SCENE 01
五月──ある土曜の昼下がり。
ベネフィット・アイランド・シティの東部に位置するウェスト・ランドという町の住宅街にある、去年完成したばかりのモダンテイストなデザインの家の一室。
その一角に備えつけられた一.五畳分のクローゼットの折り戸を開け放ち、全体が見渡せるよう少し離れた位置で床に座り込んだジャックは、非常に頭を悩ませていた。
一.五畳分のクローゼットを埋め尽くす、数々の服。ジャケット類にトップス、ジーンズ等、大量のハンガーで綺麗に収納された服たちと、三十を超える箱にしまわれた靴。もちろんシーズン服すべてを同じように収納してのことではあるが、四月に誕生日を迎えたばかりの十七歳の彼は、高校二年生にしては多すぎる数の服を持っている。
自分が浪費家だとういう自覚はあった。弁護士の父と、今は一線を退いた元弁護士の母を持つひとりっ子で、幼少期はそれなりに甘やかされ、欲しいものはなんでも与えられた。小学校高学年になると、“自分のことは自分で”という両親の方針と共に“人間としての成長”という期待を背負い、中学進学の時は自分専用のクレジットカードを渡され、小遣いも参考書も、学生が使う基本的な出費はそこから出すことになっていた。
カードをもらってからしばらくは、使うことをためらった。どのような場面でそれを使うのかが正解なのか、わからなかったからだ。それをはじめてまともに使用したのは、中学一年の夏だった。
ある日、地元の友人たちと一泊二日の小旅行に出かけた。子供だけの遠出で、自由奔放に好きなだけ遊び、とった宿に泊まり、誰にも監視されない少ない時間を楽しんだ。そして宿泊先の旅館の支払いをする時になって、彼らはピンチに陥った。請求されたのは予定よりもずっと高い金額。友人がネットで予約する際、料金を見間違えたのだ。
六人の少年たちは焦った。誰の親を呼ぶか。自分たちの答えを不機嫌そうな様子で待つフロント係に目をやったとき、ジャックはフロントカウンターの上にある小さなプレートに気づいた。
“ご利用可能なクレジットカード一覧”
そこに、彼の持つクレジット会社も入っていた。
財布からカードを出すと、ジャックは無言でそれを従業員に差し出した。目を丸くして驚いたフロント係に言われるまま、サインをした。友人たちはジャックのうしろに立ち、やはり目を丸くしていた。
「確かに。カードをお返しします」
従業員の言葉に安心し、友人たちは飛び上がって喜んだ。ジャックは友人たちに、何かあった時のためにと持たされたと説明した。友人たちにその気がなくても、自分専用のクレジットカードがあることがふいに誰かの口から漏れれば、心無い人間が自分の財布を、カードを盗もうとするかもしれないと考えたからだ。
それからのしばらくは、気が気でなかった。月末になればカードの明細書が家に届くことを知っていた。旅行用として渡された現金以上の支払いをカードで済ませたことを知れば、さすがに怒られるのではないかと思っていた。
案の定、月末になり、明細を見た母親のエレンから、どういうことかと訊かれた。ジャックは事実を話した。だが、怒られはしなかった。オーバーした分のお金は返してもらったのかと訊かれ、分割で返してもらう約束だと説明すると、彼女は言った。
「友情を守るために、お金はちゃんと返してもらいなさい。友情をお金で買うことも売ることもしてはだめ。プレゼントを買う場合も、相手に見合った金額で選ぶこと。少々なら奢るのもいいけど、相手の目を自分のお金に向けさせないこと」
ジャックは一度で理解し、納得した。両親にもちゃんとした考えがあったことを知った。甘やかし、豪遊させるためではなく、中学生である自分が身にあまるお金を持った時、それをどう使うか。正しい使い道を知れという意味だ。
それ以来、友人の前でカードを使うことはめったにないものの、ファッションに対する特別な知識や興味があるわけでもないのに、目についた服を買い漁るという、地味に困った癖がついていた。
