05 なんでキッチンが!?
小さくなっていく足音。それが完全に消え去ると同時に、わたしはとうとうブッ倒れてしまった。
大の字になって天井を仰ぎ、ハァハァと胸を上下させながら息を整える。
「ああ、びっくりした。まさかまた、セラフィス様が来てくださるなんて……」
人慣れ、特に男の子に慣れていないわたしにとっては、あの美貌は心臓に悪い。
「でもテガミバトさんを手厚く葬ってくれるって約束してくれたから、勇気を出してお願いしてよかった」
やれやれと伸びをした拍子に、ふと天井付近にいるテガミバトたちの動きが目に入る。
彼らは天井に渡されている梁の上にとまっているんだけど、その何羽かが壁の石をくちばしで突いていた。
起き上がって目を凝らしてみると、突いている部分の石が、レンガブロック大の大きさでせり出しているのが見えた。
「壁に、なにかある……?」
気になったので壁のわずかなフチを手掛かりにして、よいしょよいしょと登ってみる。
途中で手を滑らせてドスンと尻もちを付いちゃったけど、あきらめずに再挑戦。
何度目かのトライで梁に這いあがることができたので、テガミバトたちの横に腰掛けつつ、飛びだしている石に手を伸ばして引き抜いてみた。
石はズズズと音をたてて外れたんだけど、その向こうは空間になっていて……。
「これは……本? それに、紙も……。あ、ペンとカトラリーもある」
置かれていたペンは魔導装置で、インクが無くても書ける高級品っぽかった。
カトラリーもミスリ銀でできている最高級のもので、同じものを持っているのは王族か貴族くらいのものだ。
そしてこんな場所にあるということは、かつてここに投獄されていた人が隠したものなのだろう。
ここは第一級の戦争犯罪人とかが投獄されてたっていうから、その人は王族だったのかもしれない。
「でもいまはもういないだろうから、もらっちゃってもいいよね」
わたしは梁から飛び降りたあと、地に足がつく場所で本を開いてみた。
本はどのページもなにも書いていないまっさらなものだったんだけど、最初のページを手で触れてみると、文字が浮かび上がってくる。
「これは……魔法の本……?」
1ページ目の表題には『目をよくする魔法』とあり、2ページ目の表題には『唇を読む魔法』とあった。
この世界において魔法というのは秘伝で、一族のあいだでしか受け継がれないものだ。
トワネット家にも魔法はあったけど、両親はバンシーにしか教えなかった。
おかげでわたしは魔法の名家の長女だったのに、魔法がいっさい使えない。
「それなのに魔女として恐れられてるなんて、へんな話ね。……この魔法、わたしでも使えるのかな?」
実をいうと、いちど魔法を使ってみたかったんだよね。
わたしは好奇心に勝てず、本を持ってベランダに出る。
『目をよくする魔法』を試しに唱えてみた。
するとわたしの目は遠眼鏡になったみたいに、遠くのものまでよく見えるようになる。
はじめての魔法、しかも一発でうまくいくとは思わなかったので大興奮してしまった。
「すごい。宮殿までは800メートルは離れてるのに、中にいる人の顔のホクロまでハッキリ見える」
わたしは王族と上級貴族の住まいである『大宮殿』のほうを覗いていたんだけど、ふと、窓際にいるバンシーを見つける。
バンシーは王族用の食堂で立たされていたんだけど、彼女の前にはマグラス様がいた。
ふたりがなにを話しているのか気になったので、悪いとは思いつつも好奇心に負け、『唇を読む魔法』を使ってみる。
マグラス様はバンシーにこんなことを言っていた。
『マギアルクス王家では、王の朝食は妻である女が、王子の朝食は母である女が作るしきたりとなっています。私はいまでも毎日ジャクヒン王子のために朝食を作っていますが、これからはあなたがその役割を果たすのです』
『そんな!?』と信じられない様子のバンシー。
『王族のあたくしに、台所に立てというんですの!?』
『まだあなたは王族ではありませんよ。それにこれは王家の古くからの伝統。夜は癒しを、朝には活力を与えるのが女の役目なのです。そうしてこそ、男は治世に励むことができるのです』
そう、これは婚約者の花嫁修業のひとつ。
わたしもジャクヒン王子と婚約しているあいだ、同じことをやらされた。
上流階級の人間が食事を作るなんて、本来はありえないことなんだけど……。
『王妃となる女が食事を作るしきたりは、このマギアルクスを創った初代国王が毒殺されたことからはじまりました。初代国王の王妃は悲しみにくれ、残された王子だけは守ろうと、王子の食事を作るようになったのです』
