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貴族たちの暗躍


 王都の貴族院議場は、これまでにない緊張に包まれていた。改革予算を巡る議論が3日間続いており、保守派と改革派の対立は決定的な段階に達していた。


「諸君、現実を見よ!」


 オズボーン公爵が演壇に立ち、力強い声で議場に響かせた。67歳の公爵は、40年間この国の政治に関わってきた重鎮だった。


「王女殿下の改革により、国庫は深刻な赤字に陥っている。改革費用が税収の40%を占める現状は、国家財政の破綻を意味する」


 議場がざわめいた。公爵の威厳ある声には、長年の経験に裏打ちされた説得力があった。


「さらに深刻なのは、改革による犠牲者の存在だ。職人12名の負傷、35名の離職、農民の経済損失。これらは数字ではない。生身の人間の苦痛だ」


 ランカスター伯爵が立ち上がった。32歳の若い貴族だが、その目には強い信念が宿っていた。


「公爵のお言葉に同感です。私の領地でも、改革の影響で困窮する農民が増えています。彼らは『王女様は我々を実験台にしている』と嘆いています」


 伯爵の声には、領民への責任感が込められていた。彼の祖父は農民出身で、苦労して爵位を得た家系だった。そのため、ランカスターは民衆の苦しみを他人事として見ることができなかった。


