第5話 41
鼠族族長は憎々しげに俺を睨みながら、大股で俺の前までやって来くると、その手で俺を指差す。
「――民の為!? 現王もそう語った上での今ではないか!
――忘れるな! 我々の今の苦境を!!」
鼠族族長の言葉に、獣属達の顔が曇りだす。
族長はさらに声を荒げて続けた。
「もう騙されんッ!
信頼できるのは、我らを知るラグドール家――我ら獣属の首族たる鬼族の血を受けた若様だけだ!」
「……だが、鼠のよう……」
兎族の族長が、彼の剣幕に気圧されながらも声をかける。
「――黙れ、兎の! 一番被害を受けているのは貴様の里だろう!?
もはやラグドール家以外は敵なのだと、なぜわからん!?」
激昂してまくし立てる鼠族族長。
「――ちょいと待ちな。被害?」
ラグドール前夫人が、族長のその言葉に首を傾げて訊ねる。
途端、獣属達は俯き、鼠族族長もまた失言に気づいて顔を背ける。
――だが。
「ああ、里のねえね達が隣の貴族に拐われてるんだぞ」
背後からの甲高い声での説明に振り返れば、マチネ先生に後ろから抱きつかれた白毛玉が、悲しげに表情を沈ませていた。
「だから、拙者達は若様を王にして、悪い貴族を処刑してもらわなきゃいけないんだって、爺様達が話してたんだ」
俺はロイド兄を見る。
「……い、いや。初耳だ」
ラグドール前夫人に目を向ければ、彼女もロイド兄の言葉を肯定するようにうなずく。
「――里を任されている我らが、主家に自らの恥を明かせるわけがないだろう!?」
と、鼠族族長は開き直ったように叫んだ。
里の者が拐われても、強さを尊ぶ獣属の誇りと、主家であるラグドールに迷惑をかけたくないという想いで、言い出せずにいたのだろう。
思い返せば先程の牛族の青年も、照れ隠しではなく、この真実を隠す為に俯いて表情を隠していたのではないだろうか。
「……つまり、拐かしは事実なんだな?」
知らず怒りで声が低くなる。
「ああ、そうだっ!!
――なぜ! なぜ、我らの子や娘が拐かされる!?
民の為を謳うなら、今すぐあの子らを救ってみせよ! この口だけの負け犬王子が!!」
涙に顔を歪めながら叫ぶ老人の姿に――
「――クソがあっ!!」
俺は唇を噛み締めて、拳で床を叩き割った。
周囲で精霊が真紅に発光し、バチバチと紫電が舞い散る。
あろう事か拐かしだと?
いまだ奴隷制度の残るアグルス帝国では、一部の獣属氏族が富裕層の性欲のはけ口にされているという事は、知識として知っている。
だが、奴隷を禁止しているこの国で――しかもフォルティナ王の御代以降、善き隣人として共に歩んできた彼らを、だと?
込み上げる怒りで目の前が真っ赤だ。
俺から放たれる魔動に、誰しもが竦み上がる中――
「――ボリスンッ! チャーリーッ!!」
俺は立ち上がって叫ぶ。
「へい!」
ふたりは即座に俺の前に進み出て跪く。
「ディックを呼び出せ。
そうだな……一個小隊もあれば、今の貴様らなら行けるか?
――五分で用意させろ」
怒りを押し殺して指示を出せば、最近ババアが広め、黒狼団の連中が連絡に使っている<伝話>を喚起して、ディックに接続する。
「……その……兄貴、よろしいので?」
「――なにがだ?」
「あっしらが動いちまったら、貴族は――中央は警戒しちまうんじゃ……」
隣領の貴族の行いに憤りを感じつつ、俺の今後を思っての諫言。
「――そんな事はわかってる!
だからこそ俺は、集まりつつある領騎士団や<竜牙>でもなく、他ならない貴様ら黒狼団に命じているんだ」
そう言ってやれば、ボリスンの目に理解の色が広がる。
モヒカン髪を両手で撫で付けて――
「なるほど。確かにあっしらなら、そういう事もやりそうでさぁな!」
兵騎までもが奇矯な外装に揃えた連中だ。
どう見ても騎士団ではなく、傭兵くずれにしか見えないだろうからな。
――だが俺は知っている。
今の黒狼団が、地方領主が擁する騎士団などとは比べ物にならないほど、鍛え抜かれた精鋭に育っていることを。
「――ディックに伝えやした。
一個小隊、すぐに出せるそうです!」
<伝話>を終えたチャーリーがそう告げて。
「――なら、わたしが彼らの送迎と捕らわれた人達の捜索を担当しましょうか」
と、庭に降りたリディアが、事もなさげにそう告げる。
「は? リディア? おまえ、なにを――」
突然の申し出に、俺は怒りを忘れて問いかける。
そんな俺に、彼女は笑顔を浮かべ……
「――拐かされる怖さは、わたしもよく知ってます。
だからこそ、赦せないんですよ」
言いながらリディアが右手を横に差し出すと、その指先が虚空に溶けて、直後、銀色の長杖が引き出される。
「――おまっ、<小箱>なんて、いつの間に!?」
訳がわからず質問を重ねる俺の背後から――
「やれやれ、ほんっとままならないものだねえ……」
と、ババアがやって来て俺の肩に腕を乗せる。
「この後の予定も詰まってんだ。巻きでできるかい? 白の賢者殿?」
「――は?」
――今、ババアのヤツ、なんて言った?
