06 バンシーの悪だくみ1
わけのわからないことだらけだったけど、すべての疑問はその日の昼過ぎに解消する。
バンシーが重役出勤のような時間に、しかも階段を登るのが嫌なのか、看守さんたちが担いだ輿に乗ってやってきたかと思うと、檻ごしにこう言ってのけたのだ。
「お前に、あたくしの役に立つという栄誉を再び与えてさしあげますわ。ジャクヒン王子の朝食を作るのです」
わたしは前日にマグラス様とのやりとりを覗いていたので、言っていることの意味がすぐに理解できた。
やっぱりバンシーは料理ができないんだ。でも大口を叩いたから引っ込みがつかなくなって、わたしに作らせようとしているんだ。
わたしは思わず漏らしていた、「あ……あきれた……」と。
幼い頃からさんざんいじめておいて、テストの身代わりをさせるだけでなく、魔女の汚名まで着せておいて……。
この期に及んで、わたしを頼ってくるなんて……。しかもわざわざ牢屋を改築して、調理場まで作って……。
しかしいちばん驚きだったのは、バンシーの態度。
彼女は「わたしが泣いて喜んで引き受けるだろう」みたいに思っているようだった。
「明日からさっそくやるといいですわ」
「でも、なんでわたしなんですか? 宮殿の料理人さんに頼めば……」
「お前は相変わらずクソバカですわね。そんなことをしたら、弱味をギュッと握られてしまうでしょう。お前には、その握力すらありませんからね」
「あきれた……」
「さて、もう言葉はいりませんわよね。じゃ、明日の朝に取りにきますから……」
自分の言いたいことだけ言って、さっさと立ち去ろうとするバンシー。
彼女は苦手だ。わたしは他人とは目を合わせて話すことができないんだけど、バンシーには顔すら合わせることができない。
あの獲物を狙うキツネみたいな視線を感じるだけで、胃液がせりあがってくるんだ。
でも、言わなくちゃ。わたしは勇気をだして、声を振り絞った。
「お断りします」
すると背を向けていたバンシーの歩みがピタリと止まる。
振り返りながら放たれたその声は「聞き間違いだろう」と言わんばかりだった。
「は? いま、なんと?」
「お断りします」
「あらぁ、そんな寝言を抜かしていいんですの? あたくしはここの看守長でもあるんですのよ? その気になれば、お前をここから出すことだってできるんですのよ?」
なるほど、看守長の権限を振りかざしてキッチンを作らせたというわけか。
でも出所をチラつかされたところで、わたしの気持ちは変わったりしない。
「結構です。ここでの暮らしは気に入っていますので」
事実を伝えると、バンシーは眉をクッと吊り上げる。
「強がりを! あたくしがその気になれば、命乞いをさせることもできるんですのよ!」
「強がりじゃありません。それと、まだ王族でないあなたに、わたしを処刑する権限はありません」
まぎれもない事実を伝えるとバンシーは激昂、ヒールで鉄格子を蹴り上げた。
「黙りやがれですわ! それ以上ほざくとブチ壊しますわよ! お前は、あたくしのオモチャ! 黙って言うことを聞きやがれですわ!」
「すべてを手に入れたあなたが、捨てたオモチャを拾うようなマネをする必要はないでしょう」
わたしは残った気力をすべて使い尽くすつもりで顔をあげた。
彼女の目をしっかりと見据えて、ハッキリと告げる。
「もう、そっとしておいてください……!」
その声は自分の声じゃないみたいで、まるで祈るかのようだった。
この気持ちが通じたかはわからない。
ただ彼女はあしらうような鼻息を吐いたあと、わたしにふたたび背を向け去っていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
バンシーの脅威は去ったけど、そのあと彼女はどうしたのか気になってしまったわたし。
次の日の朝はすぐにベランダに出て、『目をよくする魔法』を使って彼女の姿を探す。
すると調理場にいた。バンシーのまわりには炭みたいに真っ黒なパンや、ぐちゃぐちゃになった卵の残骸が散乱している。
多くの使用人が見ているなかで、マグラス様から怒られているようだった。
さっそく『唇を読む魔法』を使ってみると、
『まったく……料理ができないどころか、まさか卵すらまともに割れないとは思いませんでした』
バンシーは半泣きで言い訳をしている。
『ち……違うんですわ! これは、フェアリーが……! 雨の魔女が、呪いを……!』
えっ、まさか料理ができないことを、わたしのせいにしてる?
しかしマグラス様には通用していないようだった。
『そんなわけはないでしょう。魔女の呪いがあるのなら、他の料理人の料理も失敗しているはずです。あなたにだけ呪いをかけて、雨の魔女になんの得があるのですか?』
『そ……それは……! あの女は、あたくしのことを恨んでいて……!』
『王子を昏睡状態にさせ、王都のテガミバトを駆逐するほどの力を持つ魔女が、料理を失敗させるなどというイタズラの程度の呪いを掛けるとは思えませんね。まったく、素直に料理ができないと言えばいいだけのことなのに……』
マグラス様のお説教に、バンシーは泣くのを必死にこらえるように歯をくいしばり、プルプル震えている。
まるで「悔しいです!」と全身全霊で訴えているかのように。
バンシーは家でも学校でも、これまで怒られたことは一度もなかった。
悪さがバレたら、すべてわたしのせいにしてきたから。
しかしその得意技も、マグラス様には通用しないようだ。
さすがのバンシーも、しおらしくするしかなさそう……。
なんて思っていたら、いきなり泣き崩れた。
『うわぁぁぁっ! ひ……ひどいですわ、お義母様っ! あたくしはウソなんてついておりませんわ! それに一生懸命やったのに! なのにそんな、地獄の鬼ババのような顔をなさるなんて! 使用人たちも亡者のように怯えておりますわ! うわぁぁぁぁぁーーーーっ!!』
出た、バンシーの得意技その2の『ウソ泣き』。大げさに泣いて被害者ぶって、まわりを味方につけるやり方だ。
彼女はこれで学校のライバルたちを悪者にして蹴落としてきた。
しかしこれも大人の世界では通用しないようで、使用人たちは冷ややかな目で彼女を見下ろしている。
とうとうバンシーはマジ泣きしながら調理場を飛び出していった。
宮殿は薄い三日月のような形状をしているうえに窓がすべて掃出し窓になっているので、室内がよく見える。
廊下を走るその姿も、どこに向かっているのかもベランダから目で追うことができた。
『あの、ド腐れババァ……! あたくしに恥をかかせて、ただですむと思うなよですわ……!』
バンシーは捨て台詞とともに自室に飛び込むと、チェストの引き出しを開ける。
それは一見して普通の引き出しだったんだけど、隠し収納があって、そこから紫色の瓶を取りだしていた。
涙に濡れた顔を、邪悪に歪めながら。
『目には目を、歯には歯を……! メシの怨みは、メシで晴らす……! そこまでしきたりにこだわるなら、初代国王と同じ苦しみを味あわせてあげますわ……!』
わたしは直感する。
まさか、マグラス様を毒殺しようとしてる……?
『しかし即死ではつまりませんから、この遅効性の毒を使いますわ! この毒は長きにわたってじわじわと身体を蝕んでいく……! 魔女の呪いのような効果がありますから、反抗的なオモチャのしつけもできて、一石二鳥ですわっ!』
しかも、その罪をわたしに着せようとしてる……!?