「改革派の諸君に問いたい」オズボーン公爵が続けた。「理想は美しい。しかし、その理想のために何人の国民が犠牲になれば気が済むのか?」


---


 改革派の筆頭、エドワード・サマーセット侯爵が立ち上がった。彼は商業ギルドとの関係が深く、改革による経済効果を重視していた。


「オズボーン公爵、貴方の懸念は理解します。しかし、変化を恐れていては、この国に未来はありません」


「変化と破壊は違うぞ、サマーセット侯爵」


 公爵の鋭い反論に、侯爵は動揺を見せた。


「確かに一時的な困難はあります。しかし、長期的には——」


「長期的?」ランカスター伯爵が割り込んだ。「困窮している農民に『長期的には良くなる』と言えるのか?今日の飯に困っている職人に『将来は豊かになる』と慰めるのか?」


 伯爵の言葉は的確だった。彼自身、領地で農民と直接対話し、その苦しみを目の当たりにしていた。


 改革派内部でも亀裂が生じ始めていた。商業寄りのサマーセット侯爵と、より慎重なアプローチを求める貴族たちの間で意見が分かれていた。


「侯爵、貴方は商人の利益ばかり考えているのではないか?」


 若い改革派貴族、ロバート・ペンブローク男爵が厳しい質問を投げかけた。


「それは誤解だ。経済全体の発展を——」


「経済発展の恩恵を受けるのは、結局一部の商人だけではないか。職人や農民の犠牲の上に成り立つ発展など、真の進歩と言えるのか?」


 改革派の分裂を見て、オズボーン公爵は満足そうに頷いた。長年の政治経験により、相手の弱点を的確に突いたのだ。


---


 ガレスから議場での混乱を聞いたアリアは、緊急に貴族院を訪れることにした。


「姫様、今の議場は険悪な雰囲気です」


 ガレスが心配そうに報告した。


「それでも行かなければなりません。この対立を放置すれば、改革どころか国政そのものが麻痺します」


 執務室で最後の準備をしながら、アリアはそれまでの経験を思い返していた。完璧な解決策はない。しかし、対話により理解を深めることはできる。


「オズボーン公爵の懸念は正当です。ランカスター伯爵の領民への責任感も理解できます。彼らの動機を否定するのではなく、共通の解決策を見つけなければ」


 議場に到着したアリアを見て、騒然としていた雰囲気が一瞬静まった。


「皆様、貴重なお時間をいただき、ありがとうございます」


 アリアは深々と頭を下げた。王族が貴族院で頭を下げることなど、前代未聞だった。


「まず、オズボーン公爵とランカスター伯爵にお詫び申し上げます。私の改革により、多くの国民が苦しんでいることは事実です」


---


 アリアの率直な謝罪に、オズボーン公爵は複雑な表情を浮かべた。


 公爵には、アリアには知られていない深い事情があった。


 30年前、彼は若い頃に急進的な税制改革を推進し、結果として多くの農民が困窮した苦い経験を持っていた。その時の失敗が、彼を慎重な保守主義者に変えたのだ。


「王女殿下、頭を上げてください」


 公爵の声には、意外にも温かみがあった。


「私が改革に反対するのは、王女殿下を困らせるためではありません。30年前、私も理想に燃えて改革を進めました。結果、多くの民が苦しみ、一部は餓死さえしました」


 議場が静まり返った。公爵の過去を知る者は少なかった。


「その経験から学んだのは、政治家の理想と民衆の現実の間には、深い溝があるということです。その溝を埋めずに改革を進めれば、必ず悲劇が生まれます」


 公爵の言葉には、深い痛みが込められていた。


「私は王女殿下の理想を否定しません。しかし、その理想を実現する方法について、より慎重であるべきだと考えています」


 アリアは公爵の言葉に深く頷いた。これこそが、真の建設的助言だった。


「公爵、貴重な経験をお聞かせいただき、ありがとうございます。その教訓を活かし、改革の方法を根本的に見直します」


---


 ランカスター伯爵が立ち上がった。彼の表情には、公爵とは異なる種類の重さがあった。


「王女殿下、無礼とのこと承知の上私にも強く申し上げたいことがあります」


 伯爵の祖父、ジョン・ランカスターは農民の出身だった。才覚と努力により商売で成功し、最終的に爵位を購入した立志伝中の人物だった。そのため、ランカスター家は他の名門貴族と異なり、民衆の苦しみを身近に感じる家風があった。


「私の祖父は農民でした。幼い頃から『貴族の義務は民を守ること』と教えられて育ちました」


 伯爵の声に、家族への誇りが込められていた。


「改革に反対するのは、変化を恐れるからではありません。改革の犠牲になる民衆を見過ごせないからです」


「具体的にはどのような状況でしょうか?」


 アリアの質問に、伯爵は準備していた資料を取り出した。


「私の領地ランカシャー郡では、改革による影響で農民の30%が収入減少に直面しています。特に、従来農法しか知らない高齢農民の困窮が深刻です」


「それは新農法への移行が困難だということですか?」


「はい。王女殿下の農業改革は理論的には優れています。しかし、60歳を超えた農民が新しい技術を習得するのは現実的ではありません。結果として、彼らは取り残されています」


