外交と内政の新たな挑戦
王宮の会議室に、これまでにない顔ぶれが集まっていた。オズボーン公爵、ランカスター伯爵、そして改革派のサマーセット侯爵ら8名が、同じテーブルに着いている。
「まず、委員会設立の意義を確認させてください」
アリアが会議を開始した。
「この委員会は、対立ではなく建設的な議論により、国民にとって最善の政策を見つけることが目的です」
オズボーン公爵が資料を開いた。
「王女殿下、まず現状の問題点を整理しましょう。緊急支援制度により一時的な安定は得られましたが、根本的課題は残っています」
「具体的には?」
「財源の持続性です。商人ギルドからの10%拠出金では、3ヶ月が限界でしょう」
ランカスター伯爵が続けた。
「私の領地でも、支援を受けられない困窮者が多数います。選別基準が厳しすぎるのです」
一方、サマーセット侯爵は異なる懸念を示した。
「商人たちからは『拠出金が重すぎる』という不満が出ています。これ以上の負担は、商業活動の萎縮を招きます」
早くも委員会内部で意見の対立が表面化していた。
「では、どのような解決策が考えられますか?」
アリアの問いに、沈黙が流れた。誰もが問題は理解しているが、解決策は見つからない。
「王女殿下」オズボーン公爵が重い口を開いた。「完璧な解決策は存在しないということを、改めて認識すべきかもしれません」
「では、最善策を模索しましょう」
アリアは現実的なアプローチを取った。
「段階的支援制度の修正、財源の多様化、そして何より、支援に頼らない根本的な経済構造の改革です」
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会議の翌日、アリアは支援制度の実施状況を視察した。王都の職業訓練センターでは、複雑な現実が明らかになっていた。
「王女様、現状をご報告します」
制度責任者のジョン・ワークマンが苦い表情で説明した。
「申請者は2,000名を超えましたが、予算の関係で支援できるのは600名のみです」
「選別はどのような基準で?」
「家族の人数、収入減少の程度、年齢などを総合的に判断していますが...」
ワークマンは言葉を濁した。
「問題があるのですか?」
「選別から漏れた申請者からの激しい抗議です。『なぜ彼は支援されて、俺は駄目なのか』と」
訓練センターの外では、支援を受けられなかった職人たちが集まっていた。
「王女様!」
石工のピーター・ストーンカッターが声を上げた。彼は60歳で、新技術習得が困難な高齢職人だった。
「私は40年間この国のために働いてきました。しかし、支援は若い職人ばかり。我々高齢者は見捨てられるのですか?」
アリアは痛いところを突かれた。確かに、支援制度は技術習得可能性を重視し、結果として高齢者が不利になっていた。
「ピーターさん、制度を見直します」
「見直しても、予算が増えるわけではないでしょう?結局は誰かが犠牲になる」
ピーターの指摘は的確だった。限られた資源では、全員を救うことは不可能だった。
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支援制度の限界が明らかになる中、予期しない問題が発生していた。
「王女殿下、治安が悪化しています」
治安担当官のデイビッド・シェリフが緊急報告に来た。
「支援を受けられなかった困窮者による犯罪が増加しています。特に、食料の窃盗と、支援受給者への襲撃事件が多発しています」
「襲撃?」
「はい。『なぜあいつは支援されて俺は駄目なのか』という怒りが、受給者への恨みに向かっています」
これは予想していなかった副作用だった。支援制度が、支援されない人々の怒りを増幅させていた。
「昨夜も、支援を受けた若い職人が、支援されなかった高齢職人に襲われる事件がありました」
「負傷者は?」
「軽傷ですが、両者の間で激しい口論となり、近隣住民も巻き込んだ騒動となりました」
さらに深刻な報告が続いた。
「一部の急進的な改革派が『支援制度は手ぬるい』として、独自に活動を開始しています」
「どのような活動ですか?」
「商人への直接的な圧力、時には脅迫まがいの行為です。『もっと拠出しろ』『職人を雇え』と」
アリアは頭を抱えた。慈悲と現実的配慮に基づく政策が、新たな対立と混乱を生んでいた。
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王都の裏通りでは、急進的な改革派が秘密集会を開いていた。
「馬鹿女は保守派に屈した!」
集会の指導者、マーカス・レボリューションが拳を振り上げた。彼は元商人で、改革による利益を期待していたが、段階的アプローチに失望していた。
「緊急支援制度など、根本的解決にはならない。必要なのは社会の抜本的変革だ」
約50名の参加者が頷いた。彼らは改革の恩恵を受けられなかった商人や、より急進的な変化を求める若者たちだった。
