第5話 37
「――毛玉じゃない! 拙者はシン・バ・ライホウ! 誇り高き獅子族の長だ!
拙者は歴代最年少で族長を襲名した武士だぞ!
おまえや負け犬王子なんか、怖くないんだからな!」
まだ丸い牙を剥き出しにして、キャンキャンとうるさく鳴く様は、まるで初めてあたしのところにやってきたロイドのようで、あたしは思わず笑みを濃くする。
鼻っ柱が強いのは良い事だ。
だが、それも実力がともなってこそだろう。
さて、あの時のロイドには、どうしたのだったか……
と、あたしは霊薬を飲まされて目覚めたのか、エレーナに抱えられながら頭を振っているロイドに視線を向ける。
思い出されるのは、エレーナが放った多重攻性魔法にフルボッコにされて、土下座で詫びを入れる、幼いロイドの姿。
「……ああ、そうだったねぇ」
そう呟き、再び白い毛玉に視線を戻して……
「――なら、アンタの強さを見せてごらんよ」
「やらいでかっ!」
あたしの言葉に即座に応じた毛玉は、羽織っていた紋付きを脱いで、侍女と思しき着物姿の獅子族の女に投げ渡す。
「フ……後悔しても遅いからね」
そうしてあたしは両手を打ち鳴らし――
「――おい、マチネよ!」
「なーに? アジュアお婆ちゃん?」
と、声をかけたあたしに応じて、倒れた若い衆の間を駆け回っていたマチネが縁側まで戻ってくる。
あたしは白毛玉を指差して。
「ほれ、前に話したもふもふだ。
手伝いの褒美だよ。存分に堪能するが良い」
――途端。
マチネの目が歓喜に輝いて見開かれた。
「――ホントっ!? やったぁっ!!
あたしね、しよーにんの獣属のひとはモフモフじゃなくて、ちょっとがっかりしてたんだぁ。
モフモフなのはちっちゃい子だけで、集落にいるから会えないって教えられて、ホントにホント、がっかりだったのっ!」
両手を挙げて飛び跳ねて――全身で喜びを表すマチネ。
普段のマチネは妹のシーニャや友人のルシオといった年少組の子供達の手前、いつもお姉さんぶって背伸びしているからね。
こうして年相応に喜びを表現する様は微笑ましく、あたしもついつい頬が緩んでしまう。
「ただ気をつけな。そいつはちょっとやんちゃな毛玉でね」
あえて族長達が若い衆達に用いた言葉を使って皮肉ってやると、年寄りどもは冷や汗浮かべてあたしから視線を逸らす。
「だいじょーぶ! あたしこの前、ロディおじちゃんの狩りについて行って、イノシシにも勝てたんだよ?」
と、マチネは両脚を前後に開いて半身になり、左拳を前に、右拳を肩上に引いて構えを取って見せる。
「お婆ちゃんに教わった、護身術でね!」
「お、おう……あたしの弟子なんだから、それくらいはできるだろうね」
笑顔を貼り付けたまま頷きを返したものの、内心、あたしはドン引きだ。
野生のイノシシに勝った?
てかロディの奴、なにしてんの?
いや、古参の<竜牙>にも匹敵する能力があるあやつの事――きっと正しくマチネの実力を把握した上での事だとは思う。
だが、マチネはあたしが白竜を仕込み始めてまだ一月も経ってないんだぞ?
……そういえば、あの村の民は代々の長が日常の習慣の中に、あたしの鍛錬法を溶け込ませて来たんだったね。
そうして出来上がっていた素地が、あたしの指導を受けて一気に花開いたという事なのか?
……まあ、それはさておき、だ。
「えーと、毛玉ちゃん。あたし、バートニー村のマチネ! モフらせてくれるんだよね?」
マチネは警戒を示して毛を逆立てる白毛玉に、笑顔でそう挨拶する。
警戒を解きほぐそうというつもりなのか、笑顔を浮かべつつ――その裏では足指でじりじりと相手に気づかれないままに前進する歩法を用いる様は、確かに鍛錬が身についている証だ。
ま、怪しげに波打って開閉する両の手指の動きで台無しだがな。
「――な、なんだ、おまえ!? 拙者は毛玉じゃない! シン・バ・ライホウだ!
モ、モフ? なにをしようと言うんだ!?」
などとイキって見せる毛玉だったが、ありゃ完全にマチネに呑まれちまってるね。
「――は~い、シンちゃ~ん。怖くな~い、こわくないよ~」
腰を落とし、それまでわきわきと怪しげな動きを見せていた左手を差し出して、マチネはチチチと舌を鳴らしてみせる。
完全に毛玉を猫扱いだ。
それに白毛玉も気づいたのだろう。
「――ふ、ふざけるなっ!」
毛玉が叫んで飛び出し――
「――い、いけません! 坊っ!」
付添の女が制止の声をあげたが、その時にはもう毛玉は地を蹴って跳び上がっていた。
白い幼毛に覆われた手から、子供ながらに鋭い爪が伸びて朝日を照り返す。
「わぁ、ホントにやんちゃなんだね!」
マチネは嬉しそうにそう応え――頭上から振り下ろされた毛玉の右手に合わせるように、手指を揃えた左手を差し出した。
その幼い左手が、幼毛に覆われた白毛玉の左手首に添えられ、きゅっと握り込む。
左脚が半月を描いて後ろに旋回し、マチネはその勢いを上体に伝達。
くるりとマチネの小さな身体が左に回り、自然、手首を握り込まれた白毛玉はそのまま宙を振り回される。
「ふ? うわぁ――ッ!?」
白毛玉の悲鳴がこだまする中――マチネは手首を返して白毛玉を縦に回し、するりと伸ばした右手で毛玉の後ろ首を掴んだ。
「にゃ、ふにゃぁ……」
獅子族もそうだが、一部の獣属の幼体は、首の後ろを掴まれると脱力してしまう習性がある。
読書家のマチネは、その事をしっかりと学んでいたようだね。
「ほら、怖くない……」
そのまま白毛玉を後ろから抱え込み、優しく囁くように、白毛玉の頭の上に突き出した耳に告げるマチネ。
そうして地面に座り込むと――
「怯えていただけ……なんだよね?」
などと、諭すようにのたまう。
……いや、敵愾心まんまんだったと思うぞ?
たぶん、ガチで殴ろうとしてた。
そんなあたしの内心は露知らず――
「ふへ……もふもふだぁ……」
「にゃ……ふにゃぁ~、や、やめろよぉ……」
マチネは白毛玉の毛並みを存分に堪能し始める。
その指テクに、白毛玉は全身を弛緩させてされるがままだ。
あたしは縁側にしゃがみ込み、そんな白毛玉に言ってやる。
「ハン! こんな子供にすら良いようにされて、アルベルトを負け犬呼ばわりとは呆れるね」
「――こ、子供と思って油断しただけだ!」
途端、白毛玉はそう叫んで、身を起こそうとしたようだが――
「こ~ら、シンちゃん。暴れちゃダメでしょ~」
「にゃふぅ~……」
左手で頭を押さえつけられ、右手でアゴの下を撫で回されて、白毛玉は再び脱力してマチネの腕の中に収まる。
毛玉はもはや、マチネの指テクによって牙を抜かれた獅子――家猫そのものとなって、マチネの腕の中で喉を鳴らし始めた。