 この具体的な指摘に、アリアは深く考え込んだ。農村訪問でも似たような問題を感じていたが、地域全体の規模での影響は想像以上だった。


「では、どのような対策が効果的でしょうか?」


「段階的移行期間の設定、高齢農民への補助制度、そして何より、地域の実情に合わせた柔軟な適用です」


 伯爵の提案は具体的で実践的だった。ここに彼が単なる反対派ではなく、建設的な解決策を考えていることが明らかになった。


---


 議論の最中、緊急の報告が届いた。


「王女殿下、商業地区で労働争議が発生しています」


 報告者は内務省の官僚、ハロルド・クラークだった。


「改革で利益を得た商人と、損失を被った職人の間で対立が激化しています。職人組合が商人ギルドの建物を包囲し、『不当な利益の分配』を要求しています」


 議場がざわめいた。経済格差の問題が、ついに具体的な社会不安として表面化したのだ。


「負傷者は?」


「今のところありませんが、双方とも興奮状態です。いつ暴力に発展してもおかしくありません」


 オズボーン公爵が立ち上がった。


「王女殿下、これが改革の現実です。理想は美しいが、現実は混乱と対立を生みます!」


 ランカスター伯爵も頷いた。


「私の領地でも同様の兆候があります。改革の恩恵を受けた者と受けなかった者の格差が、社会の分裂を生んでいます」


 アリアは深いため息をついた。「段階的アプローチ」でも、すべての問題を解決することはできなかった。


「現地に向かいます」


「王女殿下、危険です」


 ガレスが制止しようとしたが、アリアの決意は固かった。


「統治者が危険を恐れていては、民の声を聞くことはできません」


---


 商業地区に到着したアリアが目にしたのは、想像以上に深刻な対立だった。


 商人ギルドの建物の前には、約200名の職人たちが集まっていた。彼らの多くは、改革により仕事を失ったり収入が減少した人々だった。


「我々の苦労を知らずに、商人だけが儲けている!」


 職人組合の代表、トーマス・アイアンワーカーが拳を振り上げた。彼は鍛冶職人で、新技術導入により注文が激減していた。


 一方、建物内では商人たちが困惑していた。


「我々も王女殿下の改革に協力しただけだ」


 商人ギルドの会長、ロバート・トレーダーが弁明した。


「確かに利益は得たが、それは正当な商売の結果だ。職人たちの怒りは理解できるが、我々に八つ当たりされても困る」


 アリアは両者の間に立った。


「皆さん、お話を聞かせてください」


 アリアの出現に、群衆が静まった。


「トーマスさん、貴方の苦しみは理解しています。改革により困窮させてしまい、申し訳ありません」


「王女様、恐れながら謝罪だけでは腹は膨れません」


 トーマスの言葉は率直だった。


「我々には家族があります。食わせていく責任があります。改革で商人が儲けている間に、我々は明日の食事に困っています」


「具体的にはどのような支援が必要でしょうか?」


「仕事です。技術支援です。そして何より、我々を見捨てないという保証です」


 一方、商人側からも声が上がった。


「王女様、我々も協力したいです。しかし、職人たちとの対立が続けば、商売そのものが成り立ちません」


 ロバート・トレーダーが続けた。


「何か建設的な解決策はないでしょうか?双方が納得できるような」


---


 その場でアリアは緊急会議を開いた。職人代表、商人代表、そして公爵と伯爵も参加した。


「まず、緊急支援制度を設立します」


 アリアが提案した。


「改革により困窮した職人への生活支援、技術訓練の提供、そして新しい仕事の創出です」


「財源は?」オズボーン公爵が現実的な質問をした。


「商人ギルドから特別拠出金をいただきます。改革で利益を得た分の一部を、困窮者支援に回していただく」


 商人代表のロバートが困惑した。


「それは...利益の何パーセント程度でしょうか?」


「10%です。ただし、これは税金ではなく、社会貢献としての自主的な拠出金です」


 ランカスター伯爵が口を開いた。


「自主的とは言え、実質的には強制ですね」


「そうです。しかし、社会の安定なくして商売の繁栄はありません。これは投資と考えてください」


 アリアの提案に、職人たちは期待の表情を見せた。一方、商人たちは複雑な表情だった。


「王女様」トーマスが手を挙げた。「その制度は一時的なものですか?」


「当面は1年間です。その間に、職人の皆さんが新しい技術を習得し、安定した収入を得られるよう支援します」


「1年で十分でしょうか?」


「分かりません」アリアは率直に答えた。「しかし、まずは試してみて、状況に応じて調整します。完璧な解決策は最初からは作れません」


 この率直さに、職人たちは意外な反応を示した。政治家の常套句ではなく、正直な答えだった。


