過去から来た幼なじみ 1 再会
「よっ。げんきしてる?」
相坂ひかりはあの頃と変わらない姿で、柊かえでの前にあらわれた。
「え、なんで?」
かえではひかりの顔を見て、それだけ言った。というよりそれだけしか言えなかった。逆にそれだけ言えた自分にハグをしてやりたいほどだった。この状況でよくそれだけ言えたね、と。
2月に入っても寒さは1月と変わらず、というよりもさらに厳しく感じるようになった。夕方とよばれる時間はとても短く、この時期は心のどこかで郷愁感みたいなものがふわふわと浮いている気がする。
かえでは学校から家に帰り、部屋着に着替えたばかりだった。部屋着とは、自分の誕生日に美鶴先輩から「やるよ」ともらった上下のスウェットのことである。何てことはない某大手チェーン店のものではあったが、これはもう乳首が透けるまで着たおすしかないっしょ、と意気込むほど、かえでにとってはうれしいプレゼントだった。
今日の夜ご飯は何にしようかと考えているときに玄関のチャイムが鳴った。部屋に備え付けてあるモニターで確認してみたが、チャイムを押した人物はわざとカメラには映らないところに立っており、その姿を確認することはできなかった。平屋で一人暮らし中のかえでにとって、モニターに映らない訪問者というものは実に恐ろしい。
その時点で何か起こりそうな気はしていたのだ。この予感は初めてのことではないのだから。
そうして、恐る恐る玄関のドアを開けたかえでの前に、ひかりが立っていたのだ。
「なんか、来ちゃった」
ひかりは恥ずかしさを隠すように、上目遣いでぎこちない笑みを浮かべている。前髪をそろえた真っ黒なショートカット、猫のようにまんまるとした目は本当にあの頃のままだった。
「来ちゃったって・・・どこから?」
かえでは意味もなくまわりを見まわしながら尋ねた。今のかえでは、片足は玄関ホール、もう片足は土間という体勢でドアを開けている。まるでバレリーナか俺は、という体勢である。
「たぶん1年前?あんたからしたら、過去から?わたしからしたら、未来にきた?って感じ?」
ひかりは困ったように笑いながら、わざと明るくしているような口ぶりでこたえた。
「は、へえ・・・」
かえでは間の抜けた返事をして、現実時間で5秒、脳内時間では15分ほど硬直した。自分の体感時間を操作することなど、かえでにとってはお手の物である。
「こんなそっくりな妹がいたのか。でもそのジョークは笑えないぞ」
かえでは、とりあえずこういった場合のお決まりのセリフを言ってみた。これで妹なら万事解決だし、現実的なことしか信じない常識人な自分もアピールできる。それをひかり(仮)にアピールしてどうするのか、そもそもこのアピールに意味があるのかはさておき、だ。
「妹なんていないって。あんたもそれくらい知ってるでしょ?小学校のころからわたしの家に何回も遊びに来てんだから。あ、もしかしてこれ信じてないやつ?」
ひかりは、かえでが本気でそんなことを言っているのかを決めかねているらしく、焦るように少し目を泳がせ始めた。それはまるで平泳ぎで軽く25メートルは行けそうな泳がせ方である。
「で、ほんとは誰なんだよ」
そう言いながら、かえではついにバレリーナの体勢をやめ、300円で買ったスリッパを履いた。某有名スリッパを真似たデザインだが、そこそこの履き心地なのでコンビニへ行くときに重宝している。
「まぁ落ち着け。気持ちはわかる。わたしだってびっくりしてんだから」
手のひらをこちらに向けながら、あきらかにかえでより落ち着いていない様子でひかりは言った。
「ひかりが、ここにいるわけがない。ありえない」
もちろん、かえでの脳内も絶賛パニック中である。しかし、それはひかりが過去から来たということに対してではなく、目の前にひかりがいるという現実に対してである。
