04 セラフィス様との出会い
マギアルクス王国の貴族院公爵、セラフィスは祈っていた。
しかしその祈りも虚しく、医者は非情に告げる。
「セラフィス様。このテガミバトはもう助かりません。いま流行している、雨の魔女の呪いに掛かっています」
なんの処置も施されず突き返された愛鳥を、セラフィスは胸に抱く。
抜け殻のようになったまま、宮殿の中庭をさまよっていた。
それだけで、彼は宮殿の女性たちの注目の的となる。
「見て、セラフィス様よ! いつもお美しいわぁ!」
「でも今日はどうしたのかな? 悲しそうな顔をされているわ!」
「憂いた顔もステキ! あぁん、癒してさしあげたい!」
「やめときなって、普段でも相手にされないんだから!」
「セラフィス様って、どういう人がタイプなんだろう?」
「そりゃ決まってるでしょ! バンシー様みたいに、なにもかもが完璧なお方よ!」
セラフィスは、いまは亡き国王と妾の間に生まれた子供である。
妾の子には王位継承権はないが、セラフィスは幼い頃から宮殿で暮していた。
ジャクヒンや他の貴族たちからは妾の子としていじめられてきたが、エアストルだけは違った。
――エアストル様は分け隔てせず、私のことを実の弟のように可愛がってくれた。
公爵に取り立ててくれたのも、エアストル様が私の能力を評価してくれたおかげ……。
黄色い声をバックに、セラフィスは中庭の大樹の前で立ち止まった。
頭上にある枝を見上げたあと、瞳を閉じる。
その瞼の裏には、枝の上に登って雛鳥を掲げる、幼い頃のエアストルとセラフィスの姿が浮かんでいた。
――このテガミバトは、エアストル様との大切な思い出……。
なんとしても、死なせるわけにはいかない……!
セラフィスはカッと目を見開くと、大樹の向こうにある塔に視線を移す。
瞳に決意の炎を宿しながら。
――雨の魔女め……!
エアストル様ばかりでなく、思い出のテガミバトまで私から奪おうとするとは……!
セラフィスは胸のテガミバトをしっかりと抱きなおして歩きだした。
――もう……生かしてはおけぬ……!
たとえ、魂が別の者に乗り移ろうとも……!
何度でも、私が成敗してくれよう……!
力強い足どりで塔へと向かうセラフィス。
その道すがら、テガミバトの死体の山を足蹴にするバンシーの姿が横目に入った。
「まったく、ハトはおバカですわね! そこらじゅうにフンはするし、意地汚い! そしてなにより、あたしに懐きませんもの! 死んで当然ですわ!」
バンシーはセラフィスに気づくと、ニンマリ笑う。
「あぁらセラフィス様、やっと挨拶に来たんですのね。公爵連中はみんな滑り込む勢いで来たというのに、あなたはダントツのビリッケツですわよ。さて、もう言葉はいりませんわよね。さっさと跪いて……」
ヒールを上げるバンシーであったが、セラフィスはガン無視。一瞥すらくれずに通り過ぎる。
金切り声をバックに湖の橋を渡り、黒点の塔へと足を踏み入れていた。
塔は貴族といえど勝手に立ち入ることは許されないのだが、セラフィスは公爵の権限を振りかざし門番の奴隷たちを下がらせる。
そして気の遠くなるほどの長さの螺旋階段をあがり、頂上にある牢獄へと乗り込んでいった。
――覚悟しろ、魔女め……!
腰に携えた魔法の杖、ユニコーンのツノを模したそれを引き抜きつつ、鉄格子の前へと躍り出る。
相手は囚われの身とはいえ魔女、気を抜けばやられてしまうだろう。
セラフィスは杖をかかげて呪文を詠唱しようとしたが、その言葉は発せられることはなかった。
檻の向こうにいた人物が、とても魔女とは思えぬ様子だったからである。
「よ……よかったぁぁぁぁ……」
雨の魔女と呼ばれた女はちょこんとアヒル座りをし、安堵のためいきとともにテガミバトに頬ずりをしていたのだ。
「寝ずの看病をした甲斐があったわ。元気になってよかったね」
魔女が微笑みかけると、テガミバトは「クルルル!」と鳴き返す。
それを傍目で見ていたセラフィスは、我が目と耳を疑っていた。
――テガミバトのあの鳴き方は、最上位の親愛を表すもの……!
親や子供にしか向けられないはずのものなのに、なぜ人間に……!?