---


 同じ頃、ガルディア帝国の首都では、セルゲイとミハイルの対立が公然のものとなっていた。


 軍本部の食堂で、ミハイルは同僚たちと話していた。


「セルゲイ大尉の脅威論は理解できるが、もう少し慎重に考えるべきではないか?」


「何を言っている、ペトロフ」


 同僚のイワン・コルサコフ軍曹が眉をひそめた。


「アーテミス王国は我々の敵だ。慈悲を示したからといって、油断してはならない」


「しかし、実際に捕虜として扱われた経験から言えば、彼らの『慈悲』には計算以上のものがあった」


 ミハイルの発言に、周囲の兵士たちがざわめいた。


「具体的には?」


「医療兵の目を忘れられない。本当に心配してくれていた。『早く故郷に帰れるといいですね』と言ってくれた時の表情は、演技ではなかった」


「それは戦術だ」イワンが反論した。「敵の戦術に騙されているのだ」


「そうかもしれない。しかし、もし本物だったとしたら?我々は何と戦っているのか?」


 この会話を聞いていたセルゲイが、食堂に入ってきた。


「ペトロフ、私の部屋に来い」


 セルゲイの声は怒りに震えていた。


---


 セルゲイの部屋で、二人は向き合った。


「ペトロフ、お前は軍の士気を乱している」


「大尉、私は自分の経験を話しただけです」


「その経験が間違っているのだ」セルゲイの左腕の傷跡が痛々しく見えた。「私は15年前、エルドラン公国で地獄を見た。敵の慈悲がどれほど恐ろしいものか知っている」


「それは15年前の話です。アーテミス王国とエルドラン公国は違います」


「敵は敵だ!」セルゲイが机を叩いた。「お前のような甘い考えが、多くの兵士を死に追いやるのだ」


「では、お聞きします」ミハイルが立ち上がった。「我々は何のために戦っているのですか?ガルディア帝国の栄光のためですか?それとも、憎しみを晴らすためですか?」


「帝国の栄光のためだ」


「その栄光は、敵への憎しみでしか築けないものですか?」


 セルゲイは言葉に詰まった。ミハイルの質問は、彼が考えたことのない視点だった。


「...お前は理想主義者だ。戦場では理想主義者から死んでいく」


「理想がなければ、何のために生きるのですか?」


 この問いに、セルゲイは答えられなかった。彼の心の奥底で、かつて抱いていた理想への憧憬が蘇っていた。しかし、それを認めることは、15年間の憎しみを否定することでもあった。


「...出て行け」


 セルゲイの声は震えていた。


---


 王都に戻ったアリアは、一日の出来事を振り返っていた。


「オズボーン公爵とランカスター伯爵の助言は的確でした」


 ガレスに報告しながら、アリアは新たな決断を固めていた。


「明日、緊急支援制度の詳細を発表します。そして、改革推進委員会を設立し、公爵と伯爵にも参加していただきます」


「反対派を委員会に入れるのですか?」


「反対派ではありません。建設的助言者です。彼らの経験と懸念を改革に活かすのです」


 この決断は、戦闘や対立での学びから生まれたものだった。対立する意見を排除するのではなく、取り入れることで、より良い解決策を見つける。


「ただし、一つ条件があります」


「どのような?」


「改革の完全停止は受け入れられません。方法は変更しますが、前進することは諦めません」


 アリアの声には、静かだが揺るぎない決意が込められていた。


「段階的改革、経済格差是正、そして何より、国民との対話の継続。これらを軸として、新しいアプローチを構築します」


---


 翌日、アリアの発表は王国内に大きな波紋を広げた。


 改革推進委員会の設立により、保守派と改革派の建設的な対話が始まった。オズボーン公爵は「王女殿下の柔軟性を評価する」と声明を発表し、ランカスター伯爵も「民衆の声が届く政治への転換」として支持を表明した。


 しかし、すべてが順調に進むわけではなかった。


 急進的な改革派の一部は、「王女は保守派に屈した」として反発した。一方、極端な保守派からは「改革そのものを停止すべき」という声も上がった。


 商業地区では、緊急支援制度により一時的な平静は保たれたが、根本的な経済格差の解決には時間がかかることが明らかだった。


 そして、ガルディア帝国内では、セルゲイの脅威論とミハイルの疑問を軸とした軍内部の分裂が深刻化していた。この分裂は、やがて両国関係に決定的な影響を与えることになる。


 アリアの慈悲の統治と現実的な改革は、新たな段階に入っていた。完璧な解決策は存在しない。しかし、対話と妥協により、少しずつでも前進することはできる。


 統治者としてのアリアの真の試練は、これから始まろうとしていた。


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