「ありえないって言ったってさぁ、実際こーして私はいるわけだし。え、なに?さわってみる?」
そう言いながら、ひかりはおどけるように両手を広げて見せた。かえでもそれに応えるように、ゆっくりと両手を前に伸ばす。
「ちょっと、どこさわろうとしてんのよ」
ひかりが驚いたようにあとずさり、まるで汚いものを見るように目を細くしてかえでを睨んだ。
「顔だよ!」
かえではそう叫びながらひかりの両頬を思いきりつまんだ。
「いへぇ」
いてぇ、と言いたいであろうひかりの頬を、かえでは容赦なくひっぱった。本物だった。間違いなく。まあ、なんたることでしょう。
「どう?信じた?」
ひかりは自分の頬をやさしくさすりながら涙目でこちらを見る。
「信じないなんて言ってないだろ。信じてるよはじめから」
ひかりの恨めしい視線を浴びながら、かえではため息をついて言った。こちらも涙が出そうになるのを必死にこらえながら。
「だよね。あんたならそう言うと思ってた。こういうこと初めてじゃないもんね。ん?でもさっきあんた、ありえないって言ってなかった?」
「そうだよ。ありえないことが起こってるから信じたんだよ」
「なるほどねえ。よくわかんないけど。あーあ。信じてもらえない場合も考えてたんだけどなあ」
そう言いながらも安心したのか、ひかりの表情がやわらかくなった。
「例えば?」
試しにかえでは聞いてみた。
「あんたさ、小学校5年生のときに香りつきのねり消し食べてトイレで吐いてたでしょ?あと私の家で少女漫画読みあさってたし、学校行事の前日は緊張していつも腹痛でトイレにこもってたわよね。当日はクラスメイトの前で余裕ぶっこいて涼しい顔しながら参加してたけどさ。今もそうなわけ?」
ひかりはまくしたてるように一気に言った。どうやら信じてもらえないことを想定して、事前に練習していたようである。
「やめてよ!せっかく信じたのになんで言うかなこの子は!信じられないんですけど!」
かえでは両手で顔を覆った。
「あんたさっき信じてるって言ったばっかじゃない。もう信じられなくなったわけ?それに、例えば?って聞いてきたのもあんたでしょ」
「ぐう」
「初めて聴いたわ。ぐうの音」
ひかりは勝ち誇ったように鼻をふん、と鳴らした。このようなやりとりをしていると本当にあの頃に戻ったような気持ちになる。
「ま、あんたが変わってなくて安心した」
「1年そこらで変わらないだろ」
かえでは苦笑しながら頭を掻いた。そうだ、あれからもうすぐ1年が経つのだ。
「そんなことないでしょ。高校一年生なんて多感な時期なんだから。男子、三日会わざれば刮目して見よって言うしね」
「あと2か月で2年生になるけどね。そんな言葉よく知ってるな」
「とりあえず、中に入れてくれない?寒いんだよね」
ひかりは両手で自分を抱きかかえるようにしながら縮こまった。確かに今は1月下旬、夕方以降はさらに冷える。改めて確認すると、ひかりは薄手のパーカーしか着ていなかった。空はすでに赤紫色に染まっており、風も出てきている。
「確かに。まぁ、きれいなところだけど入りなよ」
「おっ、余裕じゃん」
そう言いながらひかりは弾むようにぴょんと玄関に入った。かえではひかりがいなくならないように、無意識に玄関の鍵とチェーンをかけていた。
「あれ?お母さんは?」
手を洗ってからリビングに入ったひかりはきょろきょろと中を見回した。かえでは対面式のキッチンに行き、ヤカンに水を入れたあと火にかける。
「1年前から父さんと山梨に住んでるよ。紅茶?緑茶?ほうじ茶?コーヒー?俺?」
「ほうじ茶。きも。え、なんで山梨?」
ひかりはリビングに置いてある灯油ストーブに手をかざして、立ったままテレビを観ている。あ、まだこれやってるんだ、と流れているテレビ番組を観てつぶやいた。
