深まる絆と新たな脅威
三重の試練から3日が経過した。王宮の一部は戦闘の傷跡を残し、修復作業が続いている。
「姫様、各方面からの報告が上がっています」
ガレスが分厚い報告書を持参した。
「まず、国内の反応から。戦闘の勝利により、王都の市民の間では姫様を『救国の英雄』と称える声が高まっています」
「しかし」ガレスの表情が曇った。「貴族院では複雑な反応が見られます」
机の上に広げられた報告書には、予想以上に複雑な現実が記されていた。
「改革推進委員会では、姫様の軍事的能力への評価が高まる一方、『謎の装備』への懸念も強まっています」
「保守派の一部は、姫様の新たな力を脅威と感じ、『王権の軍事化』という批判を展開し始めています」
「さらに、一部の貴族から『アーテミス王国の真の支配者は誰なのか』という陰謀論も出ています」
アリアは勝利の代償として、新たな政治的複雑さに直面していることを理解した。
「第一に、ケントフィールド農民の一時的合意は、具体的支援策の提示を前提としています。期限は1週間です」
「第二に、サンクトゥス帝国の捕虜62名の処遇について、国際的な注目が集まっています」
「第三に、戦闘で使用された未知の装備について、貴族院から詳細な説明要求が出されています」
アリアは深いため息をついた。勝利の代償として、新たな政治的課題が山積していた。
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「現地の状況を直接確認します」
アリアは馬車でケントフィールド地方に向かった。同行するのはガレス、ルーファス、そして農業技師のエドワード・ファーマーだった。
「姫様、農民たちの困窮は想像以上です」
エドワードが道中で説明した。
「新農法への移行失敗により、収穫量が平年の30%にまで落ち込んだ農家が120世帯あります」
「従来農法に戻すことは可能ですか?」
「技術的には可能ですが、一度改良された土壌を元に戻すには2年かかります。その間の生活支援が必要です」
ケントフィールドに到着すると、農民代表のジョン・アングリーが出迎えた。しかし、その表情は複雑だった。
「王女様、お忙しい中をありがとうございます」
「ジョンさん、率直にお聞きします。皆さんの現在の状況はいかがですか?」
「厳しいです。家族5人で1日1食の日もあります。妻が病気になりましたが、医者代も払えません」
ジョンの言葉には、飾り気のない現実の重さがあった。
「他の農民の方々も同様ですか?」
「いえ、状況はまちまちです」
意外な答えが返ってきた。
「実は、農民の間でも意見が分かれています」
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ジョンが案内した集会所には、約50名の農民が集まっていた。しかし、彼らは明確に二つのグループに分かれていた。
「王女様、お話しさせていただきます」
立ち上がったのは、比較的若い農民のピーター・ニューファーマーだった。
「私たちの中には、改革に賛成している者もいます」
「どのような理由でしょうか?」
「新農法は確かに困難ですが、うまくいった農家では収穫量が2倍になっています。私の隣人のトーマス・サクセスさんは、今年最高の収穫を得ました」
会場がざわめいた。
「しかし、その成功者は全体の1割程度です」
ジョンが反論した。
「我々9割の失敗者は、どうすれば良いのですか?」
「だからこそ、支援と指導の継続が必要なのです」
ピーターの主張に、若い農民たちが頷いた。
「王女様、私たちは改革の継続を求めます。ただし、より丁寧な指導と支援を」
アリアは農民内部の分裂を目の当たりにしていた。単純な「改革の失敗」ではなく、より複雑な状況だった。
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「皆さんのお話を聞いて、状況を理解しました」
アリアは両グループに向かって語りかけた。
「改革は部分的には成功している。しかし、多くの方が困窮しているのも事実です」
「では、どうされるおつもりですか?」
ジョンが不安そうに尋ねた。
「二段階のアプローチを提案します」
アリアは以前の経験を活かし、段階的解決策を提示した。
「第一段階として、困窮している農家への緊急支援。食料、医療費、生活費の一部を王国が負担します」
「第二段階として、農法選択の自由化。新農法を続けたい方は支援を継続し、従来農法に戻りたい方には土壌回復支援を提供します」
「財源はどうされるのですか?」
ピーターが現実的な質問をした。
「...検討中です」
アリアは正直に答えた。実際、財源の確保は最大の課題だった。
「ただし、必ず解決策を見つけます。それが統治者の責任です」
この言葉に、農民たちの表情が僅かに和らいだ。
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王都に戻ったアリアを、ランカスター伯爵が訪ねてきた。
「王女殿下、先日は失礼をいたしました」
