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ささやかな仕返し

掲載日:2026/06/08

「側妃だの愛妾だのと、ずいぶん下劣なことを言うじゃないか」


 王太子であるクリストフは、不機嫌な表情で唇を曲げた。

 義務付けられた交流会で、婚約者であるハイデマリーから近頃親しく接している女生徒について言及されたからだ。


 クリストフは幼少から王太子となるべく育てられてきた。

 よって、幼いころから自分を律して成長してきたし、王太子らしい振る舞いを心がけ、ほかの兄弟の追随を許さない立場を築いてきた自負がある。


 それゆえに、それだけに心血を注いだために、芽吹いた幼い恋心をせき止めるすべを知らなかった。



 はじめは密やかに、友人として好意的な態度を示すことができるだけで十分満足だった。

 もちろん、不自然ではない程度に、ほかの友人たちと同様の頻度や熱量で。

 授業に積極的に参加する姿勢だとか、熱心に委員会に取り組んだりだとか、周りの生徒にも良い影響を与えてくれていたし、そうすること自体はおかしなことではないはずだ。


 けれどやがて、彼女のささやかな反応の一つ一つに心が湧くようになり、すとんと腑に落ちた。



 ああ、これが恋か。



 日差しを浴びているようなあたたかな、息がうまく吸えないような、言葉がうまく出てこないような。

 歌劇や物語でしか存在を知らない、目に見えない不確かなもの。



 決してハイデマリーに不満があるわけではない。

 それでも、彼女と人生を歩むことができたら。

 自分を支えてくれる女性が彼女であったなら。


 彼女が婚姻に足る身分であるがゆえに、クリストフは慕情を断ち切ることができなかった。

 そして彼女の瞳にも同じ火が宿っていると気づいた日、お互いにお互いの気持ちに気が付いた、と目を見て分かってしまった日。

 叶うことが叶わないこの愛情を分かち合うことだけが自分たちの愛であると、その瞬間に理解しあったこの日のことをクリストフは生涯忘れないだろう。


 そしてそれを理解できてしまったからこそ、それからも仲のいい学友程度にしか付き合ってこなかったのだ。

 火遊びどころか火種ですらないのだ。

 学生時代の思い出にする決心をつけて、短い時間を惜しみながら過ごすだけでしかないのだ。


 なのにまさか相手の名前が婚約者の口から飛び出すなんて。

 気まずさと同時に、底冷えする嫌悪がクリストフの全身を舐めた。



「私に監視をつけているのか?君はそういったタイプではないと思っていたが」


 とげとげしい口調を抑えることもできずに、クリストフはハイデマリーのをねめつけた。

 ハイデマリーと婚約して2年、少女から淑女へと成長していく彼女は相変わらず美しく、陶器と見まごう美しい頬を少し緩めるだけだ。


「おかしなことをおっしゃいますこと、殿下には四六時中警護がついているではありませんか」

「それがどうした?話を逸らすんじゃない、彼女のことをそのように見たことはない」

「わたくしに殿下のお話をしてくださったのは皇后陛下ですわよ」


 貴族特有の遠回しな表現を正しく受け取り、クリストフの背が冷える。

 警護が日々の報告を行うのは当たり前のことだ。

 当たり前のことだが、クリストフは自分たちの行動をひどく密やかだと思っていたし、なにより警護たちが仕えているのはこの国の国王並びに王妃であることを失念していた。

 つまり、自分の恋心が周囲の良心によって秘匿されると思い込んでいたのだ。


 王妃、クリストフの実母は国王を立て内助の功に長けた人物であるが、息子の女性関係についてどのような意識を持っているか、クリストフは正しく認識していなかった。

 しかし、いまだ学生だというのに、婚約者がいるというのに、距離が近い女性がいることを知っているとその婚約者に告げるということは。

 王妃が知っているのであれば国王ももちろん知っているだろう。

 王太子の地位が揺らぐことはないだろうが、ことによっては悪印象だ。

 継承位を持つ面々がすでにほかの進路に舵を切り始めているとはいえ、挿げ替えられる可能性がないわけではない。


 クリストフの呼吸が浅くなる。

 なぜだ。

 王族は恋をしてはいけないのか?

 恋を手に入れようとすらしていないのに?

 なぜ。なぜ。なぜ?

 手に入れる方法すら存在していないのだから、思い出の一つくらい欲しがったっていいじゃないか!