王妃は自分が作った食事ですくすく育っていく王子を見て、これこそが我が国に必要な愛なのだと悟ったという。
その思いが受け継がれ、いまでは朝食だけを作るという形で残っている。
マグラス様はしきたりの成り立ちを語ったあと、ジャクヒン王子の朝食の好みを伝えていた。
『ジャクヒン王子は、外はパリッと中はフワッとしたパンでないと召し上がりません。薄く色づくくらいの焼き加減にするのです。卵は半熟で、カラザは必ず取るように。あとスープの豆は……』
それがあまりに細かいので、バンシーは目を白黒させている。
『バンシーさん、あなたまさか、料理のひとつもできないだなんて言いませんよね? 前の婚約者のフェアリーさんは、ジャクヒン王子が喜ぶほどの朝食を作っていましたよ?』
そうそう、わたしは家にいるときにさんざん家事をやらされてたから、なんとか対応できたんだ。
でも家にいたときはいっさい家事をやってなかったバンシーには、無理なんじゃ……。
しかしわたしの名前が出たとたんに彼女の態度は一変し、大見得を切っていた。
『できらぁ、ですわ! フェアリーにできてあたくしにできないことなんて、なにひとつありませんことよ!』
『よろしい。でも、そうでなくては王の妻、そして王子の母はつとまりませんからね。このことは明日の朝食の場で、王子に伝えることにしましょう。よって、明後日からよろしく頼みますよ』
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
少なくともトワネット家にいた頃は、バンシーが台所に立っているところなんて一度も見たことがなかった。
だから料理なんてできないと思ってたんだけど、あれだけ自信たっぷりだということは腕に覚えがあるのかもしれない。
まぁ、いまのわたしには関係ないことだけど……。
なんてことを考えているうちに夜になったので、テガミバトたちに包まれて眠りにつく。
しかしすぐに、大きな音とともに部屋が揺れ出して飛び起きてしまった。
掛け布団のかわりをしてくれていたテガミバトたちもびっくりしてあたりを飛び回っている。
「な……なに……? なんなの……?」
目をこすりながら起きてみると、音と振動は隣からしていた。
わたしのいる階には3つの牢獄が並んでいて、わたしはその真ん中に住んでいるんだけど、左隣の牢獄でなにやら工事が行なわれているようだった。
多くの作業員が働きアリのようにひっきりなしに階段を上り下りして資材を運び込み、ハンマーでトンカン、ノコギリでギコギコやっている。
作業員のなかにはわたしのことが気になるのか、たまに覗き込んでくる人がいた。
でもわたしと目が合うと「ひいっ!?」と逃げていく。
わたしのことを魔女だと誤解しているからしょうがない反応なんだけど、なんだか凶暴な動物にでもなったような気分だ。
外を見やると空にはまだ星が瞬いている。でもこんなにうるさいと二度寝どころじゃない。
わたしは工事をしている部屋とは反対側の壁にヒザを抱えて座り、ずっとため息をついていた。
「はぁ……せっかくひとりになれて喜んでたのに……。早く終わってくれないかなぁ……ふわぁ」
わたしの「ふわぁ」はアクビではなく、驚きのあまり出た「ふわぁ」だった。
だって、目の前の壁がいきなり削り取られてドスンと倒れてきて、工事中だった部屋とわたしの部屋が繋がったからだ。
ビックリして思わず飛びあがっちゃったけど、向こうの部屋にいた作業員たちはもっと大騒ぎしていた。
「い……いそげ! 切り取った石をはやく回収しろ!」
「これで終了だよな!? いそいで撤収するんだ!」
「ぼやぼやしてると魔女が襲ってくるぞ! に……逃げろぉぉぉーーーーっ!」
作業員たちは削り取った石を抱えあげ、角砂糖を盗んだアリンコのように逃げていった。
隣の牢獄から、ガチャン! と乱暴に施錠される音がして、大勢の足音が遠ざかっていく。
それっきりあたりは、しんと静まりかえった。
「な……なんなの……? なんだったの、いったい……?」
もうわけがわからなかった。
でも誰もいなくなったようなので、わたしはおそるおそる、新しくできた開口部に近づいてみる。
きっとロクでもないものがあるに違いないと思っていたわたしの心が、すぐに華やいだ。
「わぁ……!」
となりの牢獄はリフォームされ、宮殿の王族専用かと思うほどに設備が整った調理場になっていた。
魔導装置による最新式のコンロやオーブン、温水が出る流し台まである。
しかも魔導保冷庫には、新鮮な肉や野菜がギッシリ詰まっていた。
「これ、わたしが使ってもいいのかな……? でも、なんでだろう……?」