(゜∀゜;ノ)ノ⑤
ユウカが何も話さなくなってから一ヶ月が経った。あの日、僕らが屋上にいた時のことは、もう殆ど覚えていない。特にユウカが倒れてからの記憶はグチャグチャしていて、何一つ思い出せなかった。
ユウカの病名は分からなかった。直接立ち会えたのは親族だけで、僕は手術中のランプが消えた後も、緊急治療室には入れてもらえなかった。
看護婦さんによれば
「もう少し遅れていたら、死に至った可能性もあるんですよ…」
と、いうことらしい。
馬鹿な話だ。
結局、全部僕が悪いのだ。
僕がユウカに無茶をさせてしまったから……。
初めて見るユウカの父は、何処からか炎霊祭の話を嗅ぎ付けたようで、部屋に入るなり僕を殴り飛ばした。怒りなんて微塵もなかった。当然の報いだった。
手術から五日後、僕らの部屋に帰ってきたユウカは、まるで眠っているようだった。揺り起こせば、すぐにでも起きそうな、そんな淡い希望が僕を取り巻いた。
植物人間状態、所謂脳死。
だから一生懸命、言葉をかけた。何日も何日も。でも、届かなかった。ユウカと僕の間にある目に見えない何かに阻まれて、言葉という言葉は墜ちていった。どうしようもなくて、涙が流れた。
そのうちユウカは部屋を移動した。僕の隣のベッドには知らない誰かが居座っていた。
最初の一週間は、ただ喚き続けた。
次の一週間は、自分を卑下し続けた。
次の一週間は、何をしても生きた心地がしなくて、ただ過ぎていく日々に色が無くなっていくのが分かった。
死にたい、と、思えた。
そして、一ヶ月が過ぎた。
次の一週間が始まる。
何も見たくなかった。
何も、何も。
疲れたのだ。何かに希望を持つことも、綺麗な夢を見ることも。
何もかも。
目を開くと、下らない一日が始まる。最近は寝ても寝ても、疲れが取れなくて、外に出ることも少なくなった。朝日は既に姿を変えて、昼の暖かい陽射しになっている。もう2月の下旬。殺風景だった部屋には色々と家具が置かれた。全部、隣の患者の物だった。
レトロなテレビは撤去された。古いオーディオも、来週には新しい物にするらしい。
ユウカとの思い出が消えていくのが分かった。涙は出なかった。もういやと言うほど泣いたから。
結局僕は、何もすることが無くて、ベッドに倒れ込んだ。
「あなた、来週には復帰できるそうなんでしょう?ヒロシも夜中ずっと、パパー、パパーって。あなたがいないと寂しいわ。」
「すまんな。もう少しの辛抱だから……」
カレンダーを見れば、今日は休日だった。隣の患者にはお見舞いが来ていて、たぶん奥さんとその子供だろう。ずいぶんと楽しそうだった。
死にたいと思った。
理由はどうでも良かった。
死にたかったのだ。
「ちぃーすっ。」
景気の良い声と共に、突然扉が開け放たれた。扉と壁が激突し爆音がする。隣の患者が驚いて悲鳴をあげていた。
扉の方を見て、僕も驚いた。
「斎藤さん……」
そして、もう一度驚いた。しばらく誰とも話していないせいか、僕の声は予想以上にガラガラで、自分の声だと思えなかったからだ。
「何だ、何だ?まだ生きてんじゃねぇか。全然大丈夫だな!」
何が楽しいのか大声でガハハと笑って、僕の背中を叩く。斎藤さんは、前に見た作業着とは打って変わって、パーカーにジーンズという普段着を着ていた。
そして、捨てられた筈のレトロなテレビを抱えていた。
「お前さ、なんか最近は飯も食ってないんだって?元気だせよな。どうせユウカのことで悩んでるんだろ?」
斎藤さんはそう言いながら最新型のテレビを退かした。
「ちょちょっとっ!何やってるんだっ、君は!?」
それを見ていた隣の患者が慌てて止めに入るが、斎藤さんが一睨みすると急に大人しくなってしまう。
「わりぃな。このビデオに対応してるテレビは、これしかねぇんだ。」
そして、一本のビデオテープを取り出した。
「ユウカはな、別にお前のせいで、あぁなった訳じゃねぇ。何でもかんでも勘違いして、自分のせいにすんなよ。」
テープは、ゆっくりとビデオデッキに吸い込まれる。しばらく、抑揚のないニュースアナウンサーを映していたレトロなテレビは、次の瞬間、ユウカの、
ユウカの笑顔を映し出していた。
『ぇ、なに?嘘っ?ビデオっ!?
