姫騎士、初陣
翌朝、アーテミス王国の王都は慌ただしい活気に包まれていた。
城の中庭では、選抜された精鋭五百の兵士たちが最終準備を整えている。彼らの装備は昨日とは見違えるほど充実していた。剣は鋭く研がれ、鎧は丁寧に修繕され、何より兵士たちの表情に迷いがない。VRの効果で向上した技量が、彼らの自信となって現れていた。
アリアは自室で出陣の準備をしていた。身に着けるのは、特別に誂えられた軽装の鎧だ。機動性を重視した設計で、騎乗戦闘に適している。腰には短筒銃を二丁、そして背中には大きな荷物袋を背負っている。その中には、VRミッションで獲得した特別な「軍事物資」が慎重に梱包されていた。
袋の中身は、この世界では見たことのない精巧な武器たちだった。自分用のコンバットショットガン「ベネリM3」、士官用のマシンピストル「グロック18C」が数丁、そして将官用のサブマシンガン「MP5K」が二丁。これらの現代兵器を、適切なタイミングで信頼できる部下に配布する予定だった。
鏡に映る自分の姿を見つめながら、アリアは深く息を吸った。三日前まで、こんな日が来るとは想像もしていなかった。病弱で何もできない王女から、国を救う騎士へ。まるで夢のような変化だった。
しかし、これは夢ではない。現実だ。
「姫君、お時間です」
ルーファスが部屋に入ってきた。その表情には心配と誇らしさが入り混じっている。
「ルーファス、城のことをお願いします」
「姫君……どうか、ご無事で」
ルーファスの目に涙が浮かんでいるのを見て、アリアは胸が熱くなった。この老執事は、父王の代から自分を支えてくれている。その信頼に応えなければならない。
「必ず帰ってきます。そして、勝利の報告をお聞かせします」
アリアは力強く言い切った。
中庭に出ると、五百の精鋭が整列して待っていた。その中心に、愛馬フェリスが準備されている。美しい栗毛の牝馬は、主人の変化を敏感に感じ取っているようで、いつもより誇らしげに見えた。
ガレス・ド・モンクレア近衛隊長が前に出た。
「姫君、全軍準備完了いたしました」
「ありがとう、ガレス。では、出発しましょう」
アリアがフェリスにまたがると、兵士たちから歓声が上がった。病弱だった王女の変貌ぶりに、皆が感動しているのが分かる。
「兵士たち!」
アリアは馬上から声を張り上げた。
「我らが向かうのは、祖国の危機を救う戦場です。敵は数で勝っていますが、我らには新たな戦術と、何より祖国を守る強い意志があります!」
兵士たちの目が輝いた。
「アーテミス王国の栄光を、再び世に示しましょう!」
「姫君万歳! アーテミス万歳!」
雄叫びが城内に響き渡った。
一行は王都を出発し、北の辺境へ向かった。道中の村々では、民衆が道端に出て手を振っている。噂は既に広まっているようで、「救国の姫騎士」の名前が人々の口に上っていた。
行軍の途中、アリアは人里離れた森で軍を止めた。
「ガレス、そして騎士団長たち、少し話があります」
アリアは信頼できる幹部たちを集めた。ガレス、副隊長のマルクス、そして古参騎士のロドリクとエルマー。彼らは皆、VRの効果で技量が向上している精鋭だった。
「皆さんに、特別な武器を託したいと思います」
アリアは荷物袋から、慎重に黒い武器を取り出した。それらは明らかに従来の火器とは異なる、精巧で美しい造りをしていた。
「これは……」
ガレスが息を呑んだ。
「古代の遺物から得た、特殊な火器です。従来の短筒銃よりも遥かに高性能で、連続射撃が可能です」
アリアはまずガレスに「MP5K」を手渡した。
「ガレス、これはあなたに。『騎兵指揮官用連射火器』と呼びましょう」
続いて、マルクスとロドリクに「グロック18C」を配布した。
アリアは新しい武器を取り出しながら、注意深く説明した。
「ただし、これらの武器には重要な制約があります。弾薬は限られており、簡単には補充できません。また、精密な構造のため、丁寧な扱いが必要です」