同じ服を色違いで買ったり、ショップウィンドウに飾られていたマネキンが身につけている服をまとめて買ったり──高額で質の高いものを、という方向には走らず、無難で値段相応の品ばかりを購入していたので、結果的にそれほど金額がかさむこともなかったが、月に数着の服を買い続けた結果、とうとうクローゼットがいっぱいになってしまったのだ。
約一時間半、ジャックは部屋の中を行ったり来たり、座ったり立ったりしていた。部屋の中央にあるテーブルの上には、新しい服が入った白い紙袋がふたつ置かれている。
コンパクトな冷蔵庫にベッド、ソファのセットとセンターテーブル、PCデスクとチェア、そしてTVボードがひとつ。無駄に広い部屋に置かれている家具はたったそれだけなのに、クローゼットの中はいっぱいなのだ。
シングルソファから新しい服の入った紙袋とクローゼットを見やり、ジャックは今日何度目かわからない溜め息をまたついた。
その時、部屋のドアが開いた。顔を出したのは小学校からの親友で、中学時代に宿泊先の料金を見間違えた張本人でもあるライアンだ。
「いたのか」
「また勝手に入ってきたのか」
「なに言ってんだ。メールの返事がない、電話しても出ない、玄関ベルを鳴らしても応答なしで玄関のドアは開いてる。誰もいないのかと思ったぞ。これじゃ泥棒に入ってくださいって言ってるようなもんだ」ドアを閉めたライアンはそう言いながらずかずかと歩き、三人掛けのソファに落ちるように座った。
ジャックは立ち上がって黒い冷蔵庫からオレンジジュースのペットボトルを二本取り出し、その一本を彼に投げた。
「土曜の昼間から泥棒に入る奴なんていないだろ」
それを片手で受け取ったライアンは、すぐにフタを開けて二口、三口と飲み、テーブルの上にある紙袋を示しながら呆れた顔をした。
「また買ったのかよ」
ジャックもペットボトルの蓋を開けながらシングルソファに戻る。
「昨日の放課後、誘われてセンター街に行ったんだ。そこで、つい」
「カード、見せてないだろうな」
「現金だよ」
ライアンは友人たちの中で唯一、ジャックがクレジットカードを常備していることを知っている。ジャックの衝動買いを止めない代わりに、その支払いの時に友人たちの目をジャックの財布から、カードから逸らす。それはジャックの知らぬ間に、彼が自然と引き受けていた役割だった。
顔にも言葉にも出さないが、彼は今でも、中学時代のミスのことを覚えている。もしかすると、あの時ジャックがいなければ、カードを出してくれていなければ、自分は今とは違う人生を送っていたかもしれないと思っているのかもしれない。あの時、ライアンに不満をぶつけようとした友人たちに向かって、一緒に確認したはずなのに自分も見間違えていた、なにも調べなかったのに文句を言うのはおかしいとジャックは言った。少々無理やりにも思えるがそのおかげで、ライアンは友人たちを失わずにすんだのだ。
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半分ほどになったジュースをセンターテーブルに置き、ジャックはライアンに質問をした。
「それより、誕生日のプレゼントは決めたの? あと二週間だろ」
「ああ、決めたよ。めちゃくちゃ悩んだ」
「なに?」
「女だ」
「は?」
「可愛くて、ちっちゃくて、とびきり可愛い女の子だ」
なぜか両手を広げながら大きく語るライアンを見て、ジャックは呆れ全開の溜め息をついた。
「またか。去年と同じじゃないか」
「それどころか、一昨年もその前もそう言った気がする」彼はさらりと言った。
「中学の時からずっとだ。誕生日も、クリスマスも」
「しょうがないだろ。今までつきあった女とは全員、なぜか誕生日とクリスマスの前には別れてる。べつになにもねだってない。二週間前にはオレの部屋でふたりっきりのクリスマスパーティーだなーとか言ってたのに、その数日後には“サヨウナラ”だ。どういうことだよ?」
ジャックは苦笑った。「下心が見え見えなんじゃないの」
「そうだとしてもだよ。夏や秋に口説いたりした女は、簡単に家だのホテルだのについてくるんだぞ。なのに、シーズン前につきあう女とはどうしてそうならない? オレにはさっぱり意味がわかんねえ」
