決戦前夜、鉄仮面の悪鬼
翌日の午後、ノルドハイムの町に続々と援軍が到着し始めた。
最初に姿を現したのは、西のヴァレンティア伯爵家の軍勢だった。青い旗印を掲げた重装騎兵二百騎と、弓兵三百が整然と行進してくる。その先頭に立つヴァレンティア伯爵アルフレッドは、五十代の老練な武将だった。
「姫君、お久しぶりでございます」
アルフレッドは馬上から深々と礼をした。
「この度の快挙、心より敬服いたします。我が軍を、姫騎士殿の指揮下に置かせていただきたく」
続いて東のエルムハイム公爵家からは、「鉄槌騎士団」として名高い重装騎兵五十騎が到着した。公爵の次男リューベルト卿が率いる精鋭部隊で、一騎当千の猛者揃いだった。
「姫君の戦いぶりを聞き及び、馳せ参じました」
リューベルト卿は若いが、その眼光は鋭く、実戦経験豊富な騎士の風格を漂わせていた。
「我らは突撃戦を得意としております。どうぞご指示を」
さらに南からは、「翼猟師団」で知られるマクレガー子爵家の軽騎兵・弓騎兵混成部隊三百騎が現れた。機動力と射撃精度で定評のある部隊だった。
夕刻までに、総勢約二千の援軍が集結した。アーテミス王国軍と合わせれば、およそ二千五百の兵力となる。ガルディア帝国の三万には遠く及ばないが、それでも大幅な戦力増強だった。
エドガーの館の大広間で、軍議が開かれた。
大きな円卓を囲み、アリア、エドガー、ガレス、そして各援軍の指揮官たちが集まっている。蝋燭の明かりが、厳粛な雰囲気を演出していた。
「皆様、ご協力に心より感謝いたします」
アリアが立ち上がって挨拶すると、会議室に緊張が走った。援軍の指揮官たちは、初めて間近で見る「救国の姫騎士」の変貌ぶりに驚嘆している。
「敵軍の規模は約三万。我らは二千五百です。正面衝突では勝ち目がありません」
アリアは地図を指し示した。
「しかし、地形を活かし、敵の数的優位を無力化する戦術があります」
地図上には、ノルドハイムを中心とした複雑な地形が描かれている。北には山がちな地形が続き、東西には森林地帯が広がり、南には開けた平原がある。
「敵は伝統的な戦術に固執しています。大軍を活かすため、必ず平原で決戦を挑んでくるでしょう」
アルフレッド伯爵が頷いた。
「確かに、ガルディア帝国軍は正面突撃を好みます。しかし、それが彼らの強さでもある」
「その通りです。ですが、我らには柔軟性があります」
アリアの指が地図上を動く。
「夜襲、奇襲、分散攻撃——相手が予想しない戦術で翻弄し、各個撃破していきます」
リューベルト卿が身を乗り出した。
「姫君、具体的にはどのような作戦を?」
「まず、敵の補給線を断ちます。大軍ほど補給に依存するからです。そして夜襲で指揮系統を混乱させ、最後に機動力を活かした攻撃で決着をつけます」
アリアの説明は論理的で説得力があった。援軍の指揮官たちも、次第に計画の巧妙さを理解していく。
「素晴らしい戦術です」
マクレガー子爵が感嘆の声を上げた。
「我らの機動力が、最大限に活かされますね」
軍議は深夜まで続いた。詳細な作戦計画が練り上げられ、各部隊の役割分担が決められていく。アリアの指揮能力に、誰もが感服していた。
軍議が終わった後、アリアは一人でエドガーの書斎にいた。
明日は決戦となる。バルドル将軍率いる三万の大軍との戦いは、これまでとは次元が違う。より高度な戦術が必要だった。
アリアはアーティファクトを取り出した。今夜のVRミッションは、きっと今後の戦いの鍵となるはずだ。
装着の瞬間、いつものように温かな光が額を包み、意識が引きずり込まれていく。
