第5話 26
「グランゼス城の訓練場で侵災が発生したあの日、城の客間にいたわたし達は衛士の方に連れられて、使用人のみなさん達と一緒に大広間に集められました」
非戦闘員の一時避難先として、大広間は最適なのです。
王宮での避難訓練でも、使用人は有事の際には四つある大広間の最寄りに逃げ込むように教えられていました。
「――わたしとイライザは、不安に駆られた子供達をなだめていたのですが……
駆け込んで来た衛士の方が、訓練場の結界の一部が破られ、魔物の群れの一部が城に入り込んだと報告に来たのです」
「あ~、そうか。訓練場に施してる結界用刻印は、耐物理、耐魔法用だからね。
魔物の瘴気には耐えられなかったってワケかい」
「そのようです。
今ならわかるのですが、そもそも領都のように人の多い――霊脈の安定した場所で侵災が自然発生する事はほとんどないのですよね?」
侵災――<誓約>の綻びは、霊脈が極度に乱れている場所や、希薄な土地で発生しやすいのです。
「ああ。だから基本的に都は侵災を想定した造りにはなってない。
侵災対策ができるほどの魔道士は限られているから、歴代の王も魔境なんかの侵災が発生しやすい地域への対策を優先してたんだ」
頭をガシガシ掻きむしりながら、大賢者様は顔をしかめます。
「……事が終わったら、耐瘴気用の魔道器を流通させるべきか?
だが、発生自体が稀なモノの対策品が売れるかというと……あ、いや、話が逸れたな。続けてくれ」
大賢者様に促され、わたしは続けます。
「やがてホールの外が瘴気に埋め尽くされて、それで大広間のすぐ外まで魔物が来ているのがわたし達にもわかりました」
大扉の向こうから漏れ聞こえてくる激突音。
わたしは子供達の不安を和らげる為に、イライザとふたりで必死に勇気づけて……
魔道士の一人が訓練場から<鳥>による連絡を受けて、アリシアが侵源を破壊したと告げた時は、みなさん歓声をあげました。
「けれど、それも束の間の事でした」
「……侵源を潰そうが、顕現しちまった魔物が消えるわけじゃないからね……」
「はい。衛士のみなさんは、それでも必死に魔物に立ち向かってくださいました」
衛士とはいえ、グランゼスのみなさんは土地柄なのか、王都の衛士とは比べ物にならないほどに鍛えられていて、城内に入り込んだ小型の魔物相手にも必死に抗っていたのです。
――けれど……
「……けれど――空に巨大な侵源が現れて……」
誰もがアレを見た瞬間、言いしれない恐怖に心を囚われて……はっきりと絶望しました。
わたしもまた、心臓を鷲掴みにされたような恐怖に、子供達を抱き締めながら身体が震えるのを止められませんでした。
その隙を突かれたのでしょう。
「大広間の窓に張り巡らされていた結界が破られ、魔物がなだれ込んできたのです」
衛士の方々が戦っていた人くらいの大きさの魔物だけでも、複数人で応戦していたというのに、兵騎ほどもある――中型の魔物までもが、壁を突き崩して現れて――大広間に逃げ込んだみなさんは大混乱に陥りました。
魔道士の方々が即座にわたし達の周囲に結界を張り巡らせ、衛士のみなさんもすぐに駆けつけて応戦したのですが、中型の魔物から発せられる瘴気に絡め取られて、次々と倒れていって……その端から魔物に捕食されて行きました。
……アリシアでさえ、魔物と戦う時は多重に結界を張り巡らせていたと聞いていました。
だと言うのに、魔道士のみなさんも衛士の方々も、ご自分よりわたし達を優先して結界を張ってくれたのです。
「……そんな状況になっても、またわたしはなにもできないのかと――ただ守られているだけなのかと、悔しくて……本当に悔しかったんです!」
侍女をしていた時も、王宮を辞する時でさえ、わたしはアルに守られていました。
オズワルドに拐われそうになった時もそうです。
あの時だって、アルは王宮に自分の事がバレる可能性より、わたしを優先して助けてくれました。
イライザを救う為にトランサー領都に向かった時もまた、わたしはただ見ている事しかできなくて……
そんな自分がイヤで……少しでも誰かの――アルの助けになりたいと、わたしはアリシアに頼み込んで、イリーナ様の鍛錬法を教えてもらっていたのです。
「――だから……だから!
少しでも魔物に抗いたくて、わたしは見よう見真似で魔道士のみなさんの結界を喚起しようとして……」
――その瞬間でした。
「より強固な結界を喚起する為に、鍛錬の時のように霊脈に魔道器官を接続した途端、わたしの魔道器官――いいえ、その内側……魂に触れてくる存在を感じたのです」
「……それが――ハク姉だった、と?」
わたしは頷きます。
「正しく今の状態をお伝えするなら、魂に眠る人格を基に構築された、人工幽属なのですが――人格保存法則における同一性が認められれば、本人とみなす……というのが、人類会議の人権定義なのですよね?」
ハクレイ様によって与えられた知識を口にすると、大賢者様は頷きました。
「……人格権及びそれに付随する権利の保全法――通称、ジャー・ポット保護法だね」
ハクレイ様の知識によれば。
大昔、宇宙海賊に捕らわれた人物がいたのだそうです。
その人物は激しい拷問の末に、たまたま実験体を求めて宇宙海賊を襲撃したマッドサイエンティストに助け出されたのですが、彼もまた実験体とされてしまい――魔道器官を湯沸かし魔道器に移されてしまったのだとか。
その後、彼は星間賞金稼ぎによって助け出されたようなのですが、彼の扱いを――人権の有無を巡って世論が揺れ動き、その時に人類会議によって採択されたのが、大賢者様が語った|人格権及びそれに付随する権利の保全法《ジャー・ポット保護法》です。
要するに、見た目はおろか種属にすらよらず、魂とそこに宿る人格の照会によって『本人』を定義づけ、それが人類であるならば人類会議の名において、人権が付与されるという法律ですね。
……逸れかけた思考を戻しましょう。
ハクレイ様に与えられた知識が膨大過ぎて、最近は意識しないとすぐに思考が横道に逸れてしまうのです。
「……あの絶体絶命の窮地に、ハクレイ様はわたしに語りかけてきました」
――あなた、おセイちゃんの子孫みたいねぇ?
それが……はじまりの声だったのです。