伯爵の表情には、深い反省と同時に、新たな決意が宿っていた。
「いえ、伯爵の愛国心は理解しています。むしろ、外敵の脅威に直面して共に戦えたことを感謝しています」
「私の私兵たちも、王宮での戦闘を通じて多くを学びました」
「どのようなことを?」
「現代的な戦術の有効性、そして何より、王女殿下の指導力です」
伯爵が続けた。
「正直に申し上げて、私は王女殿下を過小評価していました。しかし、戦場での采配を見て考えを改めました」
「戦闘中、王女殿下は私の進言を聞き入れ、私兵の配置についても相談してくださいました。それは単なる命令ではなく、対等な協力者として扱ってくださったからです」
「ありがとうございます。しかし、まだ多くの課題があります」
「だからこそ、本格的な協力関係を築きたいのです」
伯爵が具体的な提案をした。
「私の領地で、農業技術の実証実験を行いませんか?新農法と従来農法の比較検証を、科学的に実施するのです」
「また、改革推進委員会での私の立場も変更します。これまで保守派として反対していましたが、今後は『建設的改革派』として、現実的な改革案を提示していきます」
この申し出は、政治的バランスにとって極めて重要だった。
「さらに、私の私兵を王国軍の訓練に参加させていただけませんか?現代戦術を習得し、将来の脅威に備えたいのです」
「伯爵の協力は心強い限りです。ただし、一つお願いがあります」
「何でしょうか?」
「今後も率直な意見をお聞かせください。協力者になっても、批判的視点を失わないでいただきたいのです」
この言葉に、伯爵は深く感動した。
「承知いたしました。王女殿下の真の協力者として、建設的な批判を続けさせていただきます」
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王宮の捕虜収容所では、先日の捕虜処遇の経験を活かした人道的処遇が続けられていた。
「捕虜たちの状況はいかがですか?」
「複雑です」
捕虜管理責任者のハロルド・プリズンキーパーが報告した。
「62名中、約20名は我が軍の処遇に驚き、協力的になっています。しかし、30名は沈黙を保ち、残り12名は強く反発しています」
「反発している捕虜の言い分は?」
「『これは洗脳工作だ』『我々を情報収集に利用しようとしている』といった主張です」
アリアは数日前でのセルゲイ・モロゾフ大尉の反応を思い出していた。
「協力的な捕虜から、何か情報は得られましたか?」
「はい。重要な情報があります」
ハロルドが声を潜めた。
「サンクトゥス帝国では、今回の作戦失敗により、軍内部で責任の押し付け合いが発生しています」
「具体的には?」
「作戦立案者と実行部隊の間で対立が生じています。さらに、『アーテミス王国の軍事力を過小評価した』として、情報部への批判も高まっています」
これは重要な情報だった。敵国内部の混乱は、外交的機会を生む可能性がある。
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貴族院では、戦闘で使用された「未知の装備」について激しい議論が続いていた。
「王女殿下、説明責任があります」
オズボーン公爵が厳しい表情で詰問した。
「あの強力な火器は、どこから入手されたのですか?」
「また、敵の位置を正確に把握していた情報収集能力についても説明が必要です」
「さらに深刻なのは」ランカスター伯爵が続けた。「このような装備の存在が明らかになったことで、軍内部の道の装備への関心が急速に高まっています」
「それは良いことではないでしょうか?」
サマーセット侯爵が反論した。
「しかし、伝統的な軍事訓練を重視する古参将校たちからは強い反発が出ています」
オズボーン公爵が懸念を示した。
「『若い王女が軍を私物化している』『伝統的な騎士道精神が失われる』という声も上がっています」
アリアは慎重に答えなければならなかった。守護者の存在は明かせない。
「一部は、私が習得した技術を実用化したものです」
「緊急時のため、信頼できる技術協力者から一時的に装備を借用しました」
「国外の協力者?どこの国ですか?」
「申し訳ありませんが、相手方の要請により詳細は機密とさせていただきます」
この説明に、貴族たちは完全には納得していなかった。しかし、戦闘の勝利という結果があるため、強く追及することはできなかった。
「ただし」アリアが続けた。「軍事改革については段階的に進めます。伝統と革新のバランスを重視し、古参将校の皆さんの経験も活かしていきます」
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その夜、アリアは財務官のアーサー・ペニントンと緊急会議を開いていた。
「姫様、現実的な数字をお示しします」
ペニントンが帳簿を広げた。
「ケントフィールド農民への緊急支援に必要な費用は、月額2,000金貨です」
「現在の王国財政では可能ですか?」
「3ヶ月が限界です。それ以上続けるには、追加の税収確保か、支出の大幅削減が必要です」