転移先は、都市部の夜景だった。高層ビルが立ち並び、ネオンサインが夜空を彩っている。アリアは今度は軍曹として、特殊作戦部隊の一員に配属されていた。
『ミッション:反政府武装集団の本拠地制圧。敵兵力推定五万。味方兵力五千。制限時間120分』
今回のミッションは、これまでで最も困難だった。十倍の兵力差がある敵との戦いで、しかも都市部という複雑な環境での作戦だった。
作戦ブリーフィングで、指揮官が説明する。
「敵は数で圧倒的に優れているが、正規軍ほど統制が取れていない。我々は小部隊に分かれ、同時多発攻撃を仕掛ける。目標は敵の指揮系統の破壊だ」
アリアたち特殊部隊は、四つの小隊に分かれて行動することになった。それぞれが異なる目標を攻撃し、敵を混乱させる戦術だった。
夜の街を駆け抜ける感触は、これまでのVRミッションとは全く違っていた。アスファルトの硬さが足裏に伝わり、車の排気ガスと都市特有の匂いが鼻を刺激する。街灯の明かりが不規則に配置され、影と光のコントラストが激しい。
アリアの小隊は、敵の通信施設を破壊する任務を担当していた。ビルの屋上から屋上へと移動し、敵の警戒網を避けながら目標に接近する。
通信施設は重厚な警備に守られた要塞のようなビルの最上階にあった。正面からの攻撃は不可能で、側面からの侵入を試みる必要がある。
アリアたちは隣接するビルから、ロープを使って目標ビルに移動した。風が頬を撫で、遥か下の街の喧騒が微かに聞こえる。高所恐怖症の人なら震え上がるような高度だが、VRで鍛えられたアリアには問題なかった。
通信施設への侵入は成功した。しかし、爆薬を設置している最中に敵に発見されてしまう。警報が鳴り響き、敵の増援が殺到してくる。
アリアは今回もショットガンを手に、絶体絶命の状況を打開しなければならなかった。しかし、今度は小隊の仲間たちとの連携が重要だった。
「カバーファイア!」
仲間の声に応じて、アリアは建物の角から身を乗り出し、敵を制圧射撃で牽制する。その隙に、爆破担当の隊員が作業を続ける。
連携プレーは見事だった。各自が役割を理解し、最適なタイミングで行動する。これこそが、大軍に対抗する少数精鋭の真の力だった。
爆破は成功し、敵の通信網は麻痺した。他の小隊も同様に任務を達成し、敵組織は完全に混乱状態に陥った。
最終段階では、四つの小隊が合流して敵の本拠地を攻撃した。統制を失った武装集団は、数の優位を活かすことができない。組織的な反撃を展開する前に、重要拠点を次々と制圧されていく。
120分後、ミッションは完全勝利で終了した。
『ミッション完了。評価:S。昇進:曹長。ボーナス:軍事物資五箱、上級戦術マニュアル、特殊装備』
初めてのSランク評価だった。報酬も過去最高で、特に上級戦術マニュアルは貴重な収穫だった。そして今回の特殊装備は、これまでとは次元の違う代物だった。
C4爆薬とリモート起爆装置、小型迫撃砲とその砲弾、そして暗視ゴーグルと無線通信機。これらは夜襲や奇襲作戦において、圧倒的な優位をもたらすはずだった。
現実に戻ったアリアは、体の変化を即座に実感した。これまで以上に筋力、反射神経、判断力が向上している。そして何より、頭の中には革新的な戦術知識が流れ込んでいた。
同時多発攻撃、小部隊連携戦術、都市戦闘技術——これらの知識があれば、バルドル将軍の大軍にも対抗できるはずだった。
そして今回獲得した特殊装備は、戦術の幅を大幅に広げてくれる。C4爆薬による工作活動、迫撃砲による間接射撃支援、暗視ゴーグルを使った夜間作戦、無線機による部隊間連携——これらを組み合わせれば、従来の戦術では太刀打ちできない新しい戦いが可能になる。