「わたくしは、殿下がお望みでいらっしゃるかどうかをお尋ねしただけですわ。もしお二人の間にそのおつもりがあるのでしたら、根回しが必要でございましょう?」








 ハイデマリーが何かを言った。

 反射的にクリストフが視線を向け、遅れて言葉を反芻する。

 今日、ハイデマリーは、今、先ほど、なんといった?

 そう、席について、侍女たちが少し離れた位置まで下がってから。

 記憶をたどり、1つずつ順番に思い出す。



 そもそも側妃や愛妾なんて、王太子や国王だからと無秩序に召し上げられるものではない。

 今の国王には側妃が二人いるが、一人は同盟国から友好の懸け橋となるべく嫁いできた妃であるし、もう一人はこの国の食糧庫を担う領とのつながりを深めるための婚姻であった。

 そのどちらも女傑と言える功績を持ち苛烈な性格であるため婚姻後の関係性が危ぶまれたが、王妃の胆力のおかげか、意外と仲は悪くない。

 それぞれ国王との仲も悪くなく、ここにさらに愛妾などという存在を据える必要がないというのが今の国王夫婦の関係性である。


 しかしクリストフとハイデマリーは今のところ、表面上は婚姻前から側妃の心配をしなければならないような状態ではない。

 性格が全く合わないということもないし、国政の得意分野はむしろクリストフとハイデマリーだけでバランスがいいくらいだ。

 現時点の情勢も国王夫婦たちのおかげで安定している。

 となると、今の時点で彼女を召し上げようとすると愛妾以外のポジションが難しいのだが、卒業もしていないうちから愛妾になる前提で話を進めるには彼女の身分が高すぎた。


 この国では子が為せなかったと判断されるまでの期間は3年と少々長く、彼女の身分では独り身のままで待つことは許されないであろう。

 クリストフとハイデマリーの仲も険悪ではない以上、婚姻までの後わずかな時間で側妃候補として彼女を推薦するにはハイデマリーの協力が必要不可避であると、クリストフはこの瞬間まで考え至ることができていなかった。


 二人の間をぬるい風が渡っていく。


 ハイデマリーは白磁のティーカップを唇に寄せ、ゆっくりと一口味わった。

 渋みが強い。うららかな陽光に合わないこの茶葉はクリストフの最近のお気に入りだが、件の令嬢のお気に入りでもあった。

 交流会でこの紅茶が出るのはもう4回目であるが、クリストフはこのメッセージにも気づいていなかったようだ。

 ハイデマリーに次いでカップに口をつけた後、明らかに動揺している。


「『そう』ではないのでしたら、わたくしはなにも致しません」


 ほろりと笑う。


「わたくしから例の方に近づくこともございません、ご心配でしたら影をお付けくださいまし」


 まるで自分がそう申し入れられたかのような返事をしながら、季節にすら合わせた柔らかな笑みがハイデマリーの頬に浮かんだ。

 在学中のささやかな火遊び、そのようなものが存在するのはハイデマリーだって知っている。

 ただ、推奨もしないし否定もしない。それだけだ。


 視線を向けずにクリストフの落胆を読み取ったハイデマリーは、ほんの少しだけ強く息を吐いた。

 ため息にすらなりえないそれに、自分でも気づかないまま苛立ちを抱えていたことを知って内心苦笑する。


 いずれ同じ程度の地位を約束されているとしても、今のハイデマリーは一令嬢に過ぎない。

 婚約者だといえ、一方的にクリストフに監視をつけるなど以ての外だ。

 王家の警護とかち合ってしまえば流血沙汰は免れないだろうし、事前に話を通すとしてもいったいどのように申し伝えればいいものか。

 万が一婚約解消となれば王妃教育を終えた自分の命は無いという初歩的なことすら今のクリストフの頭にはないに違いない。

 愛し合っているわけではないとはいえあんまりである。


 恋は盲目というものの、王太子ともあろうものが自分の感情に振り回されすぎではないだろうか?

 立場を教えてやりながらも少しばかり意地悪めいたやり方になったとしても仕方のない話だ、ご愛敬だと思ってもらおう。

 ……ただし、次はない。


 最後のひとくちを飲み干し、ハイデマリーは静かにカップを置いた。

手に入れられたのかも、という後悔を抱き続けることを手打ちとするハイデマリー

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