過去からきた幼なじみ 6 映画と電話
1.
「そういえばさ」
ひかりは満腹で苦しそうに深呼吸をするかえでのことなど気にもせず、ティーポットに入っているほうじ茶をコップに注いで飲む。
「さっき着替え取りに行ったときにも思ったけど、やっぱりあのマフラー、どっかで見たことある気がするのよね・・・。どこの店だったかなぁ」
「さっき自分で手作りって言ってたじゃん」
かえでは自分の心臓がどきん、と跳ねるのを感じた。
そんなかえでのことなんてもちろん気づくこともなく、ひかりは「うーん」と何とか記憶を心のスコップで掘り出そうと唸っている。
「あ・・・わかった」
はっとするように、ひかりは目を見開いた。
「俺が誰からあのマフラーをもらったか?」
かえでは緊張しながらひかりに問いかけた。わかったとしても問題はないはずなのだが、それでも照れ臭い気持ちがあった。
しかし、かえでの予想していたものとは異なる答えがひかりからは返ってきた。
「そうじゃなくて、私が来た日」
その言葉に、かえでの表情が固まる。
「いつ?」
かえでは恐る恐る聞いた。
「14日」
ひかりは確かめるように何度も頷く。まるで自分に問いかけているようだった。しかし、ぼうっといるのかその目の焦点は合っていない。
「2月14日だ。うん。そう、バレンタインデーだった」
かえでの跳ね上がった心臓がひゅん、と縮みあがった気がした。きんと耳鳴りがするが、なぜかテレビの音だけはいやに大きく響いている。
「ほんとうに?」
かえでは何とかそれだけ言う。この一瞬で口の中がからからに乾いていた。のどが貼りつく感じがして、それだけ言っただけなのにむせそうになる。
「うん。間違いない。はっきり思い出した。14日だった」
記憶が戻ってうれしいのだろう、ひかりは何度も頷いている。まるで赤べこのようだった。
「なに?あんたなんでそんな怖い顔してんの?」
ひかりはかえでの顔を見て怪訝な表情を浮かべる。ひかりとは裏腹に、かえでの表情が苦悶に満ちていたからだ。
「いや、なんでもない」
かえではそう言ってごまかすように笑ったが、自分でもそれがぎこちない笑みになっていることがわかる。がんばって平静を取り繕おうとしても、顔が強ばって表情筋をうまく動かせることができなかった。
「そんな、いくらバレンタインデーが憎いからってそんな顔しなくても」
ひかりはそんなかえでの様子に戸惑いながらも、軽口をたたいた。
「憎いけども。1年で1番嫌いな日だけども」
かえでも何とかふざけた口調で応えた。しかしその言葉に偽りはなかった。ひかりが考えてることとは異なるだろうが、バレンタインデーはかえでが世界で1番嫌いな日であることに間違いはない。
「2月14日のどこで、どうやってここに来たんだ?」
早口でそう問いかけながら、かえでは頭の奥と右手がびりびりとしびれていることに気づいた。これはコーヒーでも淹れて多少なりとも落ち着いた方が良いかもしれない。
「え?えっと、それは・・・ごめん。まだ思い出せない」
かえでの様子が変わったことにひかりは困惑していた。記憶が戻ったことでかえでも自分と同じように喜ぶと思っていたのだ。
「そうか」
かえでは深くため息をついた。ひかりの記憶が戻ったことは喜ばしいが、それ以上に厄介なことになってしまった。かえで一人には荷が重すぎる。このままでは重すぎてぺったんこになって風にとばされて南の島まで行ってしまいそうだった。
「ま、そのうち思い出すわよ。とりあえずさっ、映画でも観ようよ。あれ観れるんでしょ?一緒に観に行く予定の。1年前だとまだ配信されてないやつ」
ひかりは気を取り直すように、ぱん、と両手を合わせて明るく言った。
「その手があったか」
かえでもひかりに調子を合わせた。とりあえず考えるのは明日にして、今はひかりと楽しく映画を観よう。1年前にひかりと観に行きたかった映画が、ちょうど配信されている。少し前の映画だが、1年前にリバイバル上映されていたのだ。
ずっと観たかったが、理由があって観れなかった作品だった。
「一足早く観てさ、1年前のあんたに嫌がらせしてやろっと」
かえでは聞こえないふりをしてコーヒーを淹れる準備をした。ひかりは鼻唄を歌いながら、ポップコーンとアイスをソファーの前にあるテーブルに置く。
「はやくはやく」
ひかりが待ちかねるようにソファーに座りながら体をゆする。
「はいはい」
ほんとうによく食べるな、と苦笑しながらかえではヤカンに火をかけた。
2.
ひかりは映画を観終わると、「たのしかったー」と、満足そうに伸びをした。観たのはフランスの恋愛映画だった。音楽と映像がとてもかわいくて、恋愛映画かこれ?というストーリーだったが、心がほんわかする映画だった。
お互いに映画の感想を言い終えると、ひかりは歯磨きをし、「明日もなんか観よーね」と言って寝室へと消えていった。
かえではそれからリビングのストーブを消し、シャワーをさっと浴びた。そのあとドライヤーで髪を乾かすと、ひかりがいる寝室の前に行き、こっそりとドアを開けた。暗くてひかりの顔は見えないが、ひかりはすでに眠っているようだ。
かえではそっとドアを閉めると、自室から掛け布団を持ってリビングに戻った。今日はリビングのソファーで寝るつもりだった。何となく、自分の部屋にいたい気分ではなかった。
かえでは丁寧に歯磨きをすると、スマートフォンのロックを解除し、通話アプリを立ち上げた。あの人が起きている可能性は低いだろう。何よりこんな時間に電話することが失礼である。
しかし電話せずにはいられなかった。もし寝ていたら、電話ごしに土下座をかますしかない。
3.
「・・・君、いま何時かわかる?」
何回目かのコールでみつる先輩は出てくれた。相変わらずの淡々とした声は怒っているのか、はたまた通常運転なのか、寝起きなのか、それとも起きていたのか判断がつかない。
「すみません」
ひかりに聞こえるはずはないのだが、つい小声になってしまう。かえでは感情のこもっていない先輩の声を聞いて、安心していることに気づいた。この人はいつでも変わらない。それがとても心強い。
「謝るってことはわかってるってことだね。ゆるさん」
どうやら怒ってはないないようだ。恐らく。多分。
「寝てましたか?」
「寝るとこだった」
「意外と遅くまで起きてるんですね」
みつる先輩の場合、たとえ寝ていたとしても意外と思ってしまいそうではある。
「――で、たぶん急用だよね。ひかりさんのこと?」
かえでの話は無視して、みつるは話を進めた。さすが先輩。話が早い。
「そうなんです。ひかり、2月14日から来たそうです。1年前の」
電話の向こうで、みつる先輩がささやかに息をのんだのがわかった。やはり、話が早い。
「――それは、確かに?」
みつる先輩がゆっくりと確認するようにささやいた。しかしその声に動揺は感じられない。
「本人が言っていたので間違いないと思います」
「そっか。それってつまり・・・」
「そうです」
かえでは小さく息を吸い込んだ。気を抜くと声が震えそうになるのを懸命にこらえる。
「――ひかりの、命日です」
1年前の2月14日に、ひかりは交通事故で死んでいた。