しかし、最も重要だったのは、上級戦術マニュアルの内容だった。そこには、現代軍事の最高峰とも言える戦術理論が詳述されており、アリアの戦術眼を劇的に向上させた。
翌朝、アリアが目覚めると、緊急の報告が入った。
「姫君! ガルディア帝国軍が本格的に進軍を開始しました! 明日の朝には、ここに到達する見込みです!」
ついに、決戦の時が迫っていた。
一方その頃、ガルディア帝国の軍営では——
バルドル・フォン・ガルディア将軍は、作戦テントの中で地図を見つめていた。鉄仮面に覆われた顔は表情を読み取れないが、その雰囲気は重厚で威圧的だった。
「将軍、明日の朝には敵の拠点に到達いたします」
副官のグレゴール大佐が報告した。
「敵兵力は約二千五百。援軍が加わったようですが、我らには及びません」
バルドルは静かに頷いた。
「先遣隊の敗北は確かに屈辱的だった。しかし、それは敵を甘く見たからだ」
彼の声は低く、冷徹な響きを持っていた。
「今度は違う。三万の大軍を持ってすれば、いかなる小細工も通用しない」
バルドルは地図上の平原を指差した。
「ここで決戦を行う。開けた地形で、我が軍の数的優位を最大限に活かす。伝統的な戦術こそが最も確実だ」
グレゴール大佐が心配そうに口を開いた。
「将軍、しかし敵は新しい戦術を——」
「グレゴール」
バルドルの声が大佐を遮った。
「私は三十年間戦場に立ち、一度も敗北したことがない。それは、確実で実証済みの戦術を用いてきたからだ」
バルドルの思考は、確かに伝統的で保守的だった。新しい戦術への適応力では、アリアに劣っているかもしれない。しかし、その分だけ経験と実績は圧倒的だった。
「明日、あの小娘とその取り巻きどもに、真の戦争というものを教えてやろう」
鉄仮面の奥で、バルドルの目が冷たく光った。
翌朝、運命の日が来た。
ノルドハイム南方の大平原に、二つの軍勢が対峙していた。
ガルディア帝国軍三万は、伝統的な陣形で展開している。中央に重装歩兵、両翼に騎兵、後方に弓兵と攻城兵器。教科書通りの完璧な布陣だった。
一方、アーテミス連合軍二千五百は、分散配置を取っていた。一見すると統制が取れていないように見えるが、それぞれの部隊が独立して行動できる柔軟な陣形だった。
両軍の距離は約一キロメートル。朝霧が平原を覆い、遠くの山々がぼんやりと見える。鳥たちのさえずりが聞こえる中、間もなく静寂は破られる。
アリアは愛馬フェリスにまたがり、最前線に立っていた。背中には例の荷物袋、腰にはベネリM3を携えている。その姿は、もはや病弱な王女ではなく、確固たる意志を持った指揮官そのものだった。
「姫君」
ガレスが馬を寄せてきた。
「いよいよですね」
「ええ。でも、もう迷いはないわ」
アリアは振り返り、部下たちを見渡した。ガレス、エドガー、援軍の指揮官たち、そして二千五百の兵士たち。皆が彼女を信頼し、勝利を確信している。
「この戦いは、新しい時代の始まりです」
アリアの声は、朝の静寂に響いた。
「伝統に固執する者たちに、変化の力を見せてあげましょう」
遠く対岸では、バルドル将軍も部下たちに檄を飛ばしていた。二人の指揮官の思想は正反対だったが、どちらも絶対の自信を持っていた。
そして、戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。
救国の姫騎士アリア・フォン・アーテミスと、鉄仮面の悪鬼バルドル・フォン・ガルディア。
二人の宿命的な対決が、今まさに始まろうとしている。