SCENE 11
その数秒は、スローモーションのようだった。
ゲームならともかく、なんの言い訳もなしにキスをすることなど、許されるはずがない。世界が許しても、レナが許すはずがない。
物を投げる? 名前を叫ぶ? いや、間に合う気がしない。止められる気がしない。
もうだめだ──そう思った次の瞬間、電気が消えた。
外はすっかり暗くなっていて、周りのトレーラーハウスは使用されていなかったし、このあたりの薄明かりの外灯は室内まで届くほどのものではなかったので、部屋の電気を消せば完全な暗闇だった。少なくとも、一瞬は。
「いてっ」
ざわつく室内の中でなにかを叩く音とその声がしたすぐあと、誰かの足音が聞こえた。そして、なにかを蹴るような音とうめき声。そしてまた足音。
再び電気がついた。キング席でライアンがひとり、腹を抱えうずくまっている。そこに注目が集まり、どっと笑いが起きた。
「誰があんたなんかと仲良くなるもんですか」
険しい表情でそう言ったレナはいつのまにか、ジャックのそばに来ていた。その言葉も笑い声を引き寄せた。だがジャックには、胸の前で組まれた彼女の腕が、かすかに震えているように見えた。
そして彼ははっとした。電気。そうだ、電気だ。キッチン越しに廊下のほうを見ると、そこにある照明スイッチの傍にほっとした様子のジェニーが立っていた。ジャックの視線に気づくと、彼女は苦笑を返した。
さすがだ、と思った。だが、これ以上はまずい。ジャックはカウンターに置いていたマイクのスイッチを入れ、しくじったとでも言いたげな表情をしているライアンに近づいた。
「そろそろお開きにしようか」マイクをライアンに渡す。「ライアン、締めてくれ」彼の耳元で声を潜める。「いつもの調子でやれ。お前のパーティーだ」
ライアンはすぐさまお調子者の顔に切り替え、再びキング席に立ち上がった。
「よし、んじゃ最後は乾杯して歌でも歌って、パーッと帰るか」
そう言うとテーブルにあったカラオケのリモコンを使い、ソラで覚えているらしい曲番を入力して音楽をかけ、乾杯の音頭をとった。合唱がはじまる。
この曲は知っている。以前ヒットしたらしい曲で、ライアンがいちばん好きな曲だ。
ファーストベースを合唱し終わったところでライアンが言った。
「んじゃ、曲が終わる前に解散だ。男共は女の子を送ってやれよ。荷物持って、はい解散!」
皆もそれを気に入り、床に置いた荷物を持ってぞろぞろと歩き出した。キング席に立つライアンとハイタッチしたり拳を合わせたり、電話してと耳元で囁いたりして、トレーラーを出ていった。
やがて室内はジェニーとレナ、ライアンとジャックだけになった。
同級生たちが帰ったのを背中で確認すると、ライアンは崩れるようにキング席に座りこんだ。彼もレナも無言だったが、なにかあったのは明らかだ。
ジャックは内線電話でフロントに電話し、タクシーを一台呼ぶように言った。
「ジェニー、タクシーがきたらレナを送ってあげて。お金は出すから」
うつむいたままレナが言う。「いいわ。バスで帰る」
「レナ、僕は今日、すごく後悔した。君たちに大きな荷物を抱えたまま坂を歩かせたこと。お金のことは気にしなくていい。君たちが用意したデコレーショングッズを置いてってくれれば、この店が買い取ってくれるんだ。タクシーのお釣りは二人で分けて。いろいろ用意してくれた分だから」
ジャックは財布から出した札をジェニーに渡した。
彼女が申し訳なさそうに言う「でも──」
「いいから。坂の下にタクシー会社がある。すぐ来るよ」
ジャックは彼女たちを、なかば追い出すように外に連れ出した。パークの外に出るまで二人は喋らなかったが、おそらくジャックがそうさせていた。
タクシーはすぐに来て、彼女たちは帰っていった。
さて、あいつはなにを考えているんだが。
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十三号室に戻るまでに三組、騒がしくパーティーをしているトレーラーがあった。窓からは灯かりが漏れ、歌や笑い声が聞こえる、ほんの十分ほど前までは自分たちもこんな感じだったのに。キスひとつで、雰囲気はがらりと変わるらしい。
ジャックがトレーラーハウスに入っても、ライアンはさっきのままの体勢だった。気分はもう、溜め息一色だ。
「やっちゃったな」と、ジャックは皮肉混じりに言った。
ライアンは小さく反論する。「ヤッてねえ」
「同じことだ。男にとってはたいしたことじゃなくても、女の子にとってはキスは大切なものだろう」
「なんも見てねえくせに」
ジャックはカウンター近くの壁にもたれた。ソファに座ったりはしなかった。この状況でライアンの顔を覗きこむようなことはしたくないし、彼もそんなことはされたくないはずだ。
「見てなくてもわかる」
「──酔ってたんだ。」
言い訳のつもりか? 「酒は一切ない。わかってるはずだ」
そうは言ったが、雰囲気のせいかシャンメリーやコーラで酔ったようになるという話は聞いたことがある。カフェインが効きすぎたのか。
ライアンは両手で頭を抱えた。
「ああ、月曜、学校で噂になってたらどうしよう」
小学生か。「誰と誰が、なんて噂、そこらじゅうに溢れてるだろ」興味がないのでよく知らないが。
今度は毛が逆立つほどに髪をくしゃくしゃにしはじめた。
「レナに惚れてんだなんて噂がたったらどうすりゃいいんだ」
「ジェニーに感謝するんだな。彼女が電気を消したおかげで、たぶんほとんどはその瞬間を見てない。見えてない、気づいてない。それでも仮に噂がたつとすれば、まずは“ライアンがレナにキスした”だ。僕はお前が誰になにを言われるかより、とにかくレナが気の毒でしょうがないよ」
今日が終わったら、むこう三ヶ月は溜め息しか出ないような気がする。
ライアンはわけのわからないことを言いだした。「そうだよ。ジェニーになんて言やいいんだ」
バカなのことは知っていたが、やはりバカなのか。と思ったが、すでに彼は本物のバカになっているらしい。
「ジェニーが電気を消したってことは、彼女もオレが何をしでかすか予想してたってことだ。ああ、どうしよう。なんて説明すれば──」
天を仰ぐ彼を、これほど哀れに思ったことはない。本気かこいつ。
ライアンは急に思いついた。「よし、決めた。今日はお前のところに泊まる」
またなにを言いだす。「寝かせてくれなさそうなので丁重にお断りします」
ライアンはキング席に立った。
「心配すんな。俺はゲストルームを使う」
勝手なことを。
「家じゃ絶対眠れねえ。それにお前、オレをひとりにしていいと思ってんの? 親父の部屋から酒盗んで飲みまくって見つかって、家から追い出されてフラフラのまま外歩いて、あげく車にひかれるかもしれないんだぞ」
妙にリアリティーがあった。しかも、今の彼ならやりかねない。
「わかったよ」
ジャックはけっきょく、ライアンと一緒に家に帰った。




