決戦、新たなる戦術の時代
朝霧が晴れ始めた頃、ガルディア帝国軍が動き出した。
三万の大軍が整然と前進してくる様は、まさに圧巻だった。大地が兵士たちの足音で震え、軍旗が朝風にはためいている。中央の重装歩兵は槍を林立させ、両翼の騎兵は統制の取れた動きで展開していく。
アリアは双眼鏡で敵軍を観察していた。予想通り、教科書的な正統派の布陣だった。しかし——
「何か、違和感がある……」
アリアの直感が警鐘を鳴らしていた。バルドル将軍は確かに伝統主義者だが、三十年無敗の名将でもある。何か隠し球があるかもしれない。
「姫君、敵軍接近中です」
ガレスが報告した。MP5Kを背負い、腰には短剣、そして新しく配布された無線機を装備している。
「全軍に告げて。作戦開始です」
アリアは無線機に向かって話しかけた。
「各部隊、フェーズ1を開始してください」
無線の向こうから、各指揮官の返答が続々と返ってくる。
「アルフレッド隊、了解」
「リューベルト隊、準備完了」
「マクレガー隊、いつでも」
現代の通信技術による完璧な連携システムが、既に機能していた。
最初に動いたのは、マクレガー子爵率いる「翼猟師団」だった。三百騎の軽騎兵・弓騎兵混成部隊が、敵軍の側面に向かって高速で移動を開始する。
しかし、これは陽動だった。真の狙いは別にある。
敵が翼猟師団に注意を向けている隙に、選抜された工作部隊二十名が森林の陰に身を隠しながら移動していた。昨夜、アリアから暗視ゴーグルとC4爆薬の使用法を緊急レクチャーされた精鋭たちで、短時間ながらも現代兵器の扱いを習得していた。
彼らの目標は、敵軍の補給線だった。
ガルディア帝国軍の後方約二キロメートルの地点に、巨大な補給拠点が設営されている。食料、武器、矢、そして攻城兵器の弾薬が山積みされた、軍の生命線だった。
「目標確認。補給拠点に接近中」
工作部隊長の声が無線で報告される。
アリアは時計を確認した。予定より十分早い。完璧だった。
「了解。起爆は私の合図で」
一方、正面では本格的な戦闘が始まっていた。
ガルディア帝国軍の弓兵が一斉射撃を開始し、空を覆うほどの矢が降り注ぐ。アーテミス連合軍は盾を構えて防御するが、数の差は歴然としていた。
「姫君、このままでは——」
「まだよ、ガレス。タイミングが重要なの」
アリアは冷静だった。敵軍が十分に前進し、補給拠点から離れるのを待っている。
バルドル将軍は最前線で指揮を執っていた。鉄仮面に覆われた顔は相変わらず表情を読み取れないが、その堂々とした姿勢からは絶対的な自信が感じられる。
「前進! 数の力で押し潰せ!」
三万の大軍が一斉に前進を開始した。大地が鳴動し、戦鼓の音が響き渡る。まさに物量による圧殺戦術だった。
その時——
「姫君、準備完了です!」
工作部隊からの報告が入った。
アリアは深く息を吸った。
「全軍に告ぐ。フェーズ2、開始!」
アリアが無線機で合図を送ると、朝の静寂を引き裂くような爆発音が敵の後方を揺るがした。オレンジ色の火球が空を照らし、衝撃波が大地を震わせる。C4爆薬による連続爆破が、敵の補給拠点を完全に破壊していた。
「敵の補給線を寸断しました!」
工作部隊長の興奮した声が無線から響く。
ガルディア帝国軍に動揺が走った。後方の大爆発に多くの兵士が振り返り、隊列に乱れが生じる。
「何事だ!」
バルドル将軍が怒鳴った。しかし、その瞬間——
ドンッ、ドンッ、ドンッ!
連続する鈍い音が響き、敵軍の中央部に砲弾が降り注いだ。小型迫撃砲による間接射撃が、混乱した敵陣をさらに攪乱していく。
「どこから撃っている!」
敵兵たちは射撃位置を特定できずに右往左往している。迫撃砲の利点は、直射では届かない場所からの攻撃が可能なことだった。
「フェーズ3、開始」
アリアの次の指示で、今度はアルフレッド伯爵率いるヴァレンティア軍が動いた。重装騎兵二百騎が敵の左翼に突撃を開始する。
「姫君、我らヴァレンティア騎士団はあなたと共に栄光を掴むと決めました。どこまでもお供いたしますぞ!」
老練な伯爵の熱い言葉が無線から聞こえ、アリアの胸を力強く打った。
ヴァレンティア騎兵の突撃は見事だった。混乱した敵の側面を正確に突き、大きな損害を与える。しかし、これもまた陽動だった。
真の狙いは、敵軍の注意を分散させることにある。
バルドル将軍は必死に状況を把握しようとしていた。後方の爆発、迫撃砲による攻撃、側面への騎兵突撃——同時多発的に発生する事態に、さすがの名将も困惑していた。
「落ち着け! これは小細工だ! 正面の敵を叩き潰せば勝利は我らのものだ!」
バルドルの判断は正しかった。しかし、アリアの戦術はそれを見越していた。
「全部隊、最終フェーズ開始!」
アリアの号令と共に、戦場の主導権が完全に逆転した。
まず、リューベルト卿の「鉄槌騎士団」が敵の右翼に突撃した。五十騎という少数精鋭だが、一騎当千の猛者揃いで、その破壊力は絶大だった。
同時に、マクレガー子爵の「翼猟師団」が迂回から敵の後方に回り込んだ。高い機動力と射撃精度で、混乱した敵軍を次々と撃破していく。
