第5話 34
――オレが族長達を連れて屋敷に戻って来たのは、まさにそんな時だったらしい。
不意に屋敷を囲う壁の向こう――庭の方で膨れ上がった圧倒的な魔動に、族長達が髪を逆立てて警戒をあらわにする中――
「――ギャヒンッ!!」
壁を越えて降ってきた獅子族の青年が、地面に叩きつけられて悲鳴をあげた。
「――な、なぁッ!?」
異様な事態にたじろぐ族長達。
「おい、なにがあった?」
オレは倒れた獅子族に駆け寄って訊ねたんだが。
「――あ、ああぁ……ヒィ……」
彼は言葉にならない悲鳴をあげ、尻尾を股の間に挟んでブルブル震えるばかり。
「おい、若様が訊いているだろう!? はっきりと物申せ!」
と、そんな彼を蹴りつけてそう声をかけたのは、先日獅子族の長を襲名したばかりの小僧――シン・バ・ライホウだった。
シンはまだ幼毛すら抜け落ちていない全身毛玉な小僧なんだが、族長を襲名した事でその責を果たそうと、ひどく気を張り過ぎているようにも思える。
氏族の伝統というのはわかるが、白毛に生まれたってだけで元服を待たずに族長を襲名させられたシンの姿は――
……まるで王太子になったばかりの頃の、アル坊を見ているようなんだよなぁ……
「――こ、これは坊! 若達も!?」
シンに蹴られてようやく獅子族の青年は我に返ったのか、オレ達の前に平服する。
「良いから、はよ、なにがあったか申せ」
まだ着慣れてない紋付きで、かつてヤツの父親がそうしていたように腕組みしながら、シンは青年を促す。
「は、はい! そ、それが……」
と、彼はチラリとオレの顔を一瞥し、それから言葉を選びながら話し始めた。
それを族長達と聞き終えて。
「……つまりおまえらはアル坊をナメて、あいつの家臣にケンカ吹っかけたってワケか?」
オレは押し殺した声で、青年を睨みながら問いかける。
「い、いや――そんなつもりは!」
「――実際、そうなってるだろうがッ!!」
一喝すると、青年は身を縮こまらせて地面に頭を擦りつける。
あー、ちくしょう。
こいつの話だと、アル坊は集まった<竜爪>の若い衆相手に絶賛、大立ち回りの真っ最中ってコトか。
「す、すみません! こ、こんな事になるなんて――」
「……若様。だが、言ってはなんだが――前王太子は悪逆の限りを尽くした挙げ句、王位を弟に簒奪され、情けなくも若様や我らに助力を求めてきた軟弱者なんだろう?」
平服したままに言い訳する青年を見下ろしながら、シンもまた若い衆同様の勘違いを口にする。
「いや、シンよ。こないだの会合で婆さん――大賢者が説明してただろう?
悪逆どうこうってのは現政権による放言で、そもそも現王には王位継承権などないと」
婆さんは政治的な理屈や、血統がどうのと小難しい説明をしていたが、族長達や評議会の連中はうんうんうなずいてたから、みんな理解していると思っていたが、幼いシンには伝わっていなかったということだろうか。
「うむ。だからこそ、いまこそ我ら家臣が一丸となって、若様を新たな王に立てるのだろう?」
「――は?」
思わず間抜けた声をあげてしまった。
見るとシンの背後で、他氏族の族長達も頷いている。
「あ~……ロイド様。これは獣属特有のアレですね……」
エレーナが困ったように頬に手を当てながら、オレにそう訴える。
――弱者への恭順を良しとしない習性、か。
若い衆の間でそんな意見が出ているって話は小耳に挟んでいたが、まさか族長達まで賛同しているとは思わなかった。
「馬鹿どもめ。アル坊には<竜牙>が――グランゼスが従ってるんだぞ? それでわかりそうなもんだろうに!」
「……それを彼らは自身の目で見たワケではありませんし、それに――」
エレーナの言葉に、耳をピクリと動かしたシンは。
「グランゼス、なにするものぞ! <竜牙>など所詮、魔物相手に領地を守れず、逃げ出す事しかできなかった軟弱者ではありませんか!」
と、オレに拳を握って息巻いて見せる。
「……なまじフォルス大樹海で魔物調伏できていた事が裏目に出ていますね……」
エレーナは溜息混じりに、そう続ける。
「――アホかっ!? 大侵災とオレらが普段やってる魔物調伏を一緒に考えてるのか!?」
「ハッハッハ! 若様、所詮は弱者の放言――簒奪王と同じでありますよ。
どうせ魔物の群れ程度を大侵災などと大袈裟に言っているのでしょう!」
ああ……クソ、マズいな。
コイツら、完全に増長してやがる。
自領の安堵に力を入れるあまり、他領の騎士団と長く交流して来なかった弊害が、ここに来て噴出しているともいえるか。
オレが王宮を見限って、領に帰って来た事もコイツらの勘違いに拍車を掛けているのかもしれんが……
と、どうしたもんか考えてる間にも――
「――ガハァッ!!」
「――おぶふ!?」
<竜爪>に入り立ての若い連中が、次々と屋敷を囲む壁を越えて降ってくる。
獅子族の青年に続き、狼族や虎族といった戦闘を生業とする氏族の若者が軒並みふっ飛ばされている事実に、オレは族長達がアル坊を見直す事を期待したんだが……
「――貴様らたるんどるぞ! 負け犬王子相手になにをやっている!」
虎族の長が倒れ伏した若者の頬を殴り、そう怒鳴りつけた。
……あ、ダメだな。コレ。
「もう実際にアルくんの実力を見てもらうのが、一番なんじゃないかしら?」
エレーナはそう告げると、<小箱>から杖を取り出し、念動の魔法で自分やオレ、族長達を宙に持ち上げた。
そのまま壁を乗り越えて、屋敷の前庭へと降りる。
庭はひどい有様だった。
爺様が育てていた柿の木がなかばから折り砕かれ、その根本には巨躯を誇る牛族の青年が、四肢を曲がってはいけない方向に折り曲げられて横たわっている。
城の外から引き込んでいる池や水路には、上半身を水面に沈められ、おかしな具合に両足を開いた者達が前衛芸術のように林立していた。
……その向こうで。
「――ハッハー! どうしたぁッ!? 負け犬相手に手も手も足も出ないのか?
貴様ら、イキりだけは一丁前の無能なブタかぁ?
いや、バートニー村ならブタでも襲われれば魔獣を仕留めるぞ!」
……アル坊、めちゃくちゃ楽しそうじゃん。
刃を潰した訓練用の槍をアル坊が振るうたびに、<竜爪>の若い衆が次々と宙に打ち上げられる。
八竜戦闘術の歩法を交えて移動しているから、きっとあいつらにはアル坊が突如現れたように見えているはずだ。
アル坊はその四肢を使って槍をクルクルとその身の至るところで自由自在に回し、その身すらも回すものだから、攻撃の起点がひどくわかりづらい。
攻撃の際の型は、確かにオレが修めた緑竜槍術のものなんだが、緑竜にあんな回転動作は存在しない。
緑竜槍術は直線と面制圧に重きを置いた型が多いからな。
アル坊の動作に違和感を覚えるオレに、答えはエレーナが導き出してくれた。
「……ああ、なるほど。これが複数の竜を修めるという事なのね……」
「どういう事だ?」
わからない事は下手に考えるより、素直に訊くに限る。
「アルくんのあの回転動作、防御と応酬に重きを置いた黄竜杖術の型なのよ」
「あ~、あいつ、槍を杖に見立ててそれを使ってる、と?」
「長杖と思えば、わたくしもできない事はないと思う。
けど……それを緑竜に繋げるなんて、学んでいないわたくしにはできないわ」
大勢の若い衆を相手に黄竜杖術で防御しつつ、ごく自然に緑竜槍術に繋げて制圧して行くってわけか。
そんな真似は緑竜しか修めていない、オレにもできやしないだろう。
オレが同じ場面に出くわしたなら、持ち前の膂力と体格で強引に押し切る他思いつかない。
……なるほどな。
婆さんがアリシアを差し置いて、アル坊を最高傑作だと言うわけだ。
今の王族で、正しく婆さんの鍛錬をすべて修め切っているのは、あいつしかいないからな。
魔道的にも、武においても――あいつは言葉通りに婆さんの最高傑作ってわけだ。
以前の――魔動に恵まれず、マリエールにさえ負けていた頃のアル坊は……守ってやらなければいけない弟分は、もう何処にも居ないんだな。
クロの心臓を移植され、身体の不自由を持ち前の根性で乗り越えて見せたあいつは、まごうことなく強力な騎士であり、オレ達の王なんだ。
クソ、涙であいつの活躍がよく見えねえ。
「……ロイド様、どうぞ」
「ああ。すまない」
と、エレーナが差し出してくれたハンカチで目元を拭う。
「――相手はたったひとりだろう!? なにやってんだ! そこだ! ちがう! ほら、うし――いや、ああ……ええ、右!? なんで!?」
シンが若い衆に指示を飛ばそうとするが、騎士特有の脚力に加え、八竜の歩法を交えて前庭を縦横無尽に駆け抜けるあいつに、完全に翻弄されてしまっている。
――これだけ動ける今のあいつなら、きっと……
と、まるでオレの考えを読み取ったように、エレーナがオレの袖を引いて耳打ちしてくる。
「……ロイド様。ここでアルくんと一手交えたなら――」
「ああ、オレもそれを考えていた……」
そもそも若い衆や族長達の勘違いは、あいつがオレより弱いという部分に拠るものだ。
なら、その勘違いを――あいつのがオレより強いと示して見せるのがこの場を収めるのには一番てっとり早いだろう。
とはいえ、手抜きなどすれば若い衆はともかく、親父と共に鍛えていた族長達にはたやすく見破られてしまうだろうからな……
オレは<小箱>から愛用の刀槍を引き抜いて、魔道を全身に巡らせる。
身体強化はもはや意識するまでもなく成立する。
その強化された肉体で、オレは大声で叫んだ。
「――ずいぶんと楽しそうな事してるじゃねえか!」
その場で争っていた全員がこちらを見る。
オレは槍の具合を確かめる為に両手で構えて上段から振り下ろし――左で踏んだ震脚で、周囲の地面が割れ飛んだ。
「……いっちょ、オレも混ぜろよ。アル」
以前のアイツなら、オレに叶うはずがないと手合わせ前から降参していたはずだ。
あいつにとってオレは兄貴分であり、越えられない壁だったからな。
オレにとってのミハイル兄みたいな存在であろうと、オレはこれまで努めてきたし、そう見てもらえているという実感もあった。
だからこそ、今、この申し出からは逃げないで欲しいと願わずに居られない。
ミハイル兄の代わりになれてるなんて驕るつもりはないが、男にとって父親や兄という越えられない高い壁ってのは確かに必要で――それを超える為に努力を続ける意義を教えてくれたのは、他ならぬミハイル兄だ。
「……ミハイル兄。あんたから受けた恩を返す機会を……」
小さく呟き、オレはあいつを見据える。
……さあ、どうする? アル!
以前のように小賢しく降参して、その場をやり過ごすのか……それとも――
「……まったく、あんたまでか。ロイド兄……」
右手で槍を回したあいつは、柄を小脇に挟んで呆れたように告げる。
その仮面に嵌められた青の双眸がゆらりと陽炎のように揺らめいて。
「――こうなりゃ、まとめて全部叩きのめしてやる!
来やがれ、脳筋ども!!」
――受けた!
胸の奥から湧き上がる歓喜!
いつか、こうやってあいつと勝負する日を夢見てた――それがミハイル兄への恩返しになると信じて!
――それが今、叶う!
「――ロイド様! この後の事も忘れないでくださいね!」
と、声を掛けてくるエレーナを置き去りにして、オレはヤツに向けて一気に駆けた。
「――いっくぞぉッ! アルベルトォ――――ッ!!」




