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姫騎士への覚醒


 翌朝、アリアが目覚めた時、城内は騒然としていた。


 廊下を歩く侍女たちの足音が軽やかで、普段とは明らかに違う活気に満ちている。窓から差し込む朝日は暖かく、昨夜の雨で洗われた石畳が美しく輝いていた。新緑の香りが風に乗って運ばれてくる中、アリアは自分の変化を改めて実感していた。


 鏡に映る自分の顔は、昨日までとは別人のようだった。頬に血色が戻り、目に力が宿っている。細かった腕にも、僅かながら筋肉がついているのが分かる。何より、呼吸が深く、楽にできることが嬉しかった。


「姫君、朝食の準備が——」


 部屋に入ってきた侍女のマリアが、アリアの姿を見て言葉を失った。


「姫君……? お顔の色が、とても良くいらっしゃいますね」


「ええ、よく眠れたの。それより、城の中が賑やかね」


 マリアは興奮を隠しきれずに話し始めた。


「姫君、大変なことが起きております! 兵士たちの装備が一夜にして新しくなり、皆の動きも見違えるように機敏になっているのです! まるで魔法にかかったみたいに……」


 アリアは心の中で微笑んだ。魔法ではない。これは、自分が手に入れた新たな力の証明だった。


 城の中庭に降りると、予想以上の光景が広がっていた。


 昨日まで錆びついていた剣は新品同様に光り、ぼろぼろだった鎧は見事に修繕されている。兵士たちの表情も引き締まり、訓練の声に張りがある。まるで別の軍隊のようだった。


「おお、姫君!」


 近衛隊長のガレス・ド・モンクレアが駆け寄ってくる。四十代の歴戦の勇士だが、その表情には困惑が浮かんでいた。


「姫君、これは一体……。昨夜、私たちが眠っている間に何が起こったのでしょうか?」


 アリアは穏やかに微笑んだ。


「ガレス、私たちの国に新たな希望が訪れたのよ。詳しいことは後で説明するわ。それより、兵士たちの様子はどう?」


「それが……信じられないことに、皆の技量が格段に向上しているのです。剣の振り方、槍の扱い、弓の精度、すべてが昨日とは比べ物になりません。そして何より——」


 ガレスは声を潜めた。


「姫君ご自身も、とてもお美しく、力強くお見えになります」


 アリアは頷いた。VRミッションの効果は、予想以上に広範囲に及んでいるようだった。


「ガレス、今日から訓練の内容を変更するわ。新しい戦術を教える必要がある」


「新しい戦術、ですか?」


「そう。従来の密集陣形ではなく、より柔軟で機動力を重視した戦い方よ」


 アリアの頭には、VRで学んだ現代的な戦術が鮮明に浮かんでいた。分散配置、制圧射撃、戦術的撤退。これらの概念を、この世界の技術レベルに合わせて応用すれば、圧倒的な優位に立てるはずだった。


 その時、城門の方から喇叭の音が響いた。来客を知らせる合図だ。


「姫君、辺境伯エドガー・フォン・ラインハルト様がお見えになりました」


 伝令の兵士が慌てて駆け込んできた。


 エドガー・ラインハルト。アーテミス王国北部の辺境を治める老将で、アリアの父王の代からの忠臣だった。彼がわざわざ王都まで来るということは、よほどの緊急事態に違いない。


