誰とでも寝るアバズレ女と陰口を叩かれた侯爵令嬢、王子から婚約破棄される
「ほう、君がサルヴァトーレのダイヤモンドと名高いマリアンネ嬢か。なるほど噂通りの美しさだ」
「え? あっ、ごきげんようシルヴィアン様。恐縮です」
「ふふ、緊張しているのかい?」
「えっと……」
今日はここソフタリア王国の第一王子シルヴィアン殿下の誕生日を祝うパーティーが王宮で開催されている。
その記念すべき日に憧れの社交界へのデビュタントを果たした私マリアンネは殿下本人から不意に声を掛けられて言葉を詰まらせた。
何せ侯爵令嬢とは名ばかりのまだ社交界のマナーのいろはも満足に分からない小娘だ。
殿下に失礼がないようににわか仕込みの礼儀作法を必死で思い出しながらたどたどしく受け答えをするが既に自分が今何を言っているのか分からないくらいテンパっている。
貴族の娘としては心底情けなくなる話だがこの体たらくの言い訳を許していただけるのならそれは私の生まれ育った環境に原因があると断言できる。
辺境に位置するサルヴァトーレ領には多くの宝石が採掘できる鉱山があり、その所有権を巡って絶えず隣国との小競り合いが続いていた。
おかげで領主である私の父は母と共にその対応に追われて家庭に目を向ける暇がなく、屋敷の使用人達もそんな両親のサポートで手一杯の為に私は半ば放置子のように育ってきたのだ。
そんな境遇の中で捻くれてしまってもおかしくないところを寸でのところで踏み止まることができたのには理由がある。
私には日本の学生だった前世の記憶が残っていたのだ。
私が前世の記憶を持ったままこの世界に転生したのはきっとそれをこの世界で役立てて欲しいという神様の意思に違いない。
漠然とそんなことを考えながら前世の知識や技能を活かして両親の仕事を手伝い始めた結果、その頑張りは奏功し瞬く間に外敵は排除され領内は安定しサルヴァトーレ侯爵家は時間的にも金銭的にも余裕が生まれてくるようになった。
王宮で開かれるシルヴィアン殿下の誕生パーティーの招待状が私の下に届いたのはそんな頃だ。
サルヴァトーレのダイヤモンドという二つ名は私の働きっぷりを目の当たりにした領内の人々が鉱山で採れる最高級の宝石に例えて名付けてくれたものだ。
それは私の見た目とは無縁の由来ではあるのだが王子様がそう勘違いしてくれるのならそれもまたよし。
私だって年頃の女の子。
容姿を褒められれば嬉しいに決まっている。
内心浮かれているとシルヴィアン殿下は私の周囲をゆっくりと回り始めた。
何をしているのかと思えばどうやら私を全方位から品定めしているようだ。
「えーと……」
困惑しながらシルヴィアン殿下のその行動を横目で追っていると私の前に戻ってきた殿下は満足そうな笑みを浮かべて高らかに宣言する。
「よし決めたぞ。マリアンネ・サルヴァトーレ。君を我が婚約者と定める」
「ええっ!?」
シルヴィアン殿下の突然の宣言に周囲の空気が一変した。
当然だろう。
今夜のパーティーでシルヴィアン殿下に見初められる為に普段以上に気合を入れて着飾った多くのご令嬢やその親たちがこの場に参列している。
殿下の一言で彼女たちの夢と希望は一瞬にして崩れ去ってしまったのだ。
面白いはずがない。
遠巻きに私を睨みつける者、眉を顰めて不快感を露にする者、口を半開きにして呆然と立ち尽くす者、泣き崩れる者などその反応は千差万別だ。
パーティー開始早々どうするんだよこの空気。
私に向けられた参列者たちの視線が痛い程突き刺さる。
誰か助けて。
居た堪れない気持ちで立ち竦んでいると恰幅の良いひとりの紳士がシルヴィアン殿下に近付いてきて声をかけた。
「シルヴィアン殿下、まだパーティーは始まったばかりですぞ。我々にもご挨拶をさせて下さい」
「おおアルモンド侯爵か。貴様も私に婚約者ができたことを祝福してくれるのだろう?」
シルヴィアン殿下が満面の笑みを浮かべながらそう返事をするとアルモンド侯爵と呼ばれたこの紳士は殿下の顔色を窺いながら答えた。
「それはもちろんお目出度いのですが、実は私の娘も今日殿下にお会いできるのを楽しみにしておりまして。挨拶だけでもさせていただけませんでしょうか」