「我々は直接行動を起こすべきだ」
「具体的には?」
「商人ギルドへの圧力強化、保守派貴族への抗議活動、そして必要なら実力行使も」
この過激な発言に、一部の参加者が躊躇を見せた。
「暴力は良くない」
「暴力?いや、これは正義の実現だ。王女が優柔不断なら、我々が行動するしかない」
集会では、具体的な行動計画が話し合われていた。オズボーン公爵邸への抗議デモ、商人ギルドへの威圧的な交渉、そして支援制度の拡大を求める強硬な要求活動。
「来週、大規模な抗議活動を実施する。王女に我々の本気を見せるのだ」
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同じ頃、ガルディア帝国軍では深刻な事件が発生していた。
国境警備隊の一部で、命令不服従事件が起きたのだ。
「何が起きたのか、詳しく報告しろ」
セルゲイ・モロゾフ大尉が、事件を起こした小隊長に詰問していた。
「アーテミス王国への偵察命令を拒否したというのは事実か?」
小隊長のアレクサンドル・ボルコフ中尉は、ミハイルの影響を受けた若い将校だった。
「はい、大尉。しかし、理由があります」
「理由?命令拒否に理由など関係ない」
「偵察の真の目的は、軍事行動の準備ではないのですか?アーテミス王国は我々に敵意を示していません。なぜ戦争の準備をするのか理解できません」
セルゲイの顔が青ざめた。これは単なる命令不服従ではなく、軍の基本方針への反発だった。
「お前は軍人だ。疑問を抱くのは上官の仕事だ」
「しかし、無意味な戦争に加担することはできません」
「無意味?」セルゲイの声が荒くなった。「アーテミス王国の脅威を理解していないのか?」
「脅威とは何ですか?捕虜を釈放することが脅威ですか?」
この言葉に、セルゲイは激怒した。しかし、同時に不安も感じていた。軍内部でミハイルの考えが広がっていることを実感したからだ。
「ボルコフ中尉、お前は軍法会議にかける」
「覚悟はできています」
しかし、事態はさらに複雑化した。ボルコフを支持する部下たちが、抗議の意思を示したのだ。
「中尉は正しいことを言っています」
「我々も偵察任務を拒否します」
約200名の兵士が連帯を示した。これは帝国軍にとって前代未聞の事態だった。
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深夜、アリアは執務室で一人佇んでいた。机の上には問題の山が積まれている。
支援制度の限界、新たな社会不安、急進派の過激化、そして帝国軍内部の分裂の報告。
「こんなにも多くの問題が同時に起きるものなのですね」
ガレスが心配そうに見守っている。
「姫様、少し休まれた方が」
「休めません。私の決断一つで、多くの人の運命が変わるのです」
アリアの声には疲労が滲んでいた。
「学んだはずでした。完璧な解決策はないと。でも、現実はそれ以上に厳しい」
「姫様の判断は正しかったと思います」
「本当でしょうか?支援制度により新たな対立が生まれ、急進派は過激化し、帝国内部も混乱している。私の政策が、すべての混乱の原因かもしれません」
ルーファスが静かに現れた。
「姫様、混乱は変化の証です。変化なくして進歩はありません」
「しかし、その変化で苦しむ人がいます」
「苦しまない変化など存在しません。重要なのは、その苦しみに意味があるかどうかです」
ルーファスの言葉に、アリアは深く考え込んだ。
「統治者の孤独とは、このようなものなのですね」
「はい。しかし、孤独だからこそ、真の判断ができるのです」
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翌日の委員会で、アリアは現状の問題を率直に報告した。
「支援制度の限界、社会不安の増大、急進派の過激化。すべてが同時に起きています」
オズボーン公爵が深いため息をついた。
「予想されたことです。政治的変化には必ず副作用が伴います」
「では、どう対処すべきでしょうか?」
ランカスター伯爵が提案した。
「段階的撤退です。支援制度を徐々に縮小し、自立を促す方向に転換する」
しかし、サマーセット侯爵は反対した。
「それでは困窮者を見捨てることになります。むしろ、支援の拡大を検討すべきです」
「財源はどうするのですか?」公爵が現実的な指摘をした。
「税制改革により、富裕層からより多くの税収を」
「それは富裕層の反発を招きます」伯爵が警告した。
委員会でも意見の一致は困難だった。それぞれの立場により、最善策が異なるのだ。
「皆様」アリアが口を開いた。「完璧な解決策を求めるのではなく、最も害の少ない選択肢を探しましょう」
この提案に、委員たちは考え込んだ。
「具体的には?」
「支援制度の段階的修正、急進派との対話、そして帝国との水面下交渉の開始です」
「帝国との交渉?」公爵が驚いた。
