第5話 44
――ちょうど良いから、どれだけアンタらが世間知らずなのかを、よ~っく見とくと良いよ。
と、ババアは<竜爪>の若い衆に皮肉交じりの笑みを向け、彼らの背後に大枠の光盤を出現させた。
映し出されたのは街を上空から見下ろした光景。
街の五分の一を締めるほどの大倉庫街があり、ラグドール辺境伯領の隣領というと――ヴィスターブ伯爵領の領都か。
なぜババアがリディアを『白の賢者』などと呼んだのか――リディア達が出発してすぐにババアを問い詰めた俺は、おおよその事情を聞かされた。
魔道分野のややこしい理屈がともなう話だったから、完全に理解できたかは怪しいが、要するに白の賢者の人格の一部がリディアに宿っていたという事らしい。
当然、俺は昨晩教えられた、天帝やリグルドの状態からリディアの状態を心配したのだが、どうやらそれは杞憂のようで。
――ハク姐はあたしよりよっぽど魂に精通してる人だからね。
と、リディアに悪影響がない事を――やはり理解が及ばないよくわからない理論付きで説明してくれた。
ともかく、今のリディアは魔道器官の封印が解除され、さらに白の賢者の<書庫>を得た事で、アリシアのように人外に片足を突っ込んだ状態にあるようだ。
「――さあ、よ~くご覧!」
ババアの呼びかけに、その場の全員が光盤に注目する。
黒狼団は兵騎一騎に随伴騎士三人を一組に、三つある街の入り口に転移され、リディア自身は領主館の屋根の上に現れた。
そうして随伴騎士達が、野盗さながらの台詞をまくし立てながら、通りを行く住民達を追い散らす。
「――なっ!? あれが騎士の振る舞いか!?」
と、<竜爪>から批判の声があがる。
「ふ……自分を貶める事で民を守れるのなら――あいつらはいくらだって泥に塗れる覚悟があるのさ」
そうできる――できてしまうあいつらを、俺は心から誇らしく思う。
「――は? それはどういう……」
俺の呟きが聞こえたのか、鼠族の族長が声を震わせながら訊ねてきた。
「簡単な話だ。
見ろ。ああする事で街の住民は逃げ出しているだろう?」
「そ、そりゃあ……あんな頭おかしい格好の連中が襲って来たなら、皆逃げ惑って閉じこもるに――ハッ!」
「気づいたようだな。そうだ。あいつらはああやって住民を家に閉じこもるよう促しているのさ」
ほどなく通りには奇声をあげてはしゃぐ黒狼団しかいなくなり、それを見計らったように家々に虹色に輝く結晶質の結界が張り巡らされる。
「……あんな――街を覆うほどの結界を張れるなんて……」
目の前の光景が信じられないというように、エレ姉が呟く。
「……街全域の精霊を掌握しているにしても規模が大きすぎる……
となればあの地の霊脈そのものを掌握しているとしか思えない」
ブツブツと独り言を呟きながら、リディアの結界魔法を分析するエレ姉。
「や、今のあやつは――ん~、正確に調べたわけじゃないから断言はできんが、たぶんイリーナ程度の魔道士にはなってると思うぞ。
チュータックス領の関所から転移で狗共を喚んだ事から推測して、おそらくあの辺りまでの霊脈は掌握できてるんだろうね」
ババアがそう説明すると、エレ姉は感極まったように口元を押さえる。
「――お師匠……あの娘、城にいた時はまじめだけど要領が悪くて、いつも先輩侍女に仕事を押し付けられてたんですよ……」
エレ姉の目元には、いつの間にか涙が溢れていた。
「田舎の貧乏男爵の娘だから学園にも行けず……だから簡単な――初級魔法の喚起詞すら知らなくて……」
当時は王宮に仕える侍女の大半が学園の成績優秀者だったからな。
エレ姉のように、それを仕事に活かしていたかはともかくとして――当然、初級魔法は皆使えただろう。
貴族子女にとって学園卒業というのは、官位を――権威を得る手段でもある。
だから学園卒業生にとっては、そこを卒業せずに王宮に勤めるというのは、あからさまなコネによる採用と見なされて――軽蔑される土壌が育っていたんだ。
……まあ、事実リディアはローゼス商会を介しての、俺の口利き採用だったしな。
いかに試験には合格しているとしても、学園で努力を重ねた末に登用されている侍女達には預かり知らない話だ。
必然、リディアは孤立していたんだ。
「そんなあの娘に、少しでも仕事が楽になればと、わたくし、魔法を教えて……」
「ああ。アンタの教えが――はじめの一歩がよかったんだろうさ。
村の習慣で魔道を操る術は備えていたようだが、あの子はそれを魔法として具現する術は知らなかったんだからね」
と、ババアはエレ姉の背を撫でて、優しく告げる。
「だから、ごらん? あの子が唄う魔法は定型詞に捉われる事なく、あんなにも自由だ」
領主館の屋根の上に居るリディアから黒狼団へと魔道が伸びているのがわかる。
あれほど大規模な結界魔法を維持しながら、リディアは霊脈を吸い上げて、さらになにかの魔法を並列喚起しているのだろうか。