「よかろう。今の私は最高に気分が良いからな。それではまた後でなマリアンネ嬢」
「は、はいシルヴィアン様……」
シルヴィアン殿下はアルモンド侯爵と談笑しながら会場の奥へと歩いていく。
刹那振り向いたアルモンド侯爵の顔を見て私の背筋が凍り付いた。
アルモンド侯爵は笑顔こそ見せているがその目は全く笑っていないのだ。
それどころかその瞳に浮かんでいるのは敵意を通り越して殺意とも呼べる憎悪の念。
理由は考えるまでもない。
きっと彼の娘さんも殿下を狙っていた令嬢の一人なのだろう。
貴族の世界は恐ろしいものだ。
己が家の利益の為に貴族同士で足を引っ張りあうことなど日常茶飯事。
今回の婚約は完全に不意打ちで私の意志やサルヴァトーレ家の思惑は一切関与しておらず、実のところ私自身が一番驚いているのだがそんなことは相手にとっては知ったことではない。
殿下の一言でサルヴァトーレ侯爵家はアルモンド侯爵家だけでなくこの会場内の多くの貴族から政敵と見做されてしまったのである。
まったく迷惑極まりない話である。
どうしたものかと途方に暮れながらシルヴィアン殿下の背中を見送っていると後ろで大きなため息が聞こえてくる。
ため息をつきたいのは私の方だ。
どこのどいつだと振り返ればひとりの容姿端麗な青年が去っていく二人の背中を眺めていた。
私はその青年を見てほっと胸を撫で下ろす。
彼ことはよく知っている。
シルヴィアン殿下の弟君であるこの国の第二王子アラン殿下だ。
私はアラン殿下の前に歩み寄り背筋を正して挨拶をする。
「これはアラン様。ごきげんよう」
「こんにちはマリアンネ嬢」
今日初めて対面したシルヴィアン殿下とは異なりアラン殿下とは個人的にも面識がある。
社交界初体験であり完全アウェーの私にしてみれば正に助けに船だ。
縋るような目で見つめると彼はいたずらっぽく笑って言った。
「どうしたんだ。いつもの君からは想像もできないな。まるで借りてきた猫の様だぞ」
「むー。その例えはないと思いますよアラン様」
「ははは」
しかしアラン殿下の気兼ねない冗談のおかげで幾分緊張も和らいできた。
……いや、アラン殿下が冗談で言っているのか本気で言ってるのかは分からないけどそれはもういい。
気を取り直した後次に出てくる話題は当然シルヴィアン殿下との婚約についてた。
「それにしても兄上の気紛れにも困ったものだな。父上に断りもなく勝手に婚約者を決めてしまうとは」
「そうなんですよアラン様。私などにシルヴィアン様のお相手が務まるでしょうか」
「無理なんじゃないか?」
アラン殿下はくすくすと笑いながら即答する。
「酷いですアラン様!」
いや私もそこは同意見ではあるのだがそこまではっきり言われるとさすがに傷つく。
せめてもう少しこうオブラートに包んだ言い回しとかを検討してもらいたかったものだ。
頬を膨らませながら抗議するとアラン殿下は笑みを止め真剣な表情で答えた。
「いや、どちらかというと兄上の方が君の相手が務まらないだろうな」
「シルヴィアン様がですか? それはどういう意味でしょう?」
アラン殿下は私の耳元に口を近づけて言った。
「ここだけの話だが兄上は身体を動かすのが嫌いでね。特に武術についてはからっきしなんだ」
「はあ……そうなんですか」
真面目な顔で何を言い出すのかと呆気に取られる私。
嫡男であるシルヴィアン殿下はいずれこの国の王に即位することになるはず。
王に必要なスキルといえば国を統治する才であって武術ではない。
いざという時に身を守る程度の強さは必要だと言いたいのかもしれないがそんなものは近衛騎士にでも頼ればいい。
アラン殿下なりの冗談のつもりなのだろうか。
真意を推し量りかねて考え込んでいるとアラン殿下がワインの入ったグラスを私に手渡した。
「まあそんな話より今日はパーティーだ。折角だから今日は君も存分に楽しむといい」
「はい頂きます」
いつまで考えていても仕方がない。
こうなったらもうなる様になれだ。
吹っ切れた私はアラン殿下とグラスを合わせて乾杯をした後で暫く世間話に花を咲かせているとシルヴィアン殿下が戻ってきた。
慌ててグラスをテーブルに置きもう一度見様見真似で貴族の礼法とやらを試みる。
