第5話 46
わたし達が転移でラグドール領城に戻ると、歓声をあげる獣属のみなさんに出迎えられました。
助け出した女性達は、スズカ様の指示で屋敷の奥へと連れて行かれました。
「――誰か診療所までひとっ走り行って、先生を呼んできな!」
どうやら女性達の事は、スズカ様に任せておけば安心のようですね。
わたし達は女性達の奪還を喜ぶみなさんに囲まれて、次々とねぎらいの言葉を投げかけられました。
ボリスンさん達なんて、あれほど大喧嘩をしていたようなのに、獣属のみなさんに担ぎ上げられて、胴上げまでされています。
自身では成し得なかった女性達の奪還を、この短時間で――しかもたった十三人で成し遂げたのですから、強さを尊ぶ獣属の方々は黒狼団の能力を認め、受け入れたという事なのでしょう。
「……ふふ。よかった」
大魔法を連続で喚起した影響なのか、多少身体が熱っぽく感じますが、この光景を前にわたしは自然に笑みを浮かべてしまいます。
獣属のみなさんはヴィスターブという下衆の所為で、その苦境を打開する為にロイド様を王にしようとしていました。
アルへの中傷はその一環で。
いかにロイド様がアルを大切に思っていても、あのままでは――ラグドール家と獣属の間に亀裂が入るか、あるいはアルとロイド様とで家臣を巻き込んだ無用な争いが勃発してしまっていたでしょう。
ロイド様が主家当主として獣属を押さえつけたなら、長年続いてきた融和が崩壊する事になります。
かといって、ロイド様が家臣の声を優先したのなら、彼は王となるべく動くしかなくなり、やがてアルと争うしかなくなっていたのでしょう。
どちらとなっても、誰も幸せになれない最悪の状況でした。
――だから……
わたしは今、早急にその原因を取り除くべきだと考えたのです。
そしてそれは、アルの家臣――黒狼団の手によって行われなければいけませんでした。
――俺の口車に騙されてくれ!
そうみなさんに頭を下げたあの人が……真に仕えるべきに値すると示す為にも。
獣属の習性に従い、すでに仕えている黒狼団がその真価を示す必要があったのです。
「……どうやらうまく行ったようですね」
込み上げる笑みをそのままに、わたしがそう呟くと。
「――なーにがうまく行っただ! このバカ娘っ!」
と、後ろからセイラ様の声がして、わたしは左手を掴まれました。
視界が白く染まり、わずかな浮遊感と共に方向感覚が消失しました。
けれどそれも一瞬の事。
次の瞬間には、わたしは襖に囲まれた畳敷きの部屋に転移していて。
「…………」
わたしの左手を掴んだまま、怖いお顔をなさっているセイラ様に睨まれていました。
『わぁ……お、おセイちゃん、怒ってるわねぇ~』
ハクレイ様が珍しく焦ったような口調で仰います。
セイラ様は虹色に揺らめく目で、わたしの頭の上から爪先までを眺め回すと。
「……はぁ、身体にも魔道にも問題は出てないみたいだね……」
そう安堵の息を吐いて、床に腰を降ろされました。
「あんたも座りな」
床を叩いてそう促され、わたしは仰る通りに従います。
これは昨晩見た、ハクレイ様がセイラ様にお説教を始めた雰囲気にそっくりです。
「あ、あの、セイラ様? お急ぎなのでは?」
思わずそう尋ねると、セイラ様は袖口から煙草道具を取り出しながら鼻を鳴らします。
「いまロイドとエレーナに説明させてるとこさ。
話を逸らそうとするんじゃないよ」
「うぅ……はい」
わたしがそう頷きを返すと、セイラ様は煙草に火を着けて紫煙を吐き出します。
「あたしも頭ごなしにアンタを叱ろうってわけじゃない。
――むしろ理由を聞きたいんだ。
なんであの場で<星墜とし>なんて使ったんだい?」
そう尋ねるセイラ様は、表情こそいつものように皮肉げな微笑を浮かべたものですが、その目は虹色に揺らめいていて、わたしの心の底までも見通そうとしているのです。
「……強大な力を手に入れて、自分に酔ったかい?
もしそうなら、あたしはあんたを『世界の敵』と見なさなければならなくなる」
底冷えするような冷たい声で、セイラ様はそう続けられました。
『あ~、伊達にこの星の守護者してるワケじゃないって事ね~。
リディアちゃん、大丈夫よ~。
おセイちゃんも言ってるでしょ? ちゃんと説明したげなさいな~』
反面、ハクレイ様ののんびりした声がわたしの中で響いて、竦みあがりそうになる心を支えてくれます。
『あの時、あの場ではアレの喚起が最善だったのよ~』
そう後押ししてくれるハクレイ様に心の中でお礼を言って、わたしはセイラ様の目を見据えます。
「確かに女性達を助け出すだけなら、他にもいくつか喚起できる魔法はありました」
エレーナお姉様が得意としている<魔咆>や、戦術攻性魔法の<連鎖崩壊>でもヴィスターブ屋敷を破壊するくらい容易かったでしょう。
「なら、なんで<星墜とし>だったんだい?
ありゃ、世界を壊しかねない代物だよ?
