第3話 20
王宮の西庭園で開かれたお茶会には、アルやあたしと同年代の子供を持つ、多くの貴族が集められた。
親達がテラスに設けられた茶席で懇談する中、子供達は滅多に立ち入れない王宮の庭園で遊べる事に喜んで。
女の子は花壇での花摘みに夢中になって、男の子は生け垣の迷路を探検したりしてたっけ。
「――あたしもアルと一緒に、庭師がこの日の為に用意した、新作迷路の攻略をしてたんだけど、そこに男の子の集団がやって来てね」
――女なんかと遊んでないで、男同士で遊びましょう。
それは子供なら、ごくありふれた誘い言葉だと、今なら理解してる。
今にして思えば、彼らも親からアルと仲良くなるように言い含められていたのかもしれない。
「でも、当時のあたしも幼かったからね」
親友のアルを取られちゃうと思って、彼らに食ってかかっちゃったんだよね。
「――あたしはアルの婚約者になるのよ。だから一緒にいるのが当たり前なのって……婚約者の意味もよく理解しないまま、その子達に言っちゃって……」
あの頃のあたしとしては、婚約者っていうのは、単純に大人になってもずっと一緒にいられる事だと思ってたんだ。
……幼かったんだよ。
あたしも、そしてアルも……
「貴族としての教育すら始まる前の子達だからね。当然、婚約なんて誰も理解できなくてさ。
――アルもきょとんとした顔しちゃって……」
そして、アイツは言ったんだ。
「――アリシアは婚約者じゃないよって……アイツ、みんなの前ではっきりと言ってくれちゃってさ……
当然、あたしはブチキレたわ。
一緒にいたいと思ってたのは、あたしだけなのかって――」
気づいたら、勝手に身体が動いてた。
「アイツの足を払って地面に転がして、泣きながら馬乗りになって殴りつけたっけ……」
幼い頃のあたしの行動に、イライザとリディアが目を丸くする。
幼いとはいえ、アルは王族の――王太子の嫡子だからね。
もしアレをしたのが庶民だったなら、一家まるごと処分される事さえありえる大問題な事件。
まあ、ミハイルおじ様は子供同士の間の出来事って、笑って許してくれたんだけどね。
今思い出しても胸の奥が痛む、完全なあたしの早とちり。
アルはあたしに殴られながら、ただただ意味がわからないというような、不思議そうな顔をしてたっけ。
驚きを隠せないふたりをよそに、マチネはテーブルに頬杖を突いて、呆れたように鼻を鳴らした。
「……どうせアルお兄ちゃんの事だから、婚約者じゃなく親友って意味での発言だったんでしょ?」
「……マチネ、あんたすごいわね……その通りよ……」
乱闘騒ぎでお開きになったお茶会の後も、あたしはアルの「婚約者じゃない」って言葉がショックで、登城せずにいたんだ。
「しばらく会わずにいたら、アイツ、手紙を送ってきてね」
あたしが一向に遊びに来ないから、嫌われてしまったのかと不安になったらしい。
なにせ最後に会った時のあたしは、勝手に怒ってアイツをボコボコにしたもんね。
「レリーナおば様に教わったらしい、たどたどしい字で――また一緒に遊びたい。今でも親友と思ってるって……そう書かれててね」
誰にも内緒だけど、あの時の手紙は今でもあたしの宝物だ。
冒険者として旅をしている間も、アジュアお婆様に教わった<小箱>の魔法――クロが霊薬をしまってるアレだよ――の中に入れて、大切に持ち歩いてた。
「その手紙で、あたしは自分の早とちりに気づいたんだ」
あたしはアルとずっと一緒にいたくて怒ったわけだけど、アイツは……婚約者って言葉を知らなかっただけで、その気持ちは一緒だったんだ。
あいつの中では――親友って言葉が、それを表すものだったんだよ。
「やっぱりね。お兄ちゃんって、ちっちゃい頃からそうだったんだねぇ……」
やれやれとばかりに溜息を吐くマチネ。
「言葉選びが徹底的に下手くそなのはそうだね。
でも、今みたいに口下手になったのは、この出来事がきっかけかな」
そう。あいつがそうなってしまった原因は、あたしにある……
「あのお茶会で、アルは女の子にボコボコにノされた軟弱王子って、同世代の子から見られるようになっちゃってね……」
あたしが直接聞いたものは、ごくわずかだけど……
なまじアルの両親――王太子夫妻が武勇に秀でた方だったからこそ、大人達によるアル自身への陰口は痛烈で不快なものが多かったらしい。
両親の才能を受け継がなかった出涸らし――なんてまだマシな方で、レリーナおば様の不貞を疑うような声さえあったと、お父さんから聞いてるよ。
才能を受け継いだ子をもうける為にも、側室を取って第二子を――という声も多かったみたい。
レリーナおば様を愛していたミハイルおじ様は、それらの声をすべて黙殺したようだけどね。
「ああ、そっか。小さい頃は陰でバカにしてた人達が、王太子になった途端に擦り寄ってくるようになったんだね?
