閑話 1
「――カリーナ姉さん、久しぶりだね……」
墓石代わりに植えられた樹に、私は語りかける。
――スクォール。あなたは頭が良いんだから、しっかりと勉強して偉くなるのよ。
あの日、王都への旅立ちに不安を感じていた幼い私を励まし、抱き締めてくれた姉さんの笑顔と温もりが蘇る。
村長とその娘であるカリーナ姉さんは、開拓民の子に過ぎない私の道を拓いてくれた恩人だ。
ラグドール辺境伯直参の魔道士だった村長は、年齢を理由にその職を退く際に村の管理を任されて、この地へ赴任して来たのだという。
フォルス大樹海の西の畔。
私が生まれた村は他の開拓地と異なり、領都から遠く離れた場所に位置していた。
天災の多いこの地では、開拓は領都などの都会を拠点に徐々に拡げられていくものなのだが、私の村だけは理由あって単独で築かれたらしい。
その理由というのが、魔境フォルス大樹海への備えだ。
大昔から魔境と呼ばれ、この地の民に恐れられている大樹海からは、時折、魔獣が迷い出て来る事がある。
それを防ぎ、あるいは日々の糧とする為に、獣属の里は大樹海の畔に点在し、この地を護る防壁となってくれていたのだが、私の生まれた村のある大樹海の西側方面はその防壁の穴となっていたのだ。
水場から遠く、北にあるヴィスト山地から迫り出した、岩塊質のハヤマ岳の麓という事もあって地盤が固く、耕作にはひどく不向きな土地。
そんな土地でも樹海の外へと魔獣が漏れ出るのを防がなくてはならないと、開拓に乗り出したのが二代前の領主だったのだとか。
領主肝入りの政策ということもあって、国の支援も受けて大規模な水源確保事業や土壌改良事業が行われ、私が生まれた頃には決して豊かでも楽でもなかったが、それでも生活するのに困らない程度の環境にはなっていた。
……いや、村の外を知らなかった幼い頃の私にとって――世界のすべてだった村での生活は当然の日常であり、特に不便を感じる事はなかったのだ。
そんな私に世界を教えてくれたのが、村長とカリーナ姉さんだった。
私が七つの頃に赴任してきた村長は、持ち前の魔道を振るい、私達が当然のように感じていた日常を一変させてくれた。
水源から暗渠水道が引かれて村の中央に井戸が造られ、毎朝往復二十分かかっていた水汲みは、五分とかからず終わるようになった。
同様に村の中には灌漑が通され、稲作ができるようになったのも村長のおかげだ。
それまでは豆しか作れず、だから豆を主食に樹海で狩った魔獣の肉や山菜が中心という、獣属に近い食生活だったのが一変した。
わずか一年で様変わりした日常。
そして、それを成した村長の魔法という力に私は魅せられた。
だから、私が村長に魔法の教えを乞うのは必然だった。
幸いな事に、私は才能――持って生まれた魔道器官に恵まれていたらしく、それを見抜いた村長は、すぐに私を弟子にしてくれた。
そうして同じく村長に教わっていたカリーナ姉さんと共に、魔道を学ぶ日々が始まったのだ。
十歳――二年も経つ頃には、私は王立学園で初級に分類されている魔法のほとんどを喚起できるようになっていた。
カリーナ姉さんが同じ年の頃には、中級のいくつかを喚起できたと聞いていたから、私自身はそれが特別な事だとは思っていなかったのだが、村長に言わせるとそうではなかったらしい。
なんでも村長は北の辺境伯――魔道の大家、ベルノール侯爵家の血を引く傍流家系で、だからカリーナ姉さんが魔法に長けているのはそれほどおかしくないのだという。
だが、庶民の私がこれほどの才能を見せるのは、非常に珍しいのだそうだ。
恐らくは祖先に貴族の血が混じり、その先祖返りで私の才能が発現したのではないかという話だった。
祖先の事はよくわからないが、アグルス帝国での研究によって、私が純血種である事はわかっている。
だから平民より優れた魔道器官を有しているのは当然と言えば当然だったのだが、そんな事を知らない当時の私は、純粋に私の才能を褒め、自分の事のように喜んでくれる村長と姉さんの期待に応える為に、より一層、学ぼうと思ったものだ。
そして時が流れて……
――十四才になる頃だっただろうか。
魔境探索の為に村に訪れていた冒険者の魔道士から、私は魔道医療という技術を教えられた。
それまでの村長の教えは、どちらかと言えば攻性魔法に分類されるものに特化していて、だから人を癒やし治すという概念に、衝撃を受けたものだ。
そんな私に、村長はより深い学びを得る為にと、王都の国立大学魔道学科への編入を勧めてくれた。
わざわざ領都まで出向き、領主の推薦状まで用意してくれたのだ。
一口に魔道と言ってもその分野は多岐に渡り、元々は戦闘魔道士であった村長では、私が興味を持った魔道医療も含めて、そのすべてを私に教え切る事はできない、と。
私に合った魔道を識る事こそ、私の才能をより伸ばす事に繋がるのだと、村長は私にそう語り――
――村にはお医者様が居ないから、あなたがそうなってくれたら助かるわね!
そう言って笑うカリーナ姉さんの笑顔に後押しされて、私は王都行きを決意した。
私に魔道医療の基礎を教えてくれた冒険者――最初の師匠と共に王都に旅立つ際の、カリーナ姉さんの抱擁を思い出すと、自然と涙がこぼれる。
「……あの時、僕が王都なんて行かずに村に残っていたら……姉さんは死なずにすんだのかな……」
樹の幹に触れ、ここに来るたびに漏らしてしまう問いかけを――今日もまた繰り返す。
「僕が大学で意地なんか張らずに――ベルノール領まで行ってなければ……」
いまさら言っても取り返しようのない『もし』だ。
貴族の派閥によって形成された学閥に侵されて、真実より権威が優先される王都の大学に嫌気が差し、村長が学んだというベルノール辺境伯領の魔道大学に学籍を移したのは十八歳の頃だ。
その頃にカリーナ姉さんに出した手紙の返事からは、目前に控えた婚約者――領主家の若様との結婚式に浮かれている様子が読み取れて、私まで嬉しくなったものだ。
だが、この世界は……邪悪な者にはひどく寛容なクセに、善い人にほど過酷な運命で翻弄するようにできているらしい。
結婚式を一ヶ月後に控えたある日――カリーナ姉さんは急逝した……