思わず顔を覗き込む俺に、ババアはそっと耳打ちする。
「……あとで説明するよ。今はあの子に任せときな」
それから再びリディアに視線を向けると。
「ええ。まずはディックさん達――さすがですね。もう武装完了して騎車を出そうとしてます。
……でも――」
目を閉じたリディアはそう告げて、手にした銀杖を両手でくるりと回した。
笛の音に似た風切り音が辺りに響いて。
キン、と。
その石突きで地面を叩けば、澄んだ金属音と共に大型の魔芒陣が描かれる。
「――は? えっ!?」
次の瞬間には、居並ぶ獣属達の後ろに、完全武装のディックとヤツの隊員が揃っていた。
「――遠距離転移だとッ!?」
ロイド兄が驚きの声をあげて。
「儀式もなく――しかも喚起者が居ながらにしてなんて――」
エレ姉も理解できないというように、目を見開いている。
「――こっちの方が早いです」
そう告げるリディアの瞳は、本来の澄んだ青から陽光のような黄金色に染まっていた。
それから彼女は俺を見上げて促す。
「さあ、アル。ご指示を! それをもってわたしと黒狼団は、最速最短であなたの望みを叶えましょう」
威厳さえ感じられる宣言に、ボリスンとチャーリーだけじゃなく、転移して来たばかりで理解もできていないだろうに、ディック達までもが彼女の後ろに跪いて、俺の言葉を待つ。
「――の、望み? あんた、なにをしようと言うんだ!?」
俺が放っていた怒りの魔動がやわらいだからか、鼠族族長が詰め寄ってきて訊ねる。
だから俺は言ってやった。
「決まってるだろう? 拐われた者達を救い出すのさ。
――今すぐに、な!」
笑みと共に族長にそう告げ、「できるんだろう?」と問いかけるようにリディアに目を向けると、彼女は当然のように頷きを返してくれる。
彼女になにがあったのかは、よくわからんが――今の彼女からはそれを裏打ちするだけの自信に満ち溢れている。
「――頼むぞ」
できる事なら、俺自身が乗り込んでしまいたいが、後の事を思えば軽率な真似はできない。
だからこそ、俺は短い言葉に想いを託してリディアに告げる。
そして、彼女の背後に控える黒狼団に視線を移し。
俺は<竜爪>の連中に、誇るように、見せつけるように――声高に叫んだ。
「――黒狼の騎士よ!」
「――へいっ!」
声を揃えて応じるボリスン達。
「負け犬の牙の鋭さを、<竜爪>達に見せつけてやれ!」
「――へいっ!」
立ち上がり、連中は俺に向けて敬礼する。
「――外道の喉笛に、研ぎ澄まされた牙を突き立てろ!」
「――へいっ!」
その声を喚起詞に、ボリスン、チャーリー、ディックの三人が指輪を喚起して、背後に兵騎を喚び出し、鞍房に乗り込んで騎体を起こした。
「――行け! 我が牙よ! 出し惜しみは無しだ! 見せしめに徹底的にやってやれ!」
「――任せといてくだせえっ!」
そうして、リディアが再び銀杖を回す。
「――跳びますっ!」
魔芒陣が開き、瞬く間にリディアを含めた黒狼団が転移に霧散した。
「な、な、な――!?」
鼠族族長はもはや驚きに言葉もないようで、その場に倒れ込んで口をぱくつかせている。
そんな老人に手を伸ばして助け起こし。
「――もう大丈夫だ。誰にも助けを求められず、辛かったな……」
彼の手を握ったまま、俺は呆然と見上げてくる老人達を見回した。
「あ、あんな……兵騎があるとはいえ、あんな数で領主に歯向かえるものか!」
鼠族族長が我に返って食って掛かってくるが、俺はそれに歯を剥いて笑ってみせた。
「まあ、見ていろ。
――あいつらは……俺の牙は特別鋭いと、すぐにわかる」




