’25阿波踊り始末記
◆地域イベント
関東に住んでいた頃、旧友を誘って、ある商店街の阿波踊り見物に行った。
二人は言葉を失い、急きょ、目的を高校のミニ同窓会に変更した。
「まったく、阿波踊りをバカにしとる」
怒りが収まらぬ筆者を、おだやかな性格の旧友はなだめた。
「もう、ええわ。飲も」
◆どうにかなるさ
盲導犬ユーザーとなって初めて、阿波踊りに参加した。いや、正確には、人生で初めて、である。
実のところ、高校OBのにわか連で一度踊っただけだった。ああいうのを経験にカウントしていたら、徳島では袋叩きにされかねない。
「徳島の盲導犬を育てる会」の方で、練習の機会も設けられていた。
ただ、筆者の住む池田からは遠い。そのため、地元・徳島文理大学連との合同練習の様子を収めた動画も送られてきた。
いざ開いてみると、もはや筆者の目では画像は認識できなくなっていた。ぶっつけ本番である。
◆水もしたたる
集まった盲導犬は七組。うち三組は県外勢。大学連のサポーターなどを含めて、我が「ハーネス連」の踊り子は六〇名近くに及んだ。
着付を済ませ、いよいよ演舞場へ出発する。
ホテルの近くで練習している時、パラパラと来た。
演舞場に近づくにつれ、雨脚は強くなる。
降りしきる雨の中で出番を待つ。ハッピの袖から水滴がポタポタとしたたっていた。
視覚障害者と阿波踊り——。正直言って、ピンと来なかった。
「歩いているだけの人もいますよ」
何年か前、参加をためらっていると、ユーザー仲間の旦那さんがハードルを下げてくれた。
しかし、それでは東京で見たのと変わらないではないか。
◆願いよ 届け!
この期に及んで、悩んでいる場合ではなかった。
娘に寄り添われ、相棒の盲導犬・エヴァンとともに踏み出した。
左手はハーネスを握っている。右手は娘の左肘に添えている。ところが、足はちゃんとリズムを取っていた。
やはり徳島県民の血が流れていたのだ。
ヤットサー
ヤットサー
ヤット
ヤット
踊りは
ハーネス!
徳島の
盲導犬!
一かけ、二かけ、三かけて
しかけた踊りはやめられぬ
五かけ、六かけ、七かけて
やっぱり踊りはやめられぬ
息もぴったり、ノリノリである。エヴァンの足取りも軽い。
次の演舞場に移動していると、ますます雨脚が強くなる。
ふと、全国で起きている水害のことを想った。
「負けてたまるか!」
被災地さらには戦争・紛争、自然災害などに苦しんでいる人々に、エールを贈りながら、力強く鳴り響く太鼓と鉦の音を聴いていた。
◆初めの一歩
(だけど、あの天候だから、見物客は少なかっただろうな)
心残りはこれだった。
娘に桟敷席の様子を聞いた。
「もう、すごかった。一杯だったよ」
半世紀ほど前に見た東京の阿波踊り。今ではすっかり地域のビッグイベントに成長していると、区のHPで紹介されていた。
誰も初めはビギナー、初心者である。まあ、開き直ることなく、次回は少しくらい上達した踊りを披露しなければ。