ガレスが真剣な表情で頷いた。
「姫君、貴重な武器ということですね。無駄撃ちは禁物と」
「その通りです。一発一発を大切に、確実に敵を仕留めてください」
最後に、アリアは自分用の「ベネリM3」を取り出した。それは他の武器よりも大型で、威圧感のある外観をしていた。
「そして、これが私の武器。『姫騎士専用戦闘火器』です」
幹部たちは新しい武器を手に取り、その精巧さに驚嘆していた。
「姫君、これらは一体どこから……」
「詳細は後日説明します。今は、これらの使用法を習得することが先決です」
その日の夕方、人里離れた渓谷で秘密の射撃訓練が行われた。
アリアは一人ずつ、丁寧に武器の扱い方を教えた。VRで身につけた知識が、自然と指導に活かされる。
「安全装置をここで解除し、照準はこのように合わせます。引き金は軽く引いてください」
最初の射撃でガレスが放った弾丸は、50メートル先の標的を正確に貫いた。
「信じられない……こんな精度で、しかも連続で撃てるとは」
マルクスのグロック18Cも、従来の短筒銃とは比較にならない威力と連射速度を示した。フルオート射撃の凄まじい発射レートに、全員が驚嘆した。
「姫君、これがあれば少数でも大軍に対抗できますね」
「ええ。ただし、これらの武器の存在は絶対に秘密です。敵に知られてはいけません」
訓練は夜遅くまで続いた。月明かりの下、現代兵器の銃声が静寂を破る。幹部たちは短時間で基本的な操作を習得し、その威力に感動していた。
二日後、一行は辺境の町ノルドハイムに到着した。
町の様子は深刻だった。ガルディア帝国軍の侵攻を受け、多くの住民が避難している。残った人々も、不安と恐怖に怯えていた。
エドガー辺境伯の館で軍議が開かれた。大きな地図が広げられた机を囲み、アリア、ガレス、エドガー、そして地元の騎士たちが集まっている。
「敵軍の位置は?」
アリアが尋ねると、エドガーが地図上の位置を示した。
「ここ、ドラゴンパス峠の手前に本隊が布陣しています。約三万の兵力で、指揮官はバルドル・フォン・ガルディア将軍です」
バルドル将軍——ガルディア帝国でも屈指の猛将として知られている。多くの戦場で勝利を重ね、「鉄仮面の悪鬼」の異名を持つ恐ろしい敵だった。
「先遣隊が既に峠を越え、我が領内に侵入しています。数は約五千。明日にも、この町に到達する見込みです」
エドガーの報告に、地元の騎士たちの表情が曇った。三万の本隊は論外として、先遣隊の五千でさえ、現在の戦力では対抗が困難だった。
「姫君、やはり一時撤退を——」
「いえ」
アリアは地図を見つめながら断言した。
「この地形なら、必ず勝機があります」
彼女の指が地図上を動く。ドラゴンパス峠は細く曲がりくねった山道で、大軍の利点を活かしにくい。さらに、峠の途中には「悪魔の谷」と呼ばれる狭隘な箇所がある。
「先遣隊を悪魔の谷で迎え撃ちます。狭い地形なら、数の不利を相殺できる」
「しかし、姫君——」
「ガレス、新しい戦術があります。従来の正面突撃ではなく、待ち伏せからの一斉射撃です」
アリアの説明に、ガレスは目を見開いた。確かに理にかなった戦術だった。これまで考えたこともない発想だが、この状況では最も効果的かもしれない。
「待ち伏せ……ですね」
「そうです。敵が谷に入ったところで、上から一斉射撃。そして、混乱したところに騎兵で突撃します」
アリアの作戦説明は具体的で説得力があった。地元の騎士たちも、次第に希望の光を見出していく。
「私が先頭に立ちます。高速機動射撃で敵の指揮系統を破壊し、兵士たちは私に続いて突撃してください」
翌朝、作戦が実行に移された。
悪魔の谷は、その名の通り険しい渓谷だった。両側に聳える岩壁の間を、細い道が蛇行している。谷の最も狭い部分は、わずか十メートル程度の幅しかない。