「追加税収の可能性は?」
「商人ギルドからの特別拠出金増額を要請できますが、先日の負担増により、彼らの反発は必至です」
「支出削減は?」
「軍事費、宮廷費、公共事業費のいずれかを削る必要があります。しかし、サンクトゥス帝国の脅威を考えれば、軍事費削減は危険です」
アリアは難しい選択を迫られていた。財政の現実は、理想的な政策実施を阻む大きな壁だった。
「他に方法はありませんか?」
「...一つだけあります」
ペニントンが躊躇いながら口を開いた。
「外国からの借款です。ただし、政治的な代償を伴う可能性があります」
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翌朝、国境警備隊から不穏な報告が届いた。
「姫様、サンクトゥス帝国の動きに変化があります」
ウィリアム・ボーダーガードが緊急報告に来た。
「どのような変化ですか?」
「国境付近での軍事演習が拡大しています。規模は前回の3倍、約300名の部隊が展開しています」
「前回の作戦失敗の影響は?」
「逆に軍事行動が活発化しています。失敗の責任を挽回するため、より大規模な作戦を準備している可能性があります」
戦術支援装置の画面には、サンクトゥス軍の新たな配置が表示されていた。
「装備も強化されています。魔導戦車が20台、飛行船が10隻確認されています」
「さらに深刻なのは」ウィリアムが続けた。「我々の装備に関する情報収集を活発化させていることです」
「どのような情報収集ですか?」
「前回の戦闘で捕虜となった兵士たちからの聞き取り、戦場に残された弾薬の分析、そして何より、我が軍が使用した『兵器』への対抗策を検討している模様です」
これは予想されていた展開だった。
「具体的な対抗策は?」
「テクノス・アルカナの古代遺跡から、より強力な技術の発掘を急いでいます。特に『最終兵器』と呼ばれる何かを探索している情報があります」
「我が軍の対応能力は?」
「正直に申し上げて、この規模の攻撃には対処困難です。前回は奇襲と屋内戦闘で勝利できましたが、野戦では数的劣勢は覆せません」
ガレスの分析は冷静だった。
「さらに、相手がテクノス・アルカナの『最終兵器』を実用化すれば、我々の兵器でも対抗は困難になります」
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フランシス・ニュートラルからの報告によると、ガルディア帝国の状況も複雑化していた。
「ミハイル軍曹は現在、軍法会議の延期状態にあります」
「セルゲイ大尉の反応は?」
「激怒しています。『アーテミス王国との内通者を野放しにするのか』と上層部に圧力をかけています」
「皇帝の判断は?」
「迷っています。ミハイル派を弾圧すれば軍の分裂が決定的になり、放置すれば規律が崩壊する」
この膠着状態が、サンクトゥス帝国にとって好機となっていた。
「サンクトゥス軍の新たな軍事行動について、ガルディア軍は把握していますか?」
「はい。しかし、内部対立により統一的な対応が取れていません」
「つまり、我が国は孤立した状況で、より大規模な脅威に直面することになります」
アリアは戦略的な判断を迫られていた。
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その夜、アリアは一人でVRアーティファクトに向かっていた。
「新しいシナリオが解放されている...」
画面には『Capital Defense - Nuclear Crisis』という文字が表示されていた。
「大都市への核攻撃を阻止する...」
これは今まで経験したシナリオより遥かに大規模で複雑なミッションだった。
しかし、アリアは迷っていた。VR技術は確かに有効だが、現実の複雑な問題をすべて解決できるわけではない。
「技術だけでは、人の心は動かせない」
しばらく続く経験で学んだ教訓だった。ジョン・アングリーの困窮、ランカスター伯爵の葛藤、サンクトゥス捕虜の反発。これらはすべて人間的な感情に根ざしている。
「明日、もう一度ケントフィールドに行こう」
アリアは技術的解決策ではなく、人間的な対話による解決を選択した。
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翌日のケントフィールド再訪で、アリアは重要な発見をした。
「王女様、実は相談があります」
ジョン・アングリーが、今度は異なる表情で話しかけてきた。
「私たち困窮している農民も、ただ支援を求めているわけではありません」
「どういう意味ですか?」
「働く機会を提供してもらえませんか?支援を受けるだけでは、尊厳が保てません」
この言葉に、アリアは深く感動した。
「具体的にはどのような働き方を希望されますか?」
「道路建設、水路整備、公共施設の建設。農業以外の仕事でも構いません」
「技能の問題は?」
「農民も土木作業には慣れています。指導していただければ、きっと役に立てます」
