第5話 45
「――え!? まだ結界を……しかもその精度で結べるというのっ!?」
光盤の中では、リディアがヴィスターブの館の門前に転移していた。
映像からはわからないが、魔道を観ることのできる俺やエレ姉には、リディアが屋敷内にいる者達に、個別に結界を喚起しているのが見て取れる。
そして……
『――永久の眠りより目覚めて……』
リディアの桜色の唇が、喚起詞を唄い始める。
「――神器級ッ!?」
再びエレ姉が驚きの声をあげた。
俺にも膨大な魔道の奔流が空高く伸び上がって行くのがわかる。
『破滅を奏でよ! <星墜とし>ッ!!』
「――待て待て待て――――ッ!?」
紡ぎあげられた喚起詞に、驚愕の声をあげたのは、エレ姉ではなくババアだった。
ひどく慌てたように屋敷の屋根へと跳び上がり、左腕の一振りで杖を構築して唄いあげる。
「――目覚めてもたらせ、<結晶域>!!」
途端、俺の左方――北側に向けて、光盤の中でリディアが展開していたものと同質の、それをさらに大規模にしたような長大な結界が結ばれた。
北側がすべて覆われるほどの――恐らくは領都の北方全域を覆うほどのものじゃないだろうか。
「おい、アレ!」
と、熊族の獣属がババアが張った結界の向こうに見える、ヴィスト山地の方を指差す。
まるで渦巻くように黒雲が湧き上がり、稲光を轟かせていた。
そしてそのさらに上空に、朱く尾を引く三条の流れ星が見えて――瞬く間に黒雲を突き抜けた。
光盤の中で領主館が破裂するように吹き飛び、直後、純白に染め上げられる。
黒雲に押しのけられるように輪が開き、巨大な――標高一二〇メートルのラーヴィ峰を越えて、ここからでも見えるほどの土砂柱が上がったのは、ほぼ同時だった。
刹那、その土砂柱を中心に衝撃波の輪が広がり――
「み、見ろ! ラーヴィ峰が……」
向こう側から押されたように、その頂が割れて転がり落ち、下方の森を巻き込んで砕けた。
ヴィスト山地を下ってきた突風が木々を捻じ曲げ――いや、耐えきれなかった樹木は根本から引っこ抜かれて宙に飛び上がり、ババアの結界に叩きつけられる。
俺はこの光景を、昨晩、ババアに観せられたから知っている。
リディアが喚起した魔法は、空の遥か彼方に浮かんでいる、第一文明時代の神器を呼び起こす為のものだったのだろう。
あの高度な文明を極めた都市を、容赦なく滅ぼしていた人造の星を――
「……な、なな……」
誰しもが言葉を失い、崩れたラーヴィ峰の頂を見つめていた。
「――やり過ぎだ! 一発ならまだしも、三発は完全にオーバーキルだろう!?」
――いや、あんな天変地異を巻き起こす魔法、一発でもダメだろう。
とは思ったのだが、ババアにとっては許容できるようなので口にしないでおく。
それにあのリディアが、なんの考えもなしにあんな凶悪な魔法を喚起したとは思えないしな。
「――おいっ! あれでは娘達は!!」
と、鼠族族長が俺に詰め寄ってくる。
それと同時に光盤の白が払拭されて、再び像を結び始めた。
結界に覆われた部分以外は、まるで巨人にでも襲われたかのように、抉られ、ヒビ割れて路地が剥き出しとなったヴィスターブ領都。
街の大きさからの目算になるが、周囲一キロはすべて円形に抉られているんじゃないだろうか。
領都の南にあるヴィスト山地の斜面もまた、土砂崩れが起きて土色に染め上げられている。
そんな悪夢のような光景の中――
「……族長殿、あれを見ろ」
俺は鼠族族長の手を優しく叩いて、光盤を指差して見せる。
額に大粒の汗を浮かべ、杖に身を預けるようしながらもしっかりと両足で立つリディアの背後に、結界に覆われて宙に漂う獣属の娘達の姿。
「お、おお……おおっ!!」
歓喜の声をあげる族長。
獣属達からも歓声があがる。
娘達の結界が解除されると、黒狼団の随伴騎士達が彼女達に駆け寄って声をかけた。
彼女達は驚き、けれど事情を説明されると、その表情は喜びに変わる。
『――ッハァッ!!』
大きく息をしたリディアは、それでも両手で杖を握り締めて告げる。
『――状況終了! 撤収に移ります!』
その指示に、三方の大路からボリスン達兵騎が急行し、獣属の娘達を両腕に抱えた。
随伴騎士達もまた、兵騎の肩に飛び乗る。
と、その時。
地面に降り注いだ土砂を掻き分けて、醜く肥え太った男が這い出てきた。
――ヴィスターブ伯爵、か。
俺が王太子だった時はまだ嫡男という立場で、痩せぎすな小男という印象の人物だったが……この二年で爵位を継いで、腐り落ちたようだな。
『――ま、待て! こ、これをしたのは貴様らなのか!? き、貴様ら、な、何者だ!?