アリアは谷を見下ろす崖の上に陣取り、双眼鏡で敵軍の動きを観察していた。ガルディア帝国の先遣隊が、予定通り谷に向かって進軍してくる。
先頭を行くのは重装騎兵、続いて歩兵、そして後方に弓兵と補給部隊。典型的な行軍隊形だった。しかし、この狭い谷では、その隊形が仇となる。
「敵軍、谷に進入開始」
伝令の兵士が報告した。
アリアは静かに手を上げた。五百の兵士たちが、息を殺して待機している。風が頬を撫で、鳥のさえずりが谷間に響いている。まもなく、この静寂は破られる。
ガルディア帝国の先遣隊が、谷の最も狭い部分に差し掛かった時——
「今よ!」
アリアの合図と共に、一斉射撃が開始された。
崖の上から放たれた矢と銃弾が、雨のように敵軍に降り注いだ。特に、ガレスのMP5Kとマルクス、ロドリクのグロック18Cによる高速連射は凄まじい効果を発揮した。従来の弓矢では不可能な、連続的で圧倒的な火力が敵の指揮官クラスを次々と沈黙させていく。
狭い谷底で身動きの取れない敵兵たちは、この予想外の火力に完全に混乱した。
混乱が敵陣を襲った。指揮官が必死に命令を叫んでいるが、轟音に消されて聞こえない。馬が暴れ、兵士たちが右往左往している。
「第二段階、開始!」
アリアはフェリスにまたがり、崖から谷底へ向かう細い道を駆け下りた。その後ろから、選抜された騎兵五十騎が続く。
谷底に到達すると同時に、アリアはベネリM3を構えた。VRで身につけた高速機動射撃の技術が、自然と体に染み付いている。
フェリスを駆けながら、敵の指揮官に狙いを定める。距離三十メートル。ショットガンの散弾が、騎乗したまま正確に敵を捉える。
ドンッ!
ベネリM3の重厚な銃声が谷間に響き、敵の指揮官が馬から吹き飛ばされた。現代兵器の圧倒的な威力に、敵軍の混乱はさらに拡大する。
続いてガレスのMP5Kが連射され、副官と伝令騎兵を一掃した。マルクスとロドリクのグロック18Cも、凄まじい連射速度で重要な標的を薙ぎ払っていく。現代兵器の圧倒的な火力は、この時代の戦術を完全に覆していた。
「姫君に続け!」
ガレスの号令で、アーテミス軍の騎兵が一斉に突撃した。彼らもまた、VRの効果で技量が向上している。統制の取れた突撃は、混乱した敵軍を次々と蹴散らしていく。
戦闘は一時間で決着がついた。
ガルディア帝国の先遣隊五千のうち、三千が戦死または負傷し、残りは降伏するか逃走した。一方、アーテミス軍の損害は百名足らず。圧倒的な勝利だった。
戦場に立つアリアの姿は、まさに「救国の姫騎士」そのものだった。軽装の鎧に血しぶきが付着し、長い髪が風になびいている。手に持ったベネリM3からは、まだ硝煙が立ち上っていた。周囲では、ガレスたちが現代兵器を手に敵の残党を制圧している。
「姫君万歳! 姫騎士万歳!」
兵士たちの歓声が谷間に響き渡った。彼らの多くは、初めて目にする「神秘的な火器」の威力に畏敬の念を抱いていた。
しかし、アリアは浮かれてはいなかった。これは始まりに過ぎない。本当の敵は、峠の向こうで待っている三万の本隊だった。
「ガレス、戦場の処理を急いで。敵の本隊が動き出す前に、次の手を打たなければならない」
「はい、姫君!」
その夜、エドガーの館で祝勝会が開かれた。
兵士たちは勝利の興奮に浸っているが、アリアは静かに深呼吸していた。VRでの戦いは確かに痛みが薄かった。しかし、現実の戦場で敵を倒す感触は、心に重くのしかかっている。命を奪うということの重みを、改めて実感していた。
それでも、国を守るためには必要なことだった。アリアは既に次のVRミッションのことを考えていた。先遣隊を破ったとはいえ、バルドル将軍率いる本隊は別格の強敵だ。より高度な戦術を習得する必要がある。
深夜、アリアは再びアーティファクトを装着した。
今度の転移先は、砂漠地帯だった。灼熱の太陽が照りつけ、乾いた風が頬を刺す。アリアは今度も上等兵として、特殊部隊の一員に配属されていた。
