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悪逆非道な暴虐王子が追放されて、心優しい王子が即位した結果 ~これなら俺のがマシじゃねぇ?~  作者: 前森コウセイ
第5話 新たな賢者の覚悟

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第5話 39

「……相変わらず、夫人はおっかねえな……」


 ロイド兄が淹れて来た緑茶を啜りながら、俺はこっそりと呟く。


 今、素足で庭に降りて、鼠族族長の頭を踏みつけにしているあの人は、スジが通らない事を心から嫌悪しているんだ。


 ババアから聞いた話なんだが。


 俺がまだ物心着くより前――国中が不作に見舞われた年があったんだそうだ。


 そんな状況にも関わらず、その年も例年のようにアグルス帝国はグランゼス領へと侵攻してきたんだ。


 兵站不足から各領は派兵を見送り、王城さえもが貴族院の反対にあって騎士団の派遣ができずにいたらしい。


 爺様――陛下は苦渋の決断で、貴族院の決定を受け入れるしかなかったのだという。


 実の弟であるゴルバス大叔父上――グランゼス公の討ち死にすら覚悟しつつ、民を思えば戦で少ない食料を失うわけにもいかないと、覚悟を決めたんだそうだ。


 そんな王宮に乗り込み、爺様を一喝してぶん殴ったのがスズカ・ラグドール伯爵夫人だったのだという。


 ――民を理由に実の弟すら救えないような立場なら、とっとと捨てちまえ!


 そう爺様を罵って。


 ――グランゼスが陥落(おと)されたなら、そもそもメシの心配どころじゃなくなると、なぜわからないんだい!


 と、その場に居合わせた大臣達さえ、どつき回して。


 ――食料は我が領がなんとしても用意してやるよ! アンタらは今すぐグランゼスに駆けつけな!


 そう啖呵を切る様は見事だったと、ババアは笑いながら語っていた。


 いわゆる――『ラグドールの鬼嫁殿』の一幕だ。


 そう。その逸話が社交界で話題になり、舞台化までしてるんだよ。


 ちなみに夫人は宣言通り、戦に必要な食料を用意し切った。


 ラグドールの主要農作物である米を、その年の収穫はおろか備蓄していたものまでをも放出し、さらには酒造用のものまで掻き集め、そればかりかフォルス大樹海で採れる山菜や果実まで加えて王城に届けたんだ。