「父さんが山梨の職場に異動になったから、ついてった」
「なに、お父さん左遷されたの?あんたは?ついていかなかったの?」
「栄転だよ。多分。少なくとも父さんも母さんも俺もそう信じてる。俺は今の高校に受かってたからここに残りたいって言ったんだよ」
「へ~、反対されなかったの?」
「俺も男だし、もう高校生だし、父さんもこの家買っちゃってるしで、結構すんなりOKだった」
「ふーん。母親はあんたを選ばなかったわけね。あんたのとこの親も仲いいもんね。じゃあ、もしあんたも山梨に行ってたら、私はこうしてあんたに会えなかったわけだ」
「まあね」
かえでは2つの湯飲みを用意し、それにほうじ茶のティーバッグを1つずつ入れるとキッチンに置いてある折り畳み式の椅子に座った。
「で、あんたは最近どうなの?」
「なにが?」
ひかりはいつの間にかソファーの上に寝転んでいた。さらには足で靴下を脱ぎ始めている。なんと手を使わずに、だ。信じられるか?年頃の乙女が人の家のソファーの上でこんなあられもない姿を、年頃の紳士の前で晒しているのだ。お下品ってもんじゃないのかこれは。
思えば、こいつは昔からそうだった。いつも周りの空気を読み、気を遣ってわざと明るく振る舞っているが、気を許した相手には自分を取り繕うことなく自由に振る舞ってくるのだ。
ひかりのそういった部分はかえでと同じだった。
かえでも周りの人に嫌われないように、常に明るく振る舞ってきた。いつしかそれが癖のようになってしまい、反射的に明るく立ち回るようになってしまった。
まあ、そのおかげで今までは上手くやっていけたのだけれども。これからも、はどうなるかわからないが。
しかし、とかえではひかりを見る。
俺は気を許した相手でもここまで自由な態度はとれない。
「なにがって、高校よ。楽しい?」
当然でしょ?と言わんばかりのあきれた口調で、ひかりは顔だけかえでに向けた。
「別に」
「中学の時はクラス委員やったり、部活もがんばったりしてたじゃない。今も水泳やってんの?」
「やってないよ。水泳はまだ趣味でやってるけど」
かえでとひかりは保育園のころから小学校まで同じ水泳教室に通っていた。それで仲良くなったのだ。中学校ではお互い水泳部に所属し、県大会までは出場できるほどの実力だった。
「じゃあ、何してんの?」
「別に、なにも」
「なにも?あんたが?あんだけ中学で陽キャを極めたあんたが?」
ひかりは上半身をむくりと起こしてかえでを見る。
「わるい?」
かえでは湯飲みにお湯を注ぎながらひかりを見た。一応、部活には入ってるけど、と言おうとしたが、面倒くさいことになりそうなのでやめた。
「へ~。意外だったわ。私はまだやってるわよ、水泳。あ、知ってるか」
ひかりはまたソファーにばたりと倒れこんだ。その勢いでさきほど脱いだ靴下の片方が宙に舞った。
「そういえば自分の家には行ってみたの?」
かえではほうじ茶が入った湯飲みをソファーの前にある机に置いてから聞いた。香ばしい香りが部屋中に広がる。そりゃそうだ。そこそこいい茶葉を使っているのだから。何ならかえでは緑茶を自分で炒ってほうじ茶を作ることもある。
ひかりは、がばっと体を起こし、パーカーの袖をひっぱり両手を覆うと、そのまま湯飲みを持って慎重に口をつけた。そうしてほうじ茶を一口飲むと、ほっと息を漏らした。
「行けなかったのよ。だって未来の私もいるわけでしょ?きっと大騒ぎになるわよ。だって未来の私でしょ?絶対に大騒ぎするわよ」
「2回も言わなくてもいいだろうに。ん?え?まてよ・・・。てことは・・・?」
そう言ってほうじ茶を飲もうとしたかえでだったが、嫌な予感がしてそのまま湯飲みを置いた。
ひかりは両手で湯飲みを持ったまま、そんなかえでをいたずらっぽいくりくりとした目で見つめる。
そして、甘えるように言った。
「と・め・て」