第5話 40
拳を床に突いて頭を下げる俺の行動に、獣属達以上に驚いたのは、背後にいた連中だった。
「――お、おい! アル!?」
「アルくん、獣属に先に謝罪は……」
と、ロイド兄とエレ姉などはっきりと声にまで出している。
ババアもまた目を見開いていたが、それでも俺の出方を伺ってなにも言わずにいてくれた。
「アル……殿下、王族――それも嫡流が、貴族家の家臣なんぞにたやすく頭を下げるもんじゃない」
あえて敬称を用いてたしなめてくるロイド兄の言葉に、俺は首を振って苦笑。
「……いや、俺は今、王族ではなく、アルベルト個人として――バートニー村のアルとして、みんなと腹を割って話したいと思っているんだ」
再びこの場の全員が絶句して目を見開いた。
――ただ。
リディアとマチネ先生だけは、笑顔を浮かべて無言のうなずきで肯定してくれる。
「みんなも知っての通り、俺は家臣に裏切られ、悪政を敷いた悪逆王太子として城を追われた。
その事について言い訳をするつもりはない。
民が俺をそう思い、現王を受け入れたのならば、それが民にとっての事実なんだからな」
いくら王宮で起きた真実を訴えようと、人々の巷間に挙がる噂話に比べればなんの力もないだろう。
「それでもなお我を通そうとするなら、武を以って――戦で相手を討ち滅ぼすしかなくなる。
俺は……そうはしたくなかったんだよなぁ……」
居並ぶ獣属の若い衆達を見回し、俺は苦笑を漏らす。
どいつもこいつも日に焼けた肌をしていて……決して鍛錬をおろそかにしているわけではないのがよくわかる。
俺はそのうちのひとり――牛族の青年を指差す。
「――そこの君。
君が騎士を目指したのはなぜだ?」
牛族は体格に恵まれ、膂力にも優れているから確かに騎士としても有能だろう。
だが、彼の氏族は基本的に温厚な者が多く、進んで争い事を望む者は少ないはずなんだ。
どちらかと言えば、土木工事や農耕方面でその実力を発揮する氏族だと記憶している。
俺に問われて、牛族の青年はバツが悪そうに顔を逸し。
「……里を、畑を――おっとう、おっかあを守りてえって思ったんだ……」
どうやら彼は領都ではなく、牛族の集落――里の出身らしい。
獣属の氏族集落の多くは、フォルス大樹海の畔にあってラグドール領の守護を担ってくれている。
たしか氏族ごとの能力や役割によって、集落の位置が決められているんだったか。
武家氏族はより大樹海に近い位置に、戦闘向きではない氏族は領都近くに。
牛族の場合は武家氏族ではないものの、恵まれた体格もあって大樹海寄りの位置にあったはずだ。
「ああ、獣害から村や畑を守りたいという気持ちは、俺もよくわかる。
ようやく芽を出した作物が、翌朝見に行ったら獣に食われてた――なんてなったら、山ごと吹き飛ばしたくなるよな?」
「で、殿下が!? 百姓仕事!?」
驚く獣属達に俺は苦笑。
「――アルと呼べ。
今、俺はバートニー村の者として話している」
そう言い置いて。
「この半年で、いろいろ教わったぞ? はじめは堰さらいや草刈りくらいしか任せてもらえなくてな。
いや、あれも立派な野良仕事といえばそうなんだろうが、やはりどうせなら作物の育成にも関わりたいだろう?」
そう続ければ、牛族の青年だけではなく、猪族や馬族などの農耕に優れた氏族の者達も同意の言葉を告げる。
「――わかりまさぁ。あっしも親に田植えを任された時はうれしかったなぁ……」
馬族の若者の言葉に、覚えがあるのか多くの若者達がうなずいた。
「そう! 俺の場合は芋だな。
自分で起こした畝に作付けを許された時は本当に嬉しくて、何度も様子見に行ったものだ」
そのたびに水撒きをしたもので、やり過ぎだと村の老人達に叱られたっけな。
「だというのに、それだけ手間暇かけても畜生どもは、好き放題に荒らしやがる」
俺ははじめに話しかけた牛族の青年に視線を戻す。
「だから、君が獣害を減らす為に――村のみんなの為に武を修めようと考えた気持ちは、素晴らしいものだと思う」
「……い、いや……おいらは――その……実は……」
照れ臭いのか、俯いてもごもごと口籠る青年にうなずいて。
「――話を戻すが、正直なところ俺はできる事なら、あのまま村で百姓として生きて行きたかったんだ」
「では、此度立ち上がろうとご決断なされたのは、如何様な心変わりがあったので?」
俺の真意を探るように、細めた目で俺を見据えて問うてくる夫人。
ガキの頃は、ババアから聞かされてた逸話もあって、あの紅い目で見つめられたら、ビビってなにも言えなくなってたっけな……
だが、今の俺は笑みを返す余裕がある。
これも成長だろうか。
「――色々とややこしい理屈もあるにはあるんだが……」
王族の血統から外れているカイルや、リグルドに成り代わったという前コートワイル侯爵は、王族の務めとして王宮から排除しなければならない。
しかし、それはあくまで俺の――ローダイン王族とババアの都合だ。
百姓の生活を識った今だからこそ、庶民はそんなワケのわからない話では賛同なんてしてくれないと理解できる。
極論を言ってしまえば――民とは、自分達の生活を豊かにしてくれるなら、王が誰であろうと構わないんだ。
――だから……
バートニー村のアルは、あくまで庶民としての目線でラグドール前夫人に応える。
「俺達が――庶民が苦労して育てた成果を掻っ攫おうっていう、中央のクソ畜生共をちょいと退治してやろうと思ったんだ」
夫人の口調を真似てそう返せば、彼女は目を丸くして――それから思わずというように噴き出して、袖で顔を隠した。
「ホホ……中央貴族がクソ畜生……」
「ああ、そうだろう?