や、いや! そんな事は良い! ぼ、ぼぼぼ……ぼくのペット達をどうするつもりだ!?』
『ペット……』
その言葉に、リディアの顔から表情が抜け落ちた。
『……お嬢、あっしらが言えた義理じゃありやせんが……いやあっしらだって、オンナを動物のように見たこたぁありませんぜ……』
『そうそう。給仕女中は天使、娼婦は女神ってのがオレらの信条っス!』
『ジョニスの親分だって、脅して言うこと聞かせる為に乳揉んだり、顔舐め回したりはしてみせますが、あの人アレで死に別れた姐さんに操立ててるんで、オンナの貞操を奪ったりとか、オイラ達にも禁止してるんですよ~!』
押し殺した声で怒りを見せるボリスンに、チャーリーが同意し、さらりとディックがジョニスが漏らされたくないであろう、ヤツの内幕を暴露する。
――アイツ、あの口の軽さがなければ、ボリスン達と同格に扱ってやれるんだがなぁ……
『そんなわけで――』
三人は押し殺した声を揃えて、リディアに訊ねる。
『あの外道、殺っちまっても良いですかい?』
『……いいえ……』
けれど、リディアは首を横に振る。
『あんな者でも、この状態の街をどうにかしてもらわなければいけませんから』
つまりは後始末を押し付けようというわけだな。
『……でも……』
と、念動の魔法でも喚起したのか、ふわりと浮かんだリディアの身体は、滑るようにしてヴィスターブの元へ。
『アルなら……あの人なら、きっとこうするでしょうから……』
そう呟くリディアを見つめ……舐め回すようにその視線を上下させると、ヴィスターブは不意に両手を打ち合わせた。
『おまえ、よく見ると良い身体をしているじゃないか!
アレだ! こんな事をしでかした詫びに、俺の妾になれ!』
「……あいつ、なに言ってんだ?」
ロイド兄が呆れたように呟き。
「あら、今の王宮ではあんな風に、下半身とおつむが直結してるお馬鹿さんは珍しくないのよ?」
と、エレ姉もまた苦笑。
「あれだけの惨状でなお――ってのが、ホント、情けなくなるな……」
先代ヴィスターブ伯は流通の要衝を任せるに足る、厳格な人物だったと記憶しているんだがな……
『い、いや、おまえのこれだけの魔道があれば、ベルサンス候に従う必要もなくなるか?
ぼ、ぼぼ、ぼくが東部の覇者になることも――ハガァッ!?』
と、身勝手な妄想を垂れ流すヴィスターブの脳天に、リディアは容赦なく銀杖を振り降ろした。
『はんかくせこと、ぐだぐだどっっ!!
――な、あだまわいじゃんでねがっ!?』
真面目に村を――領地を治めてきたリディアにとっては、領都の惨状より自らの性欲を優先する男など、理解できない存在に映るだろうな。
『がああああぁぁぁぁ――――ッ!!』
割れた頭を抑えながらのた打ち回るヴィスターブの丸い身体が、リディアの念動に絡め取られてピタリと止まる。
リディアは金色に染まった瞳でそんなブタを見下ろし。
『……えが?』
銀杖を両手で肩の上に担いで身を捻る。
すっと息を吸い込んで。
『――あの人の民に! 汚い手で触れるんじゃねえッ!!』
横薙ぎに振るわれた銀杖が――的確にブタの股間に叩き込まれた。
『ガッ!? フハァァァァァァ――……ッ!?』
絶叫し、白目を剥いてそのまま昏倒するブタ。
その周囲に、どす黒い血と尿が広がっていく。
それを一瞥もせず、杖を一振りして踵を返したリディアは――
『さあ! 今度こそ撤収です!』
顔をしかめてやや前屈みになった黒狼団に、はっきりとそう告げたのだった。
「……おまえ、しっかりしねえと、尻に敷かれる事になるぞ?」
と、ロイド兄がワケのわからない事を言いながら、俺の肩に肘を置いてくる。
「んん? リディアは恩人だからな。可能な限り、その願いは叶えてやるつもりだぞ?」
そう応えた途端、白毛玉を弄んでいたマチネ先生が、エレ姉と共に深い溜息を吐いた。