この提案は、財政問題の新たな解決策を示していた。
「分かりました。公共事業を拡大し、皆さんに参加していただきましょう」
「本当ですか?」
「はい。ただし、賃金は市場価格より若干低くなりますが、安定した収入を保証します」
この合意により、支援から自立への道筋が見えてきた。
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ランカスター伯爵の提案による農業実証実験が開始された。
「王女殿下、興味深い結果が出ています」
実験を監督するエドワード・ファーマーが報告した。
「新農法と従来農法を同一条件で比較した結果、新農法の優位性は確認できました。しかし、重要な発見があります」
「どのような発見ですか?」
「土壌の種類によって、適用すべき農法が異なることが判明しました」
これは重要な知見だった。
「つまり、一律に新農法を導入したことが問題だったのですね」
「その通りです。地質調査を行い、各地域に最適な農法を選択すべきでした」
「ランカスター伯爵のお考えは?」
「伯爵は『科学的根拠に基づく農業改革』を提唱されています。感情論ではなく、データに基づいた政策決定の重要性を主張されています」
この実証実験により、今後の農業政策に明確な指針が生まれた。
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軍事会議で、サンクトゥス帝国の新たな脅威への対策が検討された。
「現状では、単独での防衛は困難です」
ガレスの分析は厳しかった。
「選択肢は三つあります」
アリアが戦略的選択肢を整理した。
「第一に、ガルディア帝国のミハイル派との軍事協力の再開」
「第二に、他の中立国との防衛同盟の締結」
「第三に、サンクトゥス帝国との直接交渉による平和的解決」
「どれも一長一短ですね」
オズボーン公爵が慎重な意見を述べた。
「ミハイル派との協力は前回有効でしたが、発覚すれば両国で政治問題となります」
「中立国との同盟は時間がかかりすぎます」
「直接交渉は、相手の出方次第では危険です」
「では、複合的なアプローチを取りましょう」
アリアが決断した。
「水面下でミハイル派との連絡を維持しつつ、中立国との予備交渉を開始。同時に、サンクトゥス帝国への外交的メッセージも検討します」
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夜、アリアは今日の出来事を振り返っていた。
「ルーファス、私は変わったでしょうか?」
「大きく成長されました」
ルーファスが静かに答えた。
「以前の姫様なら、アーチファクトによる技術的解決を優先されたでしょう。しかし、今日は人々との対話を重視されました」
「技術は重要ですが、それだけでは人の心は動かせません」
「これまでの様々な出来事から、多くを学びました」
アリアは統治者として、確実に成熟していた。
「困窮している人々が求めているのは、必ずしも支援ではない。尊厳を持って働く機会なのですね」
「その通りです。そして、それを理解できる統治者こそが、真のリーダーです」
「また、ランカスター伯爵との関係も変化しました。対立から協力へ、そして真の信頼関係へ」
「まだまだ課題は山積していますが」
「はい。特にサンクトゥス帝国の新たな脅威は深刻です。しかし、姫様なら必ず乗り越えられます」
「一人では無理です。ランカスター伯爵、ケントフィールドの農民たち、軍の兵士たち。皆の力を結集してこそ、真の解決が可能になります」
ルーファスの言葉に、アリアは新たな決意を固めていた。
「技術と人間性、理想と現実、個人の力と集団の結束。すべてのバランスを取りながら進むことが、統治者の役割なのですね」
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翌朝、アリアは重要な決定を下した。
「今日から、新しい政策を実施します」
閣議で、アリアが発表した。
「第一に、ケントフィールド地方での公共事業プロジェクトの開始。困窮農民への就労機会提供」
「第二に、地域別農業技術の適正化。科学的根拠に基づく農法選択」
「第三に、サンクトゥス帝国への外交的働きかけの開始」
これらの政策は、技術的解決策と人間的配慮のバランスを取ったものだった。
「財源の確保は?」
ペニントン財務官が心配そうに尋ねた。
「公共事業は必要なインフラ整備でもあります。長期的には経済効果も期待できます」
「外交費用は最小限に抑え、主に既存の外交ルートを活用します」
現実的で実行可能な計画だった。
しかし、サンクトゥス帝国の軍事的脅威は日々拡大している。外交と軍事準備の両面で、より困難な挑戦が待ち受けていた。
アリア・フォン・アーテミスの統治者としての真の試練は、これからも続いていく。しかし、三重の試練を乗り越え、人々との信頼関係を深めた彼女には、それを乗り越える力が備わっていた。
病痩の王女から救国の姫騎士への変貌は、技術だけではなく、人間性の成長によって支えられていた。