正直、あの場では過剰戦力ってもんだろうに……」
「理由は三つありました。
まず短時間で確実に領主館を破壊し、あの外道に恐怖を刻み込む為――」
正直、それだけなら先に挙げた魔法でも同様の事はできます。
大事なのは続く理由です。
「次に――これを御覧ください」
と、わたしは隠密探索器が捉えた、ヴィスターブ領都の鳥瞰図をホロウィンドウに投影し、北西の一角――倉庫街を指差します。
「ヴィスターブ領都は東部穀倉地帯の収穫物を保管する要衝。
現在倉庫に収められているのは、もうじき始まる収穫と入れ替わりに国内各地に送り出す予定の農作物でしょう」
東部穀倉地帯はローダイン王国の食料供給の実に六割を担っているのです。
その大半が一度ヴィスターブ領に蓄えられ、王都の求めに応じて順次輸送されていく事になります。
それが失われたなら?
そして間もなくやってくる収穫期に、蓄えるべき倉庫がなくなっていたなら?
「つまりアンタは、領主館と一緒に倉庫街も破壊するつもりだったって事かい……」
正しくわたしの思惑を理解してくれたセイラ様は、紫煙を噴き上げて首の後ろを掻かれました。
「国の食料を失わせ、流通をも破壊する、かい……」
「あわよくばバートニー村のお芋やラグドール領のお米を提供する事で民を誘い込み、王宮に対して優位に立てると思ったのです」
いずれ来る王宮との戦いにおいて、アルには民の後押しが必要なのです。
今回の件は、それを成すのに格好の条件が整っていたので利用させてもらいました。
「フン。よくもまあ、あの短時間で思いついたものだよ」
鼻を鳴らすセイラ様に、わたしもまた苦笑。
「あら、お忘れですか? わたしは元々百姓男爵――なんて呼ばれていたバートンの娘なんですよ?
イライザの助けもあって、作物の流通に関してはちょっと悪知恵が働くんです」
「ここまでエゲつない事やっといて、ちょっとと来たもんだ」
呆れたように目を丸めながら、セイラ様は深く溜息を吐いて。
「いや、大局を見極め、最善を成す――それでこそ賢者か。
あんたも随分染まって来たようじゃないか。
んで? 最後の理由ってのは?」
「ええ。これは後付けみたいなものですが……民の――街の住民と獣属の為ですね」
あの時、黒狼団はヴィスターブの悪行を広める為に、『獣属の奴隷を奪いに来た』事を強調して喧伝しました。
つまりヴィスターブ領都の住民は、領主の悪行を知る事となったのです。
「そこに<星墜とし>による大破壊です。
すぐに撤収して来ましたから、今頃、家から出た住民達には黒狼団もろともに領主館は吹き飛んだように見えるでしょう」
わたしはそこでセイラ様に微笑を向けます。
「――<三女神>各宗派の聖典や経典には、種属の別なく他者を踏みにじる者には天より罰が下るとありますよね」
<三女神>の聖地とされる西方のアルメニア法国は、天罰が下った国の跡地に、かつての人々の愚行を忘れないよう、あえて滅んだ国名を冠して興された国なのだとか。
「ハハ……ハ――ハッハハッハ!!
アンタ、天罰を演出してみせたってのかい!
やべ……お腹痛い。マジか――そこまで考えたか!?」
「だって、あの外道に関わる枝葉が残っていて、事業を引き継いでいたら面倒でしょう?」
そんな人達が残っていたとしても、あれだけの破壊を見せつけられたなら、しばらく獣属を拐おうなんて考えられないはずです。
爆笑なさっているセイラ様に、わたしはそう付け加えました。
「――大変だったんですよ?
最小サイズの物理弾体でも威力が強すぎるので、ハクレイ様に弾道計算してもらって先行した二発を空中衝突させて、その衝撃波で本命を減速させて――」
「――ああ、それで三射だったのか!
なるほど、確かにおまえの結界に守られていたとはいえ、言われてみればアレの攻撃を受けたにしては被害が少ないわけだな」
胡座を掻いた膝を打って、セイラ様はようやく納得してくださったようです。
「わかったよ。悪かったね、脅すような真似をしちまって」
「いえ、セイラ様のお役目を思えば、当然かと。
事前に相談できればよかったのですが」
「――巻きつったのは、あたしだからね。
ただ……」
と、セイラ様は煙管を咥えながら、気恥ずかしげに顔を逸して続けます。
「……あんたはハク姉の影響もあってか、どーも二重三重に策を巡らすトコがあるようだから、これからはなんかやる時は、あたしにもわかるように説明しといておくれよ」
『――リディアちゃん。ああいうのを、お姉ちゃん達の世界ではツンデレって呼んでたのよ~。しかもクーデレ振ったツンデレっていう、面倒くさいタイプ!』
「はあ……ツン、デレ?」
よくわからない単語をわたしはそのままに呟き、<書庫>を調べようとしたのですが――
「――誰がツンデレだい! あんなチョロインの代名詞みたいなのと一緒にすんな!
あたしゃねぇ――ッ!」
セイラ様はお顔を真っ赤に染めて、そう否定なさいました。
どうやらセイラ様にとっては不満に感じるような言葉だったようですね。
と、その時、わたし達の左にある襖がわずかに開かれて、仮面に覆われたアルの顔が突き出されました。
「――お、いたいた! 急に居なくなりやがって!」




