08 おいしいごはん
「うわあっ!?」「な、なんですの!?」「て、テガミバト!?」「だ、誰の仕業だ!?」
しかしマグラス様だけはまったく動じていない。
パタパタ羽ばたいて飛んできたテガミバトからわたしが託したものを、まるで来るのがわかっていたかのように受け取っていた。
その瞬間、バンシーの顔がさらなる驚きに満ちる。
「か……カトラリー……!? なんで……!?」
そう。わたしが閃いたアイデアは、牢獄の先住者が残してくれたミスリ銀のカトラリーを渡すことだった。
テガミバトが持ってきた食器をマグラス様が使ってくれるかどうかはイチかバチで、カトラリーがすり替えられていることを気づいてもらうだけでもよかったんだけど、思った以上にうまくいったみたい。
バンシーの慌てっぷりが、その効果のほどを示していた。
「お、お待ちください、マグラス様! まさか、そんなクソバトが持ってきたカトラリーを使うおつもりですの!?」
「私が若い頃は、テガミバトは幸せを運ぶ鳥と言われていました。私も一羽のテガミバトのおかげで国王と結ばれたのですよ。このカトラリーはきっと、あの人が天国から送ってくれたものでしょう」
「そ……そんなバカなですわ! そんなばばっちいカトラリー、使うと病気になってしまいますわよ! おやめくださいまし!」
席を立ってまで止めようとするバンシーに、マグラス様は冷ややかな言葉を投げつける。
「バンシーさん、なにをそんなに慌てているのです? 私がこのカトラリーを使ってあなたの作った食事を食べると、なにか不都合でもあるのですか?」
「うっ」と言葉に詰まるバンシー。まるで水位が上がっていくように、みるみる顔が青くなっていく。
しかしマグラス様がスプーンを使ってスープをすくいあげようとすると、
「あっ……わぁぁぁぁぁーーーーっ! あ、足が滑りましたわぁぁぁぁぁーーーーっ!」
バンシーはわざとらしく転けるフリをしてテーブルクロスを掴む。
掴むどころか引っ張ってたぐり寄せて、テーブルの料理をぜんぶ床に落としてしまった。
食器が割れる音が爆竹のように響きわたり、その音を聞きつけた兵士たちが食堂になだれ込んでくる。
やがて静まりかえった食堂では、バンシーのはぁはぁと肩で息をする音だけがしていた。
ぶちまけられた料理と食器の破片で床はメチャクチャで、ジャクヒン王子や使用人たちもドン引き。
いやそれ以上に、マグラス様の静かな怒りを感じて震えあがっているようだった。
マグラス様はなにも口にしていないのにナプキンで口を拭い、背後に控えていたメイドに嵐の前触れのような視線を向ける。
それだけでメイドは吹き飛ばされたように五体を投げだし、床にひれ伏した。
「……す、すみませんでしたっ! バンシー様から、毒に反応しないカトラリーを渡すようにって命令されたんです! 従わなければ、家族を皆殺しにするって……!」
「なっ!? そ、そんなこと言っておりませんわ!? 金は渡しましたけど……!」
口をついて出た言葉を、途中で「マズッ」と塞ぐバンシー。
ジャクヒン王子は汚物でも見るような目でバンシーを見ていた。
「お……お前……! 母上を殺そうとしていたのか!? 兄……!」
口をついて出かけた言葉を、途中で「マズッ」と塞ぐジャクヒン王子。
ざわめく室内。マグラス様は、遠目でも見てわかるほどの逆巻く空気を放っていた。
「これは……! しっかりとした再調査が、必要ですね……!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
昼食の騒動は箝口令がしかれ、外部には漏れなかったものの、これからの王国の将来に大きな波紋を投げかけることとなった。
花嫁修業のほうは、マグラス様の意向で中断。
そしてマザコンのジャクヒン王子にとって母親の暗殺は耐えがたいことだったようで、ベランダからバンシーとの関係を覗いている限りでは、ふたりの仲は冷えきっていた。