「知らないよ。けど意気込みすぎ。毎回毎回、今年こそはって決意が身体中から滲み出てる気がする」
「そうもなるわ」ライアンは不満たっぷりにソファに背をあずけた。「ま、万年彼女がいるお前にはわからないだろうけどな」
ジャックは小さく反論する。「万年じゃない」
「同じことじゃねえか。磁石みたいにひっついたり別れたりしやがって」
「そういうのはレイシーに言ってくれ。別れるのも戻るのも彼女が決めてる」
その言葉に、ライアンは大きな溜め息をついた。
「そこにお前の意思はないわけ?」
「意思もなにも、僕の気持ちはいつも変わってないよ。それにこれは僕たちの問題というより、彼女の問題だ。彼女が乗り越えないと、僕たちは変わらないし変われない」
彼は肩をすくませた。
「問題だらけだな、お前もレイシーも、オレも」
「問題のない人生なんてないよ」
「お前の衝動買いはどうにかすれば治るだろ」
「どうにかする気がないから問題なわけで」
ライアンは笑った。「それは言えてる。よし、決めた。今年の誕生日は年上の女たちとパーティーだ」
「バカ言うな。レイシーが許すわけないだろ」
「言わなきゃいい。それか、セッティングだけしてお前は不参加にするか。浮気するわけじゃないし、ただのパーティーだ。そんなに気を遣うことじゃないだろ」
「嘘はつかない。やるならちゃんと話すよ」
「さすがだ相棒」にやついて言ったものの、彼はいぶかしげな表情になった。「っていうかオレ、レイシーに相当嫌われてんだろな。もしかして、オレのパーティーが別れる原因になったりしてんの?」
ジャックは正直に答える。「それはないよ。彼女は他の女の子が絡むことを嫌うけど、それで別れたりはしてない。理由はもっと別のことだよ」
引き金になったことはあるにしても、そのことについてライアンに責任はない。弾があっても、銃がなければ発砲はできない。それと同じだ。
「ならいいけど」
「とりあえず年上は無理だ。まえに先輩に告白されたの、知ってるだろ。あれ以来、先輩たちにいい印象もたれてない」
「そりゃあ、相手は学園のアイドルだったんだからな。つきあってる女がいるって言ったんだっけ?」
「そう。高校じゃそんな話広まらなかったから、なんでかかなり反感買ったみたい。彼女と別の高校選ぶなんてどうかしてるとか言われたし」
ライアンはけらけらと笑った。
「んなこと言われても、レイシーは中学で一番の秀才だったしな。あいつがお前のレベルに合わせるんじゃなきゃ、一緒の高校なんてまず無理だ」
「そういうこと。ま、結果的に別の高校でよかったとは思ってるけど」
「中学の時はお前らがつきあってること、有名だったもんな。才色兼備とハンサムボーイ。なのにたまに、空気も読まずにお前に告白とかする奴がいるから、死傷者が何人出たことか」
「死人は出てないし怪我人もいない」
「心に傷を負った女たちのことだよ。お前も見たことあっただろ」
ジャックは遠い目をした。「あの時はこの世の終わりだと思った」
あの時とは中学二年の時のことだ。ジャックがレイシーと付き合っていることを承知で、彼に告白した下級生がいた。
そのことを知ったレイシーは一年の教室に行き、他の生徒たちの目が多くあるにもかかわらず、微笑んで彼女に言った。
“ジャックは私とつきあってるの。一生あなたの恋人にはならないわ”、と。
失恋の痛手に追い討ちをかけられただけでなく、告白して玉砕したことを他の生徒たちに知られることになってしまい、その下級生は泣きだした。
現場が階段の近くだったこともあり、ジャックとライアンはその光景を目撃した。その下級生はその後約一ヶ月、学校に来られなかったという。
「あの時はオレ、レイシはーは実は魔女なんじゃねえかと思った」
ライアンが言ったので、ジャックは苦笑った。
「鬼じゃないだけマシだな」
レイシーの束縛があからさまにきつくなったのは、ちょうどその頃だった。
別居していた彼女の両親が、正式に離婚を決めた頃だ。