「おかえりなさいませシルヴィアン様」
今度は上手できただろうかと自問自答しながらシルヴィアン殿下の反応を待っていると思いもよらない言葉が返ってきた。
「うるさいこのアバズレめ!」
「え?」
先程までの上機嫌はどこへ行ったのか大層ご立腹の様子。
この数分の間いったいどんな心境の変化があったのかと戸惑いながら顔を上げて見てみればシルヴィアンの隣にはひとりの令嬢が周りに見せつけるようにその左腕にしがみついている。
何だこの状況は。
「マリアンネ・サルヴァトーレ! 貴様との婚約を破棄させてもらう! よくもこの私を騙してくれたな!」
「いったい何のことでしょう?」
「しらばっくれるな! 聞いたぞ、貴様は誰とでも寝るふしだらな女だそうだな」
「は、はあ?」
私は辺境の領主の娘とはいえ侯爵家の娘だ。
貴族として最低限の貞操観念は持っている。
前世でも下半身に正直なままに行動した結果社会的に破滅してしまった愚かな男女の話は珍しくもない。
当然全く身に覚えがないことである。
しかしシルヴィアン殿下の中では既にそれは真実となっているようで取り付く島もないほどの勢いで捲し立てる。
「何がサルヴァトーレのダイヤモンドだ。このステラが教えてくれなかったらまんまと騙されるところだった!」
根も葉もない名誉棄損の出所はシルヴィアン殿下の隣の女か。
彼女に視線を移すと如何にもしてやったりという表情で口元を歪ませている。
なるほど大体状況は掴めた。
以前私の友人である伯爵家の令嬢レイラがとある名家の令息と懇意の間柄になった時、それを妬んだ者たちによって陰湿な苛めを受けて心を病み屋敷に引きこもってしまったことがある。
確かそのいじめのリーダーと噂される人物の名前もステラとかいったはずだ。
しかしレイラが身を引いたとはいえステラがその後釜に収まるはずもなく、今度はシルヴィアン殿下にターゲットを変えて彼にあることないことを吹き込んだに違いない。
とはいえ相手もこの国で力を持つ侯爵家の令嬢。
ぶん殴ってやりたい気分だが多くの王侯貴族が参列するこのパーティー会場でうかつに動けば最悪の場合こちらの立場が更に悪くなってしまうことも考えられる。
今日のところはそれが真実ではない旨を訴えるに留めて後日改めて王室に真相を確認してもらおう。
聡明な国王陛下ならば絶対に真実を明らかにして私の冤罪を晴らしてくれるはずだ。
私は深呼吸をして心を落ち着かせる。
しかしシルヴィアン殿下の次の言葉についに頭の血管がブチ切れてしまった。
「アラン、お前もこの女と寝たことがあるそうだな。この女はその容姿でいったい何人の男を誑かしているんだ?」
「は?」
私のことを悪く言うのはまだいい。
でも無関係のアラン殿下を巻き込むのは許せない。
怒りのあまりぷるぷると身を震わせていると名誉を傷つけられたアラン殿下が私の前に出て反論をした。
「兄上、先程から黙って聞いていればこれ以上マリアンネ嬢を侮辱するのは止して頂きたい。彼女はそのような女性ではありません」
「黙れアラン。私が知らないとでも思ったのか? 先日マリアンネと密会する為に王宮の一室に二人で入っていく現場をたまたま王宮に来ていたステラが目撃したと聞いたぞ。しかも部屋から出てきた時には二人とも汗だくで息を切らせていたというではないか。いったい何をしていたのか言ってみろ」
「マリアンネ嬢を部屋に招待したのは事実ですがそれは誤解です!」
「アラン様、もういいですわ」
「マリアンネ嬢、しかし……」
「いいから」
強い口調でアラン殿下を制止しながら私は大きくため息をついた。
シルヴィアン殿下は大きな勘違いをしている。
私がサルヴァトーレのダイヤモンドと呼ばれているのは決して私の容姿を表現したものではない。
いや、少しはそれも理由のひとつであったらいいなとは思ってるけど本当の理由は──
「マリアンネさん今更言い逃れはできませんわよ」
ステラが挑発をするように大げさに右手を振り上げて私に指を差す。
その瞬間私は目にも止まらない速さでステラの手を掴んだ。
そして身体を回転させながら前屈みになり、腕を引っ張られたステラの上半身が私の腰の上に持たれかかった瞬間に勢いよく腰を跳ね上げる。