バンシーは幼い頃から嫌なことがあると、わたしに八つ当たりをした。だからわたしのところに来るかなと思ったんだけど、来なかった。
どうやらそれどころではないらしく、彼女は今回の失態をどうにかして埋めようと必死になって動き回っている。
おかげでわたしの暮らしは平穏そのもの。
というか、以前よりもかなり暮らし向きがよくなった。
まず、キッチンが増設されたことがかなり大きい。
お湯が出るので身体が清拭できるようになったし、流し台で髪も洗える。
魔導保冷庫には当分のあいだ食べるには困らないだけの食材がある。
いままではパンと、テガミバトたちが採ってきてくれた果物と木の実を食べてたんだけど、そこに肉や魚や野菜、デザートまでもが加わった。
そして、テガミバトたちが他の鳥も連れてくるようになった。
テガミバトは『平和の使者』と呼ばれているくらい他の鳥とも仲がよくて、そのお友達はわたしにさらなる恵みをもたらしてくれた。
特に『ナイトゲール』という鳥。彼らは夜更けと夜明けに美しい声で鳴くことからそう呼ばれているんだけど、彼らの美声を聞きながらだと不思議とよく眠れた。
さらにフンは美肌効果があって、調合したものを寝る前に塗るだけで、わたしのカサカサの肌はしっとりと潤う。
みずみずしい肌で、今日もすがすがしい目覚めを迎えたわたしは、ベランダに出て朝の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んでいた。
「今日もいい一日になりそう。朝ごはんはなににしようかな……。そうだ、ポトフにしよう」
さっそくキッチンに向かい、大鍋に水と調味料、肉や野菜を入れて、じっくりコトコト。
「よしできた。ちょっと作りすぎちゃったけど、ポトフなら味が染み込んで明日にはもっと美味しくなるからね。さて、もうじきパンも来るころだし、朝ごはんに……ふわぁ」
できたてのポトフを持って、キッチンから部屋に戻ったわたしの身体は硬直していた。
鉄格子に、思いも寄らぬ珍客が貼り付いていたからだ。
それはパンを届けにきた看守さん。いつもなら階段から投げ込んで姿を見せないのに、どうやら今日はポトフの匂いにつられたようだ。
その子は14~5歳くらいの男の子なんだけど、身体が小さくてひどく痩せている。
手にパンを持ったままヨダレを垂らし、お腹をぐーぐー鳴らしながらこっちをじーっと見ていた。
もしかして、ロクに食べさせてもらってないのかな。
「食べますか?」と尋ねると、小さな看守さんはハッと我に返って口を袖で拭っていた。
「ま……魔女の料理なんか食えるか! どうせ、毒が入ってるんだろう!?」
「自分が食べるものに、毒を入れる人はいません」
相手は子供なんだからもうちょっとやさしく言えればいいんだけど、わたしは人間が苦手なのでこんな事務的な言い方しかできない。
わたしはポトフの入った小鍋をいったんテーブルの上に置くと、テーブルごと抱えて鉄格子のそばまで移動させる。
おたまを使ってふたり分取りわけて、ひとつをテーブルの端っこ、看守さんが手を伸ばせば届くところに置いた。
ふんわりと立ち上ってきた湯気を顔に浴びて、看守さんはごくりと喉を鳴らす。
でも手を付ける様子はなかったので、わたしは構わずに自分の分を食べはじめた。
まず、ホクホクのジャガイモをフォークですくってひと口。
「はふっ、はふっ、おいひっ」
口の中でハフハフしながら食べたあと、次はソーセージをフォークでブスッと突き刺す。
このソーセージは煮込む前に焼いているので、皮にほんのり焦げ目がついている。
見るからに食欲をそそるそれをフォークに突き刺したまま眺めていると、看守さんの目も釘付けになっていた。
おもむろに、あーんと口を開けてひと口。
……パリッ!
と香ばしい音がした途端、鉄格子がガチャンと揺れた。
看守さんはもう辛抱たまらんとばかりに目の前にあったポトフの皿を掴み、がっつきはじめる。
でもいきなり食べたものだから、「アヒュッ!?」と仰け反っていた。