 謁見の間で、アリアはエドガーと対面した。七十を超える老人だが、その目には鋭い光が宿っている。しかし、今日の彼の表情は深刻だった。


「姫君、お久しぶりでございます。しかし……」


 エドガーは驚いたような表情を浮かべた。


「姫君のお顔色が、とても良くいらっしゃいますね。まるで別人のよう……」


「エドガー様、お久しぶりです。それで、今日はどのようなご用件で?」


 エドガーの表情が一気に暗くなった。


「姫君、実は緊急事態が発生しております。ガルディア帝国の軍勢が国境を越え、我が領地に侵攻を開始いたしました」


 謁見の間に緊張が走った。ガルディア帝国——アーテミス王国の東に位置する軍事大国で、この数年、着実に領土を拡張し続けている強敵だった。


「兵力はどの程度?」


 アリアの質問に、エドガーは苦い表情を見せた。


「約三万。我が辺境軍は二千しかおりません。到底、太刀打ちできる数ではございません」


 三万対二千。どう考えても絶望的な戦力差だった。


「援軍の要請ですね」


「いえ、姫君。援軍をお願いしたいのは山々ですが……」


 エドガーは言いにくそうに口を開いた。


「王都の守備を手薄にするわけにはまいりません。私は、姫君と王国の安全を確保するため、一時的な撤退をお勧めしたいのです」


 撤退。つまり、辺境を捨てるということだった。


 謁見の間にいた重臣たちも、皆同じような表情をしている。現実的に考えれば、それが最善の選択だろう。アーテミス王国に、ガルディア帝国と正面から戦える力はない。


 しかし、アリアの胸には、昨夜VRで体験した戦場の記憶が蘇っていた。絶望的な状況でも、適切な戦術と確固たる意志があれば、勝機は必ず見出せる。


「エドガー様」


 アリアは立ち上がった。その瞬間、謁見の間の空気が変わった。


「私は、辺境を見捨てるつもりはありません」


「姫君……しかし、現実的に考えて——」


「エドガー様、私に三日の時間をください。その間に、必ず解決策を見つけてみせます」


 アリアの声には、これまでにない強い意志が込められていた。重臣たちは驚きの表情を浮かべている。


 その夜、アリアは再びアーティファクトを装着した。


 今度は、装着の瞬間から意識的に集中した。温かな光が額を包み、意識が引きずり込まれていく感覚を受け入れる。そして——


 アリアは再び戦場にいた。


 今度の舞台は市街地だった。建物の残骸が点在し、煙が立ち上る中、アリアは小隊の一員として配置されている。階級は一等兵に上がっており、装備も前回より充実していた。


『ミッション:市街地制圧戦。少数精鋭による敵拠点攻略。制限時間45分』


 今回のミッションは、前回よりも複雑だった。単純な防衛戦ではなく、積極的に敵陣に攻め込む必要がある。しかも、兵力では敵が圧倒的に優勢という設定だった。


「一等兵ユーザー001!こちらは小隊長のジェイクソンだ」


 無線で声が響く。今回は、他の隊員との連携が重要になりそうだった。


「敵は数で勝るが、我々には機動力と戦術がある。建物を利用して隠蔽しながら進め。正面突撃は厳禁だ」


 アリアは頷いた。今回、彼女が持っているのは自動小銃ではなく、ショットガンだった。接近戦に特化した武器で、狭い室内や路地での戦闘に威力を発揮する。


 小隊は建物の影を縫うように進んだ。アリアの五感は研ぎ澄まされ、足音、風の音、遠くの銃声、すべてが鮮明に聞こえる。コンクリートの粉塵が鼻を刺激し、火薬の匂いが充満している。


 角の向こうから敵兵が現れた瞬間、アリアは反射的にショットガンを構えた。引き金を引くと、散弾が一気に放たれ、敵を一撃で制圧する。前回とは違い、今度は躊躇することはなかった。


 戦闘は激しさを増していく。しかし、小隊の連携は見事で、少数でありながら着実に敵陣を攻略していく。アリアも、ショットガンの特性を活かした接近戦で活躍した。


 特に印象的だったのは、敵から奪った「鉄の馬」——オートバイでの戦闘だった。エンジンの振動が体に伝わり、排気ガスの匂いが鼻を突く中、バイクで敵陣に突撃しながらショットガンを発射する。通常では考えられない戦術だったが、その効果に自分自身が驚いた。機動力と火力を両立した、革新的な戦術だった。


 45分後、ミッションは成功した。


『ミッション完了。評価:B。昇進:上等兵。ボーナス:軍事物資二箱、戦術マニュアル』


 今回の報酬は前回よりも豪華だった。物資箱が二つに増え、さらに戦術マニュアルという新しいアイテムが追加されている。


 現実に戻ると、アリアの変化はさらに顕著になっていた。筋力の向上はもちろん、反射神経や判断力も格段に向上している。


 昨日の自分なら、敵を撃つことに躊躇したかもしれない。しかし今のアリアは、あの恐怖と混乱を経験し、乗り越えていた。戦場での決断を下す重みを理解していた。


 そして何より、頭の中には今回のミッションで得た新たな知識が整理されていた。戦術マニュアルを開くと、『小規模奇襲作戦の基本』『騎兵による機動射撃戦術』『都市ゲリラ戦入門』といった項目が並んでいる。図解入りの簡潔な解説は、まるで長年学んできたかのように直感的に理解できた。


 市街地戦闘、少数精鋭戦術、高速機動射撃——これらの技術を応用すれば、ガルディア帝国の大軍に対抗する方法が見えてくる。VRで体験した「鉄の馬」の機動力を、この世界の騎兵戦術に応用できるはずだった。