「せいっ!」
「ふえ?」
ステラの身体が空中で一回転し、床に背中を打ち付ける寸前で技を止めて彼女を受け止めるように自分の身体をその下に潜り込ませる。
さすがにこの勢いで背中をぶつけたらただじゃあ済まないからね。
「ひっ、ひい……」
怪我こそしなかったもののステラは腰を抜かして床にへたり込み目を白黒させている。
その華奢な身体に恐怖を叩き込むには十分の衝撃のはずだ。
「ステラ、大丈夫か!?」
シルヴィアン殿下が慌ててステラに駆け寄るのを横目にゆっくりと立ち上がり乱れたドレスを整える。
サルヴァトーレのダイヤモンド。
その由来は今はドレスの下に隠れて見えないだろうがダイヤモンドの様に強靭に鍛えられたこの肉体が由来である。
前世で柔道部の部長だった私は自身を鍛えると共にその技術の全てを領内の兵士たちに叩き込んでいたのだ。
刀折れ矢尽きた時に最後に頼りになるのは徒手空拳である。
鍛えられた兵士たちはその技によって隣国から侵略する敵軍を見事に駆逐することに成功し領民に安寧の日々が訪れたのである。
自分でも予想外だったのは日頃の鍛錬によって余計な贅肉を極限まで削ぎ落したこの肢体は周りの殿方からは美しく映ったようだ。
「マリアンネ、貴様今ステラに何をした!?」
「シルヴィアン様、私が得意な柔道という武術には寝技というものがあります。そういった意味では私は誰とでも寝る女と言われれば否定はできませんが少し意味合いが違いますね」
臣下の身分であろうと間違っていることは正さなければならない。
一睨しながらはっきりと主張するとシルヴィアン殿下は身震いをしながら後ずさりをする。
別に脅しているつもりはないのだが。
「ひっ……誰かこの女を取り押さえろ!」
「し、しかしシルヴィアン殿下……」
「ええい何をしている! 私の命令が聞けないのか! そうか、貴様たちもこの女とできているのだな!」
シルヴィアン殿下は会場内の兵士に命じるが皆顔を見合わせながら二の足を踏む。
しかし兵士たちと同様に私もその場を動けない。
いくら頭にきたとはいえ仮にも自身が仕える国の王子に手を出すことは憚られたからだ。
拮抗状態が続く中で騒ぎを聞きつけて国王陛下が近衛騎士たちに守られながらやってきた。
「何の騒ぎだ?」
「父上良いところに来てくれました。このアバズレを捕縛して下さい。この女はアランや兵士たちとも関係を持ちながら私を誑かし、その事実を突きつけると悪びれることもなく暴力に訴える始末。これはまさに王家への反逆です」
シルヴィアン殿下は百万の味方を得たようにしたり顔で主張する。
しかし国王陛下はシルヴィアン殿下の思惑とは反対に呆れ顔で答えた。
「何を言っておるのだお前は。マリアンネ嬢はそのような娘ではないぞ。のうアランよ」
「はい父上のおっしゃる通りです」
アラン殿下がそれを肯定し陛下に傅くとシルヴィアン殿下は口を尖らせながら床でへばっているステラを指差した。
「でも我が愛するステラがこのような目に遭わされたのですよ」
「誰じゃこの娘は?」
「我が婚約者のステラ・アルモンドです」
「うん? お前いつ婚約したのじゃ? 何も聞いておらんぞ」
「ついさっきです。まだ父上に報告していませんでした」
国王陛下は頭を抱えながら大きくため息をついた。
「お前はまたそのような勝手なことを……一国の王子たる者がそんな重要なことを私に相談もなく決められると思っているのか。私は教育を間違えた。一度マリアンネ嬢にその甘ったれた性根を鍛え直してもらうがいい」
「しかし父上──」
「承知しました陛下」
陛下の許可を得た私はゆっくりとシルヴィアン殿下に近づいた。
「ひっ、来るな!」
見苦しく抵抗する殿下の袖と胸ぐらを難なく掴んで揺さぶると殿下は投げ飛ばすまでもなくバランスを崩して転倒してしまった。
なるほど運動が苦手というだけある。
体幹がまるで鍛えられていない。
衆目の中のこの醜態、殿下にとっては耐えがたい屈辱だろう。
しかし当然これで手打ちにする程世の中甘くない。
私はすかさず倒れた殿下の背後に回り両手で襟を掴んで思いっきり締め上げる。
「ぐえー」
情けない悲鳴が会場内に響き渡った。
「殿下、これが私の得意な寝技です」