「はい……はい。あの娘、王宮にいた時もそうでした。
並列喚起で魔法を組み合わせたり……それで掃除や洗濯なんかに活用して……」
結果、リディアの仕事効率は良くなり、他の侍女達に便利屋のように扱われて、より仕事を押し付けられる事になったんだけどな。
それはさておき――
「……あれは?」
俺の問いに、ババアは自慢げに胸を張り。
「――<天眼>……
かつて神々を勝利に導いた魔法のひとつさ」
他者の目を気にしてか、そう応える。
神々を勝利にってことは――恐らくはババアがよく言う<大戦>の事を指しているのだろう。
「その作用は――」
最後まで告げず、ババアは光盤を指差す。
黒狼団を鎮圧する為に、兵騎や衛士が通りを駆けていく。
位置的にも距離的にも、黒狼団はそれを察知できるはずもないのだが、あいつらはまるで敵の来襲が観えているかのように、通りの先に顔を向けて体勢を整える。
直後、随伴騎士達がまったく同じタイミングで駆け出した。
「――は、速え!!」
<竜爪>の若い衆が驚きの声をあげる。
随伴騎士の連中もまた、<竜牙>と同様の鍛錬を積んでいるんだ。
まして隊長候補であるボリスン達直属に配属する予定の連中なんだから、あの程度の脚力は当然だ。
若い衆は随伴騎士達の身体能力に驚愕したようだが――
「……まるで示し合わせたような同時行動――あれがその……<天眼>とかいう魔法の効果か?」
さすがロイド兄は着目点が違う。
伊達に王宮第二騎士団団長を務めていたわけじゃないな。
「そうさ。<天眼>はね、喚起者を中枢にして対象の視覚を統括管理し、リアルタイムで中枢による指示伝達をこなすための魔法なのさ」
「……む?」
「んん?」
ババアの説明に、俺とロイド兄は首を捻る。
「ええと、ああいう光盤と<伝話>を並列喚起してるようなものでしょうか?」
と、エレ姉が噛み砕いて説明してくれたんだが……
「そうだねぇ……意思伝達に関しては、<伝話>というより、アンタらに使った促成教育器に近いだろうかね」
つまり、指揮官の指示や部隊からの要請が、双方に対して即座に知っている事として処理されるという事だろうか。
「……そんなの、戦のあり方が様変わりするじゃねえか!」
驚くロイド兄に、しかしエレ姉は首を振る。
「いえ、ロイド様……そんな魔法――しかも喚起者を中枢とするその論理性質上、儀式として負担を分散させる事もできませんから、今、この世界であの魔法を喚起できるのは――」
「そうさ。アレはリディアだけの特別さ。
近い魔法ならあたしも組めるが、<天眼>には及ばない。
――正真正銘、あの子は賢者となったってワケだ!」
腕組みして、その巨大な胸を反らすババア。
その間にも、通りを駆け、時には建物を守る為に張り巡らされた結界すら足場にして、縦横無尽に飛び交う随伴騎士達は、ほぼ同時に先行して来た敵兵騎に接敵。
現れた兵騎達は、それぞれの通りが三騎一組という、教練に忠実な兵騎編成最小構成単位。
対する随伴騎士もまた、それぞれ三人ずつ。
「――お、おい! 生身でやろうってのか!?」
誰かが驚きの声をあげる中、黒狼団の随伴騎士達は奇声をあげながらさらに加速。
すれ違い様に<魔道刃>を振るって――
「――兵騎の仮面を斬り裂くだとぉ!?」
合一器官を収めている胴部を守る為、兵騎の仮面は鞍房を守る胸部装甲並みの強度を誇る。
「――な、なんだ!? あの武器は!」
驚愕を露わにする<竜爪>をよそに、随伴騎士達は兵騎にひと当てしただけで、追撃を加えず、さらに通りを跳んで後続の衛士達の元へ。
「……あれが今の王宮騎士か……たるみ切ってやがるな……」
と、ロイド兄は不満げだ。
そうだな。俺が城に居た頃の騎士達ならば、随伴騎士の急襲にも、無傷とは言わないまでも仮面を傷つけられるようなヘマはしなかっただろう。
直後――三つの轟音がひとつとなって、ヴィスターブ領都に響き渡った。
「――た、たった一振りで!?」
そう。
後発した黒狼団の兵騎は、随伴騎士の襲撃にたじろぐ敵兵騎に瞬く間に肉薄し、それぞれの獲物を振り抜いたんだ。
ただ一振り。それだけで、ボリスン達は三騎の兵騎を無力化して見せた。
「……これが、あのふざけた連中だってのか?」
「これだけの力があって、なぜ俺達に頭を下げられたんだ……」
きっとボリスン達と争っていた連中なんだろう。
呆然と光盤を見上げるそいつらに、俺は言ってやる。
「――俺の狗共は躾が行き届いているからな。
そこらの駄犬と違って、無駄吠えなんざしねえんだよ」
あいつらの名誉の為にも、そして目の前の獣属達の今後の為にも、あえて辛辣な言葉を選んでそう告げた。
「ああ。真の強者ってのは、己の強さを無闇矢鱈に見せつけたりはしねえよな」
と、ロイド兄も同意すれば、彼らは尻尾を垂らして項垂れるしかない。
その間にも、光盤の中のリディア達は、次の段階に移ろうとしていた。