 翌朝、アリアは軍議を招集した。


 ガレス、エドガー、そして他の重臣たちが集まった会議室で、アリアは新たな作戦を提示した。


「皆さん、私にはガルディア帝国軍を撃退する計画があります」


 重臣たちは困惑の表情を浮かべた。昨日まで病弱で軍事に疎かった王女が、一夜にして戦術を語るなど、誰も信じられないだろう。


「姫君、お気持ちは分かりますが——」


「ガレス、まず聞いてください」


 アリアは地図を広げた。


「エドガー様の領地は山がちで、狭い峠道が多い。大軍の利点を活かしにくい地形です。我々はこれを利用します」


「利用、と申しますと?」


「少数精鋭による奇襲作戦です。敵の補給線を断ち、分散させてから各個撃破する」


 アリアの説明は具体的で、これまでとは比べ物にならないほど論理的だった。重臣たちは次第に真剣な表情になっていく。


「さらに、新しい戦術を導入します。騎兵による高速機動射撃です」


「騎兵による……射撃?」


 ガレスが首をかしげた。騎兵は突撃が主体で、射撃は歩兵の役目というのが常識だった。


「ええ。馬の機動力を最大限に活かして敵陣に接近し、至近距離から強力な射撃を行う。従来の騎兵突撃よりもリスクが少なく、効果的です」


 アリアはVRミッションで体験したオートバイ戦術を、この世界の騎兵に応用する方法を説明した。馬の機動力をオートバイの代わりとして使うのだ。


「姫君……それは、実現可能なのでしょうか?」


 エドガーが慎重に尋ねた。


「実証してみせましょう」


 アリアは立ち上がった。


「ガレス、中庭に的を用意してもらえますか? そして、私の愛馬を連れてきて」


 一同は中庭に移動した。アリアの愛馬フェリスは、美しい栗毛の牝馬だった。病弱なアリアでも乗れるよう、大人しい性格の馬を選んであったのだが——


「姫君、危険です!」


 ガレスが慌てて止めようとしたが、アリアは既にフェリスにまたがっていた。驚いたことに、その騎乗技術は昨日とは全く違っていた。背筋がまっすぐに伸び、手綱の握り方も完璧だった。


 アリアは魔法兵器の一種である短筒銃を手に取った。この世界では貴重品だが、王室には数丁の在庫があった。


「行くわよ、フェリス」


 馬は軽やかに駆け出した。アリアは騎乗したまま、流れるような動作で銃を構える。そして——


 パンッ!


 銃声が響き、50メートル先の的の中心を正確に撃ち抜いた。


 見学していた全員が息を呑んだ。騎乗したまま、しかも移動しながらの射撃で、これほどの精度を出すなど、常識では考えられない。


「信じられない……」


 ガレスが呟いた。


「姫君、いつの間にそのような技術を……」


「昨夜、特別な訓練を受けたの」


 アリアは微笑んだ。嘘ではない。VRミッションは確かに特別な訓練だった。


「この戦術なら、少数でも大軍に対抗できる。機動力で敵を翻弄し、的確な射撃で戦力を削る。そして何より——」


 アリアは馬から降り、重臣たちを見回した。


「私たち自身が、昨日とは比べ物にならないほど強くなっている」


 確かに、城の兵士たちの技量は一夜にして向上していた。それは誰の目にも明らかだった。


「姫君……」


 エドガーが感動したような表情で口を開いた。


「貴女様は、本当に王家の血を引いておられる。先王様がお生きであれば、どれほどお喜びになったことか」


「エドガー様、過去を振り返っている時間はありません。今、私たちにできることを全力で行いましょう」


 アリアの決意は固かった。


「明日、私は辺境に向かいます。そして、ガルディア帝国軍を撃退してみせる」


「姫君、しかし危険すぎます!」


「ガレス、私はもう昨日までの病弱な王女ではない。今の私は——」


 アリアの視線が、真剣な光を帯びる。


 アリアは力強く宣言した。


「この国を守るために、私は戦場へ向かいます」


 その言葉と共に、中庭を吹き抜ける風がアリアの髪を揺らした。


 その姿を目の当たりにした兵士や重臣たちの胸に、一つの思いが芽生え始めていた。


 ——『救国の姫騎士』という新たな希望が、この国に現れたのだと。


 初夏の風が中庭を吹き抜けた。新緑の香りを運ぶ爽やかな風に、アリアの長い髪が舞う。陽光に照らされた彼女の姿は、確かにもう病弱な少女ではなかった。


 力強く、美しく、そして何より、希望に満ちていた。


 アーテミス王国の反撃は、いよいよ始まろうとしていた。


 一方その頃、ガルディア帝国の前線基地では——


「将軍、アーテミス王国の王女が自ら戦場に出るという情報が入りました」


 鉄仮面を着けた将軍、バルドル・フォン・ガルディアは報告を聞いて鼻で笑った。


「病弱な姫君が戦場に? ふん、死に急ぎたいのか。これは楽な戦になりそうだ」


 三万の大軍を率いる彼にとって、小国の王女など取るに足らない存在だった。


 しかし、間もなく彼はその認識を改めることになる——。

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