現王――カイルは俺に言ったんだ。民の為の政治を敷くんだと。
だが、二年経った現在、そういう建前で行われている政策は――確かにお綺麗で耳障りの良いものばかりだが、しかし実態を失って民まで行き届いていないじゃないか」
国家事業として取り組むべき街道整備や防衛対策は軽視され。
「人道」の名の下に、場当たり的に人々に食料と金をバラまく。
中央に取り入りたい領主は、王都に入り浸って領民を顧みる事なく、地方は治安さえままならない状態になっていると聞いた。
そして、それらによって発生した弊害は、俺やかつて俺が重用していた官僚や領主達の責任とされ、民に「透明性」を謳って公開する議会の場で、彼らを声高に糾弾する事で民の溜飲を下げさせているのだそうだ。
「領主や高級官僚、大臣が多少の悪さをする事まで俺は否定しない。
それによって民が潤う事も確かにあるからな」
たとえば自領に大路を通す為に、ある領主が議会工作として金品をバラ撒いたとする。
そしてそのバラ撒く金の出処が、街道敷設によって潤う大商会の賄賂という場合もあるだろう。
もちろん賄賂や工作自体は、決して褒められたものではない。
だが結果として、道を通す為に雇用が生まれ、人が流れて、物の動きも活発になり、その沿線の民が豊かになるのも事実なんだ。
だから俺はそういう行為を、表立って肯定する事はできないが、否定まではするつもりはない。
しかし、現在の王宮はそれらを「悪」と断じ――目に見えてわかりやすい、その場しのぎの政策で自らの私腹を肥やしながら、国を、民を先細りさせているんだ。
奴らが掲げる「人道」と「正義」こそ、俺にとっては国と民を食い潰す「害悪」に見える。
そういった理屈が頭の中で浮かぶが、それらを頭を振って追い出し――
「――要は民を食いもんにしてるクセに、善人気取ってるバカどもに、いっちょ痛い目みせてやりてえんだ!」
声を張り上げてそう叫ぶ。
「……だが、今の俺は――城を追われて庶民となった俺には、王城を――国を相手にするだけの力がない……
個人として王宮に反旗を翻したところで――それでカイルを廃したところで、その後の統治に民は着いて来ないだろう。
民には、テロリストに身を落とした俺の、悪あがきとしか映らないだろうからな。
――民と貴族の賛同を得て、正しく玉座を取り返さなければいけないんだ」
……だから。
そう。だから、だ。
俺は再び床に拳を突き立て、深々と頭を下げる。
「君らが言うように、情けない王子なのはわかっている。
決して俺の為に戦ってくれとは言わない!
君らが民を――家族や隣人を大切に思うのなら……彼らを豊かにしたいとうそぶく、俺の口車に騙されてくれッ!」
……場が水を打ったように静まり返った。
引かれただろうか……
強さを尊ぶ獣属には、軽蔑されたかもしれない。
だが、偽らざる本心だ。
彼らが賛同して轡を並べてくれるのならば、その責任はすべて俺が引き受けるつもりだ。
「ぷっ――フ……フフ……」
と、頭を下げる俺に、ラグドール前夫人の忍び笑いが聞こえた。
それが呼び水だったかのように――その場に居合わせた全員が噴き出した。
思わず顔をあげると。
「――騙されてくれって、自分で言っちゃってんじゃねえですかい!」
先程の牛族の青年が苦笑しながら発言する。
「先代も若様も貴族としちゃ変わり者だと思っちゃいたが、まさか王族まで変わりもんだったなんてな!」
「――王命に従えって言えば済むものを……」
「ああ! 騙されてくれと来たもんだ!」
やがて口々に、彼らは俺を変わり者だと言い出し――けれど、その顔に浮かぶのは嫌悪感ではなく、やや困ったような笑顔だ。
「――仕方ねえなぁ……」
と、虎族の若者が立ち上がり。
「武を誇る我々が、助けを求める手を振り払うなんて、ご先祖様に顔向けできねえや。
なあ、みんな――そうだろう?」
彼の言葉に、皆が賛同の声をあげてくれる。
……ああ、伝わった……のか?
こんな拙い、交渉どころか話し合いにすらなっていない、内心を吐露しただけの懇願を――彼らは受け入れてくれたのか?
――その時だ。
「――皆の衆! 絆されるな!」
ザバリと水音が響いて――
そちらを向くと、鼠族の族長がずぶ濡れになって池から這い上がっていた。