「はい。軍内部の分裂は、交渉の好機かもしれません」
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アリアの提案により、秘密裏に帝国との接触が始まった。
仲介役となったのは、中立国の商人、フランシス・ニュートラルだった。彼は両国と取引のある商人で、戦争の長期化により利益を失っていた。
「王女殿下、帝国内部の状況は複雑です」
フランシスが報告した。
「軍内部でセルゲイ派とミハイル派の対立が激化しています。ミハイル派は和平交渉に前向きですが、セルゲイ派は強硬路線を主張しています」
「政府の立場は?」
「皇帝は慎重です。軍の分裂により、明確な方針を打ち出せずにいます」
これは交渉の好機だった。しかし、同時にリスクも大きかった。
「交渉が発覚すれば、国内の急進派が『王女は敵と内通している』と批判するでしょう」
オズボーン公爵の懸念は的確だった。
「しかし、何もしなければ、両国の対立は激化するばかりです」
アリアは決断した。
「秘密交渉を開始します。ただし、細心の注意を払って」
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アリアが新方針を検討している最中、急進派による大規模な抗議活動が始まった。
王宮前広場に約500名が集結し、「真の改革を」「保守派を排除せよ」と叫んでいた。
「馬鹿女は保守派に屈した!」
マーカス・レボリューションが先頭に立ち、群衆を煽っていた。
「支援制度など小手先の改革だ。必要なのは社会の根本的変革だ」
抗議活動は平和的に始まったが、徐々に過激化していた。一部の参加者が石を投げ、警備兵との小競り合いも発生した。
「王女に直接会わせろ!」
「我々の要求を聞け!」
アリアは窓から抗議の様子を見ていた。
「私が出向きましょう」
「危険です」ガレスが制止した。
「統治者が民衆を恐れてはいけません」
アリアは王宮前に姿を現した。群衆が一瞬静まった。
「皆さんの声は聞いています」
アリアが語りかけると、マーカスが前に出た。
「王女、言葉だけでは足りん。行動で示すんだ!」
「どのような行動を求めますか?」
「保守派の排除、支援制度の大幅拡大、そして商人階級からの大規模な財産再分配」
これらの要求は、現実的に実現困難なものばかりだった。
「段階的に検討します」
「ぬかせ!段階的では遅い!」
群衆から怒りの声が上がった。対話は平行線をたどっていた。
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夜、アリアは緊急会議を開いた。内政、外交、治安のすべてで危機が同時進行していた。
「現状を整理しましょう」
アリアが口を開いた。
「支援制度の限界により社会不安が増大、急進派の過激化により治安が悪化、そして帝国内部の分裂が外交に新たな可能性をもたらしている」
「優先順位は?」オズボーン公爵が尋ねた。
「すべてが相互に関連しています。一つずつ解決することはできません」
アリアは深呼吸した。持ち合わせるすべてを総動員し、統合的なアプローチを考えていた。
「新しい包括的政策を発表します」
「どのような?」
「第一に、支援制度の段階的修正と職業創出政策の拡大。第二に、急進派との建設的対話の開始。第三に、帝国との秘密和平交渉の継続」
「リスクが大きすぎます」サマーセット侯爵が懸念を示した。
「確かに。しかし、現状維持はより大きなリスクです」
アリアの決意は固かった。
「統治者として、困難な決断を下さなければなりません。完璧な解決策はありませんが、最善を尽くします」
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翌日、アリアの包括的政策が発表された。
支援制度の修正により、高齢者向けの特別枠が設けられ、職業創出政策も拡大された。急進派との対話の場として「民衆会議」が設立され、帝国との水面下交渉も本格化した。
しかし、すべてが順調に進むわけではなかった。
保守派の一部は「王女は急進派に屈した」と批判し、急進派の過激な一派は「まだ不十分」として活動を継続した。
帝国内部では、セルゲイ派とミハイル派の対立がさらに深刻化し、小規模な衝突事件も発生していた。
経済格差の根本的解決には程遠く、社会不安の完全な沈静化も達成されていなかった。
それでも、アリアは前進し続けていた。完璧な解決策は存在しない。しかし、対話と妥協により、少しずつでも改善することはできる。
統治者としてのアリアの成長は続いていた。そして、その成長こそが、やがて訪れる更なる試練に立ち向かう力となるのだった。
王国内外の複雑な情勢は、新たな段階に入っていた。政治的対立、社会的不安、外交的機会、そして統治者の孤独と成長。
すべてが絡み合いながら、次の重要な転換点へと向かっていた。