そして中央では、アリア直属の部隊が決定的な突撃を開始した。
アリアは愛馬フェリスを駆り、ベネリM3を構えて敵陣に突入していく。その後ろから、ガレスのMP5K、そして現代兵器を装備した精鋭たちが続いた。
現代兵器の火力は、この時代の戦術を完全に凌駕していた。ベネリM3の重厚な銃声が響くたびに、敵兵が吹き飛ばされる。ガレスのMP5Kによる制圧射撃が、敵の反撃を封じていく。
「姫騎士が来るぞ!」
敵兵たちの間に恐怖が広がった。「救国の姫騎士」の名前は、既に敵軍にも知れ渡っている。その圧倒的な戦闘力への畏怖が、士気を大きく削いでいた。
戦局は完全にアーテミス連合軍有利に傾いた。補給線の破壊、迫撃砲による攪乱、同時多発攻撃、そして現代兵器による圧倒的火力——これらすべてが組み合わさった結果だった。
しかし、バルドル将軍はまだ諦めていなかった。
「全軍、私に続け! 最後の賭けに出る!」
鉄仮面の悪鬼は、自ら剣を抜いて前線に躍り出た。三十年無敗の名将としての意地が、彼を駆り立てている。
その時、アリアの直感が再び警鐘を鳴らした。
「何か来る……」
バルドル軍の中央部に隠されていた部隊が、ついに姿を現した。それは黒い鎧に身を包んだ重装騎兵一千騎——ガルディア帝国の精鋭中の精鋭、「黒鉄騎士団」だった。
「隠し兵力だったのね……」
アリアは納得した。これがバルドル将軍の隠し球だったのだ。表面上は伝統的な布陣に見せかけて、実際は最強の部隊を温存していた。
黒鉄騎士団の突撃は凄まじかった。一千騎が一斉に駆ける様は、まさに黒い津波のようだった。アーテミス連合軍の各部隊が、その圧倒的な迫力に圧倒される。
「姫君、あの騎士団は……」
ガレスの声に不安が滲んでいた。
一瞬、戦況が拮抗した。黒鉄騎士団の投入により、ガルディア帝国軍の士気が劇的に回復したのだ。
しかし、アリアは動揺しなかった。
「皆さん、聞いてください」
アリアの声が無線を通じて全軍に響いた。
「確かに敵は強力です。しかし、私たちには柔軟性があります。そして何より——」
アリアは馬上で立ち上がり、ベネリM3を高く掲げた。
「私たちには、新しい時代を切り開く力があります!」
その言葉と共に、アーテミス連合軍の反撃が始まった。
各部隊が無線で連携を取りながら、黒鉄騎士団を包囲するように動く。正面からの激突ではなく、機動力と射撃力を活かした戦術で対抗する。
アルフレッド伯爵のヴァレンティア軍が左から、リューベルト卿の鉄槌騎士団が右から、マクレガー子爵の翼猟師団が後方から——三方向からの攻撃が黒鉄騎士団を襲った。
さらに、迫撃砲による支援射撃が加わり、現代兵器を装備した精鋭部隊が要所を制圧していく。
新しい戦術と古い戦術の激突。柔軟性と伝統の対決。
その結果は——
黒鉄騎士団の突撃は、アーテミス連合軍の巧妙な連携戦術によって分断され、各個撃破されていった。一対一の戦闘力では確かに優れていたが、組織的な戦術の前では限界があった。
バルドル将軍は、その光景を信じられない思いで見つめていた。
三十年間無敗を誇ってきた自分の戦術が、完全に破られているのだ。
「馬鹿な……これが、新しい戦術というものなのか……」
鉄仮面の下で、バルドルの表情が歪んでいた。
その時、アリアが単騎でバルドルに向かって突進してきた。
二人の指揮官は、戦場の中央で対峙した。
「バルドル将軍」
アリアが馬上から声をかけた。
「あなたは確かに偉大な将軍です。しかし、時代は変わりました」
「小娘が……」
バルドルは剣を構えた。しかし、その手は微かに震えていた。
「私は、伝統を否定するつもりはありません。ただ、新しい可能性を受け入れたいのです」
アリアのベネリM3が、バルドルに向けられた。
「これが、新たなる戦術の時代です」
銃声が響いた。
鉄仮面の悪鬼、バルドル・フォン・ガルディア将軍が、ついに敗れた瞬間だった。
指揮官を失ったガルディア帝国軍は、急速に士気を失っていく。三万の大軍が、わずか二千五百の軍勢に敗北するという、軍事史上に残る大逆転劇だった。
戦場に「姫騎士万歳!」の声が響き渡る。
アリアは空を見上げた。雲間から差し込む陽光が、戦場を金色に染めている。新緑の香りを運ぶ風が、勝利の余韻を運んでいく。
この戦いは、確かに新しい時代の始まりだった。
病弱だった王女が、救国の姫騎士となり、そして今——
彼女は、戦術革命の先駆者となったのだ。
アーテミス王国の復活は、もはや夢ではない。現実となったのである。
戦後、捕虜となったガルディア帝国軍の兵士たちは、一様に同じことを証言した。
「姫騎士殿の戦術は、我々の理解を超えていた」
「まるで、未来から来た軍師のようだった」
彼らは知らなかった。アリアが本当に「未来」から戦術を学んできたことを。
しかし、それも今では重要ではなかった。
大切なのは、アーテミス王国が新たな希望を見出したことだった。そして、「救国の姫騎士」アリア・フォン・アーテミスの名前が、歴史に刻まれたことだった。
新しい時代の扉は、今まさに開かれたのである。