ダメダメっ。こら、斎藤さんっ!』
目を見張った。
炎霊祭だった。
酷く遠い記憶のように感じた。
ユウカの笑った顔も、
ユウカの怒った顔も、
ユウカの悲しんだ顔も、
ユウカの照れた顔も、
ユウカのどうしようもない時に見せる飽きれた顔も、
ユウカの無防備な寝顔も、
あの日、ユウカが見せた何とも言えない顔も、
全てが、僕の脳裏を走り抜けていった。震えた。嗚咽が漏れた。涙が溢れた。もう泣けない、そう思ってたはずだった。
「好きなんだろ?ユウカのこと……?……じゃ、笑ってやれよ。」
斎藤さんはテレビを眺めながら、ベッドの縁に座り込んだ。口には火の点いていないタバコを銜えている。
僕らはきっと、世界から見たらミジンコのような存在で、今日にも明日にも消えて無くなってしまう程ちっぽけな生き物で、だからこそ、今ここに、生きるための意味ってものを必要としていて。
そんな僕にとっての生きる意味は、ユウカが居ること、そのものだった。
だって、ユウカは、色のない僕の世界に色を見せてくれたのだ。今度は僕がユウカに“色”を見せる番だ。
「斎藤さん。」
「んぁ?」
「ありがとうございます。」
「良いって、良いって。」
斎藤さんは、そう言ってヒラヒラと手を振った。レトロなテレビに炎霊祭の塔が映る。酷く胸が痛かった。
フワリと、火の点いてないタバコから煙があがった、気がした。その見えない煙を全て吸い込んで、僕は斎藤さんの目を見た。
「ユウカの所へ行きます。」
「そうするといい。」
気が付けば、僕は病室を飛び出していた。裸足で感じる2月の廊下は、冷えた鉛のように、ただただ冷たかった。久しぶりに肌で何かを感じて、僕は笑ってしまった。
笑えて、笑えて、止まらない涙が口元に滑り込んだ。
すれ違う人々が不審な目付きで僕を見たが、僕の頭は、これからユウカに話す下らない話題でいっぱいだった。
(゜∀゜;ノ)ノ
「そう、それで『月影バンパイア』は終わり。まさかね、カゲヤと付き合うなんて……。ユウカも驚いたでしょ?だって、最後の最後まで月野君で引っ張ってたのに、結局はバンパイアの血がなんだのでカゲヤと付き合うんだから…」
綺麗な夕日が、姿を見せる午後4時。ユウカの新しい部屋は南向きで、最後の灯が窓辺から差し込んでいた。今の方は、前の二人部屋よりちょっと狭くて、それでも一人では広すぎた。そして、部屋の中央、沢山の医療機器に繋がれた、あの日と何も変わらない姿をしたユウカがいた。一定の拍動が機械音として変換されて、エコーのように部屋に反響する。
静かだった。
「………。」
誰かが言っていた。人は死んだら、死の世界に行く。じゃあ、ユウカは今どこにいるんだろうか。
いや何処にもいないかもしれない。
何を考えているんだろうか。
いや何も考えていないかもしれない。
僕の心臓の音が、やけに大きく聞こえた。それくらいに静かだった。
だが唐突に、その沈黙は破られた。音のした方を振り返れば、何処かで見たような看護婦さんが、大量の書類を抱えて部屋に入って来る所だった。
「篠田君、ここに居たのね。色々探し回っちゃったわ……。」
看護婦さんは、そういって荷物を丸テーブルにドカリッと置いた。
「どうしたんですか?」
「喜んでよっ?…退院できるわ!」
驚いた。
どうやら予想外の反応らしく、看護婦さんは溜息をついていた。
「どうしてですか?」
「肝臓の提供者が見付かったの。」
何と言えばいいのか、僕には、よく分からなかった。喜んで良いのか、悲しむべきなのか、何一つ分からなかった。
「誰なんですか?」
「何が?」
「提供者。」
「………。」
その僕の一言で看護婦さんは言葉を詰まらせた。波のように押し寄せる沈黙が再び僕らを包んだ。聞こえるのは、ユウカの拍動を示す機械音だけ。やがて、沈黙の一波に流されて、看護婦さんの言葉が僕の鼓膜を捉えた。
「……ユウカちゃんよ……。」
(゜∀゜;ノ)ノ