魔女はセラフィスに気づいて「あ」と声をあげる。
するとどうしたのだろう、その笑顔は幻のように消え去り、セラフィスの印象どおりの魔女の表情になった。
彼女は立ち上がると、生きるのをあきらめたような顔で近づいてくる。
その顔はセラフィスを見ていない。セラフィスが胸に抱いているテガミバトだけを凝視していた。
やがて、ぼそりとつぶやく。
「……ちょっと、待っていてください」
やおら、魔女はテガミバトたちを呼び集める。
獄内にはかぞえきれないほどのテガミバトたちがいて、魔女はまるで使い魔のように自在に操っていた。
魔女がひそひそとなにかを命じると、テガミバトたちは一斉にベランダから外へと飛び立っていき、すぐに戻ってくる。
そのくちばしにはどれも、麦穂のようなものが咥えられていた。
魔女は麦穂を受け取ると、実を木の皿に移してスプーンですり潰し、そこに水を加えてペースト状のものを練り上げる。
泥団子のように丸めたあと、檻ごしにセラフィスにそっと差しだした。
「これを……」
「なんだと……? なんだ、これは?」
「『ポッポムギ』を砕いて水と混ぜ合わせたものです。それをさらに水で柔らかくして、1日3回、飲ませてあげてください……」
魔女はうつむき加減のまま続けた。
「その子は、胃に腫瘍があって肥大化しています。すでに末期ではありますが、その薬を飲ませれば助かるでしょう」
最後に「お大事に……」とだけつぶやいて、背を向ける。
セラフィスはキツネに化かされたような気持ちになり、しばらくそのまま立ち尽くしていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
小さくなっていく足音。それが完全に消え去ってから、わたしは胸をなで下ろす。
まだ心臓はバックバクで、胸を押さえていないと飛びだしちゃいそうだった。
「あぁびっくりした、まさか人がいるなんて。テガミバトさんが治って大喜びしてたせいで、足音に気づかなかった……」
わたしのところにくる人といえば看守さんだけで、しかも階段の見えないところからパンを投げ込んでくるだけ。
投獄されてはじめての来客ということになるんだけど、わたしの記憶が確かなら、あの人は……。
「『麗しの賢者』と呼ばれる、セラフィス公爵……」
花嫁修業をしたときにお会いしたことがあるので知ってるけど、何度見ても見慣れないくらいにお美しい。
聡明でキリッとした顔立ちと天の川のようにキラキラ光って流れる髪は、宮殿でも多くの女性を魅了していた。
その美貌もさることながら群を抜く魔法の使い手でもあったので、エアストル第一王子から重用されていた。
前王亡きあと、エアストル様が世継ぎをされた場合はそのまま賢者に就任することになっていた。
賢者というのは、国王の右腕として国政を補佐する役割だ。
しかしエアストル様が呪術で倒れてしまい、第二王子であるジャクヒン様が王位継承の最有力となりつつある。
ジャクヒン様がバンシーと婚約を発表したことで、その勢いはさらに増しているはず。
いまは国王不在なので賢老院が為政を行なっているけど、ジャクヒン様が国王となるのは時間の問題かもしれない。
ジャクヒン様はセラフィス様を嫌っているようだったから、ジャクヒン国王の下ではセラフィス様の地位は危ういだろう。
わたしはジャクヒン様の婚約者だったけど、どちらかというとエアストル様のほうに国王になってもらいたいと思っている。
だって、エアストル様はテガミバトを大事にされていたから……。
そんなことはさておき、わたしは親の虐待のせいで、人前だとスンッって表情が消えちゃう。
それで心にもない塩対応で追い返しちゃうんだけど、さっきはセラフィス様が胸に抱いているテガミバトが気になって、つい薬を作って渡してしまった。
ふと、単純な疑問が頭をよぎる。
「でも、なんでだろう……? なんでセラフィス様は、病気のテガミバトさんをわたしに見せにきたのかな?」
わたしがテガミバトに詳しくなったのは最近のことで、誰も知らないはずなのに……。
しかしいくら考えてもわからなかったので、気にしないことにする。
「なんにしても、セラフィス様はもうここに来ることはないでしょう。魔女と呼ばれる女の子にわざわざ会いに来るなんて、そもそもありえないことだし……」
なんて気楽に構えていたんだけど、それから1週間もたたないうちに、あの人はわたしのところにやってきた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
セラフィスはふたたび最上階の牢獄を訪ねる。
石の螺旋階段をあがりきると、魔女は格子から少し離れたところでちょこんと正座していた。
この前のあの笑顔はやはり見間違いだったんだと思えるほどの、幸薄そうな表情で。
セラフィスは華奢な魔女を見下ろしながら、事務的な声を投げかける。
「なにが望みだ」
すると魔女はゆっくりと顔をあげる。
セラフィスの目ではなく胸元あたりに視線を向けながら、静かにつぶやき返してきた。
「それは、どういう意味ですか?」
「お前がくれた薬で、私のテガミバトはみるみるうちに回復した。いまでは元気に飛び回っている」
魔女は「でしょうね」と気のない返事を漏らす。
それ以上なにも言わなくなったので、セラフィスは焦れたように言った。
「魔女は望みを叶えるかわりに、対価を要求するのだろう?」
「わたしは、魔女ではありません。それは裁判の時に、再三申し上げたはずですが……」
魔女は「でも」と息継ぎをする。
「それはそれとして、望みをかなえてくださるのなら、ひとつだけお願いがあります」
セラフィスは内心「きたな」と身構えた。
「言ってみろ。魔女よ……そなたは何を望む?」
魔女は音もなく立ち上がると、ベランダに出た。
しばらくして戻ってきたその胸には、バスケットが抱えられている。
檻ごしに差し出されたので覗き込んでみると、中には花のベッドに埋もれるようにして、安らかに眠るテガミバトが入っていた。
「ベランダで亡くなっていたテガミバトさんです。この子を、ちゃんと埋葬してあげてほしいんです」
魔女はここで初めて、セラフィスの目を見る。
その、静謐なる森の湖畔を思わせるほどの澄んだ瞳に、セラフィスの胸はわし掴みにされた。
――なんという、穢れなき瞳……!
それに魔女の要求というから「寿命を半分よこせ」くらいは言ってくるだろうと思っていたのに……!?
望みは「テガミバトの埋葬」、だと……!?
セラフィスの脳裏で、ふたつの女性の姿が交互にフラッシュバックする。
死んだテガミバトを踏みにじり、「当然の報いだ」と憎悪を隠そうともしなかったバンシー。
かたやバスケットに棺をつくり、まるで我が事のように悲しみ、そして命への慈しみを感じさせるフェアリー。
――この女は、本当に魔女なのか……?
「魔女よ……本当に、そんなことでいいのか?」
念を押すセラフィスに、魔女は「はい」と頷く。
「いまのわたしには、それが唯一の望みといえるものですから」