけたものの、彼は思いとどまった。言っていいものなのかどうかがわからない。
「あいつがなによ」
時、すでに遅し。「ライアンが勢いで、彼女にハグしたんだ」抱きついたという表現のほうが正しいのだが。「でも彼女、全然嫌がらなかったから。友達だって考えもあるけど、もしかしてと思って」
彼女は特に反応しなかった。「私は現場を見てないからハッキリとは言えないけど、ただのハグなら、彼女は慣れてるわ」
彼はぽかんとした。「慣れてるって──」
「変な意味じゃないわよ。彼女のお兄さん、親友がふたりいるの。その親友二人も彼女のことを妹のように可愛がってて、すごく仲がいいわ。昔からハグや頬にキスくらいはしてると思う。ジェニーが小学生だった頃くらいからね」
ジャックは納得した。「じゃあ、彼女があの瞬間に電気を消したのは──」
レナはあからさまに呆れてみせた。「呆れた。あなた、その行動まで疑ったわけ?」
彼は思わず、心の中でごめんなさいとあやまった。
「いや、もちろん君のことを思ってだろうけど、もしかしたら他にも理由があるのかと──」
「彼女は純粋に私のこと、考えてくれただけよ。昔あったこと、知ってるから──」
「昔? 元彼氏?」
「それじゃなくて。中学三年の時、男に襲われたことがあるの」
またすごい告白だった。「それは、つまり──」
彼女は毅然とした態度で否定した。
「レイプじゃないわよ」
ああ、驚いた。
「中学は別だったけど、同じ塾に通ってる子がいたの。話があるって言われたから、塾が終わったあとにバス停まで一緒に行くことにした。そしたら告白されて、断ったらなんかブツブツ言いだして、壁に押さえつけられて──あ、でもそんな思いっきりじゃないわよ。両手ふさがれて、無理やり──」
キスされた、ということか。
「ま、思いっきり股間蹴って逃げたけどね」と、レナはつけたした。
やはりエレンみたいだ、と彼は思った。だが、これで彼女があの直後、震えていた理由もわかった。
「ジェニーはそのことを知ってて、気遣ってくれた、と」
「そういうこと。なんか私の周り、変な男ばっかりなのよね。」
僕も?
「あ、そういう意味じゃないわよ」
エスパーか。
「男運がないっていうか、言い寄ってくる男はたいてい、正攻法を選ばないか、軽いタイプだったり」
「なるほどね」と彼は答えた。そこにライアンも入るわけだ。言い寄っているのかはよくわからないが。
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またも勢いよく図書室の引き戸が開いた。
「ジャック、いるのか──」
ライアンだ。見つかった。
彼は戸口でかたまった。おそらく、なぜレナがいるのだと言いたいのだろう。
そしてレナも同じくかたまっている。瞬きすることすら忘れているようだ。
「ライアン、せっかくの貴重な冷気が逃げるから、できれば閉めてくれないか」
ジャックが言うと、彼は動きを取り戻した。
「ああ」
瞬きすることを思い出したようで、レナもテーブルからおりた。
「じゃあ、帰るわね。またメールするわ」
彼女はスタスタとライアンのほうへ向かった。
ライアンは閉めかけたドアを再び開き、無言で彼女を通した。視線も合わせていない。改めてドアを閉めると、彼はジャックの向かいの席に座った。
「なんだ、あいつ」なぜか不機嫌そうだ。
「気にするな」と、ジャック。「っていうか、なんでまだ学校にいるんだよ。LHR終わってから一時間は経ってるのに」
「ギャヴィンたちと体育館でバスケしてた」
その元気はどこから来るのか、ジャックは本気で教えてほしかった。そしてギャヴィンも、レナたちとの夏祭りに誘おうかと思いついた。それからおもしろ半分でディラン。そしてコナー──は、気になる子がいるのだったか。
突然、ライアンが真剣な表情で切りだした。「お前ら、デキてんの?」
またはじまった。「なんでそうなる」
「怪しすぎだろ、こんな密室で」
確かにひと気のない密室ではあるが。「そんな雰囲気からは程遠いよ」
そう答えながらも、レナに片想いがどうなっているのかも訊けばよかった、とジャックは思った。
「雰囲気ってあれか? お前が前に言ってた、流れみたいなやつか?」
本当に面倒なので、彼は早々にこの会話を終わらせることにした。
「妬いてるのか」
「バカ言うな。──じゃあ、なんの話だよ」
正解だった。「プールだの海だの言わないなら教える」
「言わないから教えろ」
この言いかたはおそらく、約束は確実ではない。明日にはけろっと忘れている。
「LPICのリトル・ポートの夏祭りに一緒に行こうって誘われた」
「は? レナに? ふたりっきりで?」
なにをそんなに驚くことがあるのだろう。というか、やはり気になっているのか。
「ふたりじゃない。何人かで」
「なんだ、ややこしい言いかたしやがって」
わかりづらい反応しやがって。「男女五人ずつくらいで、だってさ」
「お前、人ごみ嫌いじゃん。祭りもいつも、オレが引きずってってるじゃん」
無理やりな。「まあ、そうだけど」
「で?」
「で? ってなんだ。」
「オレは?」
「行きたいのか?」
「祭りはオレが好きなイベントのトップ五に入るんだけど」
知っている。あとは土日と連休と誕生日と夏休みとクリスマスと海と年明けと──。
「誰とでも行ける」
ライアンは顔をしかめた。「なんか今日、冷たいぞ」
「暑さのせいだ。本日の最高気温が観測される前に僕は帰る」
ジャックは荷物をまとめて立ち上がった。ライアンもあとに続いて歩き出す。
「夏こそ一年でいちばん楽し嬉しい季節だとオレは思うけどな」
「いちばんは秋だ」一年中秋が続けばどんなにいいか。
「秋と冬は露出度が低いからダメだ」
けっきょくそこか。「そんなことより、パーティーのコたちはどうした? デートに誘われてるんだろ。祭りだって、どっちかと行けばいいじゃないか」
「そんなのにノッたらホテルに連れ込んじまう」
「最低」
終業式の日はなぜか、生徒のほとんどが打ち合わせをしたかのようにさっさと帰ってしまう。LHRが終わって約一時間半、二階も一階も、校舎内はしんと静まり返っていた。
第三校舎を出たところでライアンが話を戻した。
「で、祭りに行くのはいつなわけ?」
「八月十三日。あとは三人に声をかけて、レナから連絡を待つ」
「その三人の中にオレは?」
ものすごく行きたいんだな。「お前以外にあと三人」
「ほーう。しょうがねえ、行ってやる」
また酔っているのか。
ジャックはタクシーを呼びたい気持ちをおさえ、ライアンと一緒にバスに乗った。彼は家に遊びに行こうかと提案したが、丁重にお断りした。
人ごみは好きではないのに、なぜOKしたのだろう。そんな疑問はあったが、とりあえず家で昼食を済ませて、さっさと夏休みの課題を終わらせようと決めた。しばらくはそれに集中だ。