「く、苦しい……」
シルヴィアン殿下は手足をばたつかせて振り解こうとするが無駄な抵抗に過ぎず僅か数秒の内に手足がだらりと垂れ下がった。
あまりにも呆気なさ過ぎて一瞬殿下が落ちていることに気が付かなかった程だ。
「うむ。そこまで」
国王陛下からタオルが投げ込まれたことで漸く状況を把握した私は技を解いて立ち上がりドレスを整えて陛下に一礼する。
「失礼をいたしました」
「よいよい。こやつにはいい薬だろう。誰かこの馬鹿者を部屋まで運んで介抱してやってくれ」
「ははっ」
騎士たちがシルヴィアン殿下の身体を抱きかかえて会場から退場していく。
日頃から殿下の素行には皆も思うことがあったのだろう。
誰かがパチパチと手を叩いたのを皮切りに会場中に拍手の音が鳴り響いた。
そんな中でひとりアルモンド侯爵が面白くなさそうに陛下の前に歩み出て訴えた。
「陛下、実際に我が愛する娘がこんな酷い目に遭わされているというのに何故その娘のみを贔屓にされるのですか? これでは不公平ではありませんか」
それは傍目には正論に聞こえるが国王陛下は落ち着いた様子で答えた。
「マリアンネ嬢が侯爵家の令嬢でありながら柔道という優れた武術の使い手ということは皆が知っている。そもそもアランや王宮の兵士たちに柔道の指導をするように依頼したのはこの私だぞ」
「な、なんと……」
「それよりも貴族の娘の間でお主の娘には色々と悪い噂が流れておるようだのう」
「ギクッ……な、何のことでしょう? あっ、向こうで妻が呼んでいるので私はこれで」
アルモンド侯爵は血相を変えながらそそくさとその場を立ち去って行った。
しかしそれで誤魔化せるはずもなく後日聞き取り調査が行われた結果ステラが行った数々の悪事が明るみに出てアルモンド侯爵家は貴族社会から白眼視されることとなる。
孤立した貴族程惨めなものはない。
少なくともこの世代の内はアルモンド侯爵家が表舞台に立つことはないだろう。
アルモンド侯爵家の末路を知ったレイラやステラの被害にあった他の令嬢たちも徐々に以前のような明るさを取り戻していった。
◇◇◇◇
シルヴィアン殿下の誕生パーティーから一ヶ月。
私は訓練場で王宮の兵士たちと柔道の乱取り稽古を行っていた。
今回は本人たっての希望もあり兵士に交ざってアラン殿下も参加している。
いつも通り全身の力の緩急を駆使して相手を揺さぶり重心が乱れた隙をついて一気に投げ飛ばしたつもりだった。
「あっ」
宙を舞ったのは相手ではなく私の身体だった。
久しく忘れていた感覚に戸惑う。
「一本! そこまでです!」
審判役を務めた兵士がアラン殿下の勝利を告げる。
「有難うございました」
立ち合いが終わるとお互い訓練場の真ん中に戻って向かい合い礼をする。
「ふう、さすがアラン殿下です。見事な裏投でした」
この世界に転生してから初めての黒星ではあるが不思議と悔しいという気持ちはなく逆に私の心は晴れ渡っていた。
公式な試合ではなくあくまで稽古。
私もまだまだ本気ではないがそれでも一敗は一敗だ。
アラン殿下は本当に上達したと思う。
正に指導者冥利に尽きるというものである。
健闘を称え握手の右手を差し出すとアラン殿下は浮つくこともなく落ち着いた声で言った。
「いえまだまだこれからです。もっと強く、あなたを守れるくらいには強くならなければ」
「もうからかわないで下さい殿下。年頃の女性にそのようなことを言ったら勘違いをしてしまいます」
「いや私は本気で言っているのだが」
「ええっ!? 何を言って……」
突然の告白に頭の中が真っ白になる中アラン殿下は真剣な表情で続けた。
「実は先日父上と話をして君を婚約者にする許可を頂くことができたんだ。後は君に認められるように私自身が力をつけなければ」
「べ、別に柔道の強さで結婚相手を決めるとか考えていませんから!」
やがて失脚したシルヴィアン殿下に代わって王太子と定められたアラン殿下はソフタリア王国の王位を継いだ。
他国を寄せ付けぬ武勇と民衆に寄り添った柔軟な政策でよく国を統治し柔王と呼ばれたアラン王の傍らにはサルヴァトーレのダイヤモンドの異名を持つ美しい王妃が絶えず柔らかな笑みを浮かべていたという。
完