『ミッション:大規模敵軍への奇襲作戦。敵本拠地の破壊。制限時間60分』
今回のミッションは、これまでで最も困難だった。数で圧倒的に劣る状況で、敵の本拠地を攻略しなければならない。
作戦は夜襲だった。アリアたち特殊部隊は、暗闇に紛れて敵陣に侵入する。月のない夜で、星明りだけが頼りだった。砂の感触が足裏に伝わり、遠くでコヨーテの遠吠えが聞こえる。
敵の警戒は厳重だった。サーチライトが規則的に辺りを照らし、歩哨が巡回している。しかし、特殊部隊の訓練を受けたアリアには、それらの隙間を縫って進む方法が分かっていた。
爆破任務では、C4爆薬を敵の弾薬庫に仕掛けた。タイマーをセットし、静かに撤退する。爆発まで残り十分。時間との勝負だった。
しかし、撤退途中で敵に発見されてしまう。警報が鳴り響き、敵兵が四方から迫ってくる。
アリアは今回もショットガンを手に、絶体絶命の状況を打開しなければならなかった。建物の影に身を隠し、敵の動きを観察する。数は圧倒的に不利だが、地形を利用すれば活路は見出せる。
爆発まで残り五分。アリアは決断した。
真正面から敵陣に突撃する。一見無謀に見えるが、敵が最も予想しない行動だった。ショットガンを連射しながら、ジグザグに走る。銃弾が足元で砂煙を上げるが、VRで鍛えた反射神経で回避していく。
そして、爆発の瞬間——
巨大な爆炎が夜空を照らし、敵の本拠地が崩壊した。
『ミッション完了。評価:A。昇進:軍曹。ボーナス:軍事物資三箱、特殊装備』
今回の評価は、これまでで最高のAランクだった。報酬も大幅に増加している。
現実に戻ったアリアは、体の変化をすぐに実感した。筋力、反射神経、判断力、すべてがさらに向上している。そして何より、新たな戦術知識が頭に流れ込んでいた。
夜襲戦術、爆破工作、特殊部隊運用——これらの知識があれば、バルドル将軍の本隊にも対抗できるかもしれない。
翌朝、アリアが目覚めると、驚くべき報告が待っていた。
「姫君、大変です! 昨夜の勝利の知らせが各地に広まり、周辺の領主たちから援軍の申し出が相次いでおります!」
ガレスが興奮して報告した。
「皆、『姫騎士殿の実力を目の当たりにした。共に立ち上がり、祖国を取り戻そう』と言っておられます。諸侯たちの表情には、これまで見たこともないほどの信頼が宿っていました」
「それだけではありません。ガルディア帝国軍の士気が大幅に低下しているとの情報も入っています。先遣隊の全滅は、相当な衝撃だったようです」
戦況は急速にアーテミス王国に有利になっていた。アリアの勝利が、周辺情勢を一変させたのだ。
「姫君」
エドガーが深々と頭を下げた。
「貴女様こそ、真の救国の姫騎士でございます」
しかし、アリアは油断していなかった。バルドル将軍は、そう簡単に諦める相手ではない。必ず反撃してくる。
その時、斥候からの報告が入った。
「姫君! ガルディア帝国の本隊が動き出しました! バルドル将軍自らが先頭に立ち、この地に向かっています!」
一方その頃、ガルディア帝国の陣営では——
「まさか先遣隊が全滅するとは……」
バルドル・フォン・ガルディア将軍は、鉄仮面の下で歯噛みした。彼の戦歴に、このような屈辱的な敗北はなかった。
「将軍、相手は病弱な王女だと聞いておりましたが……」
「黙れ」
バルドルの低い声が副官を震え上がらせた。しかし、彼の戦略眼は既に次の手を考えていた。先遣隊を破った以上、相手は只者ではない。本格的な戦いが必要だった。
ついに、決戦の時が来た。
アリアは立ち上がり、窓の外を見つめた。遠くの山々の向こうから、三万の大軍がやってくる。しかし、もう恐れはなかった。
VRで身につけた戦術と、仲間たちとの絆があれば、どんな敵にも負けはしない。
「全軍に告げなさい」
アリアの声は、力強く響いた。
「アーテミス王国の反撃は、始まったばかりよ」
救国の姫騎士の戦いは、まだ終わらない。むしろ、これからが本番だった。