 こんな無茶ができたのも、獣属(ワーロイド)が多いラグドールだからこそだろう。


 獣属(ワーロイド)にとっての主食は肉や、一部の氏族によっては野草だ。


 人属にとっては主食である米や小麦は、獣属(ワーロイド)にとってはおかずや嗜好品という扱いで、どうしても必要なものというわけじゃなかったんだ。


 だから、人属用の最低限の米を確保したラグドール辺境伯領は、それ以外をすべて兵站として供出できたというわけだ。


 その年は<竜爪>騎士団だけじゃなく、全氏族挙げてフォルス大樹海での魔獣狩りが行われたそうだ。


 そうして舞台では、夫人を演じる女優が気風(きっぷ)良く言い捨てるんだ。


 ――自分で言い出した事ながら……あの人と一杯やれないのだけは、なんとも辛いもんだねぇ……


 それだけの大事業を有言実行しておきながら、夫との時間を大事にしているという鬼嫁の内面を端的に表している場面だ。


 そうしてその年の戦は、夫人が切った啖呵とラグドール辺境伯領の活躍によってなんとか乗り越える事ができたそうで。


 それまでは家畜の餌としか見られていなかった米が、ローダイン王国中の庶民に浸透したのも、この年の出来事があったからなんだとか。


「わぁ……本物の鬼嫁殿を見られるなんて……」


 と、若い衆の介抱を終え、俺の隣に座っていたリディアが感嘆の声をあげる。


「ん? あの舞台を見たことがあるのか?」


 庶民受けの良い、大衆演劇として広まっている彼の舞台は、下賤な作品として貴族達にはあまり好まれていない。


「ええ、わたくしが観てみたくて、付き合ってもらったのよ」


 そう応えたのは、ロイド兄の隣に座ったエレ姉だ。


「いずれラグドールに嫁ぐ身としては、お義母(かあ)様の偉業を知っておきたかったの」


 と、照れながら告げたエレ姉に、リディアは首を振りたくって同意する。


「はい! 国と民の為――なによりスジを通す為なら、陛下さえ諌めて見せるスズカ様は、まさに貴族家夫人の鑑です!」


「いや、お袋のアレは単に、日和った陛下にブチギレただけなんだけどな……」


 ロイド兄は母親の暴挙を絶賛されてしまい、困ったように苦笑を漏らす。


「結果的に国を救っちまったもんだから、陛下をぶん殴った事を含めて、()()()()()()()()()()事にされてるしな」


 記録がないものだから、エレ姉は舞台を観ることで当時を知ろうとしたんだろう。


 俺達がそんな事を話している間にも――


「おう、クソ鼠。よくもまあ、小賢しい真似をしてくれたもんだよ」


 と、夫人は周囲の族長達より一際顔を青黒く腫らした老人――鼠族族長の襟首を掴んで、二本角の生えた額で頭突きを叩き込んだ。


「――大恩ある! ミハエル殿の御子を! あろう事か! 陥れようと! するなんて! ねっ!」


 言葉を区切るたびに、夫人の拳が左右に振るわれて、鼠族の族長は呻き声をあげる。


「んん? 父上に大恩って?」


 初めて聞く話に、俺は首を傾げてロイド兄に訊ねる。


「ああ、知らなかったのか?

 ラグドール領(ウチ)はミハイル兄――お前の親父さんに、救われた事があるんだよ」


 なんでもフォルス大樹海の奥地にある侵源のひとつから溢れた魔物が、樹海内を流れる河川のひとつを遡り、アンダルス湖畔に出現した事があったのだという。


 折り悪く<竜爪>の本隊は、陸路を来る魔物への対処でフォルス大樹海で奮闘中。


 完全に後背を突かれた形のラグドール領は、湖畔周辺への対処には衛士や経験の浅い騎士見習いが当たるしかなかったらしい。


「――そこに駆けつけたのが、元服を迎えたばかりのミハイル兄だったそうだ。

 クロを駆って側近だけでやってきたミハイル兄は、即座に衛士や騎士見習いをまとめ上げると、自ら先陣を斬って魔物の調伏に当たったんだと」


「伯父様は身を切って国の安堵に尽力してくれたラグドール領への恩を返しただけだって、仰ってらしたけどね」


 ああ、なるほど。


 父上は先の不作の際に起こった戦の、ラグドール領の尽力に報いようと考えたのか。


「――そ、そもそも我らが身を切って米を供出したからこそ、彼奴は王太子などと偉そうにしていられたのでしょう!?

 それを大恩などと――ぷぎゃっ!?」


 鼠族族長の顔面に夫人の拳が叩き込まれ、小柄なその身体が宙を飛んで池に落ち――そのまま意識を失ったのか、白目を剥いて水面に浮かんだ。


「恩義に報いてくださったあの方をそんな風に言える時点で、てめえは忘八も良いトコだ!」


 と、夫人は切れ長な赤眼で、他の族長達を眺め回す。


「てめえらもてめえらだ! 中にはあの戦いでミハイル殿に子を、孫を救われた者もいるだろうに、あんな外道の口車に乗せられたってのかい!?」


 夫人の問いに、族長達は我が身可愛さなのか、即座に首を横に振る。


 先程、若い衆をいともたやすく切り捨てたように、すべての責任は鼠族に押し付けようという魂胆なのが、ありありと見て取れる。


 ……ふむ?


「……よくわからんのだが……」


 俺は再びロイド兄に訊ねる。


「なんで鼠族の族長が責められてんだ?」


 俺の問いに、ロイド兄は苦笑して後ろ頭を掻く。


「あ~、言っちまえば、オレが家臣をまとめ切れてなかったって事だな」


 鼠族族長は、代々ラグドール領の帳簿番――いわゆる財政を担当していたのだという。


 領政の予算を一手に引き受ける立場だけにその発言力はかなりのもので、どうやらあの老人はその立場を使って、他の族長達を抱き込んだらしい。


「爺ちゃん――家宰が里に引っ込んだのを良い事に、族長の中でも最年長ということもあって、気がでかくなったようでな。

 どうもオレを反現政権の旗頭に据えて、そのまま王位に着けようと目論んでいたようなんだ。

 若輩者だから御しやすいと考えたんだろうな……」


 その計画の一環として、俺を貶めたってワケか。


 ようやく若い衆が、意味もなくイキり散らかしてた理由がわかった気がする。


 種属としての習性かと思っていたが、なんの事はない。


 よくある政争だったってわけだ。


 俺が味方になってくれそうな領に檄文を飛ばしているのは、ロイド兄を通して鼠族族長にも伝わっていたのだろう。


 だからこそ、俺の悪評を――他家を頼るしか無い軟弱者という情報を流す事で、ロイド兄が旗頭になる事を正当化し、あわよくば王宮での地位にまで手を伸ばそうとしたってわけだな。


「おまえが帰った後にでも、オレから()()()()しとこうと考えてたんだが、お袋に先を越されちまった」


 ……ロイド兄も当主を継いだばかりで、苦労してるんだな。


「他氏族はあくまで鼠に乗せられただけと言い張るようだが、つまりこれは鼠族による殿下への謀反って事で良いんだね?」


 と、夫人はその場に青褪めた顔で立ち尽くす鼠族族長の従者に訊ねる。


「も、申し訳ありません! 何卒、何卒お赦しを……」


 そりゃ、従者ではその程度しか応えられないよな。


 まさか族長を見捨てるわけにもいかんだろうし。


「――おい、バカ弟子よ……」


 それまで開け放った襖に背を預け、黙って成り行きを見守っていたババアが俺に呼びかける。


「頃合いだ。アンタが締めな」


 と、親指で俺に口を挟むように指し示す。


 ……まあ、そうだよな。


 事の起こりは、そもそも俺が侮られていたのがきっかけだ。


 ここで夫人に任せっ切りにしたら、ラグドール家と獣属(ワーロイド)氏族にしこりが残るし、俺とは――ローダイン王族とは、長く続いた融和関係に亀裂が入ってしまう事になる。


 なんせ、彼らは俺の悪評によって、俺に見切りをつけているんだからな。


 とはいえ、口下手な俺がこの場をどうまとめたものか……


 ――心の中のダグ先生よ。今こそ、俺に叡智を!


 茶をすすって時間を稼ぎつつ、俺は必死に脳内のダグ先生に呼びかける。


「――アルお兄ちゃんさぁ……」


 ――その時。


 白い毛玉――獅子族の若族長を抱えて引き摺ったマチネが、俺の側までやってきて耳打ちする。


「どーせまた、いろいろとダグに教えられた言葉を並べ立ててるんだろうけど、よく考えて?

 なんでイライザお姉ちゃんが着いて来ないのに、獣属(ワーロイド)との交渉を、お兄ちゃんに任せたのか。

 口でどうにかしようと思ったなら、イライザお姉ちゃんが直接来たんじゃない?」


「む、言われてみれば……なんでだ?」


 単純にロイド兄やババアが居るからとも考えたが、交渉となれば俺よりイライザの方がよっぽど適任だろう。


 だがあいつは俺にラグドールを任せ、自分はベルノール家――エレ姉の実家に援助を求める交渉役として、自らそっちに足を運んでいる。


 あいつは俺の口下手をよく知っているだろうに、重要な交渉を俺に丸投げしてきたんだ。


 考えるほどに意味がわからず、俺は答えを求めてマチネ先生の顔を覗き込む。


 途端、マチネ先生は肩を竦めて溜息。


「やっぱりわかってなかったんだね。

 そのままのお兄ちゃんだからこそ、うまく行くって事!

 イライザお姉ちゃんはたぶん、そう考えたんだよ」


 そうしてマチネ先生は俺の背後に回って、背中を強く叩いて。


「グダグダ考えずに、思ったままを口にしてみなよ!

 その方が、きっとみんなには伝わるから!」


 そうして両手で背中を押され、思いの他強い力に、俺はたたらを踏んで縁側に躍り出る。


 庭に集った獣属(ワーロイド)達の視線が、一斉に夫人から俺へと移って注がれた。


 ……ふむ。思ったままを口にする、か。


「――殿下の沙汰だ! てめえら、心して聞くんだよ!」


 と、夫人もまた玉砂利の地面に膝を折って座る。


 俺は縁側に腰を降ろして胡座を掻き――


「……あ~、まずだな……」


 腰から上体を前に倒し、俺ははっきりと告げる。


「――俺の所為で領内に無用な混乱を招いてしまった事、申し訳なく思う」


 予期しなかったであろう俺の行動に、獣属(ワーロイド)達が息を呑んだ。

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