第5話 33
――そんなアレコレがありながらも、俺はなんとか朝食を終えると、着替えてくるというババアとリディア、それについていくマチネ先生を見送り、ババアの指示に従って、ひとりで先に新館へと向かったんだが……
「……こりゃ、どうなってるんだ?」
俺は縁側に腰かけて、タオルで汗を拭っている訓練着姿のマリ姉に声をかける。
「いやぁ……その……ははは……
ボリスンとチャーリーが早起きして鍛錬しててさ。それ見てわたしも混ぜてもらってたんだけど――」
「それがどうして、ああなる……」
俺が見つめる先――新館の前庭では、訓練着姿のボリスンとチャーリーが、軽装鎧を身に着けた獣属の若者達と言い争いをしていた。
「――あいつら……<竜爪>の若い衆なんだけど、わたしがふたりと鍛錬してるのが気に食わなかったみたいでさ……」
「……ふむ」
俺がグランゼスで<竜牙>の若手――ヘリオス達に絡まれたようなものだろうか。
これでもマリ姉はラグドール伯爵家令嬢――彼らにしてみれば、主家の姫だからな。
対するボリスンとチャーリーは、今は訓練着姿で、普段の見るからに怪しい出で立ちではないものの、ボリスンはモヒカン頭だし、チャーリーはツンツンに髪を逆立てていて、それだけでやべーヤツに見えてしまうだろう。
しかもふたりとも――正確には黒狼団全員が、俺に合わせて髪を赤く染めてやがるんだ。
現在の我が国では俺の悪評もあって、赤毛に良い印象を抱く者は決して多くない。
いや、はっきりと差別対象になっている土地もあるとか、イライザが言っていたっけな……
赤い地毛を持つ者は、周囲の目を恐れて他の色に染めているくらいらしい。
そんな髪色に好き好んで染めているのだから、ぱっと見の怪しさといったらこの上ないだろう。
余談ではあるが、禿頭のジョニスは染める髪がない事をかなり悔やんでいたな。
「……だが、あのふたりには身の程をしっかり叩き込んでいるはずだが……」
ジョニス率いる黒狼団は、現在、俺が課した基礎鍛錬を突破できたものから順に、アリシア自ら<竜牙>の鍛錬を施している。
中でもボリスンとチャーリーの成長は目覚しく、俺としては黒狼団を正式にバートニー領の騎士団にできた暁には、隊のひとつも任せても構わないと思っていたんだ。
だからふたりを含む隊長候補には、武の鍛錬と並行して礼儀作法の教育を施し、さらに武を高めた者が陥りがちが奢り――弱者を見下すような甘っちょろい性根を徹底的に折り砕いておいた。
それがしっかりと身についているのは、先日行ったチュータックス領都の衛士団との合同訓練で確認済みだ。
今のふたりは見た目こそアレだが、武も作法も俺が城に居た頃の王宮騎士団と比べても劣らないはずだ。
そんなふたりが、なんの理由もなくよその騎士達と揉めるだろうか?
「うん……はじめはねぇ、ふたりもなんとか穏便に済ませようと、へこへこしてたんだよねぇ」
と、マリ姉は頬杖を突いて溜息。
そうだろう。
分をわきまえたあいつらは、かつて迷惑をかけまくっていたチュータックス領の衛士達に侮蔑の言葉を浴びせられてさえ、愛想笑いを浮かべて低姿勢を貫いていたからな。
「でもほら、<竜爪>――ってーか、獣属って強さが立場に直結するじゃない?
だから先に謝るのは悪手だったんだよねぇ……」
「あー……しまったな……」
ふたりにはまだ、その辺りの地域や種属特有の習慣までは教えていない。
これが学園に通う生徒なら礼儀作法の一環として学ぶのだが、ふたりへの礼儀作法の講義はあくまで一般的な貴族や他領の騎士団への対応に関するもので、どうしても広く浅くになってしまっていたんだ。
「で、調子にノッたあいつらってば、あんたの事までバカにしだしてねぇ……」
「んん? なぜそこで俺が?」
「いやね、お兄ちゃんってば、あんたが来るって先触れを受けた時、嬉しさのあまりみんなに教えちゃったみたいなんだ」
……その光景が目に浮かぶようだ。
きっとロイド兄の事だから、<伝文鳥>に持たせた俺からの手紙を振りたくりながら、そこら中のヤツに見せて回ったんだろう。
「だもんで、<竜爪>内でのあんたの評価は、城を追われてお兄ちゃんを頼ったダメ王子って事になっててね……」
「……ふむ。あながち間違いではないが……」
事実、俺の計画では<竜>を冠する辺境騎士団で王都を包囲するつもりなんだ。
特に<竜爪>には、東の穀倉地帯へと繋がる我が国の大動脈――アルサス新大路を封鎖するという大役を担ってもらう予定だから、ロイド兄を頼っているというのは決して間違いじゃない。
玉座を取り返すと決意はしたものの、それは決して俺ひとりの力で成し遂げられるものではないんだ。
「あんたの認識はそうだろうし、わたしもお兄ちゃんもそんなあんただから、協力してあげたいって思うんだけどさ、どうもあいつらの考えは違うみたいなんだよね」
溜息をついて、マリ姉はボリスンとチャーリーを囲んで襲いかかっている獣属達をアゴで指し示す。
いつしか言い争いは殴り合いに発展していた。
ボリスンとチャーリーは、いつものババア由来の装備がないってのに、獣属の騎士相手にまるで引けをとっていない。
アリシアから課されているグランゼス式の鍛錬が、しっかりと活きている証だな。
「あいつら……いっそお兄ちゃんを旗印にして王にすべきだーとか考えてたみたいでさ。
そこに来てあんたの家臣が下手に出たもんだから、ますます図にノッちゃって……あんたをその――負け犬王子だの、腰抜け王子だの好き放題言っちゃってね……」
俺は思わず噴き出す。
「悪逆だの暗愚だのと散々言われたものだが、負け犬や腰抜けってのは初めてだな。
いまさら悪名がひとつふたつ増えようと、俺は一向に気にしないんだが……」
行動で示せば、周囲はいずれ理解してくれる事をグランゼスで学んだからな。
「あんたが気にしなくても、あのふたりはそうじゃなかったみたいよ?」
と、マリ姉が俺に呆れ気味に苦笑を向け、それから視線を争っている一団に目を向ける。
おお、虎族のヤツがチャーリーに殴り飛ばされて、宙を飛んだぞ。
ボリスンは牛族を投げ飛ばしているな。
ふたりとも殴られて顔をぼこぼこに腫らしているが、まあアリシアに鍛えられているふたりにとってはそんなの怪我の内に入らないもんな。
村で鍛錬に付き合った時、あいつら手足が吹っ飛ばなければ怪我じゃないとか笑顔で言ってたんだ。
怪我はババアが山ほど用意した霊薬でどうにでもなるってな。
ふたりの言に俺は心から同意を示したんだが、リディアやイライザがドン引きしていたところを見るに、どうやら俺達の考えは世の中の常識からは逸脱していたんだろう。
「――ボリスンもチャーリーも、ナニ言われても謝罪を繰り返してたのに、アンタがバカにされた途端、雰囲気がガラっと変わってね。
……あの魔動――ぶっちゃけあのふたり、八竜戦闘術なしなら、もうわたしより強いでしょ?」
「当たり前だろう? あいつらはアリシアに直で鍛えられてるんだぞ?
バートニー領戦力の中核ナメんなよ?」
家臣を褒められて悪い気はしない。
マリ姉にとって侮辱に感じられるだろうから口には出さないが……
いずれふたりには魔動が弱くて騎士の道を諦めざるを得なかったマリ姉くらい、たとえ八竜を使われようと装備なしで取り押さえられるくらいにはなってもらいたいと思っている。
ふたりの根性があれば、決して不可能ではないとも。
「……それはさておき、この騒動をどうしたものか。
ぐずぐずしていると、ババアが来てしまうぞ」
「あ、そういえばさっきお兄ちゃん達が族長達を呼びに行くって出てったけど、あれって師匠の呼び出しだったの?」
首を傾げるマリ姉に、俺は神妙に――状況がしっかりと伝わるように、深く深く頷いて見せる。
「ああ。しかもなんかやたら急いでるみたいでな。
……ヘタしたら、あいつらみんなババアにぶっ飛ばされるぞ」
上位者による強引な仲裁は、互いの心にしこりを残す結果になるだろう。
そして先程の雰囲気から考えるに、ババアはなにか大きな目的があるようで、あいつらの内心なんて考慮しないだろう。
時間があるなら、俺がグランゼスで若手達にしたように、このまま殴り合いを続けさせて実力を示す事で和解するって手も使えるんだろうが……
腕組みして呻く俺に――
「なら、急がないとね」
と、マリ姉は縁側に掛けた自身の模造槍を差し出す。
「む? 急がないと、とは?」
「だって、そもそも若い衆がイキってんのも、ボリスン達がブチ切れてんのも、あんたが原因じゃん。
一番手っ取り早い手は、あんたが実力を示す事よ」
したり顔でそう告げられて、俺はうなずく。
「ふむ。そうだな。幸いババアも居ることだ。多少の怪我は問題ないだろうしな」
「そうそう。しばらく帰ってないうちに、若い衆は弛み切っててがっかり!
ボリスン達の実力すら理解できてないなんてさ! ちょっと喝を入れてやってよ」
――いや、マリ姉も再会した時、俺の実力を理解できずに襲いかかって来ただろう?
という言葉は呑み込んでおく。
余計な発言は無駄に相手を怒らせ、時には痛みとなって返ってくることを、俺はついさっき学んだばかりだからな!
俺はマリ姉が差し出した訓練槍を掴み、縁側に内履きを脱ぐと、裸足で庭に降りる。
直立姿勢で左脇に模造槍を挟んで一呼吸。
そこから胸の前で槍を右へと回しながら、俺は右足を後ろに引く。
左手を前に、右手を後ろに回転する槍を掴み上げ、左脚で震脚を踏んで半身の構えを取る。
槍は久々に持つが、一度覚えた技術はしっかり身体に染み付いているようだな。
「……フン! ホンット、可愛げない!」
準備運動代わりの緑竜槍術の演舞動作に、マリ姉は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「――魔法で身体を動かしてるってのに、問題なく緑竜が使えるなんてね!」
「フフ……むしろ、こうなってからのが技は上達したくらいだ」
以前の俺では――なんとかババアのお情けで皆伝を受けられたとはいえ――、紫竜剣術以外はそれぞれの型を表すのが精一杯で、戦闘に耐えられるほどのものではなかったからな。
「……あ~、根性だけはあんた、昔からアリシア以上だったもんね……
まあ良いわ。さっきの震脚で、ほら――」
マリ姉が指さす先で、ボリスン達と獣属の若い衆が争いを止めてこちらを見ていた。
「――ア、アル兄貴ぃ……」
言いつけを守らずに争ってしまった事を恥じているのか、ボリスンが情けない声を出す。
一方、獣属達はというと。
「――その仮面、その赤毛……あんたが噂の負け犬王子だな?」
「負け犬らしく、犬の仮面が似合ってるじゃねえか!」
俺を指さしてゲタゲタ下品に笑い始める。
連中を無視して、俺はボリスンとチャーリーに視線を向けて、軽く肩を竦めて見せた。
「フ……おまえ達と出会った頃を思い出すな」
途端、ふたりは――
「……ちげえねぇや」
「分際を弁えてなかったんでさぁ」
と、腫れ上がった顔を歪めて笑みを作った。
「――てめえっ! 無視してんのか!?」
熊耳をした大柄な男が、叫びながら俺に向かって駆け出す。
「……ふむ」
俺は合わせるように一歩を踏み出し――
「――フオッ!?」
直後、五メートルを一気に駆け抜けた俺の背後で、熊耳男が天地逆さまに奇矯な声を上げて地面に叩きつけられる。
「……今、なにかやろうとしたか?」
首だけで振り返り、俺は熊耳男に問いかける。
交差する間際に熊耳男の踏み込み足のふくらはぎを、槍柄で引っ掛け上げただけなんだがな。
槍術でもなんでもない、ただの人体力学だ。
獣属の若い衆達がどよめいて――それでも腰を落として身構えたのは、さすが<竜爪>というところだろうか。
熊耳男が目を回して気絶してるのは頂けない――マチネ先生風に言うなら、大減点ってヤツだがな。
「――さて……」
マチネ先生といえば、こういう時はなにかキメセリフを言うものだと教わったな。
俺は顔を腫らしたボリスン達に顔を向け――
「ふたりとも……俺の為に済まないな」
「――兄貴ぃ……」
途端、滂沱の涙を溢れさせる二人にうなずき、次いで身構えた獣属達を見据える。
「……どうやら諸君には、俺が犬コロに見えているようだからな」
両足を前後に開き、中段に槍を構えて告げる。
「――獣の道理に従って、諸君らに身の程というものを教えてやろう!」
――一歩。
俺は若い衆の最前列に肉薄し、身体を回して石突きを握った槍を横薙ぎに振るう。
「――キャインッ!?」
「ゴアァァァ――――ッ!?」
ただそれだけで五人ほどが悲鳴をあげて宙に飛んだ。
残った者達は思わずという風に後ずさりする。
俺は連中にはっきりとわかるように笑みを浮かべて、低く告げた。
「――さあ、おはなしの時間だ……」