でも、立場があるから、邪険にするワケにもいかなくて、しかも言葉を間違えないように考え込むから――だから、アルお兄ちゃんは今みたいになっちゃったんだ」
ダグもそうだったけど、マチネも本当に理解力が半端ない。
「……ウチが出会ったばかりの頃のアーくんって、発言ひとつひとつに気を遣ってて、ウチは年齢の割に思慮深い子って印象だったんだけど、あの時にはもう、拗らせてたってことなのね……」
イライザが自嘲気味な苦笑を漏らす。
「ウチ、そんな事も気づけないまま、ずっと幼馴染を気取ってたなんて……」
そんな彼女に、あたしは首を振って見せた。
「あんた達が出会ったのは、アイツの両親が亡くなって、立太子された後でしょ?
アイツはさ、両親が亡くなってからは王太子としての仮面をかぶるようになっちゃったからね。気づけなくて当然だよ」
あの頃にはアルも、自身が周囲に侮られているのを自覚するようになっていたんだよね。
その評価を覆す為にも人一倍努力して、でもだからこそ、周囲に恐れられるようになって……
イライザがローゼス家に引き取られるきっかけになった事件のように、国益に繋がるなら、高位貴族でさえ処断するものだから、余計に周囲との溝は深くなって行ったんだ。
「そうしてアイツの周囲には、アルを恐れる者と、なんとか利用しようと擦り寄る者しかいなくなってね……」
「――つまりアルお兄ちゃんは、自分にすり寄ってくる女の子は、陰でお兄ちゃんをバカにしてるか、恐れてるって思い込んでるってワケだ。
……女の子に好かれるワケがないって……」
「そ。事実、あたしが旅立つまでのあいつの周りには、あたし以外はそういうご令嬢ばかりだったしね」
マチネの言葉に、あたしは肩を竦める。
防波堤となっていたあたしが旅立ってからは、きっと令嬢達の猛攻はさらに苛烈になったと思う。
大伯父様――陛下が、アイリスなんかを婚約者にしたのは、そういう状況を落ち着かせる意味合いもあったんじゃないかな。
人格はともかく、コートワイル侯爵家は陛下の叔母様の降嫁が許された――高位貴族の中でも、頭ひとつ抜けた家格だしね。
「……だからこそ、ね……」
あたしは目の前に座るリディアとイライザを見る。
ふたりとも、あいつの立場に惑わされる事無く――そして、あいつの不器用な言葉遣いや生き方を理解してなお、好意を示してくれている。
正直、そういう事に疎いあたしでさえ気づけているのに、アイツが無反応っていうのがもう――本当に腹が立つよ!
この数年で、さらに拗らせてるとしか思えない。
「……あんた達がアイツを慕ってくれて、あたしは嬉しいんだ」
あたしは正直にそう告げて、照れ隠しに木杯の中身を一気に煽った。
「……アリシア様?」
と、ふたりは不思議そうな顔をする。
「――なんだい? あたしがふたりを応援するのがおかしい?
大事な親友を任せられるって言ってるんだから、喜んで欲しいな」
今のアルは、法的には戸籍すらない流民のような状態だ。
だから、そのうちグランゼス領で元冒険者を仕官させたとして、戸籍を与え、士爵にでもしてしまえば良い。
女男爵であるリディアとなら、士爵でも家格は釣り合う。
イライザはほとぼりが冷めた頃に、実は生き延びていたという設定で表社会に舞い戻らせる予定だそうだから、イライザとくっつくなら、家格的にはリディアが側室という形になるのかな?
ん~、アジュアお婆様に教わったはずだけど、貴族の婚姻による序列なんてよく覚えてないや。
そんな事をツラツラと考えていると、ふたりは顔を見合わせて、それからうなずき合って立ち上がった。
「――アリシア様……」
ふたり、声を揃えてあたしを呼んで、左右から挟み込むように椅子を移動させる。
「……なんでそこで、ご自分は関係ないみたいな言い方をなさるんですか?」
そう告げるリディアの目は真剣で……
「ちょ!? リディア? なんか怒ってない!? 怖いんだけど……」
戸惑うあたしのすぐ右隣で、リディアは自分の木杯に蒸留酒をなみなみと注ぎ、一息にそれを煽った。
「――これが怒らずにいられますかっ!」
テーブルに空になった木杯を叩きつけ、リディアはあたしに詰め寄る。
「――ちょっと、イライザ! 頷いてないで